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Ecuadorian Choclate

エクアドル産最高級の希少カカオ アリバカカオから作ったチョコレートが日本で発売!

エクアドルは世界でも指折りのカカオの産地として知られる。ここで紹介する「MAMANO」は大使館も応援しているエクアドル産オーガニックアリバカカオを専門に扱うチョコレートショップだ。 MAMANOという日本語のような温かい響きを持つ店名はスペイン語の母を意味する「MAMA」と手を意味する「MANO」からの造語で「母の手」という意味と響きをもつ。これはアリバカカオを育成している農家の70%が女性であることにも由来している。 アリバカカオはエクアドル固有種のカカオであり、世界でも約2%しか生産されず、「神の食べ物(テオブロマカカオ)」という学名も持つ。 エクアドルの5300年前の遺跡には人々はチョコレートを愛飲していた痕跡がある。 現代人にも愛されるテオブロマカカオ。希少なそのカカオから作られる貴重なチョコレートをぜひ味わってほしい。 MAMANO WEBサイトで美味しいエクアドルチョコレートは購入できます。こちらをクリックしてください。 5月7日, MAMANOはオンラインでカカオ農園でアリバカカオについて知ろう!というイベントをします。ここでみてください!

機能的で美しいデザインがいっぱい!エストニア·ポップアップショップ、現在池袋西武デパートで開催中。

エストニアという国を知っているだろうか。エストニアは、ラトビア、リトアニアと並ぶバルト三国の一つだ。エストニアはフィンランドに隣接し、湾を挟んでスウェーデンに面しており、文化的には北欧に近い。また、エストニアはAI先進国としても知られ、エコにも力を入れている。そうした国家としての先進的な取り組みが、ちょっとした日常使いの雑貨、洋服のデザインにも感じられる。 このエストニアのポップアップショップは、エストニアの優れた商品を日本人に実際に見て、触って、使ってほしいという意向の下、駐日エストニア大使館と株式会社ユアマークスが深く関わって企画された。「このポップアップは、エストニアのさまざまな製品を日本に紹介するだけでなく、日本の皆様に実際に商品を見ていただき、学んでいただける機会をもたらしています」と、ヴァイノ·レイナルト駐日エストニア大使のカイレ・ユルゲンソン夫人はコメントしている。 ポップアップショップは毎週、商品の入れ替えが行われている。価格もリーズナブルで、手が出るものが多い。このポップアップショップを通じて、すっかりエストニア製の商品のファンになり、毎週、通って新しい商品を見つけるという人もいる。 COVID-19のパンデミックによって、世界中の人々が外出を制限され、自宅で過ごさなければならない時間が多くなった。人々は自宅で快適に過ごすことの大切さを改めてかんじているのではないか。 優れたデザイン性、高い機能性を持つエストニア製の商品は、生活を豊かで快適なものにしてくれるに違いない。ゴールデンウイークに訪れてみたいショップの一つだ。
Flying Dragon

オランダ王国大使公邸 チューリップガーデン一般公開

4月8日(金)・10日(日)の2日間限定開催 7年ぶりにオランダ大使公邸のチューリップガーデンと大使公邸内部が一般公開された。 ペーター・ファン・デル・フリート駐日オランダ王国大使は、今回のチューリップガーデン一般公開について、「日本でも、オランダを象徴するチューリップが沢山の方に愛されている事を知り、とても嬉しく思っています。今回の一般公開イベントによって、春の到来を皆さまと共に楽しむ事ができれば幸いです」とコメントしている。 両日ともにこの一般公開を待ちに待った人々が早朝から列をなした。その列はとても長くなり、神谷町駅まで続いていた (350メートル)。午前10時の開門から、ファン·デル·フリート大使に迎えられ、多くの人々は大使公邸の庭園、公邸内部を鑑賞した。 現在の大使公邸は、その前の建物が1923年の関東大震災で倒壊したため、1928年に再建築された。建築家ジェームズ・マクドナルド・ガーディナーと上林敬吉が手掛けたこの邸宅はクラシックな風情が残り、天井に残された鏝絵などがとても美しい。庭園内に飾られた徳川家康からの書簡からも、オランダと日本の長期に亘る友好関係を感じ取ることができる。また、19世紀に描かれたオランダの画家、ヘンドリック・ウィレム・メスダッハによる絵画と共に、オランダの現代的なデザインの家具、有田焼の陶磁器などが美しく展示され、特別な雰囲気を醸し出している。 70種類に及ぶ美しいチューリップが咲く庭園と遊歩道を歩き、ひと時のオランダの雰囲気を楽しんだ訪問者は、4月8日が約2400名、4月10日には3000名に登る。 このような日本の人々との交流イベントを企画してくださったペーター·ファン·デル·フリート大使と大使館のスタッフには心からの御礼を申し上げたい。来年もぜひ継続していただきたい素晴らしいイベントだった。 For more information visit the Dutch Embassy in Tokyo Read more: 女性が活躍する国、ジャマイカからのメッセージ
Jamaican ambassador

