インタビュー:駐日クロアチア共和国 特命全権大使 ドラジェン・フラスティッチ閣下

古くから有名な観光立国、豊かな食、モダンなテクノロジーと自動車産業駐日大使が語る美しくしなやかな国、クロアチア駐日クロアチア共和国 特命全権大使 ドラジェン・フラスティッチ閣下

クロアチアが長い間、世界の観光客を魅了し続けていることはよく知られている。日本も含め、世界中から毎年、何百万人もの観光客がクロアチアを訪れ、その魅力を探りながら旅を楽しむ。しかし、駐日クロアチア特命全権大使ドラジェン・フラスティッチ閣下は、「観光だけがクロアチアの魅力ではない」と語る。このインタビューでフラスティッチ大使は、経験豊富な外交官の目でクロアチアと日本の関係、貿易関係の主要産業、観光と料理に至るまで、様々な角度からその魅力を改めて語っている。

大使として/日本で過ごす時間について

Q:クロアチア大使として日本に駐在するにあたり、ご家族の反応はいかがでしたか。

私自身、駐日クロアチア大使に就任することを望んではおりましたが、まず実現しないだろうと思っていました。家族も同じように考えていたと思います。息子も娘も日本の古い歴史、豊かな文化、食べ物に恋をしているとさえ言える程でした。特に息子は日本語も勉強していましたし、もちろん、彼の子供の頃のヒーローは日本のマンガのキャラクターでした。

日本への駐在が決まり、家族全員で本当に喜びました。新しい挑戦でもありましたね。 日本は私たちの期待をはるかに超えており、家族全員、この国を愛しています。

Q:2015年から日本に駐在していらっしゃいますね。駐日大使としての時間を振り返り、また、今後はどのような分野で活躍なさりたいとお考えでしょうか。

歴史的にクロアチアは日本に非常に近く、死刑制度の問題などを含めて意見の相違はほとんどありません。両国は志を同じくする国であり、経済の面では、両国はより強い絆も求めてもいます。

日本に駐在するにあたって大統領と首相から与えられたミッションは、両国間の良好な政治的関係を考慮に入れ、貿易と経済を含むあらゆる分野での交流を進歩させることでした。具体的に申せば、両国への投資の増額させることを念頭に置いた貿易取引の取り組みと促進です。

Q:新型コロナウィルス感染拡大の影響はいかがでしょうか。

駐日大使として大切な責任の1つは、日本社会において、その社会の皆さんと交流し、協力し合っていくことです。特に、クロアチアの最大の資産ともいえるのは個人的なコミュニケーション能力です。ですが、いまや日常業務の定番となってしまったオンライン·ミーティングでは、そのメリットを十分に発揮することはできません。

外交レセプション、その他の外交に関わる集会は、大使の多くの責任を促進する上で非常に建設的な機会でもありました。 こうした機会で私は大臣、政治家だけでなく、仲間の大使に会うことができていました。 同時に、日本の経済界の第一人者との話し合いを始めることも可能でした。しかし、 オンラインのミーティングは、特に日本のように個人的な関係を重視する国では、直接対面ができる集まりに取って代わることはできません。

残念なことですが、2020年初頭に新型コロナウィルス感染拡大が始まって以来、そうした多くの機会を逃してしまいました。新型コロナウィルス感染拡大により、重要なイベントの多くは延期、もしくは完全にキャンセルされてしまいました。世界的な新型コロナウィルス感染拡大によって貴重なミッションの遂行が、ある程度妨げられていたことは否定できません。この新型コロナウィルス感染拡大の前に、これまで行ってきた仕事を効果的に行えるよう、再開できるよう、今後は状況が改善されることを楽しみにしています。

Q:両国間貿易で直面している主な課題は何でしょうか?

