大使館チェック

バンダ・エル・レコド・デ・クルス・リサラ:メキシコ大使館で来日パフォーマンス

バンダ・エル・レコド・デ・クルス・リサラ:メキシコ大使館で来日パフォーマンス

5月2日、「バンダ・エル・レコド・デ・クルス・リサラガ」来日イベントがメキシコ大使館にて開催された。 1938に結成し、シナロア州の代表音楽を世界に広め続けるバンド「バンダ・エル・レコド・デ・クルス・リサラ(バンダ・エル・レコド)」は今回で22年ぶりの2回目の来日となる。 「バンダ・エル・レコドの音楽を届けるため、22年ぶりに戻ってこれて嬉しい 」と話したヴォーカル担当リッキー・ヨクピシオさん。このイベントを主催したメキシコ大使館そしてメルバ・プリーア駐日メキシコ大使にも感謝の気持ちを表した。 バンダ・エル・レコドは多くの代表曲を披露し、大使館会場は大きな歓声で満たされた。 5月3日から5日の間、お台場デッキで開催された第5回「ラテンアメリカへの道フェスティバル」でも特別ゲストとしてパフォーマンスをしたバンダ・エル・レコド。全世界で愛され日本でもたくさんのファンに迎えられたバンダ・エル・レコドの3度目の来日も期待される。 【関連記事】

インタビュー:セルギー・コルスンスキー駐日ウクライナ大使

インタビュー:セルギー・コルスンスキー駐日ウクライナ大使

東欧での戦争が激化する中、世界は先の見えない期待を持ちながら様子を見守っているのが現状だ。ロシアによるウクライナ侵攻は長期に亘ることとなり、多くの議論を引き起こしている。日々、ロシア、ウクライナ双方からの情報が行きかっている。 コルスンスキー駐日ウクライナ大使は、科学者になるべく教育を受け、そのキャリアをもって外交官に転身した。その大使はウクライナでのロシアによる侵攻をどのように見ているか、また、ウクライナが世界に望む支援とは何か、この戦争が最終的にどこに行くのかといった内容をこのインタビューの中で語っている。 短いインタビューであったが、コルスンスキー大使の歩んできた道、戦禍の生活、ウクライナと日本の関係、将来の平和への希望などに多岐に亘り、とても興味深いものとなった。 ここでは深刻なテーマもお聞きいたしますが、その前に大使のキャリアと外務省に入られた経緯についてお聞かせ願えますか。 キーウご出身でいらっしゃいますね。 はい、我が家は父も祖父も私もキーウで生まれました。 生まれた頃はソ連時代でしたので、私は人生の29年間をソ連で過ごしたことになります。キーウ国立大学を卒業し、応用数学の博士号を取得した後に、研究者として10年間勤務しました。 そうして働いている中で1991年を迎えました。この年はウクライナが独立した年です。 当時、私は私はウクライナ国家科学技術委員会に招待されておりました。その委員会は英語を話す人を探していたことがありました。私はこの委員会には3年程在籍し、世界レベルの学術誌に約50件の研究論文を発表しておりました。そんなときに外務省の外交官であった友人から電話がかかってきました。友人はパリに向けて出発する直前でしたが、その電話の内容は、当時のウクライナ外務省は信じられないほど小規模で、大臣から運転手までを含めてもたった37人しかいませんでした。その為、誰か後任となる人が必要と言っていました。 国家は独立すると大使館を開設する必要がありますので、人員が必要でした。また、外交関係を樹立する必要もありました。 最初に友人が電話をかけてきたとき、私は外交の経験がないということは伝えはしました。しかし、その後に外務省を代表して科学教育、技術、ソフトパワー関連の協力に重点を置いた同じ任務を続けることになると伝えられました。 外務省外交関係研究所での短期集中コースを終了し、私は外交官となり、科学担当公使としてイスラエルに駐在しました。イスラエルが初の赴任地になりました。イスラエルで3年間駐在し、その後はワシントンD.C.で5年間、そしてトルコで3年間駐在し、ミッションを行ってきました。 その後に本国に戻って外交アカデミーの理事長を3年間務めた後、駐日ウクライナ大使に任命されました。このことは大変うれしいと思っています。 日本はウクライナにとって非常に重要であると同時に、文化的にもとても興味深い国です。いままで 4か国に駐在を任命されるのは非常に異例であったこともあり、外交官として幸運であったと思っています。 先日、岸田総理がウクライナを訪問されました。 日本はアジアで最初にウクライナへの公的支援に踏み切った国の一つであるということを考えると、この関係の特殊性をどう見ていますか、また今回の訪問についてどう思いますか。 これにはとても驚きました。 大使として着任したときにも、ウクライナでも日本のことをどれだけ知っているかを実感しました。 ウクライナ人は日本に次いで世界で2番目に多くの寿司を消費しています。 ウクライナ人は黒澤明、渡辺、北斎の作品をよく知っています。 ウクライナではすべての都市に武道のトレーナーがおり、日本語を学べる学部がある大学は全国で12校あります…

