『ズワルテンダイク・オランダ領事と「命のビザ」の知られざる原点』展

オランダ大使館   多くの人々を救った二つのビザ

駐リトアニア総領事を務めた杉原千畝がユダヤ人たちに「命のビザ」を発行したことは、日本、リトアニアではとてもよく知られている。当時、杉原千畝が発行したビザは「日本を通過するため」のビザであり、最終目的地へのビザもまた必要であった。その最終目的地へのビザを発給したオランダ人外交官がいたことは意外に知られていない。その外交官ヤン・ズワルテンダイク(当時の在カウナス名誉領事)の功績を日本で紹介すべく、駐日オランダ大使館では、全権公使テオ・ペータスを中心に活動を続けている。

『ズワルテンダイク・オランダ領事と「命のビザ」の知られざる原点』展にて
ペーター・ファン・デル・フリート駐日オランダ王国大使
ペーター・ファン・デル・フリート駐日オランダ王国大使

当時、在リトアニアのオランダ名誉領事ヤン・ズワルテンダイク(1896~1976年)はカリブ海にある駐オランダ領キュラソー島をユダヤ人たちの渡航目的地として、見せかけだけの目的地ビザを発行した。オランダ領キュラソー島には現地総督の許可があれば入国が可能だった。そこで彼は、ユダヤ人たちのパスポート、身分証明書などに、「在リトアニア・カウナスオランダ領事館は、スリナム、キュラソー島をはじめとするアメリカのオランダ領への入国は、入国ビザを不要とすることをここに宣言する」と記載し、公印を押してもっともらしいビザを発行した。その「キュラソービザ」に杉原千畝が日本の通過ビザを追加したものが「命のビザ」となり、多くの人々の命を救った。杉原千畝が出した日本の通過ビザ発行の条件には、日本よりさらに遠い受け入れ国の入国ビザの所有が必須だったのだ。

こうした「命のビザ」は約2000通以上が発行され、それを手にしたユダヤ人は命を救われ、その後の人生を生きることになる。そのユダヤ難民の一人、当時12歳だったポーランドに住むユダヤ人マルセル・ウェイランドが、本展覧会に合わせて来日した。

マルセル・ウェイランドさんとテオ・ペータス全権公使
マルセル・ウェイランドさんとテオ・ペータス全権公使

マルセル・ウェイランドは当時のことを今も鮮明に覚えているという。その後、ウェイランド一家は敦賀に上陸し、神戸に7か月ほど滞在した。まだ子供のマルセル少年にとって、神戸は思い出深い土地になったという。特に毎日出かけたという大丸百貨店のカフェテリアと、そこで食べたやきそばの味は忘れられないと、懐かしそうに語っている。

今年96歳になるマルセル・ウェイランドは神戸から更に移動し、その後、オーストラリアに移住し、結婚、家族を持った。「キュラソー」と「命のビザ」があって生き延びたマルセル少年は5人の子供に恵まれ、21人の孫、3人のひ孫もいる大家族を築いた。こうした家族の繁栄、幸せな人生は杉原千畝、ズワルテンダイクをはじめとする勇気ある人たちのおかげだと改めて感謝を込めて語る。

戦時下にあって人道的な行いをすることは時として自らに危害が及ぶことも多い。また、抗した尊い行いが評価されず、歴史の中にうずもれていくことも多い。実際に杉原千畝は戦後に外務省から辞職勧告を受け(後に名誉回復)、外務省を離れた。ズワルテンダイクのこうした行動もまたオランダ政府から非難を受けたとも言われており、多くの人々がその事実を知らないままに月日が流れて行った。ズワルテンダイク自身も口にすることはなかったという。

しかし、こうした自らの危険を顧みない人道的な行いによって命を救われたユダヤ人たちは、けっして彼らのことを忘れていなかった。ズワルテンダイクが発給したビザをもった難民の95%が生き残ったという。その後ズワルテンダイクについては1963年、「キュラソーの守護天使」という記事でロサンゼルス新聞に掲載され、杉原千畝は1968年、駐日イスラエル大使館からの突然の電話を受け、命を救われたユダヤ人たちがずっと探していたことを知る。

今、世界の中で戦火が途切れることはない。こうした極めて人道的な行いは人々を勇気づける。ほんの少しの勇気があれば、世界は変わり、平和を維持することができるのではないか。

語り継ぐべき遺産、「キュラソー」の守護天使
語り継ぐべき遺産、「キュラソー」の守護天使

この展覧会の巡回の予定は:

2023年3月16日から5月30日まで、福井県敦賀市「人道の港 敦賀ムゼウム」
その後は杉原千畝の出身地でもある岐阜に移り、杉原千畝記念館などで開催される。

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