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ギリシャの写真家、マルガリタ・マヴロミハリス 日本初個展開催

日本で初個展を開催―’INTERNAL SPACEʼ インナースペース (内なる空間) 世界中で活躍しているマルガリタ・マヴロミハリスはこのたび、東京で初の写真展を開催する。作品は2019 年から 2023 年にかけて作成された18 枚の写真だ。 マヴロミハリスはこの度、自宅という舞台の中にビネット(vignettes)を慎重かつ正確に配置することによって「内なる」現実を表現しようと試みている。これらはコロナのパンデミックがもたらした心理的な閉塞感―外界からの孤立、日常生活の逆転、そしてコミュニケーションの欠落と自己との向き合い 、そこから生み出された深い内向性を表現している。 5か国語を自在に操るギリシャの写真家、マルガリータ・マブロミカリスは「写真は世界共通言語」と語っている。写真とは世界中の人に理解され、最も強力な方法でメッセージを伝えるものであり、彼女にとって第二言語であると考えている。 残念ながら彼女が話せる5か国語の中には日本語は入っていない。しかし、写真というグローバルな第二言語を通じて、是非とも彼女の世界とコミュニケーションを持ってほしい。 個展について タイトル:ʻINTERNAL SPACEʼ  ( 内なる空間 ) 作家:マルガリタ・マヴロミハリス(ギリシャ出身の写真家) 期間:2023 年…

日本中近東アフリカ婦人会主催 第21回チャリティバザー開催のお知らせ~アフリカと中東の女性と子供のために~

新型コロナウィルス感染拡大のパンデミック為にしばらく開催できなかった日本中近東アフリカ婦人会バザーが開催される。今回で21回を迎えるこのバザーには、中東アフリカ諸国の大使館計22カ国が参加する。各大使館では、大使夫人および大使館員夫人が中心となって各国の物産品、クラフト、大使館シェフによる本場の名物料理などを準備し、販売する。また、中近東アフリカ婦人会メンバーによる手作りの手芸品・焼き菓子・スパイス等、このバザーへの協賛各社からの品物が数多く出品、販売される。 中近東アフリカの文化を紹介する場でもあるこのバザーでは、アフリカの民族音楽、トーキングドラムの演奏、各国の華やかな民族衣装によるファッションショー、ヘナペインティングなども披露され、中東・アフリカをより身近に感じる機会ともなっている。 このバザーを企画した各国大使館関係者、婦人会メンバーは「アフリカのパワーと日本との友好を感じていただけるバザーにしたい」と語る。 なお、このバザーからの収益はは、NCAFが支援するアフリカや中東で活動する日本のNGOに役立てられるほか、参加する各国大使館に均等に分配される。 日本中近東アフリカ婦人会主催 第21回チャリティバザー開催概要          日時:2023年10月30日(月) 11:00-15:30  入場券:2000円 https://t.pia.jp/pia/event/event.do?eventCd=2315764 会場:東京 水天宮・ロイヤルパークホテル 3階 ロイヤルホール  地下鉄・半蔵門線水天宮前駅 出口4ホテル直結  【お問い合わせ先】  日本中近東アフリカ婦人会   HP :  https://sites.google.com/ncaf1981.org/ncafhp/ 日本中近東アフリカ婦人会概要  日本中近東アフリカ婦人会は、1981年、元駐ナイジェリア大使(ルーマニア、及びソ連 大使を歴任)を務めた外交官、重光晶の夫人、綾子を中心としたアフリカに在住経験を持つ婦人達によって創立された。設立の目的は、日本に在勤するアフリカの方々に日本の良い思い出を持って帰っていただくことと、及び日本の婦人たちとの交流にあった。 現在、会員数は約100名となり、中東・アフリカ各国の婦人との交流を目的とする組織としては、日本で最も長い歴史を持ち、充実した活動を続けている。 チャリティバザーは隔年に開催し、毎回来場者2000名を超える。その収益を参加国に均等に寄付し、各国内の福祉施設などに大使夫人を通じて届け続けている。前回、2019年のバザーでは、参加26か国に合計430万円寄付した。その他にも中東・アフリカ関係のNGOへの援助も毎年拠出し、活動をサポートしている。 その他、日本人向けに中近東アフリカに関わる講演会、料理講習会、遠足など、日本在住の中近東アフリカの婦人たちには日本語、編み物、生け花、コーラスの各教室も定期的に開催し、文化交流を続けている。 【関連記事】

