algerian Ambassador

はじめまして。 アルジェリアと日本ー60年の友好を祝って

この度、着任したラルビ・カティ大使はベテランの外交官であり、駐日大使に就任する前のミッションでは、5年以上に亘ってガーナ駐在大使を務めていました。1987年に外務省(MOFA)に入省して以来、アルジェリア代表としてニューヨークの国連に9年間駐在した経験も有しています。 こうした長期に亘る国連での勤務から、世界が直面している世界的かつ重大な課題に取り組む上で、いかに多国間外交が重要であるかを学んだと語っています。 日本での駐在はまだ始まったばかりであり、最近、新駐日アルジェリア大使として信任状を天皇陛下に捧呈いたしました。 日本への駐在にはファヒマ夫人を伴っており、大使と夫人は、有名な料理、伝統芸術、展示会から日本中を訪れるなどを含め、日本において体験できる多くのことを考え、計画しています。 駐日新大使としての使命について教えてください                        アルジェリアと日本は、優れた歴史的関係によって結ばれています。 実際、その関係は、1962年にアルジェリアが独立する前から始まっておりました。1958年に国家解放戦線がここ東京に支局を開設し、日本政府と日本の人々の独立闘争への支持を集めました 。 今年、両国は外交関係樹立60周年(7月5日)を迎えます。 この大変重要であり、また象徴的な記念すべき日には、二国間協力の高い成果を祝い、その関係をより活性化するためには何をすべきかを振り返る時だと思っています。両国政府は、二国間交流の促進と多様化の必要性に関し、同じ緊急性を共有しています。この目標を達成するために、両国は必要とさせる全てを行っていこうと約束していることを嬉しく思っています。 アルジェリアと日本の関係を強化するために、どの分野に焦点を当て、強化を図ろうとしていらっしゃいますか。 まず、3つの主要分野における二国間協力の強化に時間と労力を費やすことを考えています。1つ目は、両国が意見を交換し、共通の関心である地域的および国際的な問題について、収束的な立場をとることをできる限り可能にすることです。また定期的に二国間関係を見直し、適切な決定を下すのに役立つと確信を得ている政治対話を深めることも大切です。 2つ目は、アルジェリアの経済協力の向上です。 2020年の貿易額は約7億米ドルであり、これはアルジェリアと日本の経済的な潜在力をはるかに下回っています。経済交流のレベルを2倍、さらには3倍にするために、アルジェリア側はより努力が必要です。この目標を達成するための最良の方法は、投資の増加とその多様化です。 3つめは、文化的および科学的協力の強化です。日本のアルジェリア人学生の数は依然として非常に少なく、アルジェリア人と日本の大学間の科学的相互作用についても同じことが言えます。教育協力を大幅に増やすためのアイデアを考え出し、その方法を模索する必要があります。 夫人を伴っての駐在ですが、ご一緒にどのような文化活動や旅行を計画していますか? すでに妻と私は、日本に到着してからの2か月間、公邸付近の道、近隣とよく整備された東京の公園などを自転車で巡っています。これからは、素晴らしく、豊かな、日本の各地にある千年の歴史、自然と地理の多様性と、さらに重要なこととしてはそこに暮らす人々の優しさを知る「旅」をしていくことでしょう。遠くからこの地に赴任してきた外交官にとって、こうした体験はそのキャリアの中でたった一度だけのチャンスです。 この好機をのがさないようにと思っています。 アルジェリアについて アフリカ大陸最大規模の国家アルジェリアは、北アフリカのマグレブ地域に位置し、世界第16番位の石油埋蔵量を所有している北アフリカの地域大国です。アルジェリアにはさまざまな歴史的、文化的モニュメントや工芸品があり、温かく礼儀正しい地元の人々が出迎える観光名所としても人気があります。また、アルジェリア人のサッカーへの情熱と愛情も忘れてはいけません。それを一番よく証明しているのは、新駐日アルジェリア大使、ラルビ・カティ閣下の存在です。大使もまた、確実にサッカーファンと呼ばれるにふさわしい存在であり、アルジェリア人です! For…

レスリー・キー:世界で活躍ファッション・フォトグラファーの撮影現場

レスリー・キー:世界で活躍ファッション・フォトグラファーの撮影現場

【Eyes On Japan】チャンネル 東京のクールでスタイリッシュな「人」と「場所」をお届けする【Tokyo in Style】シリーズ。今回は、日本・ニューヨーク・アジアを中心に活動するファッション・フォトグラファー、レスリー・キーの撮影現場へ潜入。 また、ビューティー界のカリスマ、スティーブン・ヘインズ伝授する「カメラの前で輝く為の秘訣」も必見! 動画はこちらから! 【レスリー・キー】 レスリー・キーは、アジアンアート、フォトフラフィーの歴史の中で、今最も影響力のあるフォトグラファーとして知られる。彼の、夢を追い生きる姿は、日本、中国、シンガポール、韓国、東南アジアの若手アーティスト、特に学生に刺激を与え続けている。 【関連記事】: GUCCIの没入型エキシビション 「グッチ ガーデン アーキタイプ」