2020年1月フィンランド大使館にて:左から、中山展宏外務副大臣(LDP)。 ペッカ・オルパナ駐日フィンランド大使、ドラジェン・フラスティッチ駐日クロアチア大使、パトリシア・フロール駐日欧州連合大使
2020年1月フィンランド大使館にて:左から、中山展宏外務副大臣(LDP)。 ペッカ・オルパナ駐日フィンランド大使、ドラジェン・フラスティッチ駐日クロアチア大使、パトリシア・フロール駐日欧州連合大使

特にEUと日本の状況では、過去10年間の貿易関係に多くの進歩が見られました。 2019年以来、経済連携協定と呼ばれる自由貿易協定が締結されており、両国間には戦略的パートナーシップ協定も締結されています。ただし、まだやるべきことが沢山あります。現在のレベルは、達成できると想定された可能性よりもはるかに低いですし、まだまだ満足というレベルには至っておりません。海外での国際貿易および投資の観点から日本企業の好む傾向と選択肢を見ると、クロアチアとヨーロッパ諸国全体が困難な状況であることにも気づかされます。

2021年に向け、日本企業が海外で事業を行うのに好ましい国と地域を知るため、少なくとも海外に一つ以上の支店を持つ日本企業を対象にした年次全国貿易調査が行われました。この調査のランキングで上がったのは、ヨーロッパではドイツと英国の二カ国だけでした。また、これら二カ国でさえ、11位と18位にランクインしているにすぎませんでした。

日本の主要な焦点が米国以外ではアジア広域と東南アジアの国々にあることは否定できません。この事実はクロアチアやヨーロッパの国々にとって、時には苛立たしいことでもあります。ですが、そうした事実があってもクロアチアは日本との貿易関係をさらに改善し、両国の投資の機会を刺激していくことに強い意欲を持っています。

Q:クロアチアと日本の貿易関係の主要産業は何でしょうか?

化学工業と工業造船

クロアチアの経済は観光業を中心に、高所得とサービス産業中心の経済を基本にして発達しています。その他にもクロアチアには化学、製薬産業及び高水準の造船、技術セクターによる強力な貢献で発展した多様化した経済も存在しています。

一例ですが、クロアチアは常に造船をリードした国であり、 1990年代には世界で4番目に大きな造船業を持っておりました。現在、造船業界は、高品質の船舶、ボートなどを特注する富裕層顧客を中心とした豪華ヨットの製造に特化しています。

マグロの養殖

日本との貿易関係では、マグロの養殖はクロアチアの非常に重要な、中核とも言える産業です。他の国とは異なり、日本への主要な輸出製品であるクロアチアのクロマグロによって、日本との貿易では黒字となっています。クロアチアのクロマグロは、日本で入手可能な最も高価で、最高品質の外国産マグロです。多くの有名レストランでも使われ、お客様に提供しています。

最大のマグロ養殖会社の1つは、「カリ·ツナ·クロアチア」です。この企業は、現在、日本企業が株主となっています。観光客は実際にマグロと一緒に泳ぐことさえもできます!

また、カタクチイワシなどの魚の缶詰やイワシの販売も開始しています。海には豊かな漁場がり、それを加工する設備も整っているからです。

テクノロジー

クロアチアには目覚ましい成長を遂げているITセクターがあります。クロアチアの企業は米国を含む世界中に拠点、支店などを持ち、グローバル市場向けのさまざまなアプリケーションを開発しています。特にアジアと日本は非常に重要な市場であり、日本はクロアチアのゲーム開発者にとって第三位となる大きな市場です。 クロアチアの企業は世界をリードしている作品を作り出してもいます。

現在、自動車産業の分野でマテ·リマックという1人の人物を大変誇りに思っています。リマックはクロアチアの電気スポーツカー企業「リマック・オートモビリ(Rimac Automobili)」の創設者であり、また、新設企業ブガッティ-リマックの新任のCEOでもあります。