メルバ・プリーア駐日メキシコ大使にインタビュー、今年外交樹立135周年を祝う重要な節目に達したメキシコと日本の外交関係について

メルバ・プリーア駐日メキシコ大使にインタビュー、今年外交樹立135周年を祝う重要な節目に達したメキシコと日本の外交関係について

メキシコと日本の関係において記念すべき節目である今年、プリーア大使へのインタビューができたことは重要かつとても喜ばしいことだ。 このインタビューでプリーア大使は、メキシコと日本の二国間関係の歴史と今までの成果を振り返っている。また、今後の課題についても語っている。そのテーマは幅広く、 貿易、商業、文化発展、女性のエンパワーメントなどに及んでおり、メキシコと日本両国間の関係をより強化する潜在的な機会があることにも触れている。 質問:メキシコと日本は今年、外交関係樹立135周年という記念すべき節目を迎えます。母国メキシコ、駐日大使館及び駐日特命全権大使としてどのようにお考えですか。 プリーア大使:まずはメキシコと日本の関係は この135 年よりもはるかに古いということをお伝えしておきます。135年前の日本はあらゆる点において今日、私たちが知っている日本の姿がありました。 過去135年間で日本は大きく変化しましたが、それでもほぼ同じ枠組みを保っていると言えます。 メキシコは135年前のままではありません。メキシコは実際には1821年に独立を果たした独立国家です。 まず、メキシコは1821年にスペインから独立しました。しかし、メキシコと日本の関係、そして両国のつながりは400年以上前に遡ります。 歴史的記録によれば「日本人が初めてヨーロッパと接触したのはメキシコ経由だった」という発見にいたります。これはとても興味深いことです。 アジアとメキシコの間の貿易ルート、特に日本が関係する貿易ルートには興味深い歴史があります。 この両国の関係は、スペインのガレオン船が太平洋を横断し、メキシコ、フィリピン、中国と日本の港を結んだ16世紀にまで遡ることができます。 その関係は直線的ではありません。ここから始り、その後135年も400年も変わらずに継続してきたというわけでもありません。この関係は人と人との関係には当てはまりませんし、国ごとに異なる時があるため、国同士の関係にも当てはまることではないでしょう。 ですがメキシコでは、このつながりの連鎖をできる限り、豊かかつ強いものにすることに最善を尽くしたいと考えています。 もし、あなたが大使であったとしたら、大きな記念行事を行うときに、最大限、重要かつ価値あるものとしなければなりません。また、それは大使であるあなたの責任になります。 繰り返して申し上げますが、大使としての責任はその連鎖の一部にすぎないということです。大使としては自分がスターであるなどと考えることはまったくできません。主役はあくまでもメキシコと日本の関係です。そのために大使は両国関係をさらに強化し、良好にし、さらに両国を近づけるためにこの国に駐在しているということです。 質問:外交関係樹立135周年を祝う今年、大使館が外務省と協力して計画している特別なイベントはありますか? プリーア大使:はい、このご質問はいいですね!確かに、さまざまな出来事が渦巻いている中、メキシコにとってひときわ注目を集めるイベントが開催されています。 それは東京国立博物館での特別展「古代メキシコ:マヤ、アステカ、テオティワカン」展です。これは、これまで世界中でこの規模で開催された展示会の中で最大かつ最も包括的な展示会の1つです。これはメキシコが開催する世界最大の展覧会とも言えます。東京では6月16日から展覧会が始まり、10月には九州の九州国立博物館に移動して展覧会を開催し、その後、大阪の国立国際美術館で展覧会を開催いたします。 この展覧会の重要性を申し上げれば、日本中を巡回することによって、開催される多くの博物館・美術館への来館者があるということです。それによってメキシコの歴史を振り返り、また将来を見据えることになり、記念すべきことを象徴していくこととなります。 この展覧会では陶磁器、彫刻、宝飾品など約140点の所蔵品を展示いたします。…

ポストコロナのツーリズムとは?『太平洋同盟Alianza del Pacíficoによる観光振興』

ポストコロナのツーリズムとは?『太平洋同盟Alianza del Pacíficoによる観光振興』

この度、2023年度の活発なツーリズムへの誘致を目的としたセミナーがペルー大使館で開催された。参加したペルー、メキシコ、コロンビア、チリの4か国は太平洋同盟(Alianza del Pacífico)を構成している。 太平洋同盟は3つの「統合の力」を発揮することを目的としている。その3つとは、 2011年に太平洋同盟が構成されて以来、外国投資誘致、ビジネス振興においては競争力のある様々な優位性を提供することができている。その結果として、この同盟に参加している4か国は、ラテンアメリカ及びカリブ地域において重要な地位を確立してきた。経済的競争力がある国々としてゆるぎない評価を得てもいる。そうした評価もあり、太平洋同盟加盟国はすでに世界80カ国以上と協定を締結し、アグリビジネス、製造業、鉱業、サービス業などを含む各分野のモノとサービスの輸出において世界的にも高い割合を示すようになった。 そうした国家を超えた発展を可能とした太平洋同盟加盟国は、ビジネスの活性化とさらには雇用の創出を可能としてきた。 コロナ禍がやや収まった現在、人々の注目はラテンアメリカおよびカリブ諸国への旅行に向かっていることは確かだ。太平洋同盟では日本におけるラテンアメリカ諸国およびカリブ地域への観光客の誘致を重視しており、航空会社、旅行社などとコラボしながら、日本からのツーリストの本格的な誘致に乗り出してきている。 太平洋同盟に加盟している国々には、魅力的な観光資源が多い。人々に感動をもたらすツーリズムに適した都市、自然、食、体験が満載だ。メキシコには、アステカ帝国の都でもあり、あらゆる時代を今もまだ感じることのできるメキシコ・シティがある。また、そのわずか50キロ北にはテオティワカン遺跡があり、観光には非常にアクセスがいい。この遺跡もまた世界遺産にも登録されている。コロンビアは大自然に恵まれ、多種多様な野鳥、昆虫の生態、蘭などの鑑賞ができる。首都メデジンには世界的に有名な画家、ボテロが制作した彫像が点在する公園、メデジン・カテドラルなどがあり、観光客には見逃せない地域だ。ペルーに至っては世界のツーリストの憧れとも言えるマチュピチュ遺跡、ナスカの地上絵などが存在し、世界のツーリストの憧れの地でもある。また、日本へのおいしい食品の輸出で知られるチリに代表されるように、極上のワインの産地でもあり、海の幸もおいしく、食事への期待は大きい。 こうした観光資源を最大限に活かすため、日本からよりアクセスしやすいよう、フライトの増便、航空便の接続などにも最大限の配慮が示されている。確かにラテンアメリカ、カリブ地域には今迄は遠いというイメージが先行してきた。しかし、その魅力を知れば、誰もが訪れてみたい地域だ。 外国投資の直接誘致において、ある程度の成功を収めつつある太平洋同盟が次に目指すものは、日本を含むアジアからのツーリズムの誘致だ。また、日本もまた、今迄訪れることが少なかったラテンの国々への旅に大きな期待を持っている。ラテンアメリカおよびカリブ地域については、日本人は「地球の反対側」という表現をしてきた。今、新たな体験とツーリズムを求めて、地球の反対側に行く時が来たと言える。 太平洋同盟 Pacific Alliance Alianza del Pacífico についてはこちらから。 【関連記事】

〜TICAD8に向けて〜チュニジア デー in 横浜開催!

〜TICAD8に向けて〜チュニジア デー in 横浜開催!

