ショーナ-ケイ・M・リチャーズ駐日ジャマイカ大使インタビュー

この度、駐日ジャマイカ大使ショ-ナ-ケイ・M・リチャーズ閣下にお目にかかり、お話しを伺う機会を得た。リチャーズ大使の考える日本でのミッション、日本との関わり、駐日大使に至るまでの外交官としてのキャリアを中心に幅広く語って頂いた。このインタビューは、リチャーズ大使自身のキャリアを振り返るだけでなく、女性外交官、日本の女性への貴重なアドバイスともなる。

リチャーズ大使のエネルギー、親しみやすさ、自らを取り巻く文化への誇り、そして日本への深い敬意と称賛は、ジャマイカ駐日大使に任命されたことへの感謝と両国間の生涯にわたる友情により、より深いものとなったことが伝わってくるインタビューとなった。

パートI:ラテンアメリカ婦人会バザーに参加して

駐日メキシコ大使館で開催されたカリブ諸国・ラテンアメリカ婦人会バザーにご参加なさいましたが、どのような印象を持たれましたか。

まずは初めて参加できたことが、とても嬉しかったです。

このバザーには、各国の福祉団体への資金を調達するという目的があり、その意向に深く賛同しています。長年に亘り、このバザーを通じてジャマイカの「子供たちの家」を支援する資金を調達してきました。ですが、昨年は新型コロナウィルスのパンデミックのために開催ができませんでした。今年はこのチャリティーイベントをなんとか開催できましたし、また、私たちが集めた資金によって貢献できることを嬉しく思います。今年の経験を活かして、来年のバザーの開催も楽しみにしています。

バザーへの参加者に、ジャマイカのブースは大人気でした。また、その時は民族衣装をお召しでしたね。

準備期間が短かったので、大使館では数週間でプランをまとめました。当日の飾りつけ、ブース設置は大変でした。ですが、(このイベントの)アイデアも、バザーへの参加もとても楽しみにしておりました。

皆様にお伝えしたかったのは、ジャマイカが持つ活気です。ジャマイカの国旗をご存知ですね。ジャマイカ国旗の色はそれぞれに意味があります。ゴールドは太陽の光と活気を表し、グリーンは天然資源に恵まれたジャマイカの土地を表しています。また、黒は力強く、創造的な人々を表しています。ジャマイカの人々は奴隷制度、困難、逆境に直面してきました。そして常に問題を克服し、前向きに進んでまいりました。ですから、ジャマイカを代表するときはいつでも、この国旗の持つ意味、つまり、活気とジャマイカ人の精神を体現することを心がけています。

私たちジャマイカ人の精神性を考える時、ボブ・マーリーとウェイラーズの有名な曲「ワン・ラヴ」を忘れてはいけないと思います。この曲は英国放送協会(BBC)によって千年の歌に選ばれています。 ワン·ラブとは、連帯、一体感、団結です。 ですから、私たちのブースでは、人々が集まってリラックスし、快適に過ごせることを目指しました。 「Everything is going to be alright  全てうまくいく。」ということです。ジャマイカブースが、そのエネルギー、色、生命を持っていたことを願っています。

ジャマイカのブースには、今年のオリンピックを祝うスポーツセクションもありましたね。

そうですね。東京オリンピック2020を祝うセクションが持てたことはとても嬉しかったです。東京オリンピック2020では、大活躍したジャマイカ人選手を称賛してくれた日本の皆さんに、改めて感謝の気持ちを伝えることができました。特に、2020年のオリンピックは、女性選手が大きな活躍をしたオリンピックでもあったと思います。

昨年2月、ジャマイカの首都、キングストンの日本大使館が主催した天皇誕生日のレセプションで、外務大臣を務めるカミーナ・ジョンソン・スミス上院議員は、「日本は安全、安心で楽しいオリンピック開催するでしょう」と述べています。 私も日本の対応(能力)に対する大臣の信頼には全く同感で、その通りに達成されたことを嬉しく思っています。新型コロナウィルス感染による 世界的なパンデミックの中で、2020年にオリンピックを成功裏に開催できる可能性があったのは、この地球上で日本以外にはありませんでした。日本だけが可能だったと言っても過言ではありません。新型コロナウィルス感染症拡大に直面した危機的状態において、日本人がやり遂げたことを非常に誇りに思っています。

