設立50周年 世界のバレエダンサーの登竜門 ローザンヌバレエ・コンクール

世界のバレエダンサーの登竜門として名高いローザンヌ・バレエ・コンクールは1973年に初開催され、今年で50周年を迎えた。その間、世界に通じるバレエダンサーを多く世の中に送り出しており、日本からも約70名に上る若手バレエダンサーが受賞している。

現在では世界的に有名なバレエコンクールとなったローザンヌ・バレエ・コンクールだが、このコンクールは機械式時計に欠かせない小型の衝撃吸収部品「インカブロック」と小型電気モーターを製造する企業のオーナー、フィリップ・ブランシュワイグと妻でバレエダンサーのエルヴィ・クレミスのアイディアから生まれた。

二人は20世紀バレエ団を率いたモーリス・ベジャール、ロゼラ・ハイタワーら長年親交があり、その興行なども行っていた。そうした中、舞台芸術としての舞踏の分野では、オペラ歌手などの舞台芸術家から比べて経済的に恵まれていないことに着目する。その解決への案をベジャールらに相談したことから、若手ダンサーに世界的に知名度のあるバレエ学校で学ぶ権利を授与するコンクールをローザンヌで創設することとなった。こうしたポリシーによって設立されたバレエ・コンクールであるため、ローザンヌ・バレエ・コンクールには基本的に順位は設けられていない。

第1回のコンクールは1973年1月19〜21日にローザンヌ市立劇場で実施され、第3回(1975年)からはローザンヌのボーリュ劇場での開催となった。国際的な知名度を得るため、ニューヨーク、東京、モスクワでもこのコンクールは開催された。第49回は新型コロナウィルス感染拡大による渡航制限があり、この回だけは参加者が事前に映像を提出し、現地で審査員が審査するという方法がとられた。

開始当初はクラシック・バレエのためのコンクールであったが、時代の変化に伴って1999年からはコンテンポラリー・ヴァリエーションが審査に導入された。2006年には選考方法に大きな変更があり、DVD審査が取り入れられ、第2フェーズだけが現地で行われるようになった。また、出場者の健康管理には厳しく基準が設けられて、健康状態、食生活についての問診票など身体の健康に関する資料の提出も義務となっている。

ローザンヌ・バレエ・コンクール50周年を記念して、多くのバレエ公演を手掛けてきた文化村ではそのギャラリーを使って写真展覧会も開催された。また、記念すべき50回目のコンクールには日本からは4名がファイナルに進出し、15歳の宮崎圭介がスカラシッププライズを受賞している。スカラシッププライズ入賞者には、世界の著名バレエ・スクールへ1年間無償で留学する権利と、その間の生活援助金として16,000スイス・フランが与えられる。

実は日本はバレエ大国として名高いという。それはまずバレエ教室が多いことと、子供達の習い事としてバレエが定着していることも一因だ。ロシア、ヨーロッパにあるような素質、容貌、体形、親の体形などから向き不向きを判断されるようなことはなく、誰もでも気軽にバレエを習うことができる。そうした状況から、日本のバレエ人口はとても多く、思わぬところから逸材が出てくるということもあるという。今、バレエは最も好まれている舞台芸術になっている。

若いダンサーを支援し、学ぶ機会を与えるという考えは本当に素晴らしい。これからもローザンヌ・バレエ・コンクールの継続、発展を祈りたい。

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