アート&文化

世界の西洋名画を再現  大塚国際美術館のミッションと世界への貢献

世界の西洋名画を再現 大塚国際美術館のミッションと世界への貢献

徳島県の鳴門公園内にある大塚国際美術館には、日本のみならず世界からも多くの鑑賞者が訪れる。 この美術館は世界26ヵ国の西洋名画約1000点を陶板で原寸大に再現し、展示している。 名画の制作に使われている陶板は約1300度の高温で焼かれているため、2000年に亘って変色の心配もない。その為、展示されている名画の数々には手で優しく触れることもできる。 それぞれの名画を所蔵する美術館などから許諾を得て再現しているが、画家のタッチ、絵の具の盛り上がり方なども詳細に再現されているのは驚愕だ。 大塚国際美術館の取り組みは、こうした世界の名画を手に取るように間近で鑑賞することもあるが、その他にも、既に失われてしまった名画や祭壇画の復元、修復前と修復後の違いを比較鑑賞できる展示室がある等、美術史上の重要なポイントに大きく貢献していることもとても多い。 大塚国際美術館にはエル・グレコのドーニャ・マリア・デ・アラゴン学院の祭壇衝立も復元されている。 非常に残念なことに、オリジナルの衝立は19世紀初頭のナポレオン戦争で破壊されてしまった。6点あった祭壇画は散逸してしまい、現在は《受胎告知》《キリストの洗礼》《キリストの磔刑》《キリストの復活》《聖霊降臨》の5作品は、スペインのプラド美術館に所蔵されている。 しかし、《羊飼いの礼拝》はルーマニア国立美術館に所蔵されているので、現物を一度にみることは不可能だ。しかし、大塚国際美術館ではこの祭壇画は原寸大で復元され、エル・グレコがその円熟期に描いた通りに展示されている。 ゴッホの《ヒマワリ》の展示も素晴らしい。花瓶に入った《ヒマワリ》をゴッホは7点描いたことでも知られる。現存する6点は以下の美術館等に収められている。 ノイエ・ピナコテーク(ドイツ)、ナショナルギャラリー(英国)、SOMPO美術館(日本)、フィラデルフィア美術館(アメリカ)、ゴッホ美術館 (オランダ)、1点は個人蔵。 幻の《ヒマワリ》と呼ばれる作品は1945年に兵庫県芦屋市を襲った空襲により焼失し、その姿を伝えるのは残された「セザンヌ・ゴオホ画集」であった。大塚国際美術館では東京都にある武者小路実篤記念館の協力でその現存する画集を基に正確に幻の《ヒマワリ》を再現し、ここでは7点全部を一堂に鑑賞することができる。 レオナルド・ダ・ヴィンチが修道院の壁にテンペラで描いた《最後の晩餐》が、長い期間をかけて大規模な修復が行われたことは世界的にも知られている。大塚国際美術館では《最後の晩餐》の修復前と修復後の二点を展示し、その違いを見比べることもできる。 こうした美術史上の大きな貢献を日本の企業が行っていることは素晴らしい。 大塚グループ創立75周年を記念して開館した大塚国際美術館は、2023年3月21日に開館25周年を迎えた。 大塚オーミ陶業の特殊な技術で再現された世界の名画は、これからも世界の人々を魅了し続けることだろう。また、世界に日本の企業のこうした事業を広く知ってもらいたい。 【関連記事】

