エルフ・モノド・オノラ ハイチ大使インタビュー

ハイチ共和国特命全権大使のエルフ・モノド・オノラ氏から大使になるまでのキャリア、日本とハイチの関係と見解、世界が愛する活気に満ちたハイチの文化についてお話しいただく機会を得た。

議論は両国間の貿易関係から、大使執務室に並ぶラム酒のボトルにまで及んだ。 両国間の今後の関係性に対するオノラ大使のビジョンは、交友関係だけでなく経済発展への大きな可能性を含んでおり、希望にみちた明るい未来への道しるべとなるものである。

パートI〜キャリア〜

日本に来たきっかけを教えてください。

重要な質問ですね。私は、幼い頃から自分が住む世界とは全く違った新しい文化を発見するために世界を旅することを夢見ていました。

日本への憧れは、私が子供だった1990年代に遡ります。当時、父が自宅にビデオデッキを持っていたことを覚えています。 日本製でサンヨーが作ったビデオデッキでした。父に、このビデオデッキはどこから来たのか聞いてみると、「日本からだ」と言われました。その時に、いつかこの国、日本に行きたいと思いました。

2020年10月7日に信任状を天皇陛下に捧呈し、駐日特命全権大使となりましたが、実は日本との関係はもっと前に遡ります。ハイチの大学で経済学と統計学の学士号、マルティニークのアンティル・ギアン大学法経済学部で経済政策の修士号を取得した後、2008年に神戸大学大学院博士課程に入学したところから私の日本との関りがさらに深まりました。

神戸大学で経済学を習得した後、ハイチ共和国の外務省に採用され、駐日ハイチ大使館で一等書記官として働き始めました。ハイチの外務省には日本の専門家がいなかったので、日本で生活経験のある私に白羽の矢が立ったのでしょう。

より専門性を高めたかった私は、2016年からカナダにあるトロント大学の公共政策ガバナンス学部(SPPG)に入学し修士号を取得しました。2017年には、故ジョブネル・モイーズ大統領の経済顧問に就任しました。その後、2019年5月に大臣兼カウンセラーとして日本に戻り、2020年6月に臨時代理大使、2020年10月に特命全権大使に任命されました。

振り返れば、カリブ海にあるフランス海外県・マルティニーク島で学び始めた時、初めてハイチ以外の国を知った私の心に母国に貢献したいという思いが強く芽生えたような気がします。 母国への貢献という志を胸に抱きながら、日本を選んだのには、2つの理由があります。1つ目はその学問的資質と卓越した豊かな文化、そして、2つ目は私が知り得ない異なる冒険が目的でした。それ程までに、アジアの一国である日本は私たちにとって非常に未知の地域でした。

パートII〜2国間関係〜

ハイチ共和国特命全権大使 エルフ・モノド・オノラ氏
ハイチ共和国特命全権大使のエルフ・モノド・オノラ氏

ハイチと日本の関係について、まず近代の歴史から伺えますか

両国の外交関係は、第二次世界大戦前の1931年に始まりました。これは神戸に最初の領事館を開設したことから始まっています。ですが結果として、ハイチは日本との正式な関係を維持できませんでした。しかし、戦後の1956年、東京に大使館が開設され、両国の正式な関係が再開されました。ハイチは日本に大使館がある数少ないカリブ海諸国の1つです。

ハイチが現在直面している課題、日本政府とハイチ政府の協力の経緯を教えてください。

ハイチは日本から多くのことを学んでいます。特に、戦争や災害から復興する日本の底力でしょうか。

私がまだ日本で学生だった2010年、大地震がハイチを襲いました。地震によってハイチは壊滅状態となり、20万人以上の死者を出しました。この地震という自然災害によって多くの友達も失いました。 その1年余り後、さらに大きな地震が日本を襲いました。しかし、日本はこの「東日本大震災」という打撃に耐えることができ、復興の途上にありました。しかしハイチには、同じことは言えませんでした。

約1年の差はあっても両国が大地震に襲われたのは、共にいくつかの構造プレートの境界に位置しているという立地に原因があります。その地理的な条件は、両国が、このような大きな自然災害が起きるリスクを抱えていることを示しています。しかし、このような自然災害が発生した後、ハイチが国土を再建し、復興を遂げるには、日本の復興する力から学ぶ方法を見つける必要があります。現実には日本は耐震技術を備えた主要な国の1つです。