インタビュー: 駐日エストニア特命全権大使 ヴァイノ レイナルト

インタビュー: 駐日エストニア特命全権大使 ヴァイノ レイナルト

エストニア駐日大使、ヴァイノ・レイナルト氏へのインタビューの機会に恵まれた。電子国家として知られるエストニアの政府情報システムのデジタル化や、エストニアと日本の長期的な両国関係、そして両国にとって利益のあるプロモーションについて伺った。ヴァイノ・レイナルト氏は、2018年よりエストニア共和国の特命全権大使として日本に駐在している。日本駐在以前は、アメリカ合衆国、メキシコ、カナダで同国大使を歴任、またエストニア外務省にて貿易開発協力に従事した経験を持つ。大使夫人のカイレ・ユルゲンソンさんもまた、外交官として広報・文化外交に従事した経験があり、夫妻は正に、日本・エストニア関係を促進する名コンビだと言えよう。 駐日新大使としてミッションについてお話いただけますか? 駐日エストニア大使として、すでに3年余りの日々を過ごしている私は、もう新しい大使とは言えないかと思います。とても一般的ですが、駐日大使としてのミッションは、日本でエストニアへの興味を可能な限り促進することにあります。日本とエストニアのように、友好的であり、また、考えを同じくする国々の場合と同様に、ほとんどの問題に対する両国の関心は重なり合っています。また、エストニアは日本の関心と価値観を共有しておりますが、同様の課題にも直面しています。 当然のことながら、エストニアは国際的な規範及び日本と欧州連合間の合意に基づいて相互の貿易を促進していくことに関心を持っています。また、サイバーセキュリティやサプライチェーンの信頼性に関連する経済安全保障も同様に重要視しています。もちろん、さらに日本とエストニアは緊密に協力し、デジタル化とグリーン変革を最大限に活用したいと考えています。 同様の課題に直面しているエストニアと日本の共通の義務とは安全と安定、そして経済成長と幸福を提供することであり、さらに民主的で法の支配に基づく国際秩序を促進することでもあります。これらの価値観は普遍的であると信じてはいますが、常に普遍的に共有されているわけではありません。したがって、両国は世界秩序をお互いが望む方法で維持し、促進するための努力を強化する必要があります。 エストニアと日本の関係について教えていただけますか。 日本とエストニアは昨年1月にその100年に及ぶ友好関係を祝いました。第二次世界大戦前、日本とエストニアはお互いの関心を代表して行う名誉領事を任命し、1939年に日本はエストニアへの最初の全権公使を任命しました。第二次世界大戦の勃発により、これらの任務は適切に機能しなくなりましたが、1991年に日本とエストニアが公式の関係を回復した後にはこうした機能は継続されました。日本は1993年にタリンに大使館を、1996年に東京にエストニア大使館を開設しました。日本は世界のこの地域において、エストニアにとって最も重要な、志を同じくするパートナーです。ここ数年、両国はその関係にいくつかのハイライトを当ててきました。その中で最重要といえるのは、2007年に現在の上皇陛下(当時は天皇陛下)と上皇后陛下美智子様(当時は皇后陛下)がエストニアを訪問したことです。 更に両国の関係の特徴を示す一般的にも知られていることとしては、2012年に大相撲で優勝したエストニア出身の力士、バルトの存在も大きいです。 また、私のインタビュー記事をお読みくださる読者の多くは、すでに5年間に亘ってNHK交響楽団の首席指揮者を務めているエストニア出身の指揮者、パーヴォ·ヤルヴィを知っていらっしゃるでしょう。また、自動車ラリーのファンは、間違いなく、2019年にトヨタの世界ラリー選手権で優勝したのはエストニア出身のラリー·ドライバー、オィット・タナックをご存知でしょう。両国の友好関係はもちろん、こうしたハイライトと言えるニュースは皆さんの想像を超えるものでしょう。(コロナ前は)毎年10万人近くの日本人観光客がエストニアを旅しております。人口が約130万人の国にとって、これはかなりの数の旅行者を迎えたと言えます。このように両国の関係は政府間協力だけにとどまらず、両国の自治体も互いに連絡を取り合い、姉妹都市のような関係も築いています。驚くべきことですが、これらの最近の発展の多く事例とは、エストニアが成功裏に行ってきたデジタルトランスフォーメーションについて、より多くを学ぶことがあるという、日本の事業体の関心があってより推進されてきています。 エストニアの歴史について、教えていただけますか。 現代のエストニアの領土に人々が定住した最初の痕跡は紀元前8000年以上前にさかのぼり、エストニアという名前は既に紀元1世紀には見ることができます。12世紀の終わりには、教皇ケレスティヌス3世(Caelestinus III, 在位期間1106年 – 1198年1月8日)はエストニアでのキリスト教の布教を開始しています。エストニアの歴史はかなり深く研究されており、文書化もなされています。以来、エストニアの領土は、デンマーク人、スウェーデン人、ドイツ人、ポーランド人、ロシア人によって支配されてきました。