パンデミック禍において、テレビ越しに世界は互いをより親密に感じ、オリンピックを通じて世界的な連帯がもたらされたのではないでしょうか。ほんの一瞬でも、最も必要とされた時に、人々の心をパンデミックから遠ざけていたのではないでしょうか。

連帯ということは、グローバルコミュニティとしての人類と人間の精神にとって非常に重要です。

(オリンピック開催中)ジャマイカのオリンピックチームはとても快適に過ごし、日本について多くを学びました。唯一残念だったのは、折角日本に来たのに、街などを見ることが出来なかった点でした。ですが、選手は皆、準備万端で、安全が確保され、快適に過ごせることに感銘を受けていました。

メキシコ大使館で開催された「ラテンアメリカ・カリビアン・バザール」でのジャマイカブースでのリチャーズ大使
メキシコ大使館で開催された「ラテンアメリカ・カリビアン・バザール」でのジャマイカブースでのリチャーズ大使

ところで、チャリティーバザーの日に、ジャマイカのブースで最も売れた人気アイテムは何でしたか?

最も人気のある2つのアイテムは、もちろんジャマイカ産ブルーマウンテン・コーヒーとジャークシーズニングでした。

ジャマイカのブルーマウンテン・コーヒーは、我々ジャマイカ人の誇りです。ジャマイカのブルーマウンテン・コーヒーは1953年に日本に来ていますので、いわば初代駐日大使と言えます。ということは、私は駐日大使として、コーヒーの足跡を辿っているということですね。

コーヒーは道を開き、単に関係を構築するのではなく、開発関係に至っています。長年に亘り、ジャマイカ・コーヒーを輸入してきた日本の業者は、コーヒーを購入すると共に、(コーヒー農場付近の)学校や道路の整備など、農家のコミュニティにも投資してきました。

このような日本のコーヒー輸入業者の開発アプローチは、日本の政府開発援助における「人間の安全保障」の取り組みを反映したものであり、日本の民間企業も多かれ少なかれ同じことを実践しています。

日本はかつて、ジャマイカが生産するコーヒーの約90%を輸入していました。現在は約70%となりましたが、ジャマイカのコーヒー産業にとって、最も大切パートナーであることには変わりありません。ジャマイカコーヒー輸入協議会(AJIJC)は、4年ほど前に1月9日をジャマイカ・ブルーマウンテンコーヒーデーとして制定しています。

ジャマイカ・ブルーマウンテン・コーヒーは、バランスの取れた滑らかさと素晴らしい香りを備えた最高級のコーヒーの1つです。このコーヒーはブルーマウンテン山脈の限られた場所で最適な温度のもと栽培され、実は手摘みされます。

コーヒーはジャマイカの歴史と文化において非常に重要であり、更に日本とジャマイカにおいては友情の中心であることは確かな事実です。バザーなどの機会にあってもかならず展示し、ジャマイカのベストセラーとして販売するように整えていなければなりませんでした。

フードコートに専用スペースはありましたか?

残念ながら今年はありませんでした。今年は開催までの時間が短く、食べ物は準備しませんでした。ですが、来年はできるでしょう!是非ともジャマイカ料理を召し上がりに来てください。

ですが、私が作ったジャマイカのラムパンチはすぐに売り切れてしまいました。 ジャマイカはラム酒で有名です。世界で2番目に古いラム酒の生産国で、1番古いラム酒の生産国は1703年のバルバドス、次に1749年のジャマイカ、そしてマルティニークと続きます。

ジャマイカはイギリスの植民者が砂糖を生産していた砂糖の植民地だったということもありラム酒作りが始まりました。

私が作ったレシピは、ジャマイカのホワイト・オーバープルーフ・ラム(J・レイ&ネフュー)を使ったものです。 このホワイトラムのアルコール度数は63%です。ご想像のとおり、バザーにいらしていい気持ちになってしまった方々がいらしたようですね。