まずは地震の管理方法を学ぶ必要があります。今年8月にも大きな地震がありましたが、その後に日本政府は、国際協力機構(JICA)を通じて多大な支援を提供して下さいました。さらにはハイチの一部の再建を助けるための資料も提供してくれました。しかし、私たちに出来る事はまだまだあると思います。

ハイチ再建の一歩として、ハイチのエンジニアを日本に派遣し、災害対応システムや技術について学び、日本政府との協力関係を築いていきたいと考えています。エンジニア達を通して、災害が発生したときに何をすべきかを子供たちに教えることもできます。ハイチでは、そうした情報が十分ではありませんので、積極的に行っていきたい分野です。今後も地震が発生する可能性が非常に高く、日本から防災等を学ぶことは、将来の更なる損失を防ぐのに役立つことと確信しています。

ハイチは地震だけではなく、ハリケーンも定期的に発生していますね

はい、その通りです。ハリケーンはほぼ毎年発生します。ハイチ政府と国民の双方がそうした災害に対する意識を高め、家を建てるために適切な土地の選定ができるような仕組みを開発するべきだと考えています。

例えば最近、ハイチ政府は建物の耐震性を向上させるための様々な対策を実施しています。その一環として、日本の耐震設計や耐震建材について学ぼうとしています。日本の技術面だけでなく、その精神も学ぶべき点であると思います。 日本人は誇りと将来のビジョンを持っているだけでなく、自然災害の後に再建するための大きな勇気と力強い精神を持っています。ハイチ人も同じような精神を持ち、自国の発展に貢献することを願っています。

日本からの支援はどのような内容ですか?

日本赤十字社が国際赤十字社と緊密に協力し、資金調達によりハイチを支援しました。また、日本政府は2010年の地震以降、学校の再建に資金を提供しハイチの教育制度を支援しています。ハイチは日本政府からの政府開発援助(ODA)の受益者でもあります。昨年、新型コロナウィルス感染拡大のパンデミックが始まった際、医療機器の購入資金なども含め、多くの支援を戴きました。

両国間で進行中の重要な協力体制について教えてください。

まず初めにお伝えしたいことは、高等教育への奨学金が大きな力となっているという事実です。日本からの 奨学金は、日本のソフトパワーを促進、強化するだけではありません。将来のリーダーへの投資、つまり誰もが平等に教育を受ける環境の整備はハイチにおける持続可能な発展に欠かせないものです。

実は私が2008年に来日したのも文部科学省の奨学金プログラムがあったからです。ですから、両国の相互理解と友情をどのように深めてきたのか、言ってみれば私こそが、その生きた証です。

実は、昨年4月から独立行政法人国際協力機構(JICA)がハイチの大学との協力によるプログラムを開始しました。このプログラムは、ハイチの学生が日本の社会、文化、発展の過程を理解できるように、日本の大学院で各学問分野において学ぶ機会を学生に提供しています。

さらに、日本の外務省と協力し、JICAがハイチの外交官に提供しているトレーニングプログラムについても触れなければなりません。このプログラムは9か月に渡り日本に滞在し、日本語を勉強し、外交的な仕事をするためのトレーニングを受けることができます。残念ながら新型コロナウィルス感染拡大のパンデミックのために、2020年と2021年にはプログラムが開催出来ませんでしたが、来年からプログラムを再開出来ることを願っています。また、領海域における漁業振興のための技術指導、IT教育、事務処理管理能力の向上といった分野での協力が喫緊の課題です。

日本にハイチの姉妹都市はありますか?

いいえ、ありません。しかし、今年の東京オリンピック開催によってホストタウンというプログラムがありました。愛知県の幸田町という小さな町がハイチのホストタウンになりました。これは素晴らしい経験でした。この経験からも、今、ハイチはハイチの都市とのいくつかの姉妹都市を持つことを目的に、こうした関係を継続したいと考えています。

パートIII〜貿易〜

ハイチの貿易関係、コラボレーションについて教えてください

ハイチにとって主要な経済セクターは農業であり、日本にとっての最も重要な農産物はコーヒー、カカオ、マンゴーです。

ハイチは山岳国であるため、植民地時代からコーヒーは非常に人気があります。個人的には、ハイチのコーヒーは世界で最高のコーヒーの1つだと思います。現在、ハイチでのコーヒー生産量増産という点で協力を拡大しようとしています。日本市場でハイチコーヒーの販売を増やすため、日本企業と交渉中です。来年は、日本でもっとハイチのコーヒーを飲みたいと思っています。また、ハイチのココアの輸入も目指しています。現在、日本でチョコレートを生産する為に、日本企業とハイチのカカオを紹介するための話し合いが行われています。