チュニジアは今年、ホスト国としてTICAD8(アフリカ開発会議)を開催する。横浜市もまた、過去3回、TICAD(アフリカ開発会議)の開催地となり、アフリカ諸国との連携も強く、「アフリカにいちばん近い都市」としても知られている。中でも横浜市とチュニジアはより親密な関係を築いており、東京2020オリンピックパラリンピックでは、チュニジアチームは横浜で事前キャンプを行った。また、エルーミ大使夫妻もたびたび横浜市を訪れており、小学校でもワークショップなど、市民とのふれあいの機会も多い。 TICAD8開催を前に、6月13日~16日まで、横浜市役所アトリウムを開催場所として、チュニジアの魅力を発信するイベントを開催した。 6月14日には、モハメッド・エルーミ駐日チュニジア共和国大使が横浜市を訪問し、山中竹春横浜市長とオープニング・セレモニーを行った。 イベントでは、オリーブオイルやクスクス、ワインやハリッサ(香辛料のペースト)等チュニジア食材の販売、ガラス工芸品やクラフト等の物産展が行われ、テイクアウトのお弁当はお昼過ぎには完売した。オリーブオイルやトマトといった食材が使われるチュニジア料理は、日本ではまだ馴染みがないが、日本人の口に合う。 また、バイオリニスト二名によるチュニジア音楽のミニコンサートも開催された。 6月13日~16日には写真展が開催され、スターウォーズをはじめ、多くのハリウッド映画のロケ地になったチュニジアの風景を中心とした写真が多くの人々を魅了した。 オープニング·セレモニーが行われた6月14日は、カタール・ワールドカップ(W杯)に向けた強化試合「キリンカップ2022」でチュニジア対日本の決勝戦が行われるため、エルーミ駐日チュニジア大使は横浜から大阪・パナソニックスタジアム吹田に向った。大使の応援も得て、チュニジアは3-0で日本に勝利し、優勝した。 【関連記事】 チュニジアの独立66周年を祝って チュニジア大使公邸にてコンサート 東京富士美術館:上村松園・松篁・淳之 三代展

前駐日エクアドル大使 インタビュー:赤道にちなんで名付けられた国、エクアドル。その魅力を語る。

前駐日エクアドル大使 インタビュー:赤道にちなんで名付けられた国、エクアドル。その魅力を語る。

注)バルベリス前駐日エクアドル大使は2022年4月11日に離日 この度、帰国を間近に控えた前駐日エクアドル共和国特命全権大使のハイメ・バルベリス閣下へのインタビューを行った。このインタビューを通して、エクアドルという美しい自然の中心地と言える国と、日本とエクアドルの関係の長さについて理解を深めることができた。また、ハイメ・バルベリス大使は両国間の貿易における重要な分野、観光を促進する必要性、エクアドルという国名が赤道にちなんで名付けられた理由についても語っている。 ハイメ・バルベリス大使は、2017年3月に駐日エクアドル大使に就任。2022年にはエクアドルのミッションのトップとしての5年目を迎えた。駐日大使就任以前は、2010年から2015年まではハンガリーに特命全権大使として駐在し、2004年から2005年までは米州機構のエクアドル常駐代表を務めた。2001年から2004年にはドイツのハンブルク総領事館勤務など、重要なミッションに関わってきている。また、キャリアの開始は1979年で、オーストリアのエクアドル大使館、1982年から1985年までウィーンの国連事務局へのエクアドル常駐代表の二等書記官、一等書記官なども経験したベテラン外交官だ 外務省での仕事ではその他に、2015年にキトの国連システム部門の大使を務め、2016年から2017年までは北米とヨーロッパの担当次官も務めている。 Q:エクアドルの首都、キトの市街は自然の中心地としてユネスコの世界文化遺産に認定されていますね。エクアドルは地理的には太陽に最も近い地点でもあるそうですね。 チンボラソと呼ばれているエクアドルの山脈は、科学的な情報によれば、地球の中心からこの山の頂上までの測定した場合、世界最高峰となるそうです。 エクアドルのいくつかの地域、特に南部の都市、クエンカは、外国人駐在員が住むのにとても良い場所と言われています。気候に恵まれ、食べ物もおいしく、よいサービスも受けられることに外国人は楽しさを見出しているのでしょう。 エクアドルではATMで米ドルを引き出せることもあって、とても便利です。 2000年に自国通貨として米ドルを採用しました。これはインフレに直面し、その課題に沿った判断をした結果です。エクアドル政府は物価を安定させるため、米ドルを採用することを決定しました。また、エクアドル政府の主要な優先事項の1つには投資の誘致があるため、米ドルの採用は観光と投資の両方にとって便利且つ好都合であったということもあります。エクアドル経済は、こうしたドル化によってより簡単になりました。経済政策を実施するために国が必要とする最重要課題の一つは、もちろん通貨の安定にありますから。 Q:日本での任期を終えて、エクアドルに帰国なさいますね。 はい、キャリア外交官ですので、通常は海外で5年間に亘る任務が与えられます。 その後は2〜3年間はエクアドルの外務省本省に戻り、その後、別の任務が与えられます。 これがエクアドルの外交官としてのキャリアの仕組みです。 日本での任期の5年間は終了いたしますので、すぐに帰国いたします。 Q:日本でのご経験はいかがでしたか。 政治的、経済的、文化的など、多くの分野において、エクアドルと日本の関係を促進するために働くことができたことは大切な経験となりました。私と妻、そして大使館の職員は、ここで達成できたことに大変満足しています。 それにとても興味深いことが多かったです。 新型コロナ感染のパンデミックが起きる前に、私たちは任期の最初の3年間を日本で過ごしていました。その後の2年間は、さまざまな状況で暮らしました。 しかし、それでもエクアドルと日本の二国間関係のために努力し、その関係をより勧めていくことができました。 Q:駐在なさった5年間には、どの業界に主な焦点を当てていらしたのでしょうか。農業ですか、それともエネルギーなどでしょうか? 過去5年間、私たちの主たる焦点となったのは、日本でより多くのみなさまにエクアドルについて知っていただくことでした。ご存知のように、エクアドルは日本社会において、少しずつ知名度を上げています。 私たちは、経済だけにとどまることなく、政治的な接触もいたしました。異なる政治的区分間であっても、より多くの相互作用もたらすために促進を心がけてきました。経済は最重要だと思います。日本とエクアドルの間の貿易の規模は、私たちが望むほど大きくはありませんが、今後、より大きな可能性があると信じています。貿易はこの5年間の優先事項でありました。また、投資を呼び込むことも大変重要であるため、日本企業は様々な分野でのエクアドルへの投資を検討するよう説得いたして参りました。 また、非常に重要だと考えている分野の1つはエネルギーです。しかし、最も成長している分野と言えば、やはり農業でしょう。 日本市場で見かけることができるエクアドル産の農産物のほとんどは、日本とエクアドルの投資の一部でもあります。たとえば、ブロッコリーはエクアドルから来ていますが、一部の生産および流通会社はエクアドル人またはエクアドルの関係を含んだ形をとっています。他の会社は日本企業でもあります。そのような農産物は日本市場向けに生産されています。バナナもエクアドルから日本に輸出される重要な商品です。その他の輸出製品には、エビ、カカオ、カカオの副産物、花、その他の食品が含まれます。 また、エクアドルは再生可能エネルギー資源に関心があり、過去15年間、水力発電エネルギーの生産に大きな重点を置いてきました。これは、エクアドルの地理的立地条件によって、大量の水資源が確保·提供できることがあります。よってエクアドル全土に水力発電施設の建設をすることの容認につながっています。 日本とは別の種類のエネルギーを推進しています。国際協力機構(JICA)の協力を得て、地熱発電の研究を行っています。ただし、これには時間がかかることでしょう。 駐日エクアドル大使館の目標の1つは、環太平洋パートナーシップに関する包括的及び先進的な協定(CPTTP)に参加が可能となることにもあります。エクアドルをこの協定の一部としてみなすよう正式に要請しました。しかし、まだ私たちと同じ状況にある国はたくさんあります。 私たちは、新製品のいくつかを紹介するため、日本の当局と協力してきました。日本市場に参入している商品は高く評価されています。そうした製品の中で主要なものの1つは、カカオです。これはショコラティエに高く評価されています。カカオの生産者の多くは、エクアドルのカカオのみを扱っている店とコラボレーションしています。先ほどからお伝えしている通り、農業分野はエクアドルでは最も重要な分野の1つです。この分野でのさらなる進歩が見られることを期待しています。例えばですが、エクアドルのマンゴーを日本市場に投入するための取り組みもあり、10年以上前からのパイプラインとなっています。 Q:エクアドルの歴史と日本の友情について少し教えていただけますか。両国の関係のマイルストーンとなるような画期的なこととは何でしょうか?…

