江戸東京博物館リニューアル記念:NHK大河ドラマ特別展「豊臣兄弟!」兄弟が変えた、戦国の運命

江戸東京博物館「NHK大河ドラマ特別展 豊臣兄弟!」会場の撮影スポット。豊臣秀吉と秀長の肖像画パネル

天下人、豊臣秀吉の弟、秀長にはNHKの大河ドラマ「豊臣兄弟!」で大きなフォーカスが当たっている。毎回、NHKの大河ドラマにテーマを得た展覧会を開催している江戸東京博物館では、9年のブランクを経て、再度、大河ドラマ展を開催している。

NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」の公式ポスター。江戸東京博物館の会場にイーゼルで展示

ここで登場する「豊臣兄弟!」とは、秀吉と秀長に他ならない。秀吉は天下人として知られるが、秀長とはいったい何者なのだろうか。秀長とは、「彼が長生きしていれば豊臣家の天下は安泰だった」とさえ言わしめたほどの貢献者だった。

「豊臣兄弟!」のロゴ背景の前に並ぶ大河ドラマの等身大キャストパネル

プロローグから第5章、エピローグまで、7つの構成で展開されるこの展覧会には、豊臣兄弟をはじめ、織田信長、徳川家康、黒田官兵衛、藤堂高虎、千利休、高台院といったおなじみとなった歴史を彩った人々も登場する。総展示数130件という展示を見ていくと、その人々の生きた姿、性格を間近に感じることができる。とても生き生きとした展覧会だ。

江戸東京博物館「NHK大河ドラマ特別展 豊臣兄弟!」の入口看板

プロローグに登場するのは、もちろん「豊臣兄弟!」の秀吉と秀長だ。肖像画として兄弟並んだ姿からも2人の性格、役割を感じ取ることができる。

京都·禅林寺に伝わる秀吉の肖像画は黒い唐冠に白い直衣(のうし)と呼ばれる公家、天皇が日常的に着用する装束をまとっている。繧繝縁(うんげんべり)の上畳に座して、傍らには太刀を置き、幔幕(まんまく)と御簾(みす)を上げ、背景には桐木が描かれ、上部には「君が代」の和歌が書かれている。これは秀吉が独自性を出すために作り上げたスタイルで描かれているといえる。

白い直衣姿で繧繝縁の畳に座る豊臣秀吉の肖像画

一方の秀長の肖像画は、背景はほぼ同じであるが、杓を持ち、太刀を佩き、黒袍を着装した束帯姿、礼装で描かれている。秀吉の息子の秀頼が禅林寺復興にかかわっていたことから、両作品ともに1607年の禅林寺の本堂再興のために調進されたのではないかと伝わっている。

黒袍の束帯姿で杓を持つ豊臣秀長の肖像画

次に進んでいくと、豊臣兄弟は織田信長に仕え、各地を転戦していく様子がわかってくる。この兄弟にとって、賤ヶ岳の戦いは大きな転換期となったのだろう。その様子が≪賤ヶ岳合戦図屏風≫には描かれている。≪賤ヶ岳合戦図屛風≫の左側には柴田勝家軍が秀吉方を攻撃している様子が描かれ、右側には秀吉方が柴田勢を攻撃している様子が描かれている。秀吉は第三扇の部分に、虎の皮の陣羽織を着用し、日の丸の赤い扇を持った姿で描かれている。

また、この章で着目すべきは、秀吉から秀長に送られた手紙の数々ではないか。多くが冗談をまじえ、軽いタッチで書かれている。この書面を読むだけで、2人の仲の良さが伝わってくる。

東京会場限定で、≪聚楽第行幸図屏風≫も展示されている。この屏風の左側には秀吉が朝廷に後陽成天皇をお迎えに行く様子が描かれ、右側には後陽成天皇が聚楽第に向かう様子が描かれている。秀吉は百姓の生まれであることから、血筋としての権力が弱かった。そのため天皇などの力を借りて自分たちの権力を強めていくかが課題にあった。一連の行事として、聚楽第の行幸は行われるようになっていったのだろう。