もちろん、観光もハイチにとって重要なセクターです。残念ながら、政情不安と新型コロナウィルス感染拡大によるパンデミックが続いているため、このセクターは苦戦しています。しかし、カリブ海の島国であるハイチには、さまざまな素晴らしいビーチや自然保護区があり、より多くの観光客を魅了していくため、努力を重ねています。また、観光客がハイチを訪れ、その魅力を最大限に感じ、楽しめるいくつかの国立ストーリーパークもあります。

ところで、大使執務室に並んでいるボトルについて教えてください。

これらはハイチの有名なラム酒のボトルです。4年ものから15年ものまで様々ですが、とても良いラム酒です。ハイチのラム酒は世界中の人々に愛されています。ご存知かもしれませんが、かつてのスペイン、フランスの植民地時代には、ハイチの最初の農産物はラム酒の主成分であるサトウキビでした。

大使執務室に並ぶ、ハイチ産ラム酒のボトル
大使執務室に並ぶ、ハイチ産ラム酒のボトル

パートIV〜文化〜

ハイチのアート音楽に代表される文化の特徴、影響力について教えてください。

ハイチの文化は、ヨーロッパ、アフリカ、カリブ海の影響が混ざり合っているため、非常に豊かです。ハイチのアーティストは、ハイチにおける日常生活の現実からインスピレーション得て表現することが特徴です。そこから生まれるアート作品は、非常に活気に満ちており、世界的に評価が高く私たちの誇りです。カトリックとアフリカの先住民の精神的な影響が混在するという宗教的な側面もまたハイチの文化には重要なポイントです。

さらに、ハイチのアートには芸術家自らの愛や情熱、愛国心と信仰など多くの要素が含まれています。文学、絵画、音楽、ダンス、料理に至るまで、あらゆる形態でハイチのアートは、観る者の魂に触れます。それは、芸術家達が魂を彼らの作品に注いでいるからです。

駐日ハイチ共和国大使館には、多くのアート作品があります。私たちは常に、ハイチの様々なアート作品からその魂を感じて働いています。いくつかの作品は、12月24日~27日まで代官山で開催している、ハイチ絵画の展覧会でご鑑賞いただけます。

日ハイチ関係の将来に関して、オノラ使の希望と展望を教えていただけますか。

外交官としての経験は、私に幅広い知識や理解を私に与えてくれました。ハイチと日本の二国間協力の戦略的ポイントを大きく捉えると、教育、リスク・災害管理、農業に分類されるのではないかと考えています。

これまでアジアのほぼ全ての国を訪問してきましたが、世界の中でもこの地域は特に、ハイチにとってチャンスのある地域になり得ると信じています。また、この地域の国々との協力関係を築くことはハイチにとって最大の利益であると私は信じています

なかでも、日本との外交に長年携わってきた経験から、文化的、政治的、経済的に交流を深めることがハイチ政府の願いである経済発展における強力な手段となると確信していますし、私が自分を「この仕事に相応しい人」だと考える根拠でもあります。

日本での経験から言えることは、ハイチは災害時のリスク管理や復興の面で日本から学ぶべき事や、協力の可能性が大きい。ということです。さらに、ハイチも日本も周囲を海に囲まれた島国であることから、漁業の分野で、日本とのパートナーシップを発展させることもできます。水産研究全般の発展、特に日本からの技術的なサポートに大きな可能性を見出しています。漁業分野における技術協力、専門的な訓練と科学的研究の協力促進はハイチ周辺海域における資源活用という大きな可能性を秘めています。

ハイチに共和国についてもっと深く知りたい場合、読者はどこに行けば良いでしょうか?

いつでも大使館にいらしてください!ハイチ共和国に関心のある企業、協会ならどなたでも「EXPO(展示会)」を開催できます。その際は、大使館でプレゼンテーションやミーティングの設定や協力も致します。

毎年、秋に開催されるラテンアメリカ婦人協会と大使夫人が主催するチャリティーバザーも交流の場としてお勧めです。ご来場の皆さまは民芸品やアートを購入し、ハイチについて学んでいかれます。また、毎年7月には代々木公園において、「カリビアン·フェスティバル」が開催され、ハイチの音楽、食などを存分に楽しんでいただけます。来年もまたこのフェスティバルができるのを楽しみにしています。

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