「流体の美学」展 好評開催中

「流体の美学」展 好評開催中

昨年から執行草舟コレクション/戸嶋靖昌記念館で開催されている「流体の美学」は重厚で見ごたえのある展覧会だ。 《「流体」とはいかなるものか》という「問い」をベースに企画されたこの展覧会を構成するのは執行草舟コレクションだ。新たに所蔵されたコシノジュンコの作品を含め、伊勢内宮禰宜荒木田宇氏(あらきだうじ)、高橋泥舟、山口長男、写真家の鈴木弘之らの作品が展示されている。 コシノジュンコは、大分県立美術館での大展覧会開催、瀬戸内国際芸術祭への展示など、美術家としての活躍が目立つ。ハイアットリージェンシー東京ベイには多くの作品がある。この展覧会では、比較的小さな作品の展示であるが、画面の空間を活かした構図とミクストメディアにより自由に描いた迷いのない線による描写が魅力的だ。夫君でもある写真家の鈴木弘之は、北京を訪れた時にインスピレーションを受けたという故宮の柳の木を撮影している。その木々の語り掛けるような描写を一瞬に捉えた構図が素晴らしい。 また、この展覧会には執行草舟コレクションの真骨頂でもある戸嶋靖昌の作品も十数点展示されている。この作品群は非常に見ごたえがあり、鑑賞者の足をその前で立ち止まらせる。 戸嶋靖昌は、スペインに長く暮らし、ベラスケスなどの影響を強く受けたという。残念ながら戸嶋靖昌は2006年に逝去している。今、日本人はこうした優れた画家の画業を見直すべきではないか。 この展覧会は好評のため、期間が延長されている。多くの美術ファンに診てもらいたい珠玉の展覧会だ。 開催期間:2022年10月11日(火曜日)~ 2023年2月28日(火曜日) 開館:火曜日〜土曜日 11:00〜18:00/日曜日、祝日、月曜日定休    ※来館前に事前予約、連絡が必要 場所:執行草舟コレクション/戸嶋靖昌記念館 (東京都千代田区麹町1-10 バイオテックビル内) 最寄駅:半蔵門線半蔵門3,4番出口から徒歩2分、有楽町線麹町駅3番出口から徒歩6分 地図:こちらよりご確認ください 連絡先:03-3511-8162 公式HP:執行草舟公式Website(http://shigyo-sosyu.jp/art/index.html) 「流体の美学」展のご案内は、執行草舟公式Website ”What’s New”のページよりよりご覧になれます

前駐日エクアドル大使 インタビュー:赤道にちなんで名付けられた国、エクアドル。その魅力を語る。

前駐日エクアドル大使 インタビュー:赤道にちなんで名付けられた国、エクアドル。その魅力を語る。

注)バルベリス前駐日エクアドル大使は2022年4月11日に離日 この度、帰国を間近に控えた前駐日エクアドル共和国特命全権大使のハイメ・バルベリス閣下へのインタビューを行った。このインタビューを通して、エクアドルという美しい自然の中心地と言える国と、日本とエクアドルの関係の長さについて理解を深めることができた。また、ハイメ・バルベリス大使は両国間の貿易における重要な分野、観光を促進する必要性、エクアドルという国名が赤道にちなんで名付けられた理由についても語っている。 ハイメ・バルベリス大使は、2017年3月に駐日エクアドル大使に就任。2022年にはエクアドルのミッションのトップとしての5年目を迎えた。駐日大使就任以前は、2010年から2015年まではハンガリーに特命全権大使として駐在し、2004年から2005年までは米州機構のエクアドル常駐代表を務めた。2001年から2004年にはドイツのハンブルク総領事館勤務など、重要なミッションに関わってきている。また、キャリアの開始は1979年で、オーストリアのエクアドル大使館、1982年から1985年までウィーンの国連事務局へのエクアドル常駐代表の二等書記官、一等書記官なども経験したベテラン外交官だ 外務省での仕事ではその他に、2015年にキトの国連システム部門の大使を務め、2016年から2017年までは北米とヨーロッパの担当次官も務めている。 Q:エクアドルの首都、キトの市街は自然の中心地としてユネスコの世界文化遺産に認定されていますね。エクアドルは地理的には太陽に最も近い地点でもあるそうですね。 チンボラソと呼ばれているエクアドルの山脈は、科学的な情報によれば、地球の中心からこの山の頂上までの測定した場合、世界最高峰となるそうです。 エクアドルのいくつかの地域、特に南部の都市、クエンカは、外国人駐在員が住むのにとても良い場所と言われています。気候に恵まれ、食べ物もおいしく、よいサービスも受けられることに外国人は楽しさを見出しているのでしょう。 エクアドルではATMで米ドルを引き出せることもあって、とても便利です。 2000年に自国通貨として米ドルを採用しました。これはインフレに直面し、その課題に沿った判断をした結果です。エクアドル政府は物価を安定させるため、米ドルを採用することを決定しました。また、エクアドル政府の主要な優先事項の1つには投資の誘致があるため、米ドルの採用は観光と投資の両方にとって便利且つ好都合であったということもあります。エクアドル経済は、こうしたドル化によってより簡単になりました。経済政策を実施するために国が必要とする最重要課題の一つは、もちろん通貨の安定にありますから。 Q:日本での任期を終えて、エクアドルに帰国なさいますね。 はい、キャリア外交官ですので、通常は海外で5年間に亘る任務が与えられます。 その後は2〜3年間はエクアドルの外務省本省に戻り、その後、別の任務が与えられます。 これがエクアドルの外交官としてのキャリアの仕組みです。 日本での任期の5年間は終了いたしますので、すぐに帰国いたします。 Q:日本でのご経験はいかがでしたか。 政治的、経済的、文化的など、多くの分野において、エクアドルと日本の関係を促進するために働くことができたことは大切な経験となりました。私と妻、そして大使館の職員は、ここで達成できたことに大変満足しています。 それにとても興味深いことが多かったです。 新型コロナ感染のパンデミックが起きる前に、私たちは任期の最初の3年間を日本で過ごしていました。その後の2年間は、さまざまな状況で暮らしました。 しかし、それでもエクアドルと日本の二国間関係のために努力し、その関係をより勧めていくことができました。 Q:駐在なさった5年間には、どの業界に主な焦点を当てていらしたのでしょうか。農業ですか、それともエネルギーなどでしょうか? 過去5年間、私たちの主たる焦点となったのは、日本でより多くのみなさまにエクアドルについて知っていただくことでした。ご存知のように、エクアドルは日本社会において、少しずつ知名度を上げています。 私たちは、経済だけにとどまることなく、政治的な接触もいたしました。異なる政治的区分間であっても、より多くの相互作用もたらすために促進を心がけてきました。経済は最重要だと思います。日本とエクアドルの間の貿易の規模は、私たちが望むほど大きくはありませんが、今後、より大きな可能性があると信じています。貿易はこの5年間の優先事項でありました。また、投資を呼び込むことも大変重要であるため、日本企業は様々な分野でのエクアドルへの投資を検討するよう説得いたして参りました。 また、非常に重要だと考えている分野の1つはエネルギーです。しかし、最も成長している分野と言えば、やはり農業でしょう。 日本市場で見かけることができるエクアドル産の農産物のほとんどは、日本とエクアドルの投資の一部でもあります。たとえば、ブロッコリーはエクアドルから来ていますが、一部の生産および流通会社はエクアドル人またはエクアドルの関係を含んだ形をとっています。他の会社は日本企業でもあります。そのような農産物は日本市場向けに生産されています。バナナもエクアドルから日本に輸出される重要な商品です。その他の輸出製品には、エビ、カカオ、カカオの副産物、花、その他の食品が含まれます。 また、エクアドルは再生可能エネルギー資源に関心があり、過去15年間、水力発電エネルギーの生産に大きな重点を置いてきました。これは、エクアドルの地理的立地条件によって、大量の水資源が確保·提供できることがあります。よってエクアドル全土に水力発電施設の建設をすることの容認につながっています。 日本とは別の種類のエネルギーを推進しています。国際協力機構(JICA)の協力を得て、地熱発電の研究を行っています。ただし、これには時間がかかることでしょう。 駐日エクアドル大使館の目標の1つは、環太平洋パートナーシップに関する包括的及び先進的な協定(CPTTP)に参加が可能となることにもあります。エクアドルをこの協定の一部としてみなすよう正式に要請しました。しかし、まだ私たちと同じ状況にある国はたくさんあります。 私たちは、新製品のいくつかを紹介するため、日本の当局と協力してきました。日本市場に参入している商品は高く評価されています。そうした製品の中で主要なものの1つは、カカオです。これはショコラティエに高く評価されています。カカオの生産者の多くは、エクアドルのカカオのみを扱っている店とコラボレーションしています。先ほどからお伝えしている通り、農業分野はエクアドルでは最も重要な分野の1つです。この分野でのさらなる進歩が見られることを期待しています。例えばですが、エクアドルのマンゴーを日本市場に投入するための取り組みもあり、10年以上前からのパイプラインとなっています。 Q:エクアドルの歴史と日本の友情について少し教えていただけますか。両国の関係のマイルストーンとなるような画期的なこととは何でしょうか?…

