27年ぶり、モイセーエフバレエ団来日
パリ・オペラ座のエトワールでもあり、ローラン·プティのミューズだったドミニク·カルフーニをはじめとする世界のトップ·バレエダンサーは、モイセーエフバレエを見たことで踊る楽しさに触れ、バレエダンサーを目指したと答えている。
20世紀に、バレエ界は多くの優れた振付師の登場があった。前出のローラン・プティ、モーリス・ベジャール、ジョン・クランコらと並んで、このバレエ団の創設者イーゴリ・モイセーエフも、間違いなく偉大な振付師の一人だ。
1906年生まれのモイセーエフは14歳でバレエを始めた。決して早いスタートではなかったがめきめきと頭角を現し、後にボリショイ・バレエの芸術監督の候補にも挙がる。
モイセーエフが学んだクラシックのバレエには各所にハンガリーのチャルダッシュ、スペインのボレロ、ポーランドのマズルカなどの民族舞踊的要素が取り入れられている。そうしたキャラクターダンスと呼ばれる舞踊はクラシックバレエ界のトップダンサーたちによって、洗練された踊りとして紹介されている。モイセーエフは特にこのキャラクターダンスを愛し、後にロシア各地を歩き、その地で色々な民族舞踊を採取して行ったという。
1936年、当時のソ連各地の舞踊を集めたフェスティバルがモスクワで開催され、翌年、モイセーエフは自らの夢を実現させる。1937年のソ連国立モイセーエフ民族舞踊団の誕生だ。
現在に続くこのバレエ団の面白さは、スターと呼ばれる存在がいないことではないか。クラシックバレエの教育を受けていないダンサーもモイセーエフに才能を評価されればこの民族舞踊団に所属し、アンサンブルの一員となって行く。優れたソリストであっても、そのアンサンブルの中で自らの役割を果たしていく役割となって行く。
今回の日本公演でも、イーゴリ・モイセーエフの精神が今もこのバレエ団には息づいていることを感じることができた。一人もスターはいない。しかし全員がスターなのだ。
その一糸乱れぬアンサンブルは、劇場の5階席から見ても美しい。上から見ても乱れないアンサンブルの美しさが際立っていた。どの踊りも、各地の民族の文化の豊かさを表現し、その地域とその民族への敬意さえも感じられる。見ている観客はアッという間にモイセーエフの世界に引き込まれ、いつのまにか心はロシア各地を旅するようだ。
日本公演でも最後に演じられた「水兵の踊り:艦上の一日、ヤーブロチコは圧巻だった。水兵のセーラー服というシンプルな舞台衣装も、その動きをかえって隠すことなくはっきりと伝えることに役立っている。3人程度の小規模なアンサンブルが繰り返され、最後には全員が一緒になって踊る演出、舞踊は見事としか言いようがない。圧巻だった。
今回の日本公演で演じられた舞踊はすべてモイセーエフ自身の振付によるものだ。月日は流れ、世界は変わって行っても、モイセーエフが目指したものはゆるぎない。