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H.E. Mr. Larbi KATTI

アルジェリア独立60周年記念インタビュー

〜アルジェリアと日本の外交関係の樹立を祝って〜 アルジェリアがフランスの植民地支配から独立して今年で60年を迎える。アルジェリア独立戦争と呼ばれるこの戦いは、世界に大きな影響を及ぼした。今年の独立記念日に合わせ、ラルビ·カティ駐日アルジェリア大使が詳細を語っている。 1. なぜアルジェリアはフランスによる132年間もの植民地支配に終止符を打ち、独立を求めたのですか?この独立のためにアルジェリア人が払った代償は非常に高いものでしたが、具体的にアルジェリア独立戦争について教えてください。この戦争はどれくらい続きましたか? 実際、フランスによる植民地支配への抵抗はずっと続いていました。アルジェリア人は1930年6月に始まった70年以上も続いたフランス軍による侵略に当初から激しく対抗しました。1902年に西サハラの占領をもってアルジェリア全土が占領されました。植民地軍によって決行された焦土作戦や不当で残忍な植民地制度をはじめとして、アルジェリア人に課せられた暴力と非人道的な生活条件の悪化により、結果的に何百万人ものアルジェリア人が犠牲となりました。アルジェリア人に広く適用された原住民という身分は、一種のアパルトヘイト政策でした。その後、アルジェリア人による抵抗は、独立という理念を諦めることなく植民地制度に終止符を打つための政治的闘争に発展する形をとりました。 2. なぜアルジェリア人は、これほど高い代償を払ってもフランスからの独立を望んでいたのでしょうか?アルジェリア革命の理念と目的は何でしたか? 1954年11月1日に始まった独立戦争は、ほぼ8年間続き、それまでの闘争の集大成となりました。強行的な植民地制度により土地を奪われ、無国籍者になりかねないことを確信し、アルジェリア人は武力闘争が唯一の抵抗手段だとの判断を下し独立戦争に突入しました。アルジェリア人は、祖先の土地と自由を取り戻すために大きな代償を払いました。この独立戦争は20世紀で最も凄惨を極める戦争の一つと言っても過言ではありません。 アルジェリア革命の目的は言うまでもなく、民族独立であり、132年間にわたり奪われていた領土全体において主権行使できるアルジェリアという国家の回復でした。アルジェリア革命の理念は断固として普遍的で進歩的であり、全世界の人々の支持と共感を得ました。 3. アルジェリア革命は、世界、特にアフリカ大陸における脱植民地化プロセスをどれ程加速させましたか? アルジェリア革命は、1950年代後半に西アフリカのいくつかの国の独立が達成されたことにより徐々に激しさを増していった脱植民地化プロセスを一気に加速させたと言っても過言ではありません。アルジェリアは、アフリカ大陸の脱植民地化の達成および南アフリカにおけるアパルトヘイト政策の撤廃を外交政策の優先事項と定めていました。このように、アルジェリアは、ギニアビサウ、ナミビア、アンゴラ、モザンビーク、ジンバブエ、南アフリカ、ベトナム、東ティモールおよびベリーズでの解放運動に政治的、外交的、物質的な手段を提供してきました。ネルソン・マンデラは、民族解放軍で軍事訓練を受けました。アパルトヘイト政策撤廃においてアルジェリアが果たした役割への感謝の意を表するため、釈放後最初にアルジェリアを訪問しました。 アルジェリアは、これらの理念を確信し、民族自決と独立に対する正当な権利行使のための闘争において、パレスチナと西サハラを支持しています。 4. 独立戦争中の1958年に東京に民族解放戦線の代表事務所を開設されましたが、日本からどのような支援を受けましたか?この支援は、その後の両国の友好関係の発展に役立ちましたか? 1958年の東京代表事務所の開設は、日本だけでなく、遠いアジアの国々にもアルジェリアでの革命を知らせると同時に、フランスによるプロパガンダを阻止する必要性に応えたものです。この事務所は、アジアの人々の政治的支援を動員する上で非常に有用な役割を果たし、日本の著名人やさまざまな機関の力強い支援のもとで設立され、機能していました。谷口侑氏は、アルジェリアの大義を早い段階で共感し、当該事務所で通訳者を務めたうえ、会報「News of Algeria」の発行に貢献されました。その後、谷口氏はアルジェリア政府から受勲されました。また、弁護士であり、日本弁護士協会会長でもある長野氏、アルジェリア人の闘いについての作品を発表した作家でジャーナリストの淡徳三郎氏、共産党衆議院議員およびアフリカ・アジア委員会会長である松本氏、自由民主党衆議院議員であり、それぞれアルジェリア支援委員会の理事長および書記長であった北村徳太郎氏および宇都宮徳馬氏にも、また、原爆および水爆を禁止する国際会議、労働組合SOYOおよびZEROにも、この場をお借りして敬意を表したいと思います。アルジェリア革命を支援してくださった方々は日本に数多くいらっしゃいます。この機会をお借りして、アルジェリア人の闘争に対して強い信念を持って我々を支援してきてくださった、これらの方々に対して深い賛辞を送りたいと思います。 5.  アルジェリア人の気質とアルジェリアの将来についての大使としてのビジョンを教えてください。 難しい質問ですが、アルジェリア人の気質については、自由、強靭さ、寛大という三つの言葉で表現することができます。アルジェリア人の自由への愛着は、ベルベル文化が根本にあるからと言えます。「ベルベル」という言葉は、自由人を意味します。強靭さに関しては、アルジェリア人の数千年の歴史の中で直面した多くの試練を克服する能力を表しています。最近では、アルジェリアが国境を越えたテロリズムによって行われた激しい闘いで勝利を収めました。寛大さにつきましては、アルジェリアを訪れたすべての人々は、その風景の美しさだけでなく、人々の温かいもてなしにも魅了され続けています。 アルジェリアの将来についてのビジョンですが、現在、我々の国は発展途上国から次のステージに上がるための大きな局面をむかえているといえるでしょう。飛躍を難しくしている要因は主に不均衡な国際経済秩序によるところであり、そのために長年経済的に不利益を被ってきました。 しかし、アルジェリアには自然、人的資源、そして地理的条件という多くの利点もあります。また、教育には大いに力を入れてきており、各レベルにおいて無償化を保障しています。こういった点は将来的に必ずや今日の社会経済的課題を凌駕するべく有利な決定的手段になると、私はポジティブにとらえています。 【関連記事】 はじめまして。 アルジェリアと日本ー60年の友好を祝って 母と娘の物語…
H.E. Mr. Larbi KATTI