女性が活躍する国、ジャマイカからのメッセージ

国際女性デー記念 「空の半分以上を支える女性たち」展 2022年3月30日に開催 3月8日は国連が定めた国際女性デー(International Women’s Day)だ。そのため、3月は各地で女性に関わるイベントが開催された。駐日ジャマイカ大使館も国際女性デーと建国独立60周年を記念し、「空の半分以上を支えるジャマイカの女性達たち」と題し、ジャマイカで活躍する女性たちを紹介する展示を開催した。 この展示会のオープニングイベントには、内閣総理大臣補佐官(女性活躍担当)森まさこ参議院議員、JICA(国際協力機構)井本佐智子理事、外務省儀典長の志野光子大使、サモア、メキシコ、ガーナ、ケニアの各駐日女性大使のご出席を賜った。 ジャマイカは、特に管理職において女性が活躍している国として世界から注目を浴びている。女性が占める管理職の割合は56.7%(ILO2016-2022年の統計)と、世界各国の中でもかなり高い割合を示している。世界の中でトップ10の中に入っている。ちなみに日本は11.1%で96位だ。 今回ジャマイカ大使館が紹介した著名な女性たちは人種も様々であり、そのバックグラウンドもそれぞれユニークである。ゲストの方々は、経歴、写真を見て、その多彩さにも驚く。特に参加者の目を引いたのはジャマイカ国防軍総司令官アントネット・ウィームス・ゴーマン(Antonette Wemyss Gorman)の存在ではないか。アントネット・ウィームス・ゴーマンも軍人としての道を歩みながら、一方で息子をもうけ、家庭生活も営み、現在も親としてアクティブである。 ジャマイカの外務省も女性が活躍する職場であり、現在7名の女性大使がいるという。駐日ジャマイカ大使を務めるショーナ=ケイ·リチャーズ大使もその一人だ。彼女は、優秀な外交官であり、今までのキャリアの中で、平和を世界にもたらすことにも大きく貢献している。日本での外交手腕にも注目が集まる。その活躍は女性という範囲にはとどまっていない。 このイベントに参加して改めて感じたことは、ジャマイカは、各自の価値を活かして成功を収めることができる地であるということだ。女性であっても男性であっても、どんな人種であっても、どういったバックグラウンドを持っていても、ジャマイカでは「その人の持つ素質と能力」を重視し、活用していく。つまり、今、世界各国が重要視しているダイバーシティとインクルージョンが、ジャマイカではすでに実践に移され、社会にうけいれられているに他ならない。 日本でも女性の登用を重視しているが、まだまだ理想には程遠い。リチャーズ大使、ジャマイカ大使館には、若い日本人女性の活躍に焦点を当てたこうした触発するイベントを開催してほしい。このイベントの最後には、リチャーズ大使によるジャマイカ産ラムを使ったカクテルが参加者にふるまわれた。ラムパンチというそのカクテルはおいしく、つい二杯、三杯とグラスに手が伸び、いつのまにか千鳥足となることもある。女性大使ならではの秘伝のレシピで作られたカクテルで、女性を中心とした参加者たちの親睦を深め、和やかなうちにこの有意義なイベントは終了した。 For more information visit: Jamaican Embassy Read More: ショーナ-ケイ・M・リチャーズ駐日ジャマイカ大使インタビュー
H. E. Mr. Teimuraz Lezhava

