アレクサンドラ・コヴァチュ特命全権大使閣下
セルビア共和国は現在EU加盟国候補であり、宮殿や城砦等の観光資源にも恵まれ、また、テニス、水球、バレーボール、バスケットボールなどのチームスポーツの優秀さでもよく知られている。2022年には、日本・セルビア関係樹立140年周年を迎え、両国にとって祝賀行事が多い重要な年となる。
この度、駐日特命全権大使アレクサンドラ・コヴァチュ大使閣下に、日本など海外からの投資誘致に向けたセルビアの良好な投資環境整備への取り組みなどについて話を伺った。また、セルビアの社会的弱者の保護、および自動車産業やITサービスなど、大使が現在推進しておられる主要産業に対する同国の取り組みについてもお話しいただいた。
コヴァチュ大使は2021 年に駐日大使として着任している。その前にも長年に亘る外交官としての経験をお持ちだ。以前はユネスコ協力国家委員会の事務局長、2018年には外務省ユネスコグループ長を務められた。その前には駐パリ・ユネスコ常設代表団の公使参事官次席および外務省外交アカデミーディレクターも務められている。
駐日セルビア大使として着任されて何年になられますか。その間、新型コロナウィルスの世界的な感染拡大がもたらし続けている課題について、どのように取り組まれてきましたか。
日本に着任して1年余りになります。今から振り返ると、興味深い期間だったと言えます。
実は、着任初日から仕事に着手し、仕事に慣れるための期間というのはありませんでした。まさに飛行機から降りてすぐにといえます。すぐに、五輪に関わる数々の難題に取り組まなければなりませんでした。それはセルビアと日本双方にとっての学習プロセスとも言えるでしょう。と言いますのは、かつてこのような状況に遭遇した人はいなかったからです。
私は東京都の小池都知事にお目にかかり、都知事と日本政府そして都庁が実行されたことに深い感謝を申し上げました。なぜお礼を申し上げたかと言えば、今回のオリンピックでは、自分たちのコントロール外にある事象の困難を伴っていても、粘り強く取り組むことができ、それによって国際社会を一つにまとめることができることを世界に示したからです。
困難を克服した後は、私たちには余裕がでてきたと言えます。それまでは2020東京オリンピックパラリンピックに全てを集中させておりましたが、その後は他の活動に集中することができました。セルビア大使館だけではなく、セルビアとパートナー関係にある方々との打ち合わせにも取り組み始めました。
私にとっての最優先事項は、二つあります。一つは、日本との政治的対話の維持であり、もう一つは経済関係の強化です。新型コロナウィルス感染拡大により、この対話プロセスが少々遅れたということにもかかわらず、対話を継続させることが重要でした。今年も準備しなければならないので、それを併行しつつ行っています。と言いますのは、今年は日本とセルビアの友好140周年にあたり、私たちにとって非常な重要な年だからです。
今年大使館が計画している文化交流の取り組みについてお聞かせください。
昨年の12月は楽観的に思えていましたが、1月になり、新型オミクロン株の感染数が増加すると、私たちだけでなく、日本側のパートナーであるベオグラードの駐セルビア日本大使館も多くの計画を中止せざるを得ませんでした。両国とも、セルビアの建国記念日がある2月に友好樹立を記念する大規模な記念イベントを実施する計画でしたが、多くの難題に直面いたしました。しかし、そうした多くの障壁にも関わらず、合同ロゴを作ることができ、より小規模で実施が可能なスケールのイベントを始めることができました。
そのうちの一つで、非常にチャレンジングであったのは、実際にセルビアの人たちを日本に招くことでした。昨年この記念の年について、同僚と話をしていた時に、以前に同じような記念の年を開催したことがある国では、アーティストを日本に招聘することはできないでしょうとすでにわかっていたと思います。それは困難であろうと、もちろん理解していましたので、準備には非常に時間をかけて進めました。それで小規模で、複数件のイベントを主催するに至りました。4月にはコンサート、写真展、そしてセルビアの文化省後援のアーティストの展覧会を開催しました。
首都ベオグラードのすぐ北に位置するヴォイヴォディナ州の州都であり、セルビア第二の都市でもあるノヴィ·サドは、ヨーロッパの「欧州文化首都」が指定した都市として、1年間にわたって色々な文化行事を行う」になりました。これは昨年と今年の新型コロナウィルス感染拡大の影響によるものでした。その枠組みの中で、実際にアーティストの交流を支援している日本の団体「EU・ジャパンフェスト日本委員会」と連携しています。
同団体は30年に亘って活動しており、その支援により自らのプロジェクトを携えて来日するアーティストや文化機関がいくつかあります。ようやく日本に実際にこれらのアーティストの皆さんを紹介できたことを嬉しく思います。今年はいろいろと祝うことがあります。
私達の街、シャバッツには日本に姉妹都市があります。埼玉県の富士見市です。これは興味深い関係であり、その関係は今年で40周年を迎えます。私達両国の友好関係140年とは別に、この姉妹都市の関係も記念すべき年を迎えたのです。興味深いのは、シャバッツ市はセルビア史における非常に重要な都市ですが、日本企業の矢崎総業株式会社が進出しています。シャバッツ市と富士見市は紙面上だけでない、多くの交流を行っています。そして今年10月にはシャバッツ市の代表団が富士見市を訪問しています。