エストニアの首都タリンは1154年に最初に見ることができますし、1372年にその歴史を遡ることができる世界で最も古い市庁舎の1つが現存しています。中世においては、15世紀から19世紀の間の商取引ですが、エストニアはヨーロッパを支配したドイツを拠点とするハンザ同盟の重要な貿易の中心地でした。世界で最初の自由貿易地域と言えるでしょう。 伝説では、クリスマスツリーとは、もともとエストニアのタリンで最初に作られ、1441年にリヴォニアの商人協会のブラックヘッズ兄弟により、タリン旧市街広場に運ばれました。もしこの伝説が本当であるなら、ヨーロッパの街の広場に置かれた最初のクリスマスツリーということになるでしょう。近代の歴史については、1918年2月24日にエストニア共和国が宣言され、1920年6月に最初のエストニア憲法が採択されました。エストニア共和国は国際的に認められ、1921年に国際連合のメンバーになりました。エストニアの独立は1940年まで続き、その後エストニアはソビエト連邦に占領され、1941年にナチスドイツに占領され、1944年に再びソビエト連邦に占領されました。その後、1991年8月、エストニアは再び独立をはたし、こうして国際的な認知を取り戻しました。以来、歴史的な観点から、エストニアは国際社会での正当な地位を回復することができ、2004年に欧州連合とNATOのメンバーになり、2011年には、欧州単一通貨であるユーロを採用しました。 1.デジタル化 エストニアはデジタル化政策を次々と進めており、世界の最前線の「電子国家」として知られています。その方針、AIと人との関係、今後の展開についてお話いただけますか? 実際、エストニアはワイアード·マガジンからも「世界で最も先進的なデジタル社会」としてブランド化されています。エストニア人は、時間とお金を節約するため、効率的で安全で透明なエコシステムを構築した先駆者と言えます。エストニアの電子政府とデジタルサービスの後ろ盾となるのは、安全なデジタルIDです。エストニアの130万人の市民のほぼ全員が、IDを取得しておりますが、これは単なる合法的な写真付きIDをはるかに超えるものでもあります。まず電子環境でIDの確実な証明として機能し、欧州連合内の渡航文書としても機能します。 IDカードは、エストニアのすべての安全な電子サービスへのデジタルアクセスを提供し、面倒な官僚的形式主義から人を解放し、銀行業務や事業運営、文書への署名、デジタル処方箋の取得など、日常業務をより迅速かつ快適にするという機能を備えています。前回の全国総選挙では、エストニア人のほぼ44%がインターネット投票を使用し、世界110か国からオンラインによる投票が行われました。エストニア人の98%はデジタルIDカードを持っており、サービスの99%はオンラインでのアクセスが可能です。実際、エストニアでは結婚や離婚以外にも、技術的に可能なすべての公共サービスをオンラインで行うようになっています。市民は、事実上すべての公共サービスをeサービスとして利用できるようになったため、さまざまな公共サービスの中から、都合のよい時間と場所でeソリューションを選択することができます。ほとんどの場合、サービスを提供する官庁などのエージェントに物理的に接触する必要はありません。電子政府の効率は、一般の人々や役人が節約する労働時間の観点から最も明確に表されます。こうした取り組みがなされていなければ、官僚主義や文書の処理に多くの時間は費やされていきます。すべての公共および民間部門のサービスでの電子IDの幅広い使用は、私たちのデジタル成功の基盤となっています。 デジタルIDを使用することによって、自分自身で認証を行うことができ、完璧に法的に有効な方法をもって、政府の手続きなどおからビジネス契約、市民からの州への申請まで、すべてをデジタルで署名することができます。法的に、デジタル署名は手書きのものと同じく扱われ、認められています。主として時間の節約があげられますが、こうした取り組みを通じて効率が向上し、経済全体でデジタル署名することによって、少なくともGDPの2%程度を毎年節約することができています。ちなみに、東京タワーと同じくらいの高さに及大量の紙を毎年節約できることにも繋がりますので、環境にもやさしいです。エストニアのユーザーが愛するデジタルガバナンスにはもう1つの興味深い機能と、読者が興味深いと感じる可能性がありますが、それは州が市民に同じ情報を2回要求することを許可しないという「1回限りの原則」の存在です。つまり、たとえば地方自治体に住所を提出する場合、自動車局は運転免許証を更新するときに再度住所を尋ねることはできなくなっています。 または、社会保障局がフォームに再度記入するように求めない場合でも、受け取る資格のある手当を請求することができます。どの政府機関においても、どの部門でも、自分のデータベース、または他の機関のデータベースにすでに保存されている情報を市民に繰り返して記載することはできなくなっています。また、日本のマイナンバーというデジタルIDカードは、エストニアの専門家と緊密に協力して設計されており、大部分はエストニアの経験に基づいていることもまたお知らせすべきことでしょう。…