永遠の都ローマ展 カピトリーノの丘にまつわる芸術と栄光

現在、東京都美術館(東京・上野公園)では、「永遠の都ローマ展」が開催されている。 日本人の多くが憧れを抱いて訪れるイタリアの首都ローマは、「永遠の都」と呼ばれ、何時の時代も人々を魅了してきた。「永遠の都ローマ展」はその成り立ちから栄光の日々を語る展覧会だ。 この展覧会はローマの中心地に立つカピトリーノ美術館が所有している作品群を中心に約70点の彫刻、絵画、版画等から成り立っている。それは5つの章に分けられ、構成されている。 まず、「第一章:ローマ建国神話の創造」シクストゥス教皇は1471年、古代ローマ時代の4点のブロンズ像をローマ市民に寄贈する。そのブロンズ像は、《カピトリーノの牝狼》《コンスタンティヌス帝のブロンズ虚像》《とげを抜く少年》《カミッルス》だ。もちろん誰もが知る通り《カピトリーノの牝狼》は古代ローマの出発点とも言える作品であり、本章ではその複製が展示されている。この牝狼に乳をもらって育った双子ロムルスとレムスのうち、ロムルスは初代ローマ王となり、ローマは建国されていく。そのローマの成り立ちと栄光を如実に描いている。この展覧会の中でももっとも見ごたえがある圧巻の第一章だった。 「第二章:古代ローマ帝国の栄光」ではユリウス・カエサルとその遺志を継いだオクタウィアヌス(のちのアウグストゥス)によって都市の整備が進められ、共和制の時代に突き進んでいく時代を示している。そこにはギリシャの影響を多いに受けた美しい彫刻たちが立ち並んでいく。 「第三章:美術館の誕生からミケランジェロによる広場構想」では、都市計画がなされていくローマの姿を示す。ミケランジェロによってカピトリーノの丘の頂にカンピドリオ広場がデザインされていく。 続く「第四章:絵画館コレクション」では、1734年に始まるカピトリーノ美術館の創設から、その後、絵画コレクションの収集がなされていった経緯が紹介されている。併せて芸術家の育成のため、美術アカデミーが創設され、ヨーロッパ全土に学習の機会を与えたこと、そうした背景によって生まれた優れた作品が並ぶ。 最後は「第五章:芸術の都ローマへの憧れー空想と現実のあわい」と題され、芸術をリードしてきたローマのイメージをさまざまに表現した作品や、日本人を含めた外国人芸術家による作品をも受け入れた豊かな芸術環境について述べられている。 この展覧会は決して多くの作品を並べたタイプの展覧会ではない。むしろ作品数は少ないと言えるが、ひとつひとつの作品が極めて精巧で美しい。さらに圧倒的な存在感をもって見る人に迫ってくる。歴史と芸術のすばらしさを如実に感じることは間違いない。 この展覧会を見終わって、オードリーヘップバーンが主演した映画「ローマの休日」を思い出した。ヘップバーン扮するアン王女は記者から「どこがお気に召しましたか」との質問を受ける。最初、「どこも思い出深く、、、」と言い出した王女だが、指示された通りのコメントをやめる。そして「Rome, by all means, Rome(ローマ、なんといってもローマです)」と自らの感情をあらわにする。 そう!ローマだ。By all means, Rome! そのセンテンスがこの展覧会についてコメントするにふさわしい! 古代から時代をリードし、世界にその存在を示してきた都、ローマがこの展覧会には沢山詰まっている。ぜひとも見ていただきたい感動の展覧会だった。 【展覧会基本情報】 永遠の都ローマ展 Rome,…

チリ産ピスコ 日本初テイスティングイベント

日本では、チリのお酒といえばワインを思い浮かべる方が多いかもしれないが、ワイン以外にもチリには特別な美酒がある。 そのひとつが、ピスコだ。 マスカットを原料としたフルーティーな蒸留酒で、チリ北部のアタカマ州と、それに隣接するコキンボ州の2つの州で生産されたぶどうの蒸留酒のみが原産地呼称に関する法律によってチリ産ピスコと名乗ることが認められている。 そんな特別感のあるお酒、ピスコを紹介するイベントがチリ大使館商務部(ProChile日本オフィス)にて開催された。 チリ・アタカマ州から5つの生産者を招き行われたイベントは、チリ産ピスコの日本初のプロモーションとなる。 今回紹介されたピスコは以下: アジア域内では中国が主なマーケットで、昨年は約2万リットル(23万米ドル)が輸出された。日本への輸出量はごく僅かで、2022年は約3,000リットル、金額にして約3万ドルの輸出実績であるチリ産ピスコ、今後日本でも楽しめる機会が増えることに期待したい。 チリ産ピスコについての情報、おすすめレシピはこちらから: https://www.spiritsfromchile-jp.com/ 【お問い合わせ先】 チリ大使館商務部(ProChile日本オフィス) 03-3769-0551/japan.tokyo@direconchile.onmicrosoft.com 【関連記事】