ようこそ!新任ペルー大使が語る「ペルーの本当の魅力」とは?

ようこそ!新任ペルー大使が語る「ペルーの本当の魅力」とは?

アンバサダーインタビュー:2022年4月4日 H. E.ロベルト・セミナリオ、駐日ペルー大使 •新駐日大使としてのミッションをお話しいただけますか。 では、このインタビューを始めたいと思います。まずは、この機会を与えてくださった皆様に感謝を申し上げます。 この度の着任については、日本との関係をより強化する多くの機会に恵まれ、私の国、ペルーのために奉仕することは喜びであり名誉だと思っております。今後、数年の間に、二国間の議題となるような重要なイベントがいくつかあります。その最初となるのは、二国間関係樹立150周年を、2023年に祝うことがあります。ペルーは、ラテン·アメリカで最初に日本と外交関係を結ぶことを合意した国です。また、ペルーは2024年にAPEC会合を主催する予定となっており、この機会には日本の政府高官らによるペルー訪問が期待されています。 大阪万博が開催される2025年には、ペルーの政府関係者らが来日することにも期待が集まっています。 COVID-19のパンデミックによって難しくなった活気に満ちたビジネス、対面のミーティングが、今年は回復することを願っています。 •ペルーと日本の関係の最近の進捗、進展をどのようにご覧になっていらっしゃるのでしょうか? いままでは、多国間メカニズムでの協力、両国の共通の関心事である二国間協議事項への収束に向け、より深く探求していくことを促進するために、重要な政治的プロセスを進めてまいりました。経済的な議論においてはある程度は促進されてきており、その結果、ペルー製品の新しい市場を開くことを含め、貿易と投資の流れはスムースに進んできています。この経済促進への努力は、観光と文化外交と並ぶ、広報や民間も含めて推進していくパブリック・ディプロマシーに統合されたビジョンの一部と言えます。 それでもなおペルーと日本が戦略的パートナーであることを考えると、二国間の協議事項での充実を目指す取り組みには、まだまだ改善の余地があると思います。ペルーと日本は政治的および経済的な自由の維持と促進などの重要な利益、人権と民主的制度への支援、両国の人々と国際社会全体の繁栄の拡大についてなど、多くの価値観をも共有しています。 この点においてペルーと日本が取るべき行動とは、150年に及ぶ友好関係を築いてきた「無理のない範囲でということ」を乗り越え、さらにより広く深い絆を生み出すだめにも二国間関係を再発見し、それらを目的とした包括的な中長期ビジョンに導かれていくことでしょう。 •今後、ペルーと日本の関係を強化するために、どの分野への焦点と機会を見ていらっしゃるのでしょうか。 鉱業セクターと輸送インフラへの投資を通じたペルーの発展への日本の貢献は、否定できませんが、ペルーが提供する友好的な法的な枠組みを考慮に入れると、この取り組みはまだ十分に発展していないと言えます。 •差別のない扱い:外国人投資家は国内投資家と同じ扱いとなる。 •ほとんどのすべての経済セクターへの無制限のアクセスが可能。 •自由な資本移動。 •自由競争。 •私有財産の保証。 •国民から株式を取得する自由。 •内部および外部のクレジットにアクセスする自由。 •国際紛争解決メカニズムへのアクセス。 2021年から2022年のプロジェクトポートフォリオには89億ドルの投資が含まれており、その投資分野は先に述べられた鉱業と輸送、その他に衛生、エネルギー、通信、健康、教育などの分野を含んでいます。…

Flying Dragon

オランダ王国大使公邸 チューリップガーデン一般公開

4月8日(金)・10日(日)の2日間限定開催 7年ぶりにオランダ大使公邸のチューリップガーデンと大使公邸内部が一般公開された。 ペーター・ファン・デル・フリート駐日オランダ王国大使は、今回のチューリップガーデン一般公開について、「日本でも、オランダを象徴するチューリップが沢山の方に愛されている事を知り、とても嬉しく思っています。今回の一般公開イベントによって、春の到来を皆さまと共に楽しむ事ができれば幸いです」とコメントしている。 両日ともにこの一般公開を待ちに待った人々が早朝から列をなした。その列はとても長くなり、神谷町駅まで続いていた (350メートル)。午前10時の開門から、ファン·デル·フリート大使に迎えられ、多くの人々は大使公邸の庭園、公邸内部を鑑賞した。 現在の大使公邸は、その前の建物が1923年の関東大震災で倒壊したため、1928年に再建築された。建築家ジェームズ・マクドナルド・ガーディナーと上林敬吉が手掛けたこの邸宅はクラシックな風情が残り、天井に残された鏝絵などがとても美しい。庭園内に飾られた徳川家康からの書簡からも、オランダと日本の長期に亘る友好関係を感じ取ることができる。また、19世紀に描かれたオランダの画家、ヘンドリック・ウィレム・メスダッハによる絵画と共に、オランダの現代的なデザインの家具、有田焼の陶磁器などが美しく展示され、特別な雰囲気を醸し出している。 70種類に及ぶ美しいチューリップが咲く庭園と遊歩道を歩き、ひと時のオランダの雰囲気を楽しんだ訪問者は、4月8日が約2400名、4月10日には3000名に登る。 このような日本の人々との交流イベントを企画してくださったペーター·ファン·デル·フリート大使と大使館のスタッフには心からの御礼を申し上げたい。来年もぜひ継続していただきたい素晴らしいイベントだった。 For more information visit the Dutch Embassy in Tokyo Read more: 女性が活躍する国、ジャマイカからのメッセージ

