リシャール・ジョフロワ/調和・バランス・重奏感
リシャール・ジョフロワが新たに人生の情熱を傾けるという日本酒。彼の日本酒ブランド”IWA”について、コロナ禍での状況、そして彼が愛する醸造について語る。 ドン・ペリニヨンの醸造最高責任者として彼がワイン・シャンパーニュ界で残したレガシーは周知の通りだが、その実り多い約30年を経て、彼は、新たに見つけた情熱である日本酒の醸造を追求するため、ドン・ペリニヨンの責任者を辞職した。 日本での新たな始まり 1991年に初めて訪れた際に日本の魅力に恋をしたと語るジェフロイ、日本が彼のマインドとキャリアに与えた影響について語った。 「調和、バランス、重奏感(注:本稿ではComplexityを重奏感と訳す)についての考え方が、より深いものになりました。人生の新しい章を日本で送ることになったのは私にとって必然で、 ここが究極の場所だった、という事です。 他の場所に移ることは出来ません。私は人生を懸けて調和の美を追求してきましたが、これはどんなものにも当てはめる事ができる、哲学的な見方です。私のプロジェクトのモットーは”出発地は目的地”なのですが、日本は正に私の目的地と言えます。」 IWA 5 が造られるまで 日本酒の醸造技術を習得するために、ジョフロワは一流の職人、デザイナー、専門家からなる夢のチームを結成した。 富山で高く評価されている醸造所、『桝田酒造店』のオーナー桝田 隆一郎氏をパートナーとし醸造所を設立。そして桝田をジョフロワに紹介したという建築家の隈研吾氏、そしてブランドのボトルをデザインした敏腕プロダクトデザイナーのマーク・ニューソンと共にプロジェクトを開始した。 ジョフロワは、自信が成功した秘訣は、人を「組み立てる」能力にあると語る。 「私は長い間、ブレンダー(IWAで用いられているブレンド技法を用いる職人)であることをとても誇りに思っていると言ってきましたが、文字通りにワインや日本酒のブレンダーである以上に、 私は人と人をブレンドして組み立ててきました。人を組み立てる事は、お酒をブレンドするよりもっとやり甲斐があります。 私の生涯、キャリア全体、すべての中での最大の成功は、人々を繋げ、混ぜ合わせ、組み立てる事だと言えます。」 そんなブレンドの結晶である”IWA5”は、富山県立山町にある白岩という醸造所の地名に因んで名付けられた。「5」という数字について尋ねると、彼はそれが調和を表し、醸造の5要素『5種類の酵母、3種類の米、 米の産地(雄町・五百万石・山田錦)、酵母の繁殖、そして発酵』に由来していると説明した。 コロナ禍での醸造 私たちがそうであった様に、リシャール・ジョフロワもまた、パンデミックの影響で仕事に制約を受けた1人だ。現在フランスに留まっている彼は、30年前のドン・ペリニヨン時代から世界中を移動することが当たり前だった。フランスから出られない状況は、彼にとっても大きな変化であった。 「確かに、コロナは私の仕事に影響を与えました。私たち全員が多かれ少なかれ影響を受けたと思います。とても悲しく思います。…