完成の時期が視野に収まってきた「未完の聖堂」とは?『ガウディとサグラダ・ファミリア展』開幕

スペインが生んだ建築家アントニ・ガウディ(1852~1926)。バルセロナで建築を学んだガウディは大学卒業直後からその頭角を現す。

カウディは多くの名建築を残しているが、やはり一番有名なのはサグラダ・ファミリア聖堂だろう。1882年に始まったこの聖堂建築では、ガウディは二代目の建築家であった。

ガウディにとって、この未完の聖堂は設計建築だけでなく、資金調達にまで奔走し、晩年はすべての仕事を断ってサグラダ・ファミリア聖堂竣工を目指す。しかし、その完成を見るまでもなく、ガウディは段差につまずいて転倒し、そこに通りかかった市電に轢かれて命を落とす。

この展覧会は以下の章から構成されている。

第1章「ガウディとその時代」。若き日のガウディの軌跡を追う。

第2章は、「ガウディの創造の源泉」。ガウディは「人は創造しない。人は発見し、その発見から出発する」という言葉を残した。「歴史」「自然」「幾何学」の3つのポイントから、ガウディ独自の建築様式の源泉とその展開を辿る。

第3章「サグラダ・ファミリアの軌跡」はこの展覧会のメインとなっている。

現在ではサグラダ・ファミリア聖堂といえばガウディだが、実はガウディは二代目の建築家に当たる。最初は宗教関連の出版などを手掛けるジュゼップ・マリア・ブカベーリャが「貧しい人々のための大聖堂」として提案した。1882年に着工した時は、ビリャールが初代設計者に就任した。ガウディはそのポジションを翌年に引き継いだ。すでに地下聖堂は完成間近だったが、ガウディは大幅に設計を変更している。

その後、ガウディはこのサグラダ・ファミリア聖堂の建築を一生の仕事とし、資金集めも行いながら完成を目指した。しかし前述のような不幸にあって、この世を去ることになる。

しかし、その後は外尾悦郎をはじめとする優秀な人々にその意思は引き継がれ、2026年にイエスの塔の竣工が予定されるまでに建設作業が進んだ。

スペインは昔から「100年に一度、桁外れの天才を生み出す」と言われる。ベラスケス、ゴヤ、ピカソ、そしてガウディがその代表と考えられる。第4章「ガウディの遺伝子」では、ガウディがその後の建築と建築家に与えた影響も紹介されている。その中には伊東豊雄、磯崎新などの、日本人建築家の名前と作品も見られる。

完成の時期が視野に収まってきたサグラダ・ファミリア聖堂。その竣工前に見ておきたい展覧会だった。

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