外国人レーシングドライバー、成功の秘訣

外国人レーシングドライバー、成功の秘訣

ブラジル出身のプロレーシングドライバー、ジョアン・パウロ・リマ・デ・オリベイラは、KONDO Racingに所属し、日本のスーパーGTシリーズに参戦している。2020年にスーパーGT・GT300クラス、2010年にはフォーミュラ・ニッポンでの優勝など、これまでに出場したすべてのシリーズで優勝を果たしており、日本で最も成功している外国人レーシングドライバー。 インタビューでは、JP(オリベイラの愛称)が日本に来た経緯、外国人ドライバーとして日本で成功するために必要だと思うこと、そして過去最高の挑戦について語る。また、東京のおすすめレストランや、お気に入りのスポットも。 インタビュー動画はこちらから: Instagram: @jpdeoliveira

Kimono Mom

MOE – The Kimono Mom

今日のゲストは、 ”Kimono Mom”としてYouTubeフォロワー数120万人を誇る、元芸妓のMOEさん! 高校の夏休みの課題として、京都の伝統を支える職人や芸妓・舞妓さんへインタビューをしたことをきっかけに、16歳で芸妓さんになる決意を固め、高校を中退したMOEさん。京都・祇園に入った彼女は、伝統文化に情熱や信念を持って芸妓・舞妓という職業に生きる女性に感銘を受けたと語る。結婚・出産をきっかけに芸妓の世界から離れたMOEさんは現在、着物姿で日本の家庭料理を紹介する人気YouTuberとして活躍している。 彼女が紹介するレシピは、海外在住などで日本食材が十分に入手出来ないであろう人々を想定して少ない材料でも日本の味を再現出来る様にアレンジがされている。今回のインタビューでは、芸者(芸妓)としての人生、YouTube制作と家庭の両立、制作への情熱、Netflixシリーズ制作の可能性について、そして欧米メディアが抱く”芸者”へのイメージについても言及した。 ◆ YouTube Channelhttps://www.youtube.com/c/KimonoMom ◆ Instagramhttps://www.instagram.com/kimono_mom/ Watch the video here

画家として 「私の作品作り」 インド大使夫人 グンジャン·ヴァルマ

画家として 「私の作品作り」 インド大使夫人 グンジャン·ヴァルマ

世界中を舞台に働く外交官と、その家族は多くの海外生活を経験しなければならない。そのような環境の中、夫人たちが現地の芸術に触れ、心を動かされることも多い。 サンジェイ·ヴァルマ駐日インド大使のグンジャン·ヴァルマ夫人は、画家としても活動する。夫の赴任に伴って訪れた国々で、現地の芸術に触れ、インスピレーションを得て自らの制作活動に反映させているという。 以下、グンジャン夫人がベトナム・ハノイ滞在時に行った制作活動について語る。 私達がベトナムのハノイに住んでいた2000年頃に漆絵を制作し始めました。ベトナムの絵画や、有名な水上人形劇からも見て取れるように、農業が文化のバックボーンを築いています。 初めて描いた漆絵は、ベトナムの綿花摘みの人々です。人々とその服装、綿花摘みのための道具を強調して描きました。 漆は茶色と黒色しかありません。そのため、綿花の部分は最初に溝を彫って漆を入れ、洗って乾かした5ミリ程度の卵殻を圧着させ、それからやすりをかけました。すこしずつ漆を塗っていくという作業を繰り返したことで、作品の強度を上げていきました。 この作品は、インドの有名な物語「マハバルタ」の中でも有名なクリシュナがラダとその友人を監視している場面を描いています。最初に画稿を作成し、それに沿って漆が入るように彫りを入れ、着色用の漆で塗装しました。この作品には、ベトナムの一般的な絵画で見られるよりも多種の顔料を使用し、人物を際立たせるために金箔もふんだんに使い、仕上げに漆を塗ってあります。 温暖な気候で湿度が低ければこうした工程は3か月ほどで完了しますが、乾燥し過ぎている場合は困難を極めます。アクリル、油彩、漆、水彩、スケッチ、水墨等の他にも、日本で学んだ日本画のスタイルも加え、今後も作品制作に挑戦してまいります。 グンジャン·ヴァルマ インド大使館HPはこちらから 関連記事: 「日本美術を学ぶこと、その精神を理解すること」

日本美術を学ぶこと、その精神を理解すること

日本美術を学ぶこと、その精神を理解すること

外交官の家族は、転勤に伴って各国の文化、芸術に触れる機会に恵まれることがある。この度は、日本画を学ぶ大使夫人たちの様子を取材した。虚心会主宰の日本画クラスは、各国大使夫人に日本画を教える機会として長い歴史を持つ。指導に当たるのは、日本画家で数々の個展を開催した故・太田湘香の跡を継いだ四代目 太田慧香さん。 アイスランド大使館の一室に集まった夫人たちは、誰もが真剣に絵筆を走らせている。作品の題材は、本家である中国では既に廃れてしまい、日本でのみ残存する花鳥画だ。 関連記事: ジャマイカ・ブルーマウンテン・コーヒーの日 エクアドルのマリア・アンパロ・バルベリス夫人は根津美術館の銘品、尾形光琳の『燕子花図』、ハンガリーのシャーロット・ハン・パラノビチ夫人は、永平寺傘松閣の天井壁画から阿出川真水(あでかわしんすい)の『紫陽花に燕』を模写し、アイスランドのハルドラ・マウルフリズル・ヘルマンスドッティル夫人は外海烟巌(白井烟巖)の『紅葉』を、桐の茶箱に写していた。 夫人たちにとっては初めての日本画体験であるが、英語で進められる太田慧香の丁寧な指導の下、和筆と岩絵具を使い、和紙や絹地に描いていく。時に自由奔放に、時に琳派のたらし込みなどの日本独自の技法を巧みに使い、それぞれの見てきた世界を反映しつつ表現されていく。 このクラスに参加し、自ら日本画を描くことで体得した「なにか」をもって、山種美術館、根津美術館などを訪れ、有名画家の作品に触れることがとても大きな楽しみになったと語る大使夫人たち。「このクラスに来ることは一種の瞑想体験」と語る。そんな充実のひと時と、本当の日本文化への理解がここに存在していた。 太田湘香作品集 虚心会画廊HPより: SHOKO OHTA WORKS 関連記事: 日印文化パフォーマンスの一日開催

