バンダ・エル・レコド・デ・クルス・リサラ:メキシコ大使館で来日パフォーマンス


5月2日、「バンダ・エル・レコド・デ・クルス・リサラガ」来日イベントがメキシコ大使館にて開催された。

メキシコの伝統的な楽曲を披露するバンダ・エル・レコド・デ・クルス・リサラ
メキシコの伝統的な楽曲を披露するバンダ・エル・レコド・デ・クルス・リサラ

1938に結成し、シナロア州の代表音楽を世界に広め続けるバンド「バンダ・エル・レコド・デ・クルス・リサラ(バンダ・エル・レコド)」は今回で22年ぶりの2回目の来日となる。

「バンダ・エル・レコドの音楽を届けるため、22年ぶりに戻ってこれて嬉しい 」と話したヴォーカル担当リッキー・ヨクピシオさん。このイベントを主催したメキシコ大使館そしてメルバ・プリーア駐日メキシコ大使にも感謝の気持ちを表した。

バンダ・エル・レコドは多くの代表曲を披露し、大使館会場は大きな歓声で満たされた。

会場を沸かせるバンダ・エル・レコド
会場を沸かせるバンダ・エル・レコド

5月3日から5日の間、お台場デッキで開催された第5回「ラテンアメリカへの道フェスティバル」でも特別ゲストとしてパフォーマンスをしたバンダ・エル・レコド。全世界で愛され日本でもたくさんのファンに迎えられたバンダ・エル・レコドの3度目の来日も期待される。

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    〜アルジェリアと日本の外交関係の樹立を祝って〜 アルジェリアがフランスの植民地支配から独立して今年で60年を迎える。アルジェリア独立戦争と呼ばれるこの戦いは、世界に大きな影響を及ぼした。今年の独立記念日に合わせ、ラルビ·カティ駐日アルジェリア大使が詳細を語っている。 1. なぜアルジェリアはフランスによる132年間もの植民地支配に終止符を打ち、独立を求めたのですか?この独立のためにアルジェリア人が払った代償は非常に高いものでしたが、具体的にアルジェリア独立戦争について教えてください。この戦争はどれくらい続きましたか? 実際、フランスによる植民地支配への抵抗はずっと続いていました。アルジェリア人は1930年6月に始まった70年以上も続いたフランス軍による侵略に当初から激しく対抗しました。1902年に西サハラの占領をもってアルジェリア全土が占領されました。植民地軍によって決行された焦土作戦や不当で残忍な植民地制度をはじめとして、アルジェリア人に課せられた暴力と非人道的な生活条件の悪化により、結果的に何百万人ものアルジェリア人が犠牲となりました。アルジェリア人に広く適用された原住民という身分は、一種のアパルトヘイト政策でした。その後、アルジェリア人による抵抗は、独立という理念を諦めることなく植民地制度に終止符を打つための政治的闘争に発展する形をとりました。 2. なぜアルジェリア人は、これほど高い代償を払ってもフランスからの独立を望んでいたのでしょうか?アルジェリア革命の理念と目的は何でしたか? 1954年11月1日に始まった独立戦争は、ほぼ8年間続き、それまでの闘争の集大成となりました。強行的な植民地制度により土地を奪われ、無国籍者になりかねないことを確信し、アルジェリア人は武力闘争が唯一の抵抗手段だとの判断を下し独立戦争に突入しました。アルジェリア人は、祖先の土地と自由を取り戻すために大きな代償を払いました。この独立戦争は20世紀で最も凄惨を極める戦争の一つと言っても過言ではありません。 アルジェリア革命の目的は言うまでもなく、民族独立であり、132年間にわたり奪われていた領土全体において主権行使できるアルジェリアという国家の回復でした。アルジェリア革命の理念は断固として普遍的で進歩的であり、全世界の人々の支持と共感を得ました。 3. アルジェリア革命は、世界、特にアフリカ大陸における脱植民地化プロセスをどれ程加速させましたか? アルジェリア革命は、1950年代後半に西アフリカのいくつかの国の独立が達成されたことにより徐々に激しさを増していった脱植民地化プロセスを一気に加速させたと言っても過言ではありません。アルジェリアは、アフリカ大陸の脱植民地化の達成および南アフリカにおけるアパルトヘイト政策の撤廃を外交政策の優先事項と定めていました。このように、アルジェリアは、ギニアビサウ、ナミビア、アンゴラ、モザンビーク、ジンバブエ、南アフリカ、ベトナム、東ティモールおよびベリーズでの解放運動に政治的、外交的、物質的な手段を提供してきました。ネルソン・マンデラは、民族解放軍で軍事訓練を受けました。アパルトヘイト政策撤廃においてアルジェリアが果たした役割への感謝の意を表するため、釈放後最初にアルジェリアを訪問しました。 アルジェリアは、これらの理念を確信し、民族自決と独立に対する正当な権利行使のための闘争において、パレスチナと西サハラを支持しています。 4. 独立戦争中の1958年に東京に民族解放戦線の代表事務所を開設されましたが、日本からどのような支援を受けましたか?この支援は、その後の両国の友好関係の発展に役立ちましたか? 1958年の東京代表事務所の開設は、日本だけでなく、遠いアジアの国々にもアルジェリアでの革命を知らせると同時に、フランスによるプロパガンダを阻止する必要性に応えたものです。この事務所は、アジアの人々の政治的支援を動員する上で非常に有用な役割を果たし、日本の著名人やさまざまな機関の力強い支援のもとで設立され、機能していました。谷口侑氏は、アルジェリアの大義を早い段階で共感し、当該事務所で通訳者を務めたうえ、会報「News of Algeria」の発行に貢献されました。その後、谷口氏はアルジェリア政府から受勲されました。また、弁護士であり、日本弁護士協会会長でもある長野氏、アルジェリア人の闘いについての作品を発表した作家でジャーナリストの淡徳三郎氏、共産党衆議院議員およびアフリカ・アジア委員会会長である松本氏、自由民主党衆議院議員であり、それぞれアルジェリア支援委員会の理事長および書記長であった北村徳太郎氏および宇都宮徳馬氏にも、また、原爆および水爆を禁止する国際会議、労働組合SOYOおよびZEROにも、この場をお借りして敬意を表したいと思います。アルジェリア革命を支援してくださった方々は日本に数多くいらっしゃいます。この機会をお借りして、アルジェリア人の闘争に対して強い信念を持って我々を支援してきてくださった、これらの方々に対して深い賛辞を送りたいと思います。 5.  アルジェリア人の気質とアルジェリアの将来についての大使としてのビジョンを教えてください。 難しい質問ですが、アルジェリア人の気質については、自由、強靭さ、寛大という三つの言葉で表現することができます。アルジェリア人の自由への愛着は、ベルベル文化が根本にあるからと言えます。「ベルベル」という言葉は、自由人を意味します。強靭さに関しては、アルジェリア人の数千年の歴史の中で直面した多くの試練を克服する能力を表しています。最近では、アルジェリアが国境を越えたテロリズムによって行われた激しい闘いで勝利を収めました。寛大さにつきましては、アルジェリアを訪れたすべての人々は、その風景の美しさだけでなく、人々の温かいもてなしにも魅了され続けています。 アルジェリアの将来についてのビジョンですが、現在、我々の国は発展途上国から次のステージに上がるための大きな局面をむかえているといえるでしょう。飛躍を難しくしている要因は主に不均衡な国際経済秩序によるところであり、そのために長年経済的に不利益を被ってきました。 しかし、アルジェリアには自然、人的資源、そして地理的条件という多くの利点もあります。また、教育には大いに力を入れてきており、各レベルにおいて無償化を保障しています。こういった点は将来的に必ずや今日の社会経済的課題を凌駕するべく有利な決定的手段になると、私はポジティブにとらえています。 【関連記事】 はじめまして。 アルジェリアと日本ー60年の友好を祝って 母と娘の物語…