Celebrating Algerian 60th Independence Day

Interview on the Cerebration of the 60th Anniversary of Independence and Establishment of Diplomatic Relations Between Algeria and Japan. This year marks…
Randy Bachman & TAKESHI

カナダ・デーを祝う!日加友好コンサート:ランディ・バックマン&TAKESHI

今年度のカナダ·デーには、カナダを代表する伝説的ロック・スター、ランディ・バックマンとTOKIO、嵐、関ジャニ∞などへの楽曲での提供などでも知られるTAKESHIによるコンサートが、在日カナダ大使館で開催された。 この二人のコラボのきっかけは、今を遡ること45年前の1977年に起きた一件の盗難事件に始まる。約半世紀にわたってギターを探し続けたこの物語は、イアン・マッケイ駐日カナダ大使の粋な計らいによって、感動的なハッピーエンドを迎えることになった。 「やっとガールフレンドがもどってきたんだ」とTAKESHIが持つグレッチのギターを指してそう語るのは、ゲス・フー、バックマン・ターナー・オーバードライブの創設メンバーとしても知られるロックの大御所、ランディ・バックマンだ。 ランディ・バックマンにとって、この1957年製のグレッチ6120チェット・アトキンス(PX6120)は「特別なもの」だった。19歳の時に、アルバイトを掛け持ちし、苦労して稼いだお金でやっと買ったギターであり、大ヒット曲「アメリカンウーマン」もこのギターを使って作曲した。 その大切なギターは1977年、トロントのホテルで盗まれてしまった。「3日間涙にくれた。自分の一部だったから」とランディ·バックマンは当時を振り返る。彼は代わりを求めるべく300本ものギターを買ったとも語っている。 TAKESHIは、ランディ·バックマンがかつてもこのギターを所有していたことを知らずに、東京の店舗でこの1957年製のGretsch 6120 Chet Atkins(PX6120)を購入した。それは今から8年前の2014年だった。 ギターが盗まれて以来、ランディ・バックマンはこのギターを探し続け、あらゆるメディアを通じて呼びかけてきた。近年のネットの進化により、ランディ・バックマンは日本のアーティスト、TAKESHIがこの盗まれたギターを持っていることを知るに至る。 二人は20年5月に初めてオンラインで会談を果たし、TAKESHIは同じミュージシャンとしてランディ・バックマンのそのギターへの思いを理解し、返還することとなった。 ランディ・バックマンはこのグレッチを「ガールフレンド」と呼ぶ。TAKESHIにとっても8年間を共にし、名曲を共に生み出してきたこのギターには特別の思いがあった。その思いを理解したランディ・バックマンは、同じ型のギターを持つ人を探し出し、やっと譲ってもらったという。 ステージの上で二人はギターを交換し、固く手を握り合った。在日カナダ大使館で、45年にわたる捜索は、「新しい友を得る」という最良の集大成となった。 現在、ドキュメンタリー映画『Lost and Found』がカナダと⽇本で撮影されている。この映画はランディ・バックマンが盗まれたギターを家族、友達、ファンをも巻き込んで探し続け、TAKESHIから手渡されるまでの長い道のりを描いている。 ランディ・バックマンの半世紀近い「ガールフレンド」を探す旅は終わり、今、TAKESHIとの新たなコラボと心の旅が始まろうとしている。
Ambassador of Greece to Japan