Lyena Yonekura - The Bilingual actress and director by Hersey Shiga

エンタメの次世代を育成 – 米倉リエナさん

今回のゲストはディレクター、女優、キャスティングディレクター、通訳者、演技コーチとして多彩に活躍する米倉リエナさん。 有名キャスティングディレクター・奈良橋陽子と、プロデューサーであったジョニー野村を両親に持ち、自然とエンターテインメント業界に足を踏み込んだ米倉リエナさん。アメリカに留学し演技とディレクティングを学んだ後、現地で女優としても経験を積み、日本の女優として初めて米名門俳優養成所「アクターズ・スタジオ」の公式メンバーとなった。 Watch the video here ◆ Camino Realhttp://www.caminoreal.jp/en/ ◆ Instagramhttps://www.instagram.com/lyenayonekura/

Jamaican Blue Mountain coffee

ジャマイカ・ブルーマウンテン・コーヒーの日

1月9日はジャマイカ·ブルーマウンテンコーヒーの日 ハリケーンにも害虫にも負けない「勝ち豆」を飲んで、カップの中に幸運を! 2022年8月6日に英国からの独立60周年を迎えるジャマイカ。ジャマイカと言えば、日本人が必ず思い出すのはレゲエ、ウサイン・ボルトとブルーマウンテンではないか。ショーナ・ケイ・リチャーズ駐日ジャマイカ大使はこの度、ブルーマウンテンコーヒーの日を祝い、同時にジャマイカの観光、文化の魅力を伝えるため、メディア向けのコーヒーイベントを開催した。 関連記事: ショーナ-ケイ・M・リチャーズ駐日ジャマイカ大使インタビュー ジャマイカ・ブルーマウンテン・コーヒーの日は、日本のコーヒーの関係者には忘れられない大切な歴史の一部。1976年1月9日、ジャマイカの主都・キングストンの港から日本に向けて過去最大量のコーヒーが出荷された。これを記念し、ジャマイカコーヒー輸入協議会(AJIJC)の働きかけによってこの日を「ジャマイカ・ブルーマウンテン・コーヒーの日」と定めたという。 ジャマイカの国旗を彩る3色は、ゴールド、緑と黒。それぞれに意味があり、ゴールドは太陽の光と活気、緑は天然資源に恵まれたジャマイカの土地、黒は力強く、創造的な人々を表している。リチャーズ大使は、この三色を取り入れた美しい振袖姿で登場し、会場を沸かせた。大使のこの着物姿には、日本への友情と信頼、このイベントに集まった人々への感謝の気持ちも込められている。 ジャマイカ・ブルーマウンテン・コーヒーは、バランスの取れた滑らかさと素晴らしい香りを備えた最高級のコーヒーの1つだが、産地はジャマイカのブルーマウンテンの中でも限られた場所で適切な温度に管理された条件の下、栽培され収穫は全て手で摘み取られる。また、ハリケーンに代表される過酷な自然災害にさらされることも多い。さらに収穫後は、厳しい品質検査を乗り越えて出荷されることから、人々は「試練に打ち勝った勝ち豆」とも称賛している。 世界中がコロナ禍にある厳しい現状の今、ふとした日常のひと時に、「勝ち豆」をゆっくり味わってみたい。 遠い国であったジャマイカ。美しい着物姿の大使の笑顔ととてもおいしいコーヒーに、距離を忘れて深い親しみと安らぎを得た。リチャーズ大使の「ブルーマウンテンが日本人の生活の一部になりますように」という願いが叶う日も近い。 詳細はこちらから: Jamaican Embassy in Japan 関連記事: コンスタンティン・カキュシス駐日ギリシャ大使にインタビュー