非常に興味深い事実も見つかりました。新たに発見された事実なので、メディアにお話しするのは初めてです。現在の富士見市は、3つの村の合併から成り立っており、その1つが水谷村です。富士見市は非常に活発に過去資料の調査を行っています。その中で、水谷村の村長からの興味深い「呼びかけ」を見つけることができました。第一次世界大戦の初期、当時、日本とセルビアが協商国関係にありましたが、村長はセルビア市民の救済を実際に懇願しています。「セルビア人にも家族があり、兄弟姉妹、子供たちもいる。中にはお年寄りがいるが、現在の未曽有の戦火によって家族を養うことができない状況にある」という人道的な呼びかけを行いました。
日本の各地村で同様の呼びかけが行われており、後に、それはより正式な形式に発展していったことも興味深いです。日本はセルビアに援助を行いました。それによってセルビア救済委員会が発足しました。これは人道的な協力であり、兵士のための病院建設も行っていました。非常に影響力があったと言えるでしょう。
富士見市は最近、シャバッツ市と中高生交換プログラムの協定を結びました。富士見市は2020東京オリンピックパラリンピックのホストタウンのひとつで、セルビアからのレスリングチームを受け入れてくれたこともありました。ここで最も誇らしく思えたのは、4つの全てのホストタウン(富士見市、柏崎市、防府市、唐津市)がセルビアチームのメダル獲得を支援してくれたことです。
前回大会での獲得メダル数を上回るメダルを獲得することができ、それからの繋がりができたこともあり、4つのホストタウンすべてに、本当に誇りを持っていただいて良いと思います。ホストタウンの数はもっと多かったのですが、いくつかの自治体ではわずかですが問題を抱えていたことがありました。新型コロナウィルス感染拡大によるインフラ設備の不足があり、困難が生じました。しかし私たちはこの機会をも誇らしいと思いました。2020東京オリンピックパラリンピックがもたらした遺産と言えることは、ホストタウンとの関係を繋げ、成長させていくことができたことです。
日本の大企業は、すでに他の多国籍優良企業と共にセルビアに大規模な投資を行っています。日本にとってセルビア経済の魅力とは何でしょうか。
日本にとってのセルビアの魅力は沢山あります。それは産業への固有のニーズがあること、または関連する団体によっても異なってくると思います。矢崎総業の場合は、いつもセルビアの熟練工が称賛されていると伺っています。従業員を訓練し、その結果を最終的に見ますと、やる気を触発されたのだと思います。矢崎総業の皆さんは現地でその社会に溶け込み、家族同様となり、ポスターを貼って従業員の紹介もありました。(東京駅に現地社会に溶け込んでいる画像がある)とても興味深かったのは、確か日本・セルビア友好議員連盟の総会で、矢崎総業の代表者がセルビア投資について宣伝した時でした。
矢崎総業の代表者が同社のグローバル・プロモーション活動についてのポスターを披露しました。またそこでは熟練工についてだけでなく、インフラについても言及されていました。近年では、自動車産業からの投資が大半を占めています。日本からの投資が進んでいると言えば、昨年は日本通運がセルビアに支店を開設し、そのビジネスを開始しました。それからもわかる通り、セルビアには投資家にとり魅力的な税の優遇などがある経済特区が存在しています。
私たちは良い投資環境を提供することで投資家の支援も行います。これは平和と安定を維持することに重点を置いています。ご存じのように、20年以上前には、それは第一の課題でした。この達成には多大な努力を要しました。
セルビアはEU加盟候補国のひとつです。この道を進むにあたって改革を行いつつ、アルバニアや北マケドニアなど地域の他国と会合を行い、「オープン・バルカン構想」という、交易を促進化させ、また様々な分野での協力を強化させることを目的としたイニシアチブを作りました。これまでEU、そしてアメリカもこのイニシアチブがEU拡大プロセスに貢献していると称賛しています。
日本で推進している産業とサービスは何でしょうか。
新規投資の大多数は自動車産業です。これは生産、工場建設、そして大規模な雇用を意味します。ITサービスセクターの成長は、常に異なる機会を模索しています。
私たちにとり、これはとても興味深い輸出の機会です。2021年はITサービスの輸出の合計額が約20憶ユーロに上り、約10憶ユーロの黒字を計上しました。
世界経済フォーラムと第4次産業革命のセンターを開設することで合意しました。AIとバイオエンジニアリングの分野では世界で16位にランクインしています。
最近、欧州高性能コンピューティング共同事業のメンバーになりました。これはスーパーコンピューターに焦点を当てた欧州の機関です。私たちが加速して取り組みたいことのひとつです。
また、2020-2025年の人工知能開発計画(Strategy for the Development of Artificial Intelligence)を早期に採択しましたので、大きな注目(焦点)を集めており、その推進を目指しています。
セルビアにおける社会的弱者の保護と進歩の傾向について教えていただけますか。
性的マイノリティについては、ご指摘のようにセルビアの首相は同性愛者であることを公言しています。政府を代表するトップであることで、同性関係について、先導してより良い理解を示していますが、まだ法体制は未整備です。
2021年末時点で、同性愛関係に関する法の草案を作成しています。法的段階を踏まえる必要がありますが、新型コロナウィルス感染拡大にある今、法整備を行うことは常に困難を伴いました。大統領、議会、地方自治のレベルでの選挙があったこともあり、現在では進行が遅れています。
今セルビアでは選挙後の新政府発足手続きも終わり、前の首相が続投することになりました。セルビアはEUのこうした時流に乗ろうとしてはいますが、立法·法制面で多くの改正をなさねばならないでしょう。2022年9月にはセルビアで「ユーロ·プライド」が開催されました。プライド運動は活動しており、ベオグラードの中心部に事務所も構えています。
ですが、他のマイノリティ、例えば少数民族に関しては、セルビアはトップに立っていると言えるでしょう。その一つに、少数民族の人々は自分たちの母語で教育を受けることさえも可能です。
私がユネスコの担当をしていた当時、国際母語デーを祝うためにスロバキアのコミュニティと協力したことがありました。この日には必ず、両国の政府首脳や閣僚トップが訪問していました。このことは両国とその国民のコミュニケーションにとても有益でした。
文化遺産について語るとき、その芸術面の実践をナイーブアートと称していますが、これはセルビアの無形文化遺産の一部となっています。今年、スロヴァキア語の母語学校の入学希望者は増加しています。セルビア北部にある多民族国家の特徴を持つヴォイヴォディナ州ではまさしくこの傾向がみられます。
セルビア大使館のホールにありますニコラ・テスラのブロンズの胸像について教えていただけますか。
テスラはオーストリア・ハンガリーの出身ですが、セルビア系の民族です。両親はともに正教徒であり、父親はセルビア正教会の司祭でした。彼はセルビア系民族であることを非常に誇りに思っており、ベオグラードを訪れたこともあります。セルビア人の科学者の多くは世界の科学に貢献したことで知られていますが、彼らは学問の研究のためには、当時、学問の中心地であったウィーンやジュネーブに留学しなければなりませんでした。
テスラはアメリカで自分の力を試し、あとは歴史が示すとおりです。彼は国の誇りとして記憶に刻まれています。彼の研究アーカイブは全てベオグラードに保存されており、ユネスコの「記憶遺産」に登録されています。テスラ博物館は観光客の受け入れのために拡張工事を行っています。テスラをご存じの方にとって、とても興味深い場所だと思います。残念ですが、日本でのテスラの認知度は高くなく、大使館としては認知度の向上に努めているところです。
テスラの熱心な支援者であり、セルビア大使館の偉大な支援者でもある平下治氏にお目にかかりました。氏は現在日本セルビア協会に所属されています。日本に赴任してまだ間もない頃、私たちは富山県を一緒に訪問し、先ほどおっしゃった胸像を製作されていた芸術家に実際にお会いしました。
その胸像は横浜の東京電力の電気の史料館のために制作されたのですが、現在は一時的にセルビア大使館に展示しています。また、日本の教授らのグループがテスラについて執筆されていますが、新型コロナウィルス感染拡大のために、プロジェクトの進行が遅れています。このプロジェクトではテスラの知識をすべて、より科学的な見地で捉え、出版する予定です。もちろん、出版されましたら宣伝してまいりたいと思います。
セルビア人のエース・テニスプレイヤー、ノバク・ジョコビッチ選手と、東京五輪で興味深い出会いがあったそうですが、詳しくお聞かせいだけますか。
私としては、心から彼に2020東京オリンピックパラリンピックで金メダルを取ってほしいと願っていました。ジョコビッチ選手としても、その年の目標でもあったと思います。しかし、全てに勝利することはできない、とはよく言われることです。人の強さには限界があります。彼は特に、若手のテニス選手を支え、刺激を与えたかったのでしょう。ジョコビッチ選手のサイン入りのジャージーが私のオフィスに飾ってあります。
セルビアが優れているのはテニスだけではありません。 セルビアはチームスポーツをとても得意としています。水球、バスケットボール、バレーボール、サッカーなどです。サッカーは日本と長い関わりがあります。興味深いのは、元監督のドラガン・ストイコビッチ(ピクシー)は日本の滞在が長く、名古屋に足型があります。ストイコビッチは名古屋グランパスで選手でしたが、後にそのクラブの監督となり、日本とは長く良好な絆を築きました。現在はセルビアのナショナルチームの代表監督を務めています。また、彼は日本人の喜熨斗勝史をセルビア代表のコーチに起用もしています。
日本とセルビアの距離は9千キロ以上ではありますが、今日、お話しました分野では交流があります。
インタビューをご快諾いただいたコヴァチュ特命全権大使閣下にお礼を申し上げます。