Introducing Chilean Pisco

In Japan, many people may think of wine when they think of Chilean alcoholic beverages, but in addition to wine, Chile also…

インタビュー:セルギー・コルスンスキー駐日ウクライナ大使

東欧での戦争が激化する中、世界は先の見えない期待を持ちながら様子を見守っているのが現状だ。ロシアによるウクライナ侵攻は長期に亘ることとなり、多くの議論を引き起こしている。日々、ロシア、ウクライナ双方からの情報が行きかっている。 コルスンスキー駐日ウクライナ大使は、科学者になるべく教育を受け、そのキャリアをもって外交官に転身した。その大使はウクライナでのロシアによる侵攻をどのように見ているか、また、ウクライナが世界に望む支援とは何か、この戦争が最終的にどこに行くのかといった内容をこのインタビューの中で語っている。 短いインタビューであったが、コルスンスキー大使の歩んできた道、戦禍の生活、ウクライナと日本の関係、将来の平和への希望などに多岐に亘り、とても興味深いものとなった。 ここでは深刻なテーマもお聞きいたしますが、その前に大使のキャリアと外務省に入られた経緯についてお聞かせ願えますか。 キーウご出身でいらっしゃいますね。 はい、我が家は父も祖父も私もキーウで生まれました。 生まれた頃はソ連時代でしたので、私は人生の29年間をソ連で過ごしたことになります。キーウ国立大学を卒業し、応用数学の博士号を取得した後に、研究者として10年間勤務しました。 そうして働いている中で1991年を迎えました。この年はウクライナが独立した年です。 当時、私は私はウクライナ国家科学技術委員会に招待されておりました。その委員会は英語を話す人を探していたことがありました。私はこの委員会には3年程在籍し、世界レベルの学術誌に約50件の研究論文を発表しておりました。そんなときに外務省の外交官であった友人から電話がかかってきました。友人はパリに向けて出発する直前でしたが、その電話の内容は、当時のウクライナ外務省は信じられないほど小規模で、大臣から運転手までを含めてもたった37人しかいませんでした。その為、誰か後任となる人が必要と言っていました。 国家は独立すると大使館を開設する必要がありますので、人員が必要でした。また、外交関係を樹立する必要もありました。 最初に友人が電話をかけてきたとき、私は外交の経験がないということは伝えはしました。しかし、その後に外務省を代表して科学教育、技術、ソフトパワー関連の協力に重点を置いた同じ任務を続けることになると伝えられました。 外務省外交関係研究所での短期集中コースを終了し、私は外交官となり、科学担当公使としてイスラエルに駐在しました。イスラエルが初の赴任地になりました。イスラエルで3年間駐在し、その後はワシントンD.C.で5年間、そしてトルコで3年間駐在し、ミッションを行ってきました。 その後に本国に戻って外交アカデミーの理事長を3年間務めた後、駐日ウクライナ大使に任命されました。このことは大変うれしいと思っています。 日本はウクライナにとって非常に重要であると同時に、文化的にもとても興味深い国です。いままで 4か国に駐在を任命されるのは非常に異例であったこともあり、外交官として幸運であったと思っています。 先日、岸田総理がウクライナを訪問されました。 日本はアジアで最初にウクライナへの公的支援に踏み切った国の一つであるということを考えると、この関係の特殊性をどう見ていますか、また今回の訪問についてどう思いますか。 これにはとても驚きました。 大使として着任したときにも、ウクライナでも日本のことをどれだけ知っているかを実感しました。 ウクライナ人は日本に次いで世界で2番目に多くの寿司を消費しています。 ウクライナ人は黒澤明、渡辺、北斎の作品をよく知っています。 ウクライナではすべての都市に武道のトレーナーがおり、日本語を学べる学部がある大学は全国で12校あります…