Jorge Toledo Albiñana

スペインと日本の架け橋となって

インタビュー:駐日スペイン大使 ホルヘ・トレド・アルビニャーナ閣下 日本とスペインは、強固な友情を育んできたと共に、本質的な価値も共有している。駐日スペイン大使は、日本での外交官としての駐在の意味、キャリアと、大使自身が愛してやまないスペイン·日本という二つの国のより大きな協力と経済発展ついて、詳細な見解を語った。 Q:スペイン駐日大使として、どのような時間を過ごされましたか。 まず、駐日スペイン大使として勤務することは私の夢であり、その夢がかなったと言えます。25年前に日本での最初の駐在を経験しました。東京の駐日スペイン大使館に一等書記官として駐在しておりました。その駐在も忘れられない印象を残しましたが、この度は、本当に夢が実現したと言えます。大使として駐在した期間に築き上げてきた経験と、この素晴らしい国で育んできた友情を今後も大切にしてまいります。 Q:駐日大使としての駐在期間で、最も印象に残った出来事は何でしたか? 今、駐在期間を振り返ってみると、ネガティブな印象としては確かに新型コロナウィルス感染拡大(COVID- 19)でした。ポジティブな面では、今上陛下の即位礼正殿の儀に関わる一連の儀式でしょうか。それは最も記憶に残る出来事の1つだったと思います。スペイン国王フィリペ6世とレティシア王妃がこのために来日いたしましたし、今上陛下の即位の儀式に、国王夫妻と共に私も同行できたことはとても光栄に思っています。これは非常に印象的でした。 もう一つの注目すべきイベントは、2019年に大阪で開催されたG20サミットでした。スペイン首相のペドロ·サンチェスが来日いたしましたので、私も同行し、出席いたしました。もちろん、2021年に開催された東京オリンピックも間違いなく素晴らしかったです。無観客での開催でしたが、幸運にもそのオリンピック開催時に、この日本で大使を務めることができました。スペインオリンピック委員会から特別な認定を受けておりましたので、直接競技を見ることができたこともまた光栄でした。この得難い特権もまた忘れられません。 また、実は25年前に長野で開催された1998年冬季オリンピックは、当時、一等書記官として出席することができました。私は当時のスペイン国王ファン·カルロス一世とソフィア王妃と一緒にこの大会に参加いたしました。つまり、日本での二度の駐在の際に、日本で冬季オリンピックと夏季オリンピックの両方を経験することができたということです。これは本当に幸運でした。 概して、日本では素晴らしい思い出を作ることができたと思います。私はこの国、人々、そして文化を心から愛しています。日本と日本がもたらしたこうした経験は、思い出としていつも私の心の中に生きています。 Q:駐日スペイン大使に就任なさる前は、欧州連合の国務長官として勤務していらっしゃいました。これは非常に重要な立場ですが、ヨーロッパを代表する責任を感じることはおありでしたか? はい、まさにその通りです。セネガルでも大使として3年間の任務を経験しておりますが、それ以外では、私の外交官としてのキャリアは、アジアと欧州連合の二つが重要です。 私は33年以上に亘って外交の経験を積んでまいりました。その半分以上が欧州連合の問題にかかわることであり、そのことに専念してきています。駐日スペイン大使に就任する前の最後のポストは、副大臣にも例えることができる欧州連合の国務長官でした。多くのEUメンバー国では、このポストは「ヨーロッパの大臣」とも呼ばれています。 それ以前は、首相官邸の欧州担当局長を務めていました。こうした経験からも、私は自分自身をヨーロッパ人であり、ヨーロッパ人と言うだけでなく、西ヨーロッパを統一するヨーロッパ人だと考えています。 私はドイツ生まれで、母はフランスで生まれました。基本的に、私はスペイン人であり、スペインの外交官でもあります。したがって、私は自分自身を西ヨーロッパ統一主義の親ヨーロッパ人だと思っています。 外交について Q:スペインと日本の両国は、互いに何を学ぶことができるのでしょうか? スペインと同様に、日本は非常に古い国であり、両国は人権、法の支配、民主主義などの共通の重要な価値観を共有しています。その結果、スペインと日本はよき友であるだけでなく、非常に良好な関係を維持しています。スペインと日本はこのように価値観を共有しているので、国際舞台でこの価値観の共有を守っていくことができています。 今の日本は世界で最も重要な地域のひとつである極東において、非常に重要な国だと考えています。 特に、スペインは日本を、極東アジアの自由貿易と法の支配、海事と航行の自由、多国間主義の擁護者と見なしています。こういったことは、すべてスペインにとって非常に重要です。それはつまり、インド太平洋と、極東アジアの平和が安定し、さらない繁栄することを望んでいるということと、さらに、日本がこうした考えにおいて、擁護できる主要な国であるということです。 貿易と経済について 日本とスペインの貿易関係でさらに進展してほしい分野についてお話しいただけますか?…

『TEDxNiiza』ホスト、ロバート・ミギネス

『TEDxNiiza』ホスト、ロバート・ミギネス

 TEDxOgikubo、TEDxNiizaのホストを務めたロバート・ミギネス。パプア・ニューギニア生まれの彼は、オーストラリア人の軍人の父、そして看護師の母を持ち、世界中を旅した後に日本に移住。化粧品に特化した輸出入サポート会社「Knect Japan」を2015年に設立した。 オーストラリアでは建築学を教えていたというミギネス氏が日本での暮らし、そしてTEDxの意義を語る。 ロバート・ミギネス: ◆ Website: KNECT◆ Instagram: https://www.instagram.com/robert.mcguinness Dezeen Architecture: Kengo Kuma ポッドキャスト: ◆ iTunes: https://podcasts.apple.com/jp/podcast/eyes-on-japan/id1578495900?l=en◆ Spotify: https://open.spotify.com/show/39KCbo4fGGGDJrGEvibFd7 関連記事: Steven Haynes – Confidence…

Robert Whiting

ロバート・ホワイティング – Tokyo Junkie

今回のゲストはジャーナリストのロバート・ホワイティング。ピューリッツァー賞にノミネートされた『You Gotta Have Wa(原題)』や『Tokyo Underworld(原題)』など日本に関する数々の本を執筆。日本在住経験もある彼は日本の新聞のコラムを持っている数少ない西洋人の1人であり、日本文化のエキスパートである。 映画のアイデアが生まれるきっかけとなった日本での経験を振り返る最新作『Tokyo Junkie: 60 Years of Bright Lights and Back Alleys . . . and Baseball(原題)』。ホワイティングが今まで執筆した本の中に登場する映画を通して、彼の人生を語る今作品。世界の人々が日本に対する見解を変える可能性を秘めた本の映画化についても語る。 On Youtube…