Jamaican ambassador

女性が活躍する国、ジャマイカからのメッセージ

国際女性デー記念 「空の半分以上を支える女性たち」展 2022年3月30日に開催 3月8日は国連が定めた国際女性デー(International Women’s Day)だ。そのため、3月は各地で女性に関わるイベントが開催された。駐日ジャマイカ大使館も国際女性デーと建国独立60周年を記念し、「空の半分以上を支えるジャマイカの女性達たち」と題し、ジャマイカで活躍する女性たちを紹介する展示を開催した。 この展示会のオープニングイベントには、内閣総理大臣補佐官(女性活躍担当)森まさこ参議院議員、JICA(国際協力機構)井本佐智子理事、外務省儀典長の志野光子大使、サモア、メキシコ、ガーナ、ケニアの各駐日女性大使のご出席を賜った。 ジャマイカは、特に管理職において女性が活躍している国として世界から注目を浴びている。女性が占める管理職の割合は56.7%(ILO2016-2022年の統計)と、世界各国の中でもかなり高い割合を示している。世界の中でトップ10の中に入っている。ちなみに日本は11.1%で96位だ。 今回ジャマイカ大使館が紹介した著名な女性たちは人種も様々であり、そのバックグラウンドもそれぞれユニークである。ゲストの方々は、経歴、写真を見て、その多彩さにも驚く。特に参加者の目を引いたのはジャマイカ国防軍総司令官アントネット・ウィームス・ゴーマン(Antonette Wemyss Gorman)の存在ではないか。アントネット・ウィームス・ゴーマンも軍人としての道を歩みながら、一方で息子をもうけ、家庭生活も営み、現在も親としてアクティブである。 ジャマイカの外務省も女性が活躍する職場であり、現在7名の女性大使がいるという。駐日ジャマイカ大使を務めるショーナ=ケイ·リチャーズ大使もその一人だ。彼女は、優秀な外交官であり、今までのキャリアの中で、平和を世界にもたらすことにも大きく貢献している。日本での外交手腕にも注目が集まる。その活躍は女性という範囲にはとどまっていない。 このイベントに参加して改めて感じたことは、ジャマイカは、各自の価値を活かして成功を収めることができる地であるということだ。女性であっても男性であっても、どんな人種であっても、どういったバックグラウンドを持っていても、ジャマイカでは「その人の持つ素質と能力」を重視し、活用していく。つまり、今、世界各国が重要視しているダイバーシティとインクルージョンが、ジャマイカではすでに実践に移され、社会にうけいれられているに他ならない。 日本でも女性の登用を重視しているが、まだまだ理想には程遠い。リチャーズ大使、ジャマイカ大使館には、若い日本人女性の活躍に焦点を当てたこうした触発するイベントを開催してほしい。このイベントの最後には、リチャーズ大使によるジャマイカ産ラムを使ったカクテルが参加者にふるまわれた。ラムパンチというそのカクテルはおいしく、つい二杯、三杯とグラスに手が伸び、いつのまにか千鳥足となることもある。女性大使ならではの秘伝のレシピで作られたカクテルで、女性を中心とした参加者たちの親睦を深め、和やかなうちにこの有意義なイベントは終了した。 For more information visit: Jamaican Embassy Read More: ショーナ-ケイ・M・リチャーズ駐日ジャマイカ大使インタビュー

The Ecuadorian ambassador and his wife

日本画の魅力と共に過ごした5年間

マリア·アンパロ·バルベリス駐日エクアドル大使夫人インタビュー 5年前に夫と共に来日した時に、なにか特別なことに取り組みたいと思っていました。できれば絵を描きたいと思っていたところに、当時のコロンビア大使からご紹介いただき、日本画をならうことになりました。最初は日本画の先生の描いてくださった絵手本を見ながら、筆と墨で竹、笹、花を描くことから始めました。徐々に上達し、岩絵の具を使って色彩豊かな作品を仕上げることができるようになりました。その作品はこちらです。花鳥風月も沢山描きました。駐在の終わりには、根津美術館に展示してある日本画の名作、尾形光琳の燕子花図の右隻を描きました。それまでも上村松園、永平寺天井画なども模写しています。 また、活動としてはラテンアメリカ出身の女性達と絵画のグループを作り、2週間に一度ずつあつまって作品を作っておりました。こちらも最終的にグループ展を開催することができました。 エクアドルと日本は100年以上に及ぶ深い関係があります。また、エクアドルの首都である「キト」の旧市街は、世界で最初に世界遺産に認定された場所の1つです。保存状態のよい旧市街地全体が世界遺産に認定されており、その街並みは美しく、深い歴史を感じることができます。

多彩な音楽家を支援して プレコンサート開催 

多彩な音楽家を支援して プレコンサート開催 

多彩な音楽家を支援して プレコンサート開催 4月7日駐日メキシコ大使館 昨年、一般財団法人 アース エイド ソサエティ (代表理事:デヴィ・スカルノ)の第1回イブラ・グランド・アワード・ジャパン・コンクールが開催され、その入賞者によるプレコンサートが、駐日メキシコ大使館で開催された。 このコンクールは、クラシックファンのみならず、多くの聴衆に支持される『表現者』としてのクラシック(普遍)音楽アーティストを発掘し支援するという、デヴィ·スカルノ夫人の意向の下に創設された。 メルバ·プリーア駐日メキシコ大使はかつて駐インドネシアメキシコ大使として滞在した経験を持ち、故スカルノインドネシア大統領のデヴィ夫人との親交も深めた。この二人の友情が、今までのクラシック音楽コンクールとは違ったよりダイバーシティを意識したコンクールと多彩な音楽家への大きな支援に繋がった。 このコンクールの入賞者は、芸大、桐朋などの一流音楽大学で学んだ人達だけではなく、自衛隊に所属する演奏家等、バックグラウンドは多岐に及ぶ。このプレコンサートでは、それぞれが表現者として、心を込めた演奏を披露してくれた。また、ウクライナ出身で現在藤原歌劇団で活躍するソプラノ歌手、オクサーナ・ステパニュックも出演し、ウクライナの民族楽器「バンドゥーラ」を奏でながらウクライナの歌曲を披露した。 多くの聴衆に支持される表現者を発掘し、支援することをポリシーとするこのコンクールの持つ意味はとても大きい。今年度の開催も待ち遠しい。また、今年度の入賞者には、来年もまたメキシコ大使館で新たな入賞者による演奏を披露していただきたい。 「イブラ・グランド・アワード」に関する詳細は: https://ibra-award.com/

