ドイツ連邦共和国大使館&ゲーテ・インスティトゥート東京

FIFA ワールドカップ・カタール大会 グループ E「日本・ドイツ戦」関連イベント開催

11月23日、日本代表はグループリーグ E 組初戦でドイツ代表と対戦することとなった。この対戦を記念し、各国大使館のE (Embassy)組によるテーブルサッカー対決、e スポーツ・コーナーなど、E(いい)に関連した「e-Kick-off」が開催された。

ここではドイツ代表のクレーメンス・フォン・ゲッツェ駐日ドイツ大使をはじめ、スペイン、コスタリカ、そして日本の各代表が、テーブルサッカー対決で E 組の前哨戦を行った

ここには林芳正外務大臣夫妻、外交官出身の城内実衆議院議員も姿を見せた。城内実は日本政府きってのドイツ通であり、10年余りをドイツで過ごし、ドイツ語にも極めて堪能。過去には現在の上皇様の通訳を務めたこともある。

この日は、午後22 時からは日本対ドイツ戦が3つのスクリーンで中継された。強豪ドイツを相手に日本が交戦を続け、劇的な勝利をもたらした。

日本はかつて、FIFAワールドカップ出場をかけたドーハでの試合で最後の数秒でイランに得点を許したことがある。このゲームでの敗戦によって日本は初めてのワールドカップ出場の機会を逃した。このゲームは「ドーハの悲劇」として知られるが、この度の強豪ドイツチームへの勝利によって、「ドーハの悲劇」は「ドーハの歓喜」へと変った。

日本サッカーは強くなった。しかし、その日本サッカーの歴史はあるひとりのドイツ人監督から始まったことを日本人は忘れることはない。

ドイツ人監督デッドマール·クラマーは1960年、東京Olympic開催を前に、日本のサッカーナショナルチームの監督となる為、日本に招聘された。クラマーはまだ整っていないサッカーの練習場に立ち、何も言わずに指導に当たったという。初歩的な練習の繰り返しは選手から不評を招いたこともあった。しかしその手腕は確実であり、基礎を学んだ選手たちはめきめきと力をつけた。結果、日本代表チームは東京Olympicではベスト8に進出した。その後、1965年には日本サッカーリーグも立ち上がった。1969年のメキシコオリンピックでは、釜本邦茂らの活躍により、銅メダルを獲得している。

クラマーが実現させた元日本代表選手釜本邦茂のドイツ留学に始まり、その後多くの日本選手は海外にでて活躍するようになった。現在の日本代表の多くはドイツのブンデスリーガのチームに参加し、活躍している。

日本のサッカーの歴史はクラマーの貢献なくしては語ることはできない。今から60年以上前、クラマーがゲルマン魂をもって日本人に教えたサッカーは実を結び、世界にも通じるようなチームに育っている。

日本代表はグループリーグを勝ち進み、決勝リーグに進む。どうかドイツチームの分まで奮闘し、上位をめざしてほしい。

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