完璧な日本語を話し、日本を深く理解する大使が語る「歴史ある若い国とその魅力」

駐日ジョージア特命全権大使 ティムラズ·レジャバ閣下インタビュー 日時:2月14日午前11時から ワイン、文化、音楽、バレエ-その他にも数えきれないほど、ジョージアはリラクゼーションとユニークな伝統文化の中心地だ。この度、駐日ジョージア大使、ティムラズ・レジャバ閣下とひざを交え、ジョージアが誇るもの、日本との関係の未来、両国の類似性、再生可能エネルギーへの注力などについてじっくりとお話しをお聞きした。 ティムラズ・レジャバ大使は、1988年、ジョージアの首都トビリシで誕生。しかし、父親の仕事の都合で頻繁な転居を余儀なくされ、幼少期の多くを海外で過ごした。特に日本とアメリカの滞在期間は長く、あわせて20年間にも及ぶ。レジャバ大使は2011年に早稲田大学国際教養学部を卒業し、キッコーマンに就職、勤務したという経験も持つ。 レジャバ大使は外交官でも、外交官になることも考えていなかった。しかし、ジョージアに帰国後、2018年に外務省に入省、2019年に駐日ジョージア大使館の臨時代理大使に就任。その後、2021年11月、正式に駐日ジョージア特命全権大使に就任した。気さくで親しみやすい人柄のレジャバ大使は、ジョージア文化に関連する興味深く、面白い情報を日本語でTwitterに投稿、5万人以上のフォロワーを持ち、そのツイートはとても愛されている。 日本の専門家として Q:大使のご経歴と、最初に日本にいらしたきっかけをお話しいただけますか。 私が4歳の時、研究者であった父の新しい任務の一環で、私たち家族は日本に引っ越してきました。私たち一家は当時、広島に住んでおり、広島の様な日本の地方では数少ない外国人でもありました。ご覧の通り、見た目が日本人とは違っておりますので、広島の子供たちに堂々と指さされたこともありました。ですが、広島という地域に住んだことで、日本語をかなり早く習得することができましたし、小学校に入る前から日本語の読み書きも学びました。 私が8歳の時に一度ジョージアに戻りましたが、小学校時代は父の仕事の関係で何度か引っ越しをしなければなりませんでした。父は科学者として働いており、遺伝学を専門とする生物学者という面も持っています。 こうした経験ですが、振り返ってみると、まだ少年であった私にはとても大変な時期でしたが、今では自分はラッキーだったとも思っています。私がこうした大変な時期を乗り越えることができたのは、両親の愛情と教育があったからです。両親の愛と教育があったからこそ、祖国ジョージアとの深いアイデンティティを育み、海外にいても自己と帰属という意識を失うことがありませんでした。 結論から言えば、私の子供時代の経験は、世界に向けた広い視野を育て、ジョージア人として日本で暮らすことで得られた経験によって、ユニークな視点をもたらしてくれたと言えます。常に両親が守ってくれたことには本当に感謝しています。今度は私の番だとも思います。私も家族や子供たちの為だけではなく、広くジョージアのためにも、両親が私にしてくれたようなことを続けようと思います。 Q:お子さんが誕生なさったとお聞きしました。おめでとうございます。新型コロナウィルスの世界的大流行の影響もあり、大変困難な状況でしたが、どのように対処していらしたのでしょうか。 どうもありがとうございます。私の妻は母国から遠く離れ、更にコロナ禍の、非常に困難な時期に子どもを授かることになりました。ご想像のとおり、いくつかの制限がありました。まず、日本を離れることができませんでした。妻は日本語が話せず、当時2歳だった長女の世話もしなければなりませんでした。私もできる限り手伝いましたが、妻はとてもしっかりしていました。すべてがうまくいったことを神様に感謝しています。今、私たち家族は日本での家族の時間を楽しんでおり、パンデミックが治まるのを心待ちにしています。 Q:ジョージアの国旗は美しいですね。日本の国旗と非常によく合います。国旗が持っている意味を詳しく教えてくださいますか。 ジョージアの国旗の色は、赤と白で日本の国旗と色は同じです。ですので、私は常にこの国旗を日本で広めようとしています。ジョージアでは、4世紀にキリスト教が入ったことがあり、アルメニアに次いで2番目にキリスト教を国教としました。とても早期にキリスト教を国教としています。ジョージアはキリスト教正教会に属し、そのために文化には正教会の影響が色濃く残っています。これはジョージアの歴史、つまりジョージア人のアイデンティティを通じ、その精神生活において非常に重要な要素となっています。それはこれからも変わらずに続いていくことでしょう。いかなる大変かつ頻繁な困難な状況にあっても、ジョージアという国が存在し続けることを、ジョージア人を導いてきました。 ジョージア人が何世紀にもわたってアイデンティティを継承していくことがジョージア文化のバックボーンとなっています。東ヨーロッパと西アジアの交差点という独自の地理的、戦略的な重要性を持った地域にある為、ジョージアはいくつかの課題に直面してきています。 確かにジョージアという国は非常に厳しい立地条件にあります。ジョージアはここ数年、外部からの脅威にあらゆる角度から直面してきています。歴史的な観点から、私たちがアイデンティティを維持してこられたのは奇跡とも言えます。 現代のジョージアでは、国民は変わることなく、すべての活動、文化的発展などを積極的に続けています。 Q:駐日大使としての仕事について教えてください 私は2019年7月に任命されましたが、当時は代理大使という立場でした。まだ使節団の長でしたが、その年の11月に正式に信任状を天皇陛下に奉呈いたし、特命全権大使に就任いたしました。私が初めて日本に来たとき、(まだ4歳でしたが、)将来、駐日ジョージア大使になるとは油面も思っておりませんでした。 Q:駐日大使としての責任をお聞きできますか?…