私のラムパンチのレシピは伝統的でとてもシンプルです。弱いものを4つ、強いものを3つ、甘いものを2つ、酸っぱいものを1つ用意します。フルーツジュース、ホワイトラム、特別なシロップ、ライムジュースの組み合わせです。それに オールスパイスベリー(コロンブスがジャマイカで発見したというスパイス)をいくつか追加します。さらにジャマイカの愛とエネルギーを沢山入れて、人生の「不老不死の薬」へと仕上げます。

交流のための「ロビー」活動の際にもお出ししていますが、この効果は絶大ですね。

日本におけるジャマイカ・コーヒーの歴史を紹介するリチャーズ大使
日本におけるジャマイカ・コーヒーの歴史を紹介するリチャーズ大使

バスケットに入った白い綿がありますが、これについて教えていただけますか。

ジャマイカは日本にコーヒーを輸出しているだけでなく、世界で最も希少かつ最高級の綿、西インド諸島の海島綿(西印度諸島産シーアイランドコットン)も輸出しています。

昨日、長野県を訪れ、信州大学に行って参りました。信州大学は西インド海島綿の研究を行い、トレーサビリティ、生産性、持続可能性に取り組んでいます。大学を訪問した後に、株式会社近藤綿紡績所にも行って参りました。この紡績所では、この綿を高品質の糸に紡いでいます。

この綿は英国貴族に愛され、200年以上に亘って英国のステークホルダーの隠れた名品(お宝)となっていました。日本への輸出が許可されたのは1975年です。以来、長年に亘って日本で人気を博しています。ジェームズ・ボンドはこの綿で作られたハンカチとシャツを愛用していました。まさに世界最高の綿であり、その感触は素晴らしいです。

西印度諸島海島綿
西印度諸島海島綿
パートII:ジャマイカの精神

ジャマイカには、その非常に多様な歴史と共に、文化に由来する強い精神がありますね。ジャマイカが持っている独立した考え方と自由への愛情を感じます。その精神は男女差が無く、平等な機会を提供しているからではないでしょうか。外交官としてのキャリア形成とジャマイカ外務省での業務について教えてください。

自分が外交の世界に入るとは全く考えていませんでした。大学入学を控えていた頃は、歴史、文学、スペイン語が大好きで、テレビのクイズチャレンジに参加した時の学校のクイズチームでは、スペイン語関連の問題を担当していたくらいです。そんなこともあり、誰もが、私はスペイン語に関わる仕事をするべきだと思っていました。私自身もそう思っており、大学入学時はスペイン語を専攻していました。しかし、スペイン語学科長から別の学習コースも学ぶように勧められ、スペイン語以外に、国際関係とフランス語を学ぶ事にしました。

将来のキャリアとしては、スペインのフェミニスト文学を教えたいと大学最終学年の頃は思っていました。スペインでも南アメリカでも、社会における女性の扱いの問題を探求したスペイン人作家が何人かおり、その勉強をしていたからです。

女性のエンパワーメント、困難な状況で立ち上がる女性達、そして社会の中で決められていた女性の役割といったテーマに私は深く惹かれていました。女性が抱いていた疑問、困難、そして女性がどのように乗り越えてきたかが書かれていました。

そのようなことがあって、大学最後の年でもあった1994年初春、大学で開催された就職説明会で、外務省の説明会を聞きに行ってみました。そこで 興味をそそられた私は、外務省の事前面接にその場で申し込むことにしました。

特別なスーツをあつらえて面接に行ったことを覚えています。面接の為に大学に来たのは人事部長たった一人でしたが、私はとても真剣に臨みました。結果、6月に大学を卒業した後に(最初の)集団面接を受ける事になりました。