ディミトリス・カラミツォス−ジラス新駐日ギリシャ大使に聞く

Q:今回が初来日とお聞きしていますが、これまでの経歴を聞かせていただけますか。 はい、私はギリシャのキャリア外交官として働いてきました。もともと外交官の息子でもありますが、初めは異なる道を選び、弁護士としてのキャリアをスタートしました。ギリシャの名のある法律事務所に一年半務めたのですが、私には弁護士の仕事は向いていないと実感しました。それから、ギリシャの外務省でのキャリアを作ることにしました。1984年に外務省に入省したので、今年で38年目になります。 東京に来る前は、駐英ギリシャ大使(2016~2020年)として務めていました。ちょうどブレグジットの期間にあたり、これは一人のヨーロッパ人としては、非常に興味深い時期に滞在していたと言えます。それ以前は、ニューヨークにある国連本部で大使を務めていました。加えて、アメリカ(カルフォルニア総領事)、ブルガリア、そしてアパルトヘイトから民主化へ移行するという重要な期間に南アフリカでも勤務しました。アテネの外務省で海外勤務の合間には、EU担当の局長など、他のポストも担当していました。 外交官は厳密に述べれば、一国における大使や参事官のように、本国と駐在国という二国間関係において任務を果たすタイプと、多国間組織において国を代表するタイプの二種類があります。私は国連で二回、ブリュッセルの欧州理事会にも長い間在籍したので、どちらかと言えば、後者側のタイプに属すると思います。駐英大使という前職、そして現在の東京でのポストは、対ギリシャにとって大変重要です。駐日ギリシャ大使に任命されたことは私には大変光栄なことであり、またこの場にいることにも大変感激しています。今回が私にとって日本への初めての訪問なのですから! 私の妻は写真家で、街で見かける若者の文化など、ストリート写真を撮影するために世界中を旅しています。彼女は一般的な外交官と比較しても、より多くの国々を訪問したと言えるでしょう。もちろん世界中を撮影旅行で訪れていますので、この度の日本への駐在が決まった時は、「私の夢だわ!」と言っていました。 私たちはその国を探索することができればとても幸せです。異なる哲学や思想を持っている国を訪れることは、一味違う体験をすることができます。私たち夫婦は、それぞれ異なる理由から、ここ日本にいることをとても喜んでいます。 Q:前大使の来日は、東京オリンピックに向けて盛り上がっていた時期でした。しかし、その後、新型コロナウィルス感染拡大があり、外交官としての活動が大幅に制限されました。今回の任期ではどのようなことを期待されていますか。 私は2001年から2004年の三年間、2004年に開催したアテネオリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会に勤務し、組織委員会における人事・ボランティアのジェネラルマネージャーを担当しました。その経験からも、大会に注ぐ情熱は十分に共感できますし、東京2020組織委員会が直面した困難も理解しています。 新型コロナウィルス感染拡大によるパンデミックは、あらゆる分野において大きな後退をもたらしました。日本は厳しい水際対策に踏み切っていしたが、これはそれぞれの国独自の基準で政策を設けているからだと感じました。私は外国人観光客の増加を期待していますので、その入国制限を早く解除してほしいと思います。それは私たちの娘たち(現在、青少年ケアのプロとして勤務)から見ても、世界中の若者は日本に大変魅了されており、刺激を受けているからです。彼らは(パンデミックの為)旅行で訪れることも、勉学のために来日することも出来ず、悔しい思いをしていたのですから。 しかし、日本は世界との関係性においても、今後一層、開放していくことになるでしょう。こうした関与をより発展させることによって、近隣アジア諸国だけでなく、欧州諸国、米国と日本との距離を縮めることができるからです。