駐日イタリア大使によるチャリティー活動  お告げの聖フランシスコ会支援

駐日イタリア大使によるチャリティー活動 お告げの聖フランシスコ会支援

2021年年末、10月に着任したジャンルイジ·ベネディッティ駐日イタリア大使は、夫人とミゼリコルディア大阪の会長、フラヴィオ·ゴーリ氏と共に、大田区にある「お告げの聖フランシスコ姉妹会」を訪問した。「お告げの聖フランシスコ姉妹会」には、聖フランシスコ子供寮などのいくつかの施設があり、4歳以上の子供たちが生活を共にしている。  新型コロナウィルス感染拡大が非常に危険な今、社会的弱者にそのしわ寄せが来ていることは否めない。ハーシーシガグローバル株式会社も、この活動を支援している。どうか子供たちがみな幸せで、明るい未来を夢見ることができるようにと願っている。 READ MORE 【独占取材】ジローラモ流「成功のつかみ方」とは イタリア大使館 チャリティバザー

【独占取材】ジローラモ流「成功のつかみ方」とは

【独占取材】ジローラモ流「成功のつかみ方」とは

初来日から34年。TVや映画に出演するほか、ファッションモデルとしても活躍し、日本で成功を収めてきたパンツェッタ・ジローラモ。今回ハリウッドリポーター・ジャパンは、そんなジローラモに独占取材! 【THR独占取材】ジローラモ流 「成功のつかみ方」とはインタビューのなかで、「チャンスという特別な電車」に乗り遅れないよう、自分で動き続けることで人生は切り開けると、ロマンティックに語ったジローラモ。ステレオタイプが多いとされる日本エンタメ業界にて、外国人として活動してきた経験から、「外国人なら誰でも成功するという訳ではない。勤勉さが評価される日本で、信頼を勝ち取り、日本式の働き方を学ぶ必要がある。」と、熱弁した。 登録者数2万人を超える自身のYouTubeチャンネル『ジローラモのジローちゃんねる』では、「リアルなストーリー」をリポートできることが楽しいのだとか。芸能界に入った経緯やカメラに向かう事の面白さ、そして「ジローラモ流」チャンスの掴み方を聞いた。進化し続ける男・ジローラモの独占インタビューはこちらから。 YouTubeチャンネル『ジローラモのジローちゃんねる Panzetta Girolamo.』はこちら Instagram: @girolamo.me

コンスタンチン·カキュシス駐日ギリシャ大使夫妻の離日

コンスタンチン·カキュシス駐日ギリシャ大使夫妻の離日

この度、任期を終え、コンスタンティン・カキュシス駐日ギリシャ大使とイオアナ・ハリクリア・ヤナカル夫人が12月31日に日本を離れ、アテネに帰国した。 離日の前に都内のギリシャ大使公邸で送別会が開かれ、多くの関係者、支援者、友人が集まり、「海の力」と呼ばれた名大使と大使の最良の伴侶として日本とギリシャの友好にも尽くした夫人の離日を惜しんだ。 また、送別会に先立っては、ギリシャ大使夫妻の大きな貢献に感謝して、京都国際観光大使を務める辻星野様から美しい打掛が贈呈された。2021年12月26日には公邸の玄関前で育てていたオリーブの木を鶴岡八幡宮に寄贈した。 READ MORE コンスタンティン・カキュシス駐日ギリシャ大使にインタビュー Stay in touch with the Greek Embassy

ラテンアメリカ·カリブ振興協会

ラテンアメリカ·カリブ振興協会

JAPOLAC(ラテンアメリカ·カリブ振興協会)、クリスマス·チャリティーパーティを開催ラテンアメリカとカリブ諸国の架け橋として 一般社団法人日本ラテンアメリカ·カリブ振興協会(以後、JAPOLAC)は、スペイン語のフリーマガジン『Latin-a』を発行している「ひょうごラテンコミュニティ(Hyogo Laten Community)」の福祉活動を支援するため、2021年12月4日に六本木のR2スーパークラブでクリスマスチャリティーパーティーを開催した。 JAPOLACは、文化・教育・商業・観光・その他の分野において、日本とラテンアメリカ、カリブ海の諸国間の交流促進及び拡大を目指す人々により、2020年3月16日に創設された。代表理事は前パナマ大使リッテル·ディアスが務め、名誉会員には前エルサルバドル大使のマルタ・セラヤンディア·シスネロス、墨田区議の井上ノエミら、ラテンアメリカ諸カリブ海諸国きっての日本通が並ぶ。 Nuこのクリスマスパーティーにも、ホンデュラス、エクアドル、キューバ、コスタリカ、ドミニカ、パナマ、ハイチの大使、ペルー、ボリビア、ニカラグアの臨時大使、メキシコの公使ら、日本に駐在する外交官とその夫人をはじめ、国会議員、都会議員など、国際協力に関係する人々が参加した。 冒頭の挨拶で、リッテル·ディアスは、「ご参加の皆様のご理解により、20年以上に亘って日本語教育、その他の福祉活動を通じ、ラテンアメリカとカリブ海諸国出身者が日本社会に溶け込めるようサポートを続けている『ひょうごラテン·コミュニティ』を支援することができます」と心からの感謝の意を表した。世界的な新型コロナウィルスの大流行が続いているにもかかわらず、慈善団体の活動に賛同し、支援のために集まってくださった方々への感謝は尽きることが無い。 JAPOLACと代表理事のリッテル·ディアスによるこのチャリティー·イベントが大成功となったことは喜ばしいことだ。また、JAPOLACが掲げる「日本人とラテンアメリカ·カリブ諸国の人々の生活の質を向上のために、両地域から高い価値のあるアイデア、美徳をもって最良の方法で意見交換を生み出す」というビジョンも素晴らしい。今後の活動、イニシアティブに期待したい。 ラテンアメリカ·カリブ振興協会(JAPOLAC)に関する詳細は以下のサイトから:https://japolac.com/

