隠れた名観光地 香川県を訪ねて 金刀比羅宮、書院で最高の日本美術を鑑賞する
香川県にある金刀比羅宮には、美しい建造物、円山応挙ら、日本を代表する絵師による数々の襖絵など、日本の美を満喫する要素がすべて詰まっている。
瀬戸内海に浮かぶ直島を訪れる海外からの旅行者は多いが、金刀比羅宮まで足を延ばす観光客はまだまだ少ない。瀬戸内海を訪れたせっかくの機会、少し足を延ばして、その素晴らしさを見ていただきたい。
金刀比羅宮は、瀬戸内海を望む瀬戸内海国立公園、名勝、天然記念物の指定を受けた景勝の地である象頭山の中腹に鎮まっている。
創建年代は明らかではないが、奈良時代(10世紀初期)にはじまった神仏習合による影響を受け、室町時代頃には金毘羅大権現として幅広い信仰を集めていたとされている。
19世紀中頃以降は、特に海上交通の守り神として信仰されている。荘厳な本殿に参ると、金刀比羅宮が長く見守っている瀬戸内海を見渡すことができる。
ここで紹介する書院はふもとから本殿に上がる中腹にある。
表書院は入母屋造、檜皮葺で、萬治年間(1658‐1660)に建てられたと言われている。
この書院は金毘羅大権現に奉仕した別当金光院が、諸儀式や参拝に訪れた人々との応接の場として用いた客殿という役割を持っていた。金刀比羅宮を訪れる当時の皇族、将軍、大名らを迎える為、その建物の内部の連なる5つの畳部屋の襖には、円山応挙による秀作が残されている。
円山応挙は江戸時代中期の京都画壇を代表する画家であり、円山派の始祖である。
それまでの師による絵手本を見ながら描く伝統的な手法から、実物を観察しながら描く写生の技術を取り入れた。
その応挙が晩年ともいえる50代に取り組み、天明7年(1787年)と寛政6年(1794年)の二度にわたって制作した襖絵「鶴の間」「虎の間」「七賢の間」「上段之間」「山水之間」はそれぞれに違った用途を持つ空間である。
その中でもとくに有名なのは、「水呑みの虎」と「八方にらみの虎」を含む「虎の間」ではないか。
「虎の間」では、応挙は襖16面と言う大きな空間に8頭の虎を描いている。応挙が活躍した時代、日本には虎がいなかった。当時、日本の絵師は虎を描いた絵画、輸入された毛皮や猫を手本として虎を描いた。しかし、応挙は骨の構造を把握することの重要性を説いた絵師でもあった。応挙は中国、朝鮮半島からの虎の画、毛皮などを入手し、解剖学を基礎に虎の姿を想像して描いたとも言われている。そうした当時の事情がある為か、応挙が描いた虎たちの姿は、後年に描かれた虎の姿と比べると、どこか小動物のような可愛らしい印象さえも受けることがある。
応挙の虎たちの様子は様々であるが、いずれも奥行きがない空間に描かれているため、あたかも襖から飛び出してくるような迫力ある動きを見るものに与えている。
川面に顔を寄せて水を吞む2頭の虎は、「水呑みの虎」と呼ばれ、松の木の下で正面を見据えるように描かれた虎は「八方にらみの虎」と呼ばれる。
虎が実在しなかったとは言え、そこには応挙の中で昇華された臨場感に満ちたまぎれもない本物の虎が存在する。応挙晩年の傑作と言われる理由が伝わってくる。
この表書院には、これらの見事な襖絵の他にも見どころが多い。
金刀比羅宮の蹴鞠は香川県の無形文化財に指定されており、表書院前方に広がる庭は蹴鞠を行う会場である。
その中には15メートル四方ほどの平坦な鞠懸(まりがかりー蹴鞠のコート)がある。
その四隅には松、柳、桜、楓の式木が植えられており、それぞれに方角を示している。これらの木はいずれも二股になっており、これは蹴鞠の神、精大明神(しらげだいみょうじん)が宿る依代(よりしろ)であるため、神様が座りやすいようになっているのだという。
金刀比羅宮は、香川県琴平町の象頭山に鎮座する神社として人々の信仰を集め、その土地の人々の心を支えてきた。
更にはこの地の芸術の中心としての役割も担い、表書院、奥書院には伊藤若冲、円山応挙らの江戸時代に活躍した画家の作品が多く所蔵されており、さらには日本で最初の洋画家、高橋由一の作品も多く所有している。
金刀比羅宮が所蔵しているそうした作品群は芸術的に素晴らしく、価値があり、日本を代表する文化財であることは間違いない。海外での評価も高く、フランスのギメ美術館でも大きな展覧会を開催し、高い評価を得ている。
岡山から香川にかけての地域には優れたアートがとても多い。
岡山県倉敷市にある大原美術館はその名声をほしいままにする名美術館であり、直島は現代美術の島として知られる。
せっかくこの瀬戸内をおとずれるのであれば、その千数百段の階段を上り、金刀比羅宮を是非とも訪れていただきたい。
長い階段の途中、表書院で一休みし、応挙の世界に浸るのは本当に素晴らしいひと時だ。人々の信仰を集める荘厳な空間に、最高の美がある。
金刀比羅宮の公式HPはこちらから