8月に外務省から集団面接に呼ばれ、無事に合格することができ、1994年9月に他の3人の女性と一緒に外務省に入省いたしました。

その中で今日まで残っているのは私だけです。外交は私が今までに経験した唯一の仕事でもあります。私はジャマイカ外務省の職員であることをとても誇りに思い、情熱を持っています。

ジャマイカの活気と豊かな国土、人々の精神を表したジャマイカ国旗
ジャマイカの活気と豊かな国土、人々の精神を表したジャマイカ国旗

〜日本とのつながり

外交官として受けてきたトレーニングについて教えてください

ジャマイカには外交官のための教育機関がありません。ジャマイカの外務省は規模が大きくないので、研修は主に、海外赴任前の4年間に行われます。また、二国間関係、つまり大きな外務局(外務省)を持つ国々からも奨学金や研修の申し出があります。

例えば、ドイツは発展途上国のジュニア外交官を対象とした6か月間のトレーニングプログラムがあることで知られています。私は1997年にドイツの奨学金を受けることができたので、ベルリンで6か月間に亘って外交官になるための訓練を受けました。外交官としての私は、ドイツ外交の産物であると言えるのではないでしょうか。このプログラムの10周年記念式典に招待され、自分のキャリアにもたらしたものについて語ってスピーチも行いました。この経験をとても誇りに思っています。

日本へのキャリアパスを導いたものは何ですか?

興味深いことに、私の日本へのキャリア作りは一周してもとに戻ってきたという思いがあります。2005年、私は国連軍縮部のフェローに選ばれました。他の30人のフェローと共に、ジュネーブ、ウィーン、ハーグ、ベルリンなど都市の視察を含む2か月の軍縮プログラムに参加しました。このプログラムの中で、日本政府は、参加者が核爆弾の恐怖を経験した唯一の国に触れ、原爆の恐ろしい惨状の現実を学ぶことができるよう、長崎と広島での1週間の研修を提供しました。

9月末に日本に到着したのですが、最後の数日間、広島にいたことを覚えています。その後、平和記念資料館、平和記念公園などを見学しました。その時に、プログラムのコーディネーターから、広島リーガロイヤルホテルでウェルカムレセプションが開催されるので、パキスタンの代表者と一緒に、フェローの代表として挨拶をしてほしいと依頼されました。

その夜に、私が話した内容は今でもまだ残っています。被爆者の皆様と「二度と起こしてはいけない」という見解を共有したことは非常に強い意義がありました。国連で奉仕することがあれば、私はこの広島の被爆者の方々のご意見を持って核兵器の廃絶に取り組み、核兵器のない世界を作ることができるでしょうと付け加えました。

私がニューヨークの国連副大使に任命されたのは8年後のことでした。2005年に広島で約束したことを覚えていましたので、通常であれば、ジャマイカ国連政府代表部の副大使が通常担当するのは予算委員会(第5委員会)の仕事ですが、私は第1委員会、武装解除国際安全保障委員会の仕事を担当することにしました。

この4年間で、核兵器を禁止する条約改正が始まりました。この件には非常に深く関与し、従事してまいりました。私は、核兵器を武装解除して廃絶するための核軍縮の問題の必要性について話す、南半球の途上国からの数少ない女性外交官でもありました。核兵器禁止に関する交渉条約に至る国連での進展においては、非常に積極的に対応して参りました。

2020年に、私は駐日ジャマイカ大使として日本に「帰国」しました。2020年8月には、毎年恒例の被爆者追悼式に出席するために広島に出向きました。16年前、広島で被爆者の皆様に平和を誓った時には、後にまさかこの国の大使になるとは想像さえしておらず、この時は感情が強く揺さぶられました。この日本という国は、私に多大な影響を与え、キャリアと平和、軍縮、安全の必要性に関する取り組みに多大な貢献をした素晴らしい国でもあります。

平和がなければ持続可能な開発はできません。もし紛争・戦争という中にあれば、核兵器であれ従来型であれ、資源は兵器に費いやされます。ですが、世界が平和であれば、開発と平和的イニシアチブをもたらすために資源の最良な使い方ができるからです。

そしてまた、戦争や紛争よりも協力、平和、安全を重視するには、女性が議論を形作る上で、重要な役割を果たしていることは間違いありません。

パートIII:将来の世代のために:女性外交官の仕事とインスピレーション

外交活動において、女性に重要な任務を求めている国からいらしていることは明確です。また、女性外交官のキャリアをより伸ばすために良い環境を提供しているとも思えるのですが、日本における女性外交官の活躍はいかがでしょうか。

そうですね。外交に関わる日本女性をもっと見てみたいですね。日本の女性は高度な教育を受けていますし、より重要なミッションを得て、日本を代表する、重要で平等な役割を担う日本女性を見てみたいと思います。

ジャマイカの女性や他の国の女性と同様に、日本の女性はこの空の半分以上を支えていると思います。そして、それは単なる思い付きだけでなく、その貢献ができるということにも反映されるべきでしょう。

限界はありません。私たちの選択によって、意見を持つ事も、声をあげる事も、そして実行に移すことも出来るのです。

他の文化や社会に触れ、世界の女性がどのような活動をしているかを見ることが、日本女性がどの様に前進出来るかを考えるのに役立つのではないでしょうか。男性よりも貢献しているのですから、平等に参加できるように自分のポジションを得ていくことです。

最初は個人から始まることでしょう。もちろん、私たちの周りには社会がありますが、その社会を理解し、自分自身に問いかけていくことです。「私の夢は何だろう?私は何がしたいのだろう?」と自身に問いかけていくと、助けてくれる人がいることを理解出来るようになります。私は、成功するために女性は互いを助けあうべきだと思います。

年齢に関係無く、ジャマイカ人女性、日本人女性、そして世界中の女性に伝えたいのは、一緒に貢献できるようなクリティカル・マスを作れるよう共に取り組みましょうという事です。

ジャマイカの女性の現在の環境を振り返り、世界の女性の地位を継続的に改善するために、どう貢献し、何に取り組みたいと思っていらっしゃいますか?

もちろん、ジャマイカの女性は多くの課題に直面しています。多くの国と同様に、家庭内暴力に対処しなければなりません。これは世界的な課題でもありますが、新型コロナウィルス感染拡大によるパンデミックは、家庭内暴力を悪化させたと言えます。

ジャマイカ政府は、家庭内暴力によって起こる惨劇への対処に取り組んでいます。ジェンダー問題を担当するジャマイカの担当省は、キングストンの日本大使館を通じて提供された日本の資金援助を元に今年、女性の避難所を改修し、開発することができました。日本政府にはこうした重要な支援を頂いたことに大変感謝しています。

また、世界の女性にとって依然課題となっている、賃金格差の問題にも取り組む必要があります。同一労働同一賃金の徹底が必要です。それは私たちが提唱し続けていることです。

一方、ジャマイカは女性管理職の多さで世界1にランクされています。それだけでなく、政治の女性参画でも更に向上しています。ありがたいことに、昨年は政治参加の女性が増加において、ある程度の成功を収めました。

私たちは、女性のエンパワーメントをこれからも奨励していかなければなりません。「あなたの夢は何ですか?」「あなたの夢が大臣になることであるならば、それは可能なのですから、あなたの夢のために進みなさい。」「確かに難しいですが、可能なのですから。」

世界の国々はジェンダーについて様々な見方をしています。多くの場合、非常に明確であるジェンダーの役割を超えることは困難です。しかし、時が経つにつれ、日本も含めて変化が起こってきます。まさに他の文化に触れることで文化が変化し、適応していくことが国際化なのです。

私は他の社会や文化、経験に心を開いてきました。私にとって、それは自分自身をより豊かにすることだからです。若い日本人女性にも他の社会、文化、言語を受け入れるように勧めたいと思います。そうすることで、自らの世界観と視野が広がり、重要な問題にもゆとりをもって取り組めるようになるからです。

日本女性革新ネットワーク「Jウィン」の下で3人の女性を指導する機会に恵まれ、まもなく初めてのウェルカムランチを開催します。こうした機会では、自分の経験や課題を共有するだけではありません。この組織の女性幹部、その人々が何を経験して来たかを知り、それから多くを学ぶこともできるので、ワクワクしています。

知識は力であることを我々は理解し、だからこそ、生涯学習とともに、多彩かつ異なる視点からの学習も信頼しています。私はこの指導的といえるメンタリングネットワークにワクワクしています。しかし、20世紀の産物である私は、この21世紀に自身の課題もあるので、若い女性から指導を受けたいとも思っています。若い女性達とお互いの状況や課題を共有していきたいと思います。共により豊かになり、世界を私たちのエンパワーメントで豊かにしていけるのです。

ショーナ-ケイ・M・リチャーズ駐日大使 
ショーナ-ケイ・M・リチャーズ駐日大使 
パートIV:今後のイベント

2022年は、日本とジャマイカの関係にとって非常に重要な年になりますが、今後のイベントについて教えていただけますか。

来年初めには、ジャマイカのブルーマウンテン・コーヒー・デーを祝うイベントを開催します。是非いらしてください。一緒にお祝いしましょう!

2022年8月6日は、ジャマイカの独立60周年です。 また、J-J(ジャマイカと日本)のパートナーシップは2024年に60周年を迎えます。2024年には日本とジャマイカ二国間の外交関係樹立60周年を祝します。また、6月には、日本側の主催により、レゲエと料理についての小規模なフェスティバルも予定しています。

私たちの最も重要な二国間関係のひとつである日本との関係のために、最善を尽くしたいと思っています。この二国間の関係をさらに高いレベルにまで成長させたいと心から願っています。

リチャーズ大使、インタビューにお応え頂き有り難うございました。改めて、ジャマイカと日本の関係への多大な貢献に心からの感謝を申し上げます。

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フェスティバル・ラティノ・アメリカーノ2021・チャリティーバザール の記事はこちらから

ジャマイカ大使館公式HPはこちらから

 

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    世界一のシェフと呼ばれる日本人、松久信幸。世界を飛び回るこのシェフにはなかなか会えないという。幸い、ある日の午後、ホテルオークラにほど近い、日本のNOBUでお目にかかることができた。 すっきりと刈り上げた頭髪、やや日焼けした顔に真っ白なコックコートをまとってその人は現れた。70歳を超えているとは思えないエネルギッシュな歩き方と屈託のない笑顔が印象的だ。 世界の人々を癒し、虜にしてきたそのビジネスの手腕は誰もが注目するところだ。NOBUの総帥はどんな哲学をもってそのビジネスを育ててきたのだろうか。 お話しをお聴きするうちに、いつの間にかその哲学の奥深さ、トップとしての懐の深さに深い感銘を受けた。世界の人々を満足させて続ける彼のビジネスには、ファミリー的な考えがあり、古き良き日本の美学があった。 世界一のシェフと呼ばれる男はまた、世界一魅力的なビジネスマンであり日本人だった。すべてのビジネスマン、起業家に読んでもらいたい、忘れられないインタビューとなった。 質問:2020年からの新型コロナウィルス感染拡大にあっても、スピードを緩めることなくビジネスを展開していらっしゃいましたが、それはどうしてでしょうか。 松久:実際にパンデミックになった時には、ビジネスがストップしたところはあります。現実に、ノブのハワイは締めざるを得なくなりました。その他にもいくつか一時的締めたレストランなどはあります。しかし、新型コロナウィルス感染拡大になる前から、我々のプロジェクトは立ち上がっていました。それは、「はい、やります」と言って出来るものではありません。何年も前からそういった話がありましたし、それで新型コロナ感染拡大中でもそのプロジェクトが進んでいたということです。 ですので、実際にパンデミックの最中でも、ワルシャワ、ロンドン、シカゴ、シドニーなどのいくつかのホテルとレストランが、新型コロナ感染拡大という状況にもかかわらずオープンしています。 確かに苦しいという時期もありましたけれども、ある意味、そういう中で新しいホテル、レストランが開店できたということは、僕としては非常にラッキーだったと思っています。これは決して当たり前ではありません。色んな被害が出ていますし、そうした被害にあわれた方もいらっしゃいます。倒産した会社も現実には沢山あります。そんな状況にあっても、現実にやりつづけてこられたというのは、やはりチーム力があったからではないでしょうか。「チーム力」というのが、僕にとっては大きな力になっていると思います。 質問:「チーム力」とは、創業当時から基本としていらしたのでしょうか。 松久:そうですね。当社のコンセプトでしょうか。当社は、本当に最初は小さなところから始めました。いうなれば、パパママビジネスみたいな、ファミリーのビジネスでした。 僕の原点である「Matsuhisa」は1987年に開店しました。最初のNOBUは1994年に開店しています。その当時から、お客さんに喜んでいただくということと、チームによって一つのビジネスを広げていくことを目指していました。 チームというのは、最初はチームではないものです。それが新しいジェネレーション、次の世代が出てくるときに、チームになって行くのでしょう。たとえば、ファミリーであれば、親は息子·娘を教育し、さらに息子·娘は妹弟を教育する。そうすれば、新しいビジネスですから、新しく参加してきた人たちが、育って行きます。 最初はNOBUでウェイターの仕事をしていた人が、今はNOBUのCOOになっている。チームの大切さとは、NOBUの中で育った人間が、今は幹部候補生になっているということにあります。それが一番の強みだろうと思っています。 質問:それは日本的な組織の作り方の一番の強みといえるのではないでしょうか。 松久:そうですね。僕はやっぱり日本人なので、そういうところを大事にしていますね。それとやはりチームを大事にしていって、チームのコミュニケーションが大事だと思います。 質問:チームというのは全てご自分で統括していらっしゃるのでしょうか。 松久:いや、今はもうそんなことは無理です。ですから、たとえばここにいる小林君は、もう21年間NOBUに勤務しており、現在はNOBU東京のGMを務めています。また、アジアにある店舗なども統括しています。シンガポール、フィリピン、マレーシアにも管理する範囲は及んでいます。来月は、オーストラリアに三軒の店舗があるのですが、そこに彼を連れて行って、そこからまたビジネスが広がっていくということになります。ですので、来月は、彼はシドニー、メルボルン、パース、クアラルンプール、シンガポールをずっと回る予定です。もちろん、僕も一緒に回ります。 昔はいつもそうしてやっていたのです。ですが、今はチャンスを与えられた人が次の扉を開けて、次のステップに行くというやり方になってきています。小林君もNOBUコーポレーションのCOO田原君もウェイターからキャリアを始め、初めて会社のトップに登った人達です。シェフでもアジアやヨーロッパのコーポレートシェフ、アメリカのコーポレートシェフも、昔からNOBUで育った人であり、その人たちが責任をもってビジネスを展開し、なおかつ次の世代を育てています。 質問:そうした積み重ねがあってこそ、新型コロナ感染拡大にも関わらず、ビジネスを維持できたのではないでしょうか。 松久:そうですね。乗り切れたのはチームの努力だと思います。しかし、チームというものは確かに大事ですけれども、必ずいいチームがトップになるかと言えば、それは必ずしも「そうだ」とは言い切れないですね。それはなぜかというと、確かに会社の組織としてのチームは大事です。いいチームを持つということは、会社にとっても宝だとは思うけれども、一人ひとりは人間です。今まで僕は何度も見てきていますが、チームの中にあって、自分が統括する立場になったとします。それは今まではその人の努力です。ですが、そこで勘違いをして脱落していった人間もいるのです。 ですから、僕はいつも若い人たちに、「もらったチャンスを掴むのはあなたですよ」と言います。我々は、「チャンスを君たちに与える」というか、ドアを開ける鍵までを渡すことはできます。ですが、いいチームはできましたが、チームリーダーの中には、それを勘違いしてしまって、せっかく掴んだチャンスを逃してしまうこともあります。もったいないです…。…