コンスタンティン・カキュシス駐日ギリシャ大使にインタビュー

コンスタンティン・カキュシス駐日ギリシャ大使にインタビュー

この度、帰国を控えたコンスタンティン・カキュシス駐日ギリシャ大使にインタビューする機会を得た。日本とギリシャ両国間で「海の力」として称えられた外交官·大使として、その手腕、滞在中のハイライトとも言える業績についても述べている。 新型コロナウィルス感染の世界的大流行の中で開催された東京オリンピックへの尊敬と協力、その教訓についても大使は語っている。今まで、今後のギリシャと日本の間のより大きな協力と発展の機会についての見解は非常に興味深い。名大使のインタビューらしく、深い洞察に満ちた内容となった。 Q:日本滞在中を振り返ってみて、どのようにお考えでしょうか。 振り返ってみると「変化の時代に生きて」という古代中国の「呪い」に似た言葉しか思い出せません。私たちは日本には3年と数ヶ月滞在しましたが、新型コロナウィルス感染拡大を含むいくつかの困難な時期に直面しなければなりませんでした。また、新天皇の即位、無観客となった象徴的なオリンピックなど、非常に重要かつ歴史的な出来事を幾つも自らの目で見ることもできました。 日本は困難をものともせずに、東京オリンピック2020の開催を成功させました。それを理解することは重要です。日本以外の他の国ではできなかったと思います。それは褒め言葉ではなく、事実です。 日本人の献身はまさに前例がない程でしたが、それは、危険を伴うにもかかわらず、東京オリンピック2020開催という仕事をやり遂げるためには必要なことでした。また、ギリシャのテレビでは、「日本は島国であり、島として外部から入ってくる微生物や細菌などにはるかに敏感だ」とコメントしています。それからもわかるように、日本への危険はどの大陸の国よりも大きかったはずです。リスクがないわけではありませんでしたが、政府は深く考慮し、非常に勇気ある決断を下したと思います。 当初、誰もが東京オリンピック2020の開催に反対していました。しかし、開催決定という決断が下されましたが、その瞬間にも誰もが後ろ向きでした。これは私にとって非常に重要なことでもありました。 Q:通常とは全く違った東京オリンピック2020でしたが、大使はどのように体験しましたか。 近代オリンピックと古代のオリンピックには、いくつかの根本的な違いがあります。それらを並べてみるとすれば、古代オリンピックとは参加自体が神々への犠牲であったということを覚えておく必要があります。これが意味することは、動物の犠牲、寄付、神への献酒に加え、すべての参加者は、その努力を神々に捧げるということです。 現代のオリンピックはそれとはまったく異なります。もちろん、これは現代社会によって定義されているためであり、オリンピックの重要性を損なうものではありません。 現代社会では、神々への犠牲を提供することはありません。ですが、競技に挑む者は競うことで他の競技者への贈り物(犠牲)として自分自身を提供し、それによってお互いが成長し、より良くなることを助けていくということになります。これが現代の社会のすべてです。私たちは協同組合ですが、同時に対立するのではなくても社会に敵対もしています。つまり、現代のオリンピックが実践しようとしていることは、他の人々にも機会を与えることです。その手によって自分自身を試し、自らがより良くなるか、他者をより良くするということにほかなりません。 犠牲は一種の相互の犠牲ともいえます。それは日本の武道でも提示されているものです。たとえば柔道の鍛錬の際、相手は一方の訓練のために、片方の存在を提示することになります。つまり双方共にパートナーを尊重しなければなりません。 その意味で、現代のオリンピックは、他の選手と一緒に走ることでベストを達成し、それらの選手をさらに上のレベルに引き上げることを助ける機会を提供しています。 それが犠牲と言えるでしょう。それは常に私にとっては平行線を描くということでしょう。 東京オリンピックについて 東京オリンピックの主な際立った特徴としては、無観客であったということでしょう。古代と現代、両方のオリンピックにとって観客は重要でした。しかし、この東京オリンピックでは、観客として競技を現場で見る人は物理的に存在していませんでした。 聴衆は各地域に広がっていましたが、実際の会場には人はおらず、空間だけでした。応援もありませんでした。唯一の応援は競技者からであり、これは非常に興味深いものでした。オリンピックチームが会場を埋め、みんなを応援してくれました。 東京オリンピック2020は、通常のオリンピックとは極めて異なっていましたが、それだからと言って今回のオリンピックの競技の特徴が特に違っていたということではないでしょう。 Q:オリンピック以外に、日本からどんなことを持って帰国なさるのでしょうか。 残念ながら、少なくとも1年半は新型コロナウィルス感染拡大のために、ややイライラすることになりました。妻と私はとても強い主義主張を持っておりましたし、更にはギリシャからの非常に重要なミッションも受けていたので、いろんなことを開始していました。2018年に駐日大使に就任した際、当時の外務大臣であるニコス・コジアス氏と日本のカウンターパートナーである当時の外務大臣、河野太郎氏との間で会談がありました。その際に、当時の「両国間の、素晴らしいのではあるけれどやや遠い関係」を再活性化しようということが話し合われました。そうした背景があり、妻と私はより良い関係を再活性化するