パヴェウ・ミレフスキ駐日ポーランド大使インタビュー
日本と長い友情を築くポーランド。この度のパヴェウ・ミレフスキ駐日ポーランド大使へのインタビューでは、ポーランドという国を理解するのに十分な、貴重なお話を聞く事ができた。
日本と長い友情を築くポーランド。この度のパヴェウ・ミレフスキ駐日ポーランド大使へのインタビューでは、ポーランドという国を理解するのに十分な、貴重なお話を聞く事ができた。
東欧での戦争が激化する中、世界は先の見えない期待を持ちながら様子を見守っているのが現状だ。ロシアによるウクライナ侵攻は長期に亘ることとなり、多くの議論を引き起こしている。日々、ロシア、ウクライナ双方からの情報が行きかっている。 コルスンスキー駐日ウクライナ大使は、科学者になるべく教育を受け、そのキャリアをもって外交官に転身した。その大使はウクライナでのロシアによる侵攻をどのように見ているか、また、ウクライナが世界に望む支援とは何か、この戦争が最終的にどこに行くのかといった内容をこのインタビューの中で語っている。 短いインタビューであったが、コルスンスキー大使の歩んできた道、戦禍の生活、ウクライナと日本の関係、将来の平和への希望などに多岐に亘り、とても興味深いものとなった。 ここでは深刻なテーマもお聞きいたしますが、その前に大使のキャリアと外務省に入られた経緯についてお聞かせ願えますか。 キーウご出身でいらっしゃいますね。 はい、我が家は父も祖父も私もキーウで生まれました。 生まれた頃はソ連時代でしたので、私は人生の29年間をソ連で過ごしたことになります。キーウ国立大学を卒業し、応用数学の博士号を取得した後に、研究者として10年間勤務しました。 そうして働いている中で1991年を迎えました。この年はウクライナが独立した年です。 当時、私は私はウクライナ国家科学技術委員会に招待されておりました。その委員会は英語を話す人を探していたことがありました。私はこの委員会には3年程在籍し、世界レベルの学術誌に約50件の研究論文を発表しておりました。そんなときに外務省の外交官であった友人から電話がかかってきました。友人はパリに向けて出発する直前でしたが、その電話の内容は、当時のウクライナ外務省は信じられないほど小規模で、大臣から運転手までを含めてもたった37人しかいませんでした。その為、誰か後任となる人が必要と言っていました。 国家は独立すると大使館を開設する必要がありますので、人員が必要でした。また、外交関係を樹立する必要もありました。 最初に友人が電話をかけてきたとき、私は外交の経験がないということは伝えはしました。しかし、その後に外務省を代表して科学教育、技術、ソフトパワー関連の協力に重点を置いた同じ任務を続けることになると伝えられました。 外務省外交関係研究所での短期集中コースを終了し、私は外交官となり、科学担当公使としてイスラエルに駐在しました。イスラエルが初の赴任地になりました。イスラエルで3年間駐在し、その後はワシントンD.C.で5年間、そしてトルコで3年間駐在し、ミッションを行ってきました。 その後に本国に戻って外交アカデミーの理事長を3年間務めた後、駐日ウクライナ大使に任命されました。このことは大変うれしいと思っています。 日本はウクライナにとって非常に重要であると同時に、文化的にもとても興味深い国です。いままで 4か国に駐在を任命されるのは非常に異例であったこともあり、外交官として幸運であったと思っています。 先日、岸田総理がウクライナを訪問されました。 日本はアジアで最初にウクライナへの公的支援に踏み切った国の一つであるということを考えると、この関係の特殊性をどう見ていますか、また今回の訪問についてどう思いますか。 これにはとても驚きました。 大使として着任したときにも、ウクライナでも日本のことをどれだけ知っているかを実感しました。 ウクライナ人は日本に次いで世界で2番目に多くの寿司を消費しています。 ウクライナ人は黒澤明、渡辺、北斎の作品をよく知っています。 ウクライナではすべての都市に武道のトレーナーがおり、日本語を学べる学部がある大学は全国で12校あります…
ロクサンヌ・ドゥ=ビルデルリング駐日ベルギー大使は、このインタビューにおいて新型コロナウイルス感染拡大以降のベルギーと日本の文化的なつながりの強化、維持の重要性について語っている。その分野は、経済発展、持続可能なエネルギー利用という観点にとどまらず、女性の権利、ジェンダー平等、LGBTQコミュニティなど、顕著な現代的課題との関連にまで及ぶ。さらに漫画など、ベルギーと日本が共有する文化的慣習の重要性、美食、サイクリング、ジャズ音楽など、サブカルの分野でもベルギー文化の強みを支持することにも触れている。 ロクサンヌ・ドゥ=ビルデルリング駐日ベルギー大使インタビュー 質問:ベルギーと日本は共通の価値観や関心を持っており、そこからも友好的な二国間関係を築いてきているとお聞きしております。最近の経済ミッションの訪日によって、その関係はどのように発展したのでしょうか。 最近、東京で行われた経済ミッションは大成功を収めました。ベルギー経済ミッションとしては過去最大規模の来日となりました。ミッションには企業、各業界団体、学識経験者など多様な分野から575名が参加しました。その目的は、グリーン・トランスフォーメーション、デジタル・トランスフォーメーションの課題の取り組みでは、クリーンで革新的な技術に明確に焦点を当て、両国間の経済関係を更新し、強化することにありました。現在は技術革新と脱炭素化における持続可能なビジネスと投資の機会の実施をフォローアップする必要があります。 私はこのミッションを通じ、ベルギーと日本との関係の深さと多様性を確認することができました。この3年間、私たちが取り組んできたことの集大成のような気がしています。 このミッションは現在のベルギー国王陛下の妹であるアストリッド王女殿下が率いています。その背景には、日本の皇室とベルギーの王室が非常に親密な関係にあることもあります。その関係性は両国の関係を近くする要因のひとつともなっています。 質問:日本における女性の社会的地位向上について、個人的なご見解やお気づきの点があればお聞かせください。 このテーマは、私たちの今回の経済ミッションの重要な側面でもありました。12月9日に、同志社大学で「ビジネスと人権-ビジネスにおける男女平等に対する若者の意識-」と称するセミナーを開催致しました。このセミナーは男女共同参画に焦点を当てたビジネスと人権に関する内容でしたが、非常に満足な結果が得られました。このセミナーのために同志社大学を選んだのは、ベルギーとの提携があったからです。同志社大学はベルギーと活発な交流があり、女性の学長がいる名門大学です。私たちは男女平等の問題、労働市場への期待、企業が女性を支援・登用するために十分な取組みを行っているかなどについて、学生たちに自分の考えや意見、認識を表明するよう学生に語り掛け、奨励いたしました。そしてその反応を聞いた後で、パネルディスカッションを行いました。このディスカッションにはパネラーとして、著名な女性経営者2名とベルギービジネス連盟の会長が参加しました。 日本では、女性が母親や配偶者としての役割とキャリアを両立させたいと考えていることもあり、この問題に強い関心を寄せていますね。私の個人的な経験からも、安心してキャリアをもつことは可能だと若い女性には伝えたいですね。私は幸運にも、サポートしてくれる夫に出会いました。もちろんこれは私の視点であって、他の女性も同じというわけではありません。私は闘う必要がありませんでした。このような機会に恵まれたことは、とても幸運でした。もしそうした私の経験が他の女性の役に立つのであれば、喜んで共有したいと思っています。 日本では、女性のロールモデルが少ないという共通の認識があるようです。多くの若い女性は今、男女平等を支持しており、また、それを推進する女性を日本国外に求めています。 ですが、日本にも良い例がいくつかあります。私が出会った多くのロールモデルと思える方々は、若い女性と意見を交換し、関わり合いたいと考えているようですね。ですが、そうするためのプラットフォームがいつも用意されているわけではありません。私たちは、男女平等と女性の社会的地位向上に関するイベントをいくつか開催しています。2年前には、STEM(「Science」(科学)、「Technology」(テクノロジー、実用学)、「Engineering」(工学)、「Mathematics」(数学))で活躍する女性についてのイベントを開催いたしました。その際、ロールモデルとなる方々を数名招待いたしました。また、この分野に関心のある女子高生を招き、少人数のグループでロールモデルとディスカッションも設けました。日本の若い女性にとって、このようなテーマについて相談できる人を見つけるのは難しいかもしれません。そういった背景もあり、彼女たちは本当に熱心でした。しかし、状況は変わりつつあると思います。私はよく他の女性大使や同僚と会い、この問題に関心を持っている人たちに声をかけるようにしています。日本は最近、「国際女性会議」の開催を終え、新型コロナウイルスのパンデミックに直面する女性の社会的地位向上について取り上げました。現在の日本政府はこの問題を推進し、支援することに熱心であることが明確になりました。 質問:大使は着任されて3年ですが、その間に世界経済の浮き沈み、新型コロナウイルス感染拡大状況も目の当たりにされていらっしゃいました。2023年に向けて、今、お仕事は通常に戻ったと感じていらっしゃいますか? まだ通常な状態には戻っていないと思います。まだ新型コロナウイルスが意識にある人もいます。しかし、活動のレベルという点では、以前の状態に戻りつつあるのは確かです。また、伝統的行事が再開されつつあることも実感しています。人とのつながりも少しずつ復活しています。そういう意味では、私たちの今回の経済ミッションの来日は良いタイミングだったと思います。徐々にではありますがもどりつつあります。ですが、まだ新型コロナウイルスのパンデミックから完全に解放されたわけではありません。 Q:日本ではベルギーの文化はどのようにとらえられているのでしょうか。また、ベルギーへの日本人観光客は増えているのでしょうか?今年の動向はいかがでしょうか。増加傾向といえますか。 日本でのベルギーのイメージはとても良いと思います。まず、日本の投資家はベルギーにおいて強い存在感を示しています。日本のみなさんがベルギーに抱いているイメージは、高品質の消費財、仕事、観光、芸術という4つの要素が含まれており、また重要です。2015年10月にはブリュッセル – 東京間の直行便が再就航となったこともあり、日本のビジネス関係者、観光客にとってベルギーは非常に魅力的な国となっています。ベルギーの「チョコレートとビール」のイメージは、日本ではとても重要なブランドであり、さらに質の高いガストロノミー、工芸品、歴史と伝統の国としても捉えられています。私たちはこれまで、日本人観光客のベルギー訪問を制限したことはありませんが、ここ数年の渡航制限は観光客の来訪の妨げになってきました。現在では、すべての制限や措置が解除されています。ヨーロッパと日本を結ぶフライト便数にはまだ制約があります。これは多くの航空会社がロシア領空上空の飛行を避けているためで、ウクライナ戦争の影響が大きいと言えます。 質問:漫画『タンタン』など、両国で漫画の人気があることはよく知られております。日本ではベルギー文化のどのような点が重要だと思われますか。 ステレオタイプに対抗したいと思いつつも期待があるため、ある意味ステレオタイプを維持することになってしまいます。ベルギーといえば、チョコレート、ビール、フライドポテトなどにも代表されるように、ポジティブなイメージがあります。しかし、それ以外の側面も強調したいのです。例えば、ベルギーと日本が共有している文化的な側面には漫画が含まれます。この伝統的流れは、日本の漫画文化につながるものです。「タンタン」は、残念ながらフランスの漫画のキャラクターと間違われることもあります。他にも漫画『スマーフ』は知られているかもしれません。 しかし、それ以外にも私たちは非常に興味深い文化的側面を強調したいと考えています。ベルギー経済ミッションの期間中、京都でベルギーのアーティスト、ジャン・ミシェル・フォロンの展覧会も開催することができました。美しい絵画、彫刻、素晴らしい写真を制作するアーティストです。 また、「ベルギー文化のもう一つの大きな特徴はジャズです。サックスがベルギーで発明されたという事実がそれを物語っています。優れたジャズ・ミュージシャンが多数います。スポーツでは、サッカーベルギー代表の「赤い悪魔」も知られています。また、ベルギーはサイクリング文化でも知られています。私は日本で開催されるサイクリングイベントに数多く招かれています。そのひとつですが、さいたま市の「ツール・ド・フランス さいたまクリテリウム」はベルギー人が出場し、優勝しました。現在の自転車競技の世界チャンピオンもベルギー人です。…
東京の金融仲介企業 Taylor Brunswick Group にてマネージング・ディレクターを務める、トレバー・ウェブスター(Trevor Webster)にインタビュー。ウェルス・マネジメント・スペシャリストとして彼は、メガバンクなどに属さない独立した視点で、日本の外資企業や外国人投資家へ向けて幅広く資産運用のアドバイスを行なっている。 世界では大きな市場であるが、日本ではあまり馴染みのない「ウェルスケア・マネージメント」を、世界的な視点で顧客に提供している。 インタビューでは、先行きが見えずらいこの時代における、長期的なリスク管理、財務計画のヒントを聞いた。 インタビュー動画はこちらから: トレバー・ウェブスター:LinkedIn Taylor Brunswick
最高級ホスピタリティの専門家であるマーティン・フラックは、 パーク ハイアット、東京ヒルトン、オークウッドなどのトップクラスのラグジュアリーホテルで20年以上の経験を持つ。そんな、ホスピタリティの達人に、日本が再び外国人観光客へ国境を開くのはいつになるか、そして日本旅行をもっと愉しむ為のヒントを尋ねた。 また、コロナ感染症によってホテル業界が受けた打撃、そして回復の為に行った取り組みについて、更に、日本を旅行する方へ、最高のホテルの見つけ方、日本国内で楽しめるエンターテインメント、日本でトライすべき食についてアドバイス!ホスピタリティの達人ならではの、日本で上質な時を過ごす秘訣が盛りだくさん! ======= マーティン・フラック(Marin Fluck)について LinkedIn: https://jp.linkedin.com/in/mfluck
今回のゲストは、日本とイギリスのハーフで俳優、武道家、スタントマンでもあるアンドリュー・コージさんです。アンドリュー・コージさんは、「The Wrong Mans」や「Call the Midwife」などのテレビ番組や、最近ではシネマックスのアクションドラマ「Warrior」などで知られています。現在、GIジョーのスピンオフ映画「スネークアイズ」のために来日しています。ヘンリー・ゴールディングやサマラ・ウィービングなどと共演している本映画では、兄弟であり宿敵でもある、スネークアイズ(ゴールディング)と対決しなければならない忍者、ストームシャドーを演じています。新作ではこれまでのエピソードに比べて、文化的背景、日本刀での戦闘、忍者の文化、ロケーションなどがより本格的になっているとコージは語ります。日本とイギリスのハーフである彼は日本での滞在中に、大好きな日本食や名所を楽しみながら、自分のルーツや家族の伝統を確かめることができたそうです。映画は10月に公開予定です。 [00:50] スネークアイズの日本での撮影について[03:05] 新作映画について、ストームシャドーを演じてみて[05:41] 「Warrior」で演じたAh Sahmについて[08:21] イギリスでの生活について[10:17] 幼い頃、日本で過ごした日々について[11:20] 歳を重ねるにつれてのキャリアプラン[12:28] 日本で好きなレストランについて[13:40] 日本でのナイトライフについて – LEX TokyoとTaka Masuda[15:20] コロナについて思うこと[17:12] 日本滞在期間中に体型を維持する方法[18:18] 武道、カンフー、空手について…
リシャール・ジョフロワが新たに人生の情熱を傾けるという日本酒。彼の日本酒ブランド”IWA”について、コロナ禍での状況、そして彼が愛する醸造について語る。 ドン・ペリニヨンの醸造最高責任者として彼がワイン・シャンパーニュ界で残したレガシーは周知の通りだが、その実り多い約30年を経て、彼は、新たに見つけた情熱である日本酒の醸造を追求するため、ドン・ペリニヨンの責任者を辞職した。 日本での新たな始まり 1991年に初めて訪れた際に日本の魅力に恋をしたと語るジェフロイ、日本が彼のマインドとキャリアに与えた影響について語った。 「調和、バランス、重奏感(注:本稿ではComplexityを重奏感と訳す)についての考え方が、より深いものになりました。人生の新しい章を日本で送ることになったのは私にとって必然で、 ここが究極の場所だった、という事です。 他の場所に移ることは出来ません。私は人生を懸けて調和の美を追求してきましたが、これはどんなものにも当てはめる事ができる、哲学的な見方です。私のプロジェクトのモットーは”出発地は目的地”なのですが、日本は正に私の目的地と言えます。」 IWA 5 が造られるまで 日本酒の醸造技術を習得するために、ジョフロワは一流の職人、デザイナー、専門家からなる夢のチームを結成した。 富山で高く評価されている醸造所、『桝田酒造店』のオーナー桝田 隆一郎氏をパートナーとし醸造所を設立。そして桝田をジョフロワに紹介したという建築家の隈研吾氏、そしてブランドのボトルをデザインした敏腕プロダクトデザイナーのマーク・ニューソンと共にプロジェクトを開始した。 ジョフロワは、自信が成功した秘訣は、人を「組み立てる」能力にあると語る。 「私は長い間、ブレンダー(IWAで用いられているブレンド技法を用いる職人)であることをとても誇りに思っていると言ってきましたが、文字通りにワインや日本酒のブレンダーである以上に、 私は人と人をブレンドして組み立ててきました。人を組み立てる事は、お酒をブレンドするよりもっとやり甲斐があります。 私の生涯、キャリア全体、すべての中での最大の成功は、人々を繋げ、混ぜ合わせ、組み立てる事だと言えます。」 そんなブレンドの結晶である”IWA5”は、富山県立山町にある白岩という醸造所の地名に因んで名付けられた。「5」という数字について尋ねると、彼はそれが調和を表し、醸造の5要素『5種類の酵母、3種類の米、 米の産地(雄町・五百万石・山田錦)、酵母の繁殖、そして発酵』に由来していると説明した。 コロナ禍での醸造 私たちがそうであった様に、リシャール・ジョフロワもまた、パンデミックの影響で仕事に制約を受けた1人だ。現在フランスに留まっている彼は、30年前のドン・ペリニヨン時代から世界中を移動することが当たり前だった。フランスから出られない状況は、彼にとっても大きな変化であった。 「確かに、コロナは私の仕事に影響を与えました。私たち全員が多かれ少なかれ影響を受けたと思います。とても悲しく思います。…
吉松育美 今回のスペシャルゲストは、ミス・インターナショナル2012グランプリの吉松育美さんです。都心にあるホテル、アンダーズホテルの52階で、吉松さんと彼女のマネージャーさんにお話を伺いました。吉松さんは、ミス・インターナショナルのほかに、ハリウッドで女優やスタントウーマンとしても活躍しています。現在は、新しいハリウッドのテレビシリーズのを撮影するために帰国しております。青少年教育プログラム、GSDN(Global Student Diplomacy Network)のプロモーションも行っています。女優やスタントウーマンとしてのキャリアについて語っていただきました。 インタビューを通して、私たちは彼女の情熱や日本人女性としての取り組みに感銘を受けました。またコロナウイルス対策として、免疫力を高めるのに役立つ商品なども紹介していただきました。多くの日本人女性のモデルであり、知的で素敵な吉松育美さんです。 00:24 日本での滞在について01:07 映画でのキャリアについて01:38 新作映画について02:13 映画に向けての体の管理について02:41 スタントの特技 – ヌンチャク03:45 子供へのチャリティについて04:54 女性の権利を守る活動家として、またはストーカーやハラスメントの被害者として、どのように自分の声をあげてきたのかについて09:15 日本人初のミス・インターナショナルになったことについて10:20 アメリカと日本との違いについて11:50 ハリウッドの#MeToo活動について13:36 日本人が前に向かって突き進むために必要なことについて15:20 コロナウイルス対策について15:55 コロナウイルス感染症の予防策として、デンタルスパ・プロを使う際の使用法18:40 …