グンジャン・ヴァルマ&長浜浩子 合同展覧会『合流』

グンジャン・ヴァルマ&長浜浩子 合同展覧会『合流』

2022年3月8日~15日の間、インドのアーティスト、グンジャン·ヴァルマと日本の書家、長浜浩子の合同展覧会が駐日インド大使館VCCギャラリーで開催された。二人のアーティストは日本で出会い、互いに触発し合いながら、4年近く、共に作品作りを進めている。 グンジャン·ヴァルマは駐日インド大使サンジェイ·ヴァルマの夫人でもある。外交官の夫と結婚後に世界各地に駐在し、その国々の文化に影響を受けながら、絵筆をとり続けている。今から10年以上前、イタリア、アフリカに駐在中に描かれた油絵の作品は、みずみずしい雰囲気に満ちている。しかしベトナム駐在中から描く始めた漆絵は、ベトナムの伝統的な絵画を「ミックスドメディア」として捉え、彼女の深い芸術性が花開いたといっても過言ではない。日本では、長浜浩子と出会い、グンジャン·ヴァルマは新たな墨という深い世界に入っていった。その作品はインドという文化を背景として、独得の柔軟な世界を醸し出していた。 長浜浩子は以前からインド文化に興味を持ち、かなり深くその世界観を学んでいる。中高一貫校の書道教師をしながら、主にインドにおいて書道デモ&ワークショップでの国際交流活動を続けるとともに、ネパールの仏画Poubhaに惹かれ訪ネを繰り返し、書道と仏画による新たな作品制作を試みている。ヨーガの指導者の一人でもある長浜浩子がもつ「インドの世界感」がグンジャン·ヴァルマと出会ったことにより、花開いたことがこの展覧会から伝わってくる。 お互いを触発しながら、芸術作品の作成に邁進した、地味ながらもとても瑞々しい作家による展覧会であった。 関連記事: 『画家として「私の作品作り」インド大使夫人 グンジャン·ヴァルマ』 『日印文化パフォーマンスの一日開催』 関連リンク: 駐日インド大使館HP 公益財団法人 日印協会HP

東京富士美術館:上村松園・松篁・淳之 三代展

東京富士美術館:上村松園・松篁・淳之 三代展

3月5日、駐日大使館8か国の大使、公使、文化担当官及び夫人が八王子市にある東京富士美術館を訪問し、開催中の「上村松園・松篁・淳之 三代展」及び「山本作兵衛コレクション ユネスコ「世界の記憶」登録10周年記念」、東京富士美術館館蔵展を鑑賞した。 この鑑賞会は、国際婦人デーでもある3月8日を前に、日本を代表する画家で、初の女性文化勲章受章者、上村松園をより深く知ってもらおうという五木田聡館長の意向により実現した。 上村松園は明治から昭和にかけて活躍した女流画家で、透明感に満ちた気品あふれる美人画を得意とした。その息子でもある松皇は、母松園の影響を受けながらも、花鳥画を中心に描いた。「鳥の生活を理解しなければ鳥は描けない」と語っているように、松皇が描く鳥の世界は生気に満ち溢れ、美しく、「鳥の世界の美人画」とさえ称された。 上村敦之は現在も活躍する日本画家。本家とされた中国ではすでにすたれてしまった花鳥画の伝統を引き継ぎながらも、現代的な花鳥画を描く。教育者としても知られており、京都市立芸術大学教授、副学長、京都市学校歴史博物館の館長などを歴任。 この鑑賞会に参加した大使館は以下インド、インドネシア、オランダ、ジャマイカ、チュニジアハンガリー、レバノン、メキシコ。 東京富士美術館ホームページ 関連記事: 【特別展 – 空也上人と六波羅蜜寺展】はこちらから 【国際女性デーを記念した絵画展】はこちらから

アインシュタイン来日100周年記念 ドイツ大使館が外壁で日本の旅路を紹介

アインシュタイン来日100周年記念 ドイツ大使館が外壁で日本の旅路を紹介

今を遡ること100年、大正11(1922)年11月17日、アルベルト·アインシュタインが乗った日本郵船の北野丸は神戸港に入港した。約一か月の長旅を経て、ついに日本にやってきたアインシュタインは、この東洋の小さな国に40日以上滞在し、各地を訪問する。フランスのマルセイユを出てから、1カ月以上の船旅だった。その印象、瀬戸内海の景色について、アインシュタインはこう記している。「やさしくて上品な人びとと芸術。日本人はラフカディオ·ハーン(小泉八雲)の本で知った以上に神秘的で、そのうえ思いやりがあって気取らない。」 駐日ドイツ大使館(クレーメンス·フォン·ゲッツェ駐日ドイツ大使)では、その神秘に包まれた国を歩くアインシュタインの様子を、を漫画ライブペインターの内田慎之介と共に、ドイツ大使館の外壁に漫画で描き、当時の様子を再現した。 2022年3月14日、アインシュタインの誕生日に合わせ、クレーメンス·フォン·ゲッツェ駐日ドイツ大使によって正式に開示された。その際、ドイツ生まれのアインシュタインが深いつながりをもったスイス、アメリカ、イスラエルの大使、外交官が招待され、大使館の外壁を飾るウォールアートを鑑賞し、改めてアインシュタインの功績をたたえた。 アインシュタインゆかりの国々からのコメントは以下の通り; クレーメンス·フォン·ゲッツェ駐日ドイツ大使 アインシュタインは、理論物理学の分野のみならず、国際理解や世界平和に多大な貢献をしました。 1922年の来日はアインシュタインが日本に滞在した唯一の機会でしたが、旅についての詳細な記録は日本の社会や文化がいかに深い印象を残したかを物語っています。 レイモンド・F・グリーン在日米国大使館首席公使 ワシントンにある米国科学アカデミーの敷地の南西、リンカーン記念館とホワイトハウスの間に位置する場所にアルベルト・アインシュタインの巨大なブロンズ像があります。この像は、アインシュタインの生誕100周年を記念して1979年に建てられました。銅像はアインシュタインの最も重要な学術貢献である三つの概念を要約した数学的方程式が書かれた紙を持ち、足元には天体図が広がっています。記念碑は、暗雲に包まれたヨーロッパとの対比として、広い空へと開かれた空間に設置されています。数多くの記念碑が立ち並ぶこの町で、一際静かにたたずむこの記念碑は、謙虚さを表しており、それはアインシュタインの人柄とも重なります。銅像が腰掛けているベンチにはアインシュタインの最も有名な言葉が刻まれています。 『私は選択できる限り、市民の自由、寛容、そして法の前にすべての市民が平等である国にのみ生きるでしょう』 壁画や銅像が映し出すアインシュタインの科学、国際協力そして教育への貢献は、これからも私たちにインスピレーションを与え続けるでしょう。 バラク・シャイン駐日イスラエル大使館報道官 アインシュタインは常に、社会正義、教育、知的機能の発達など、ユダヤ人が重んじる価値観に従い生きてきました。彼は自らの名声を利用し、ホロコーストでヨーロッパから逃れてきたユダヤ人たちをアメリカに入国させるための宣誓供述書を、当局に止められるまで出し続けました。アインシュタインが掲げた価値観は、近代のイスラエルに大きな影響を与えたエルサレム・ヘブライ大学の創立にも顕れています。自らの考え方や視点をイスラエルの教育制度に反映させることで、アインシュタインは「発見」「開発」「革新」の文化的重要性に大きな影響を与えました。アインシュタインは科学や物理の先駆者であっただけでなく、その影響は社会全体にまで及んだのです。アインシュタインのビジョンと彼が残したレガシーは今日のイスラエル社会に受け継がれています。 アンドレアス・バオム駐日スイス大使 「アルベルト・アインシュタインは1895年、大学への進学のためにスイスに渡り、物理学と数学で学位を取得した後、1901年にスイス国籍を取得します。卒業後はベルンに移り住み、「アインシュタイン奇跡の年」で知られる1905年に革新的な4つの論文を発表し、相対性理論の研究にとりかかります。アインシュタインはその後チューリッヒに戻り、世界各国の若手研究者たちの育成に従事します。その一人が理論物理学者の石原純であり、石原は後にエッセーにて、「偉大なる大先生」が日本の学生から東洋について知りたがっていたこと、科学にとどまらず、広い意味で人間文化にも強い関心を寄せていたことを綴っています。世界中の様々な人や文化を「分け隔てなく」理解し、享受しようとしたアインシュタインは、今も私たちにとって模範的な存在であり続けます」。 ドイツ連邦共和国大使館公式HPはこちら 関連記事: 日本とドイツを結ぶ、160年間の友好関係 