「A Quiet Sun」田口和奈展

個展「A Quiet Sun」メゾンエルメスにて開催

オーストリア、ウィーンを拠点に制作、活動をするアーティスト田口和那(1979年東京生まれ)の個展「A Quiet Sun」が銀座メゾンエルメスにて開催される。  田口和奈(1979年東京都生まれ)は、現在オーストリア、ウィーンを拠点に制作、活動をするアーティスト。東京藝術大学美術学部絵画専攻油画領域を卒業後、同大学院美術研究科で博士号を取得し、2010年には五島記念文化賞美術新人賞を受賞。これまで、アジアや欧州での個展やグループ展参加など、精力的な活動を行っている。 田口は、多重的な構造を持つモノクロームの作品を通じて、時間や空間といった形而上の存在を見出そうとする制作を続けている。例えば、自ら制作した絵画や彫刻を多重露光で撮影する、プリントした印画紙の上に油彩のドローイングを描き、再び撮影をするといった重層的な手続きを経て生まれる作品には、写真でありながらも、長い時間をかけて画布に向かう絵画と同様の地平を見出すことができる。 また、田口の作品は、しばしば過去の美術作品の参照や、匿名のファウンドフォトや雑誌といった既存のイメージの応用を含む。収集した過去のイメージから象徴を読み取ろうとする身振りは、アビ・ヴァ―ルブルグ(1866-1929)の「ムネモシュネ・アトラス」からの影響も受けている。アーティストは、それらのイメージの中にある複数の時間軸や身体の断片から、記憶を生み出す星座的空間の兆しを掬い取り、そこに節制と偶然を招き入れるべく、時に修復し、時に自作の中へと再び迷い込ませるのだ。 「A Quiet Sun」は、本展のために制作した作品群と、田口が収集するファウンドフォトを用いて編成される。神話や匿名の記憶は、ゼラチンシルバーの中に息づく様々な身体の身振りや触覚からもたらされる。ギャラリーにあふれる強い自然光をそのまま用いながら、建築を発見し、空間を整え、レイヤーを与えてゆくような大胆かつ繊細な展示方法は、田口の写真制作における問題意識を異なる角度から解釈する試みでもある。写真という身体(コーパス)が、溢れる太陽の中で移ろいやすい像を結ぶ時に、どのような光のしじまが見いだされるのだろうか。 私の関心であり同時に問いであるのは、集めたファウンドフォトが非常に魅力的である理由である。「エウリュディケーの眼」は、神話のイメージを拠りどころに、現実の予感が入り混じったイメージで、これまでの作品より即興的かつ多層的な構造をもっている。ファウンドフォトの発見、修復、修繕というプロセスは、ゼロから作りだす私の制作のプロセスとは違う地点から同じ空間に向かっているようだ。この展覧会について考えることは、私の関心が交差しているその空間について考えることである。 田口和奈「A Quiet Sun」のノートより 【イベント情報】 会期:2022年6月17日(金)~9月30日(金) ※予定開館時間:月~土 11:00–20:00(入場は19:30まで)     日 11:00–19:00(入場は18:30まで)※ギャラリーは基本、銀座店の営業に準じております。※開館日時は予告なしに変更の可能性がございます。随時こちらでお知らせ致します。休館日:不定休入場料:無料会場:銀座メゾンエルメス フォーラム 8・9階(中央区銀座5-4-1 TEL 03-3569-3300)主催:エルメス財団…

Maria Watanabe at Mashiko Clayworks Exhibition by Hersey Shiga

ゴールデンウイークに行きたい展覧会 (2)

渡マリア陶芸展2022年4月23日(土)~5月10日(火) 午前10時から17時まで つかもと〒321-4217 栃木県芳賀郡益子町益子 4264 TEL 0285-72-3223 毎週木曜定休 ブラジル生まれの陶芸家、渡マリアの個展。渡マリアは1982年に日本に移住し、初めて陶芸という芸術に触れ、修業をつんだ。益子町に移住し、濱田庄司の息子、濱田晋作に師事し、女性で初めて益子町に穴窯を作る。その後、震災で穴窯が壊れるなど、災難にも見舞われるが、2020年に穴窯を再建し、陶芸活動を続けている。