聚楽第行幸図屏風。行列をなす公家たちが描かれている

屏風には具体的な天皇の姿は描かれていない。権力者であるから直接表現することはあり得ないことであるため、右側に神輿を描くことで天皇を象徴している。秀吉は左側に描かれた牛車に家紋がついていることから、そこにいるということが推測される。

続く第3章では、秀長が大和の国を拝領したこともあり、秀長の家臣たちの様子が見て取れる。珍しいのは大阪城の瓦と郡山城の瓦ではないか。この瓦の渦巻きの模様、周辺にある形、その距離感などがほぼ同じだ。大阪城と郡山城は建設された時期は異なるが、瓦は同じ工房で作られていたことがわかる。ここでも兄弟の関連性がわかってくる。その他にもこの章では家臣団、藤堂高虎などに関わる展示が興味深い。手紙などの資料も多いが、現代語の口語訳がついているので、戦国武将のやりとりが手に取るようにわかってくる。

第4章では、権力者とは文化的な側面も持ち、それによってより権力を強めていく様子がうかがえる。≪唐物茶壷 銘 金花 大名物≫と≪唐物茶壷 銘 松花 大名物≫という二つの壺は、「かくれなき名物」として軍記、茶会記にも登場し、信長、秀吉、家康という権力者の手に渡っていった名品だ。

最後となる第5章では、衰退する豊臣家を描く。秀長の死によって豊臣兄弟に永遠の別れが訪れる。それは豊臣家が没落をも意味していた。秀吉が何よりも回復を願った秀長の病気ではあるが、その願いはかなわなかった。当時神仏の加護が非常に重要であった時代、この病は「祟り」によるものでないかという説があった。

奈良県桜井市の談山神社(旧妙楽寺)は飛鳥時代に創建され、大化の改新に尽力した藤原鎌足を祭神として祭っていた。しかし、秀長はその藤原鎌足像を大和の国郡山に移転させてしまう。これが祟ったのではないかという説が当時からまことしやかにささやかれた。

秀長がこの世を去り、秀吉も亡くなって豊臣家は没落し、大阪城が焼けるときには刀も焼けてしまう。しかし焼けた刀をもう一度研ぐことで現在まで伝来している刀もあり、その名品も今回は展示されている。中でも刀剣乱舞のキャラクターにもなっている鯰尾藤四郎は興味深い。粟田口吉光が打ったこの名刀のほかに、後期には南泉一文字も展示される。刀剣女子にはたまらない展示だ。

最後となるエピローグでは、秀長と秀吉の木像が並んで展示されている。秀吉を現した≪伝豊国大明神座像≫は現存する中でも最大といわれ、横幅が80センチ以上ある。束帯姿で両足を正中で打ち合わせた姿から、秀吉は当時、すでに神格化されたと考えられる。一方、奈良の壷阪寺に伝わる秀長像は1630年に作られ、玉眼、彩色を施した姿で今に残る。

兄弟協力しあって戦乱の世を駆け抜けた「豊臣兄弟!」。天下を取るという強い希望を胸に秘めた2人の姿と家臣団の姿が如実に伝わってくる興味深い展覧会だ。ぜひとも安土桃山時代の兄弟をテーマにしたこの特別展を鑑賞し、続いて江戸東京博物館の常設展示で徳川の世の中を現した展示を鑑賞してほしい。

会期:2026年9月15日(火)〜2026年11月8日(日)
会場:東京都江戸東京博物館 1階特別展示室
開館時間:9:30-17:30
土曜日は19:30まで、11月6日(金)は20:00まで開館(入館は閉館の30分前まで)
休館日
毎週月曜日(ただし9月21日、10月12日、11月2日は開館)、9月24日(木)、10月13日(火)、11月4日(水)

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