非常に興味深いことは、日本は経済的な影響力があるだけでなく、政治的な影響力、つまり法の支配を支持し、国際法を尊重する世界の舞台における重要な役回りとしても注目されていることです。 2023年から2024年にかけて、日本は再び国連安全保障理事会の一員となり、それにむけた動きが見られるでしょう。また、2025年から2026年にかけては、ギリシャも理事国に選出される見込みがあり、両政府が密接に提携する機会があります。 Q:日本・ギリシャ関係における最新情報、および在日期間中に力を入れたい分野についてお聞かせください。 新型コロナウィルス感染拡大の影響により、長らく訪問が延期されていましたが、今年4月13日、東京への最初の公式訪問者の一人として、我が国の外務大臣が来日しました。外務大臣は、林外務大臣を始め、国会議員と有意義な会談を行い、中小企業の団体の方々にもお会いしました。 ギリシャと日本は非常に良好な関係を築いています。グローバル化が進む国際社会において、両国は同じ考え方を持ち、国際的な活動の場で同じ目標を共有しています。ですが、両国は貿易とビジネスにおいて更なる未知の可能性を有しており、その可能性を広げ、貿易とビジネスの規模を増やすことで、二国間の関係性はさらに深まるでしょう。 ギリシャにおける経済危機のため、両国の貿易と投資は全般的に減速しました。ギリシャ人は、自動車や機器、エアコンなど、新たな商品やサービスの購入を見送らなければなりませんでした。ご想像通りこれらは日本から輸入しているものばかりです。同時に、低コストで販売するという経済的優位性により、ギリシャからの輸出は増加しました。しかし、ギリシャは、日本に何を輸出しているのでしょうか?ギリシャからの輸出品としては、医薬品、タバコ、建築資材、農産物や、オリーブオイル、チーズ、ヨーグルト(輸入ヨーグルトは関税が非常に高い)といった、ギリシャの代表的な食品があげられます。しかし、輸出量は決して多くはありませんので、それが課題となっています。それを解決すべく、二国間の貿易や投資を活性化させるのが我々の使命です。現在ギリシャは経済危機を脱し、投資においては以前の状況を取り戻しつつあります。 Q:日本人が投資する対象として、具体的にどのような産業が興味深いと思われますか? 重視すべき分野の一つにエネルギー産業があげられます。ギリシャには、太陽光や風力などの再生可能資源に関して大きな可能性(将来性)があります。また北海で用いられている、潮の動きを利用して発電を行う海洋エネルギーの可能性もあります。加えて、エーゲ海の既存の鉱床から天然ガスを掘削する可能性もあります。地中海の南東部には、キプロス、イスラエル、エジプト、ギリシャが共有する大量の埋蔵量がありますので。そろそろ掘削作業を進める時期でありますので、これは良い投資機会といえるでしょう。 掘削を開始する上で、そのプロジェクトを担当する企業への投資家が必要です。天然ガスは、化石燃料の中で汚染度が最も低く、需要が高いことはご存じでしょう。特にヨーロッパはエネルギー源の多様化を目指しているため、天然ガスが非常に高価になり、新たな鉱床の探査が容易になっています。 ギリシャは特殊な経済で成り立っています。ユーロ圏の一員であるため、先進的な経済グループの一国でありながら、新興国の要素も未だ持ち合わせています。ギリシャの平均給与は、ヨーロッパで類似する国と比べて低めであることから、教育水準の高い労働力を安価で確保することが可能です。不動産に関しては、観光価値は高いながら、まだ投資の対象としては非常に合理的価格であり、観光にも伸びしろがあると言えます。ギリシャ人は人気のあるクレタ島、ミコノス島、サントリーニ島の土地はほとんど開発されすぎていると口にしますが、しかしギリシャには他にもまだ開発可能で安く投資出来る島や海辺、本土におけるエリアが数多くあり、投資も比較的安価に開発を行うことができます。 