在日ベルギー大使館・国王の祝日(キングスデー)イベントにて

ベルギー大使館・国王の祝日イベント

東京での生活も少しずつ通常に戻りつつあるこの頃、在日大使館でのイベント開催ニュースも数多く飛び込んでくるように。今回は、11月のトップイベントの一つである、ベルギー大使館主催の『国王の祝日』イベントレポートをお届け。 11月15日、東京・四谷に位置するベルギー大使館にて。フレンドリーなスタッフに入場確認と検温を行ってもらい、会場へ足を踏み入れると、香ばしい焼き立てワッフルの香りに包まれる。来場者の心を掴む、なんとも素晴らしいおもてなしだ。 関連記事:『フェスティバル・ラティノ・アメリカーノ2021・チャリティーバザール』、『ハンガリー建国記念日イベント』 ワッフルの香りに誘われながら、ベルギー産ビール、ベルギーを代表するキャラクター「スマーフ」のマスコット、ベルギーの美しい観光地の写真や国旗が飾られた廊下を進むと、ワッフル以外にもこんなにも豪華なスイーツへと辿り着いた。 「国王の祝日(キングスデー)」またの名を「ロイヤルホリデー」とも言うこの祝日は、1866年より制定され、世界中のベルギー人によって祝われてきた。 東京のベルギー大使館では、毎年11月15日、日本のビジネス・文化・政界よりゲストを招待し、ベルギーの文化と伝統を紹介するイベントを開催している。 今年のイベントには、ベルギー生まれの衆議院議員・柿沢 未途氏や林裕子氏らが参加し、ドゥ・ビルデルリング大使の、簡潔で有意義なスピーチを楽しんだ。多くの笑い声が飛び交う会場で、ドゥ・ビルデルリング大使にスピーチの秘訣を尋ねると、彼女は「長いスピーチが好きな人はいない」と答え、国王の祝日は人々に楽しんでもらう機会であるので、愉快な会話とベルギービールをたっぷり愉しんで欲しい、と語った。 ソーシャル・ディスタンスの保持など、完璧なコロナ対策の上で開催された今回のイベント。 例年通り開催されたことに感謝しつつ、世界中のベルギーに縁の有る方が国王の祝日を愉しまれた事を願う。 在日ベルギー大使館HPはこちらから

Ambassador Kamel

4年間の任期を終えて

駐日エジプト特命全権大使アイマン·アリ・カーメル閣下のお別れレセプションが、10月11日に代官山のエジプト大使公邸で開かれました。 カーメル大使はご挨拶の中で、日本の皆様への深い感謝を述べられ、また、多忙な大使を支えたガーダ大使夫人にも心からの感謝を述べられました。 レセプションでは、日本とエジプトの外交、友好関係に大きな役割を果たされた元駐エジプト日本大使香川剛廣様にエジプト共和国より、共和国勲章(一等)が授与されました。無事に任期を務められたアイマン·アリ・カーメル閣下と香川剛廣元駐エジプト日本大使閣下に、心からの拍手が贈られました。 新型コロナウィルス感染が下火になったとはいえ、厳重な感染対策の中催されたレセプションでは、ガーダ夫人が心を込めてアレンジしたフィンガーフードがとても素晴らしく、マスクをした顔からも笑みがこぼれ、終始和やかな送別会となりました。 アイマン·アリ・カーメル大使ご夫妻は、10月中に日本を離れられ、エジプトに帰国されます。今後も日本との友情、交流が続きますように。 詳細は駐日エジプト大使館HPをご覧ください: https://egyptembassy.jp/