リマックのグループ会社は世界最速の電気自動車を製造し、バッテリーシステム、ドライブトレイン、その他のEVコンポーネントの製造と供給などのコア技術を、ポルシェ、アストン·マーティン、また、112年の歴史を持つフランスのブランド「ブガッティ」などの自動車メーカーに提供しています。弱冠33歳のマテ·リマックは、ヨーロッパのイーロン·マスクとも呼ばれています。

今年の初めに、リマックは、最高速度が258mphで、2秒未満で0から60mphに跳躍する能力を備えたクワッドモーターの1,914馬力のNeveraを発表しました。クロアチアから日本への最初の一台(車)が今年中に届くことを心待ちにしています。もちろん、日本の自動車産業との更なる協力を期待しています。

観光

世界遺産にも登録されている、ドゥブロヴニク旧市街の城壁
世界遺産にも登録されている、ドゥブロヴニク旧市街の城壁

最後にお伝えしたいのは、クロアチア経済に大きく貢献している産業、観光業についてです。ここで一つの銘文を引用いたします。アイルランドの劇作家、ジョージ・バーナード・ショーは「地上で楽園を探す者は、ドゥブロヴニクへおいでなさい」と述べています。このコメントからもその魅力は十分にお判りいただけるでしょう。

大衆文化ではアドリア海の真珠としても知られているクロアチアの首都ドゥブロヴニクといくつかの人気観光スポットを描いた「ゲーム・オブ・スローンズ」が有名ですが、それだけではありません。クロアチアは撮影の場所としても大変有名です。「マンマミーア!」、「スターウォーズ」、「ロビンフッド」などの映画のシーンのいくつかは、クロアチアで撮影されました。こうした機会からも、クロアチアの観光への関心は高められています。

クロアチアの観光業とは実は大変に古い産業であり、その歴史は170年以上前に遡ります。ハンガリーの君主制の時代にも、地理的にハンガリーから比較的近く、美しい海岸線と周辺への観光を楽しめるので、毎年大変多くの観光客がクロアチアを訪れました。それ以来、クロアチアは常にヨーロッパ、地中海諸国の間で大変に魅力的な観光スポットと見なされてきました。

(新型コロナウィルス感染拡大の影響を受けない)通常は、観光業はクロアチアのGDPの約18%を生み出していますが、これにはプラス面とマイナス面があります。

2019年には、クロアチアには1,800万人を超える外国人観光客がやってきており、2020年度の予測は2,000万人を超えていました。残念ながら、新型コロナウィルス感染拡大により、予想した人数よりは明らかに減少しました。

「比較いたしますと、日本はピーク時、人口1億2,500万人超に対し、海外からの観光客数は3000万人強でした。これに対し、クロアチアの人口は約400万人です。」

明らかに、観光業はクロアチアの経済にとって非常に重要な収入ですが、観光業への依存度が高いがために、新型コロナウィルス感染拡大の影響に対して脆弱になっています。

日本からの観光

クロアチア共和国大使館お勧めガイド「Croatia - The Land and its People -」
クロアチア共和国大使館お勧めガイド「Croatia – The Land and its People -」

2018年には、日本からの観光客は16万人に達しました。 2019年は2018年に比べて10,000人程ですが、日本からの観光客は減少しています。

2019年に起きたこの減少は、日本人観光客の関心の低下によるものではありません。むしろその期間の日本からのクロアチア観光についての関心はかなり高まっていました。残念ながら、オーバーブッキングなどへの配慮などがあり、日本からの需要の増加に対処する能力が十分ではなかったと言えます。新型コロナウィルス感染拡大が収まりましたら、日本人観光客の更なる関心を高めていくことを期待しています。

クロアチア料理

クロアチア料理は、実際には4つの全く異なった料理で構成されています。そのうちの2つはダルマチア地方の料理とイストゥラ料理で、沿岸料理と言えます。これは世界で最も健康的なものである地中海式ダイエットの一部とみなされています。

クロアチア料理は地中海料理であり、南イタリアとイタリア料理の雰囲気も持っています。

クロアチア東部のスラヴォニア料理は、豚肉、ソーセージ、香辛料、淡水魚を素材に使うことが特徴です。 その料理は、地理的にも歴史的にもつながりがあるため、ハンガリー料理とオスマン料理の影響を受けています。

クロアチアのスピリッツとワイン造りは、2500年前にギリシャからの入植者によって始められたという長く、豊かな歴史を持っています。  クロアチアには多くの遺跡があり、その1つは2400年前のブドウ園とオリーブの木立で、現在もそのままの形で保存されています。

芸術と文化

音楽祭、演劇、芸術祭、冒険、観光など、何もかも揃っています。特に夏の間には、毎日何かが演じられ、演奏され、また楽しまれています。

街を守る要塞に囲まれたドゥブロヴニクは、「ハムレット」を上演するのに世界で最も美しい場所と見なされていました。

イストリア半島のプーラの町には、アリーナと呼ばれる2000年前に作られた大きな円形劇場があります。完全な形で保存されているため、他で見られる同じような円形劇場よりも、より良い形となっています。 石造りで、全ての石が手つかずのままです。このアリーナは、映画祭に使われるだけでなく、テノール歌手のプラシド·ドミンゴ、ハッスル、イタリアのペラルタエアロスターなどのコンサート会場としても効果的に使われています。

もともとは剣闘士の戦いのために建てられましたが、今日では剣闘士の衣装合戦の場となり、観光名所になっています。

フラスティッチ大使、本日はどうもありがとうございました。

より詳細な情報などについては、クロアチア大使館のサイトをご覧ください。

【在日クロアチア共和国大使館】公式サイトはこちら

駐日クロアチア共和国 特命全権大使 ドラジェン・フラスティッチ大使 (東京・クロアチア共和国大使館にて)
駐日クロアチア共和国 特命全権大使 ドラジェン・フラスティッチ大使 (東京・クロアチア共和国大使館にて)

ドラジェン・フラスティッチ大使は政治学を学び、2011年から2015年まで駐トルコ大使を務めた後、 2015年に駐日クロアチア共和国特命全権大使として着任した。

外交官としての豊富な経験を持つフラスティッチ大使は、北大西洋条約機構(NATO)とのミッションにも多く携わっている。1993年までは、NATOの訓練と外交に関わるミッションに携わり、その後、文民代表部参事官、NATO代表部公使参事官、次席常駐代表を含む要職を歴任。アフガニスタンでフェイザバードの地方復興チームの民間問題の副局長としての活動し、級民間代表の政治顧問も務めた。

”ネクタイ”の歴史:

今日、世界中でフォーマルやビジネスの機会に使用されているモダンなネクタイは、もともとはクロアチア人による発明でした。

その起源は、三十年戦争(1618-1648)の17世紀にまで遡ることができます。フランス人は、制服として、首の周りに伝統的なネッカチーフを結んだクロアチアの傭兵を雇いました。ジャケットの上にネッカチーフを結んでおり、芯の入った襟よりも実用的でした。

戦争の終わりに、フランスのルイ14世の下にクロアチアの兵士は置かれました。王は兵士を視察する際、兵士が身に付けているネッカチーフに気づき、深い興味を抱きました。フランス人は初期のネクタイを「ラ·クラヴァット(LaCravate)」と名付けていますが、これはこのファッションを発明したクロアチア人にちなんだ造語で、今でも多くのヨーロッパ諸国でも使われています。

王は王室の集会でクラヴァット(ネクタイ)の着用を必須としました。王や他の貴族がクラヴァットを身に着けていることで、新しいファッションのトレンドはヨーロッパ中に広がっていきました。その速さはまるで山に火を放った時のようであり、瞬く間に流行となりました。ネクタイをもたらしたのはクロアチア人ですが、今日のファッションの定番にしたのはフランス人でした。

*出典:Croatian Digest

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