ギリシャは工業国であるとは言えませんが、非常で優秀で、ハイテクな技術を備えた中小企業があり、そうした企業がアメリカやヨーロッパの企業向けの部品や機器を手掛けています。そのために日本のテクノロジー企業はギリシャに投資すれば、ギリシャの工場で高品質な製品を安価に生産することが可能です。そうした背景があるので、これらの製造業界は投資先として非常に魅力的な分野とも言えます。 繰り返しにはなりますが、ギリシャには高度な技術を持った人材がいるということを忘れないでください。経済危機の際に、多くのギリシャ人が他のヨーロッパ諸国や中東地域などの国外に移住しました。十分な報酬を得ることができる仕事が見つからなかったことから、約四千人ものギリシャ人専門医が職を求めて国を去り、英国に渡りました。ですが、国営、民営におけるギリシャの医療システムで、雇用の創出やインセンティブが創出されたことによって、国を離れた人々は自国に戻ってきています。こうした理由から、医療関連事業も投資対象として挙げられます。実際、アメリカの健康産業界はギリシャに投資しています。その理由は、アメリカや他のヨーロッパ諸国と比較して、低価格で非常に良い医療サービスを提供できるからです。こうした企業は、通常のツーリズムと健康ツーリズムとをうまく組み合わせています。ビジターは2週間もしくは10日間程度ギリシャに滞在し、治療が終わると、温かく迎えられながら、素晴らしい環境の下、より低コストで回復することができます。今年度10月には日本企業による現地視察がギリシャを訪問することになっています。これは2020年に予定されていましたが、新型コロナウィルス感染拡大のパンデミックのために延期されました。ギリシャではその視察団を歓迎することを楽しみにしています。 今回の訪問は、ギリシャの投資適格性の見直しが予想される時期と重なるでしょう。これまで、日本の機関投資家はギリシャ政府の投資不適格性により、投資することができませんでした。繰り返しになりますが、日本の機関投資家は、世界的な高インフレ経済と、安全志向へと傾く現在の経済情勢の中で、ギリシャの国債が大変魅力的な投資先であると再認識し、戻ってくるでしょう。ギリシャは投資状況が改善され、国債の償還率が向上し、ユーロ圏の債権者から支持されるようになったことで、日本からのグローバルな機関投資家や企業投資家にとって、投資やビジネスを行う魅力的な国として改めて見られるようになりました。…

「No Concept vol.1 – That’s what life is all about」現在開催中!

アートの世界では今、様々な背景の作家が注目を集めている。この展覧会でキュレーターを務める杉本志乃は、重い障害をもった兄と向き合ってきたことをきっかけに、一般社団法人 Arts and Creative Mind を設立。障がいのあるアーティストのサポートを目的として活動をしている。 昨年開催された、「北九州未来創造芸術祭 ART for SDGs」のプログラムの一つ、「多様性への道」展(会場:北九州市立美術館)では、南條史生とコラボし、才能あふれる障がいをもったアーティストの作品を広く展示し、大きなインパクトを残した。 「多様性への道」をきっかけとして、コラボ開始をした南條史生と杉本志乃が改めて紹介する展覧会「No Concept vol.1– That’s what life is all about」では、アーティストたちの生命の息吹を感じる作品が多く展示されている。200年に一度のパンデミックを経験した今、私たちが求めている「何か」がここにある。 【展覧会概要】 会期:2022/7/1(金)〜7/16(土) 会場:東京都目黒区中目黒 1-11-6 N&A アートサイト 時間:13:00-17:30 (日曜・祝日休廊)入場無料…