ハンガリー・フェスティバル2021開催

ハンガリー・フェスティバル2021開催

10月16日に、ハンガリーフェスティバル 2021がアーク・カラヤン広場(106-0032 東京都港区赤坂1-12-32)が開催され、多彩なハンガリー文化が紹介された。 ハンガリーは音楽が盛んな国として知られており、日本とハンガリーにルーツを持つピアニストの金子美勇士、日本の高校生のコーラスグループ、室内管弦楽団によってバルトーク·ベラ、コダーイ·ゾルタンが作曲した名曲などが改めて紹介された。 また、ハンガリー料理は東欧で一番おいしいといわれる料理大国でもあり、フォワグラ、ワインの産地としても知られている。日本では特にハンガリー産のはちみつもとても有名だ。会場では、そうした代表的な産物がとてもリーズナブルな価格で販売されており、キッチンカーで登場したハンガリー名物グヤーシュスープは、すぐに売り切れてしまった。 工芸にも優れ、刺繍の国でもあるハンガリーは、カロチャ、マチョなどの刺繍製品も多く、会場では伝統的な総刺繍の民族衣装をまとったハンガリーの女性の姿も見かけられた。カロチャ刺繍は、ニコール·キッドマンが着用したことでも知られており、レース状に布を抜いて作るリシュリューという技法が難しい。その民族衣装をまとったハンガリー女性が登場していた。ここまで見事な民族衣装を見る機会は日本ではなかったので、とても貴重な機会でもあった。 池上彰さんと増田ユリヤさんによるハンガリーに関するレクチャーも開催され、新型コロナウィルスの感染予防のためのメッセンジャーRNAワクチンは、米国在住でハンガリー人の研究者カリコ·カタリン博士の尽力によって開発されたことが紹介された。増田ユリヤさんの著書「世界を救うmRNAワクチンの開発者カタリン・カリコ」も併せて紹介され、ハンガリーが優秀な科学者を多く輩出している国であるという一端を見ることができた。 ハンガリーの文化、発明などを知る興味深いレクチャーがなされたこともとても意味深く、改めてハンガリーという国を垣間見ることができたとても素晴らしい一日だった。 『ハンガリー』についての詳細はこちらから: https://tokio.mfa.gov.hu

Vladimira Hirsch at the Embassy of the Czech Republic

Let’s Reconnect!『にっぽん-大使たちの視線』

『にっぽん―大使たちの視線写真展2021』が東京・六本木ヒルズ ヒルズカフェ/スペースにて開催、本年度の受賞作品がオープニングセレモニーにて発表された。 名誉総裁を務める高円宮妃久子殿下のご出席の元、表彰式が行われた。 今年の高円宮殿下メモリアル賞は、チェコ共和国大使館 次席のウラジミーラ・ヒルシュ様の作品『希望と熱意を込めて』に贈られた。 今年のテーマは『Let’s Reconnect!』。 外交共同体だけでなく、日本の友人や生活との繋がりを表現する作品が展示される。 式典では、受賞作品が次々と紹介され、会場は受賞者の歓喜と熱気で包まれた。 「今年は『Let’s Reconnect!』というテーマを選び、外交団とともに現在を振り返り、未来のビジョンを考える機会を提供しました」と選考委員長を務める中曽根弘文参議院議員は説明する。 さらに、 ルクセンブルク大公国駐日特命全権大使で写真展実行委員会の議長を務めるピエール·フェリング閣下は「2021年『にっぽんー大使たちの視線』のテーマを『Let’s Reconnect!』と選んだ際、2021年の間に再び人と人が再び『Reconnect(再び繋がる)』できることを期待していました。 』と語った。 開催情報 場所:六本木ヒルズ ヒルズカフェ/スペース展示期間:2021年10月6日〜10日 六本木での展示終了後は下記にて順次展示神戸:公益財団法人 兵庫県国際交流協会名古屋:セントラルパーク セントラルギャラリー横浜:みなとみらいギャラリー(2022年3月) 『にっぽんー大使たちの視線』についての詳細はこちらから: www.diplomatseyes.com

Italian Embassy Charity Bazaar

イタリア大使館 チャリティバザー

駐日イタリア大使ジョルジオ・スタラーチェ氏の奥様、マテルダ・スタラーチェ夫人と日本YMCA同盟の大岩弘子さん主催の、チャリティーバザーがイタリア大使公邸にて開催された。 長く続いた緊急事態の中、多くの人々が、他者を支える新しい変化を求めていただろう。 コストコジャパン、イタリア大使館とイタリアコミュニティの支援によるチャリティバザーは大成功。訪れたゲストは、ポシティブさと善意に満ちた雰囲気の中、ショッピングやイタリア料理等も楽しんだ。 関連記事: 160 Years of German-Japanese Friendship 各国大使館関係者とその家族、そしてイタリアコミュニティのサポーターが多く訪れた今回のイベント、マテルダ・スタラーチェ夫人とボランティアの方々は、ゲストが楽しい時間を過ごしながら慈善活動ができるように全力を尽くしていた。 東京の中心地であることを忘れるような素敵な庭園、そして素晴らしい天気に恵まれた今回のチャリティ・バザー、お気に入りの商品との出会いに旧友との再会がある、素敵な1日となった。 今回のバザーでの全ての収益は、東京·大田区の社会福祉法人 お告げのフランシスコ姉妹会と、九州・大分県の児童養護施設 小百合ホームへ寄付される。 ご寄付のお申し出、チャリティ活動の詳細についてはイタリア大使館HPよりご覧ください→イタリア大使館

German Embassy in Tokyo

日本とドイツを結ぶ、160年間の友好関係

160年前、日本とドイツは海運、貿易、そして友好関係に関する条約である日米修好通商条約に著名し、この条約が日独外交関係の出発点として広く知られています。 ドイツ大使館 はアートエージェンシーTokyoDexと組み、日独関係に貢献した日独関係に深く貢献した先駆者たちに敬意を表し、日独関係の長い歴史を象徴する壮大な芸術作品を制作しました。 作品は昨年1月28日に完成し、ドイツ大使館は日独の豊かな歴史を描いた記念碑的な、過去最大規模のウォールアート(壁画)を公開。両国の160年の友情を記念しています。 TokyoDex のキュレーションのもと、大阪を拠点に活動している日本のアーティストユニットWHOLE9によって全長80メート ルあるドイツ大使館の外壁にウォールアートが施されるのは、今回で 3 回度めとなります。 この壁画は、医学・科学、文化、貿易・経済、音楽、スポーツ、政治の6つのセクションに分かれていて、フィリップ・フランツ・フォン・シーボルトや森鴎外などの開拓者や革新者、東ドイツの指揮者クルト・マズアや数々の賞を受賞した振付師、ピナ・バウシュなど現代のドイツを代表する人物が描かれています。 各セクションにQRコードが付けられていて、読み取るとドイツ大使館のインスタグラムアカウント (@germanyinjapan)にアクセスすることができ、詳細な情報を得ることができます。 この作品を通して、過去の記憶とともに明るい未来へのビジョンというつながりが生まれました。ドイツ人商人も活動していた出島、アジアで初めてベートーベンの交響曲第9番が演奏された板東俘虜収容所の記憶など、現在もドイツと日本が掲げる現在の多国主義、法の支配、民主主義や人権などを紹介することができました。 ドイツ連邦共和国大使館・総領事館のホームページ: https://japan.diplo.de/