Flying Dragon

オランダ王国大使公邸 チューリップガーデン一般公開

4月8日(金)・10日(日)の2日間限定開催 7年ぶりにオランダ大使公邸のチューリップガーデンと大使公邸内部が一般公開された。 ペーター・ファン・デル・フリート駐日オランダ王国大使は、今回のチューリップガーデン一般公開について、「日本でも、オランダを象徴するチューリップが沢山の方に愛されている事を知り、とても嬉しく思っています。今回の一般公開イベントによって、春の到来を皆さまと共に楽しむ事ができれば幸いです」とコメントしている。 両日ともにこの一般公開を待ちに待った人々が早朝から列をなした。その列はとても長くなり、神谷町駅まで続いていた (350メートル)。午前10時の開門から、ファン·デル·フリート大使に迎えられ、多くの人々は大使公邸の庭園、公邸内部を鑑賞した。 現在の大使公邸は、その前の建物が1923年の関東大震災で倒壊したため、1928年に再建築された。建築家ジェームズ・マクドナルド・ガーディナーと上林敬吉が手掛けたこの邸宅はクラシックな風情が残り、天井に残された鏝絵などがとても美しい。庭園内に飾られた徳川家康からの書簡からも、オランダと日本の長期に亘る友好関係を感じ取ることができる。また、19世紀に描かれたオランダの画家、ヘンドリック・ウィレム・メスダッハによる絵画と共に、オランダの現代的なデザインの家具、有田焼の陶磁器などが美しく展示され、特別な雰囲気を醸し出している。 70種類に及ぶ美しいチューリップが咲く庭園と遊歩道を歩き、ひと時のオランダの雰囲気を楽しんだ訪問者は、4月8日が約2400名、4月10日には3000名に登る。 このような日本の人々との交流イベントを企画してくださったペーター·ファン·デル·フリート大使と大使館のスタッフには心からの御礼を申し上げたい。来年もぜひ継続していただきたい素晴らしいイベントだった。 For more information visit the Dutch Embassy in Tokyo Read more: 女性が活躍する国、ジャマイカからのメッセージ

The Ecuadorian ambassador and his wife

日本画の魅力と共に過ごした5年間

マリア·アンパロ·バルベリス駐日エクアドル大使夫人インタビュー 5年前に夫と共に来日した時に、なにか特別なことに取り組みたいと思っていました。できれば絵を描きたいと思っていたところに、当時のコロンビア大使からご紹介いただき、日本画をならうことになりました。最初は日本画の先生の描いてくださった絵手本を見ながら、筆と墨で竹、笹、花を描くことから始めました。徐々に上達し、岩絵の具を使って色彩豊かな作品を仕上げることができるようになりました。その作品はこちらです。花鳥風月も沢山描きました。駐在の終わりには、根津美術館に展示してある日本画の名作、尾形光琳の燕子花図の右隻を描きました。それまでも上村松園、永平寺天井画なども模写しています。 また、活動としてはラテンアメリカ出身の女性達と絵画のグループを作り、2週間に一度ずつあつまって作品を作っておりました。こちらも最終的にグループ展を開催することができました。 エクアドルと日本は100年以上に及ぶ深い関係があります。また、エクアドルの首都である「キト」の旧市街は、世界で最初に世界遺産に認定された場所の1つです。保存状態のよい旧市街地全体が世界遺産に認定されており、その街並みは美しく、深い歴史を感じることができます。

多彩な音楽家を支援して プレコンサート開催 

多彩な音楽家を支援して プレコンサート開催 

多彩な音楽家を支援して プレコンサート開催 4月7日駐日メキシコ大使館 昨年、一般財団法人 アース エイド ソサエティ (代表理事:デヴィ・スカルノ)の第1回イブラ・グランド・アワード・ジャパン・コンクールが開催され、その入賞者によるプレコンサートが、駐日メキシコ大使館で開催された。 このコンクールは、クラシックファンのみならず、多くの聴衆に支持される『表現者』としてのクラシック(普遍)音楽アーティストを発掘し支援するという、デヴィ·スカルノ夫人の意向の下に創設された。 メルバ·プリーア駐日メキシコ大使はかつて駐インドネシアメキシコ大使として滞在した経験を持ち、故スカルノインドネシア大統領のデヴィ夫人との親交も深めた。この二人の友情が、今までのクラシック音楽コンクールとは違ったよりダイバーシティを意識したコンクールと多彩な音楽家への大きな支援に繋がった。 このコンクールの入賞者は、芸大、桐朋などの一流音楽大学で学んだ人達だけではなく、自衛隊に所属する演奏家等、バックグラウンドは多岐に及ぶ。このプレコンサートでは、それぞれが表現者として、心を込めた演奏を披露してくれた。また、ウクライナ出身で現在藤原歌劇団で活躍するソプラノ歌手、オクサーナ・ステパニュックも出演し、ウクライナの民族楽器「バンドゥーラ」を奏でながらウクライナの歌曲を披露した。 多くの聴衆に支持される表現者を発掘し、支援することをポリシーとするこのコンクールの持つ意味はとても大きい。今年度の開催も待ち遠しい。また、今年度の入賞者には、来年もまたメキシコ大使館で新たな入賞者による演奏を披露していただきたい。 「イブラ・グランド・アワード」に関する詳細は: https://ibra-award.com/

グンジャン・ヴァルマ&長浜浩子 合同展覧会『合流』

グンジャン・ヴァルマ&長浜浩子 合同展覧会『合流』

2022年3月8日~15日の間、インドのアーティスト、グンジャン·ヴァルマと日本の書家、長浜浩子の合同展覧会が駐日インド大使館VCCギャラリーで開催された。二人のアーティストは日本で出会い、互いに触発し合いながら、4年近く、共に作品作りを進めている。 グンジャン·ヴァルマは駐日インド大使サンジェイ·ヴァルマの夫人でもある。外交官の夫と結婚後に世界各地に駐在し、その国々の文化に影響を受けながら、絵筆をとり続けている。今から10年以上前、イタリア、アフリカに駐在中に描かれた油絵の作品は、みずみずしい雰囲気に満ちている。しかしベトナム駐在中から描く始めた漆絵は、ベトナムの伝統的な絵画を「ミックスドメディア」として捉え、彼女の深い芸術性が花開いたといっても過言ではない。日本では、長浜浩子と出会い、グンジャン·ヴァルマは新たな墨という深い世界に入っていった。その作品はインドという文化を背景として、独得の柔軟な世界を醸し出していた。 長浜浩子は以前からインド文化に興味を持ち、かなり深くその世界観を学んでいる。中高一貫校の書道教師をしながら、主にインドにおいて書道デモ&ワークショップでの国際交流活動を続けるとともに、ネパールの仏画Poubhaに惹かれ訪ネを繰り返し、書道と仏画による新たな作品制作を試みている。ヨーガの指導者の一人でもある長浜浩子がもつ「インドの世界感」がグンジャン·ヴァルマと出会ったことにより、花開いたことがこの展覧会から伝わってくる。 お互いを触発しながら、芸術作品の作成に邁進した、地味ながらもとても瑞々しい作家による展覧会であった。 関連記事: 『画家として「私の作品作り」インド大使夫人 グンジャン·ヴァルマ』 『日印文化パフォーマンスの一日開催』 関連リンク: 駐日インド大使館HP 公益財団法人 日印協会HP

東京富士美術館:上村松園・松篁・淳之 三代展

東京富士美術館:上村松園・松篁・淳之 三代展

3月5日、駐日大使館8か国の大使、公使、文化担当官及び夫人が八王子市にある東京富士美術館を訪問し、開催中の「上村松園・松篁・淳之 三代展」及び「山本作兵衛コレクション ユネスコ「世界の記憶」登録10周年記念」、東京富士美術館館蔵展を鑑賞した。 この鑑賞会は、国際婦人デーでもある3月8日を前に、日本を代表する画家で、初の女性文化勲章受章者、上村松園をより深く知ってもらおうという五木田聡館長の意向により実現した。 上村松園は明治から昭和にかけて活躍した女流画家で、透明感に満ちた気品あふれる美人画を得意とした。その息子でもある松皇は、母松園の影響を受けながらも、花鳥画を中心に描いた。「鳥の生活を理解しなければ鳥は描けない」と語っているように、松皇が描く鳥の世界は生気に満ち溢れ、美しく、「鳥の世界の美人画」とさえ称された。 上村敦之は現在も活躍する日本画家。本家とされた中国ではすでにすたれてしまった花鳥画の伝統を引き継ぎながらも、現代的な花鳥画を描く。教育者としても知られており、京都市立芸術大学教授、副学長、京都市学校歴史博物館の館長などを歴任。 この鑑賞会に参加した大使館は以下インド、インドネシア、オランダ、ジャマイカ、チュニジアハンガリー、レバノン、メキシコ。 東京富士美術館ホームページ 関連記事: 【特別展 – 空也上人と六波羅蜜寺展】はこちらから 【国際女性デーを記念した絵画展】はこちらから

アインシュタイン来日100周年記念 ドイツ大使館が外壁で日本の旅路を紹介

アインシュタイン来日100周年記念 ドイツ大使館が外壁で日本の旅路を紹介

今を遡ること100年、大正11(1922)年11月17日、アルベルト·アインシュタインが乗った日本郵船の北野丸は神戸港に入港した。約一か月の長旅を経て、ついに日本にやってきたアインシュタインは、この東洋の小さな国に40日以上滞在し、各地を訪問する。フランスのマルセイユを出てから、1カ月以上の船旅だった。その印象、瀬戸内海の景色について、アインシュタインはこう記している。「やさしくて上品な人びとと芸術。日本人はラフカディオ·ハーン(小泉八雲)の本で知った以上に神秘的で、そのうえ思いやりがあって気取らない。」 駐日ドイツ大使館(クレーメンス·フォン·ゲッツェ駐日ドイツ大使)では、その神秘に包まれた国を歩くアインシュタインの様子を、を漫画ライブペインターの内田慎之介と共に、ドイツ大使館の外壁に漫画で描き、当時の様子を再現した。 2022年3月14日、アインシュタインの誕生日に合わせ、クレーメンス·フォン·ゲッツェ駐日ドイツ大使によって正式に開示された。その際、ドイツ生まれのアインシュタインが深いつながりをもったスイス、アメリカ、イスラエルの大使、外交官が招待され、大使館の外壁を飾るウォールアートを鑑賞し、改めてアインシュタインの功績をたたえた。 アインシュタインゆかりの国々からのコメントは以下の通り; クレーメンス·フォン·ゲッツェ駐日ドイツ大使 アインシュタインは、理論物理学の分野のみならず、国際理解や世界平和に多大な貢献をしました。 1922年の来日はアインシュタインが日本に滞在した唯一の機会でしたが、旅についての詳細な記録は日本の社会や文化がいかに深い印象を残したかを物語っています。 レイモンド・F・グリーン在日米国大使館首席公使 ワシントンにある米国科学アカデミーの敷地の南西、リンカーン記念館とホワイトハウスの間に位置する場所にアルベルト・アインシュタインの巨大なブロンズ像があります。この像は、アインシュタインの生誕100周年を記念して1979年に建てられました。銅像はアインシュタインの最も重要な学術貢献である三つの概念を要約した数学的方程式が書かれた紙を持ち、足元には天体図が広がっています。記念碑は、暗雲に包まれたヨーロッパとの対比として、広い空へと開かれた空間に設置されています。数多くの記念碑が立ち並ぶこの町で、一際静かにたたずむこの記念碑は、謙虚さを表しており、それはアインシュタインの人柄とも重なります。銅像が腰掛けているベンチにはアインシュタインの最も有名な言葉が刻まれています。 『私は選択できる限り、市民の自由、寛容、そして法の前にすべての市民が平等である国にのみ生きるでしょう』 壁画や銅像が映し出すアインシュタインの科学、国際協力そして教育への貢献は、これからも私たちにインスピレーションを与え続けるでしょう。 バラク・シャイン駐日イスラエル大使館報道官 アインシュタインは常に、社会正義、教育、知的機能の発達など、ユダヤ人が重んじる価値観に従い生きてきました。彼は自らの名声を利用し、ホロコーストでヨーロッパから逃れてきたユダヤ人たちをアメリカに入国させるための宣誓供述書を、当局に止められるまで出し続けました。アインシュタインが掲げた価値観は、近代のイスラエルに大きな影響を与えたエルサレム・ヘブライ大学の創立にも顕れています。自らの考え方や視点をイスラエルの教育制度に反映させることで、アインシュタインは「発見」「開発」「革新」の文化的重要性に大きな影響を与えました。アインシュタインは科学や物理の先駆者であっただけでなく、その影響は社会全体にまで及んだのです。アインシュタインのビジョンと彼が残したレガシーは今日のイスラエル社会に受け継がれています。 アンドレアス・バオム駐日スイス大使 「アルベルト・アインシュタインは1895年、大学への進学のためにスイスに渡り、物理学と数学で学位を取得した後、1901年にスイス国籍を取得します。卒業後はベルンに移り住み、「アインシュタイン奇跡の年」で知られる1905年に革新的な4つの論文を発表し、相対性理論の研究にとりかかります。アインシュタインはその後チューリッヒに戻り、世界各国の若手研究者たちの育成に従事します。その一人が理論物理学者の石原純であり、石原は後にエッセーにて、「偉大なる大先生」が日本の学生から東洋について知りたがっていたこと、科学にとどまらず、広い意味で人間文化にも強い関心を寄せていたことを綴っています。世界中の様々な人や文化を「分け隔てなく」理解し、享受しようとしたアインシュタインは、今も私たちにとって模範的な存在であり続けます」。 ドイツ連邦共和国大使館公式HPはこちら 関連記事: 日本とドイツを結ぶ、160年間の友好関係 

ハンガリー・フェスティバル2021開催

ハンガリー・フェスティバル2021開催

10月16日に、ハンガリーフェスティバル 2021がアーク・カラヤン広場(106-0032 東京都港区赤坂1-12-32)が開催され、多彩なハンガリー文化が紹介された。 ハンガリーは音楽が盛んな国として知られており、日本とハンガリーにルーツを持つピアニストの金子美勇士、日本の高校生のコーラスグループ、室内管弦楽団によってバルトーク·ベラ、コダーイ·ゾルタンが作曲した名曲などが改めて紹介された。 また、ハンガリー料理は東欧で一番おいしいといわれる料理大国でもあり、フォワグラ、ワインの産地としても知られている。日本では特にハンガリー産のはちみつもとても有名だ。会場では、そうした代表的な産物がとてもリーズナブルな価格で販売されており、キッチンカーで登場したハンガリー名物グヤーシュスープは、すぐに売り切れてしまった。 工芸にも優れ、刺繍の国でもあるハンガリーは、カロチャ、マチョなどの刺繍製品も多く、会場では伝統的な総刺繍の民族衣装をまとったハンガリーの女性の姿も見かけられた。カロチャ刺繍は、ニコール·キッドマンが着用したことでも知られており、レース状に布を抜いて作るリシュリューという技法が難しい。その民族衣装をまとったハンガリー女性が登場していた。ここまで見事な民族衣装を見る機会は日本ではなかったので、とても貴重な機会でもあった。 池上彰さんと増田ユリヤさんによるハンガリーに関するレクチャーも開催され、新型コロナウィルスの感染予防のためのメッセンジャーRNAワクチンは、米国在住でハンガリー人の研究者カリコ·カタリン博士の尽力によって開発されたことが紹介された。増田ユリヤさんの著書「世界を救うmRNAワクチンの開発者カタリン・カリコ」も併せて紹介され、ハンガリーが優秀な科学者を多く輩出している国であるという一端を見ることができた。 ハンガリーの文化、発明などを知る興味深いレクチャーがなされたこともとても意味深く、改めてハンガリーという国を垣間見ることができたとても素晴らしい一日だった。 『ハンガリー』についての詳細はこちらから: https://tokio.mfa.gov.hu

Hatchi-Palma Alina Zagitova

アリーナ・ザギトワ「ハチとパルマの物語」の先行上映会に参加

平昌オリンピック フィギュアスケート金メダリスト、ロシアのアリーナ・ザギトワ選手が来日し、3月23日に大館市で開催される、日露共同制作の映画、「ハチとパルマの物語」の先行上映会に参加した。 映画初出演のザギトワ選手がカメオ出演をする本作は、実話を元にした、ロシアの空港で置きざりにされた犬が、飼い主を忠実に待ち続けるというストーリーである。この映画の日本版は、日本だけでなく世界的に有名になった忠犬ハチ公の生まれた秋田県大館市で撮影された。 19歳の彼女は3年前、秋田犬保存会から秋田犬の子犬を贈呈された。贈呈式には安倍晋三首相(当時)が同席した。彼女は、秋田犬の写真を見て一目惚れし、両親にオリンピックで良い成績を残したら秋田犬を飼っていいかとお願いしたそう。そして見事オリンピックで優勝し念願の夢であった秋田犬を迎え、「勝利」を意味する日本語に因んで、勝(まさる)と名付けた。 これをきっかけに、大館市と映画製作委員会は、3月23日に行われた映画の先行上映会にザギトワ選手を招待するに至った。ロシアでは3月に公開開始しており、5月28日に日本でも上映が開始される。またザキトワ選手は東京で、映画使用楽曲に合わせたオリジナルパフォーマンスの撮影も予定している。動画は後日公開予定。 今回の共同制作によって、日本とロシアの友好関係はより深まることは間違いないだろう。 日本国内のコロナ感染症の状況と緊急事態宣言を考慮し、ザキトワ選手と参加者の安全はもちろん、感染症予防対策も万全な状態で開催された。 詳しくは下記リンクより: https://akita-movie.com/ https://en.wikipedia.org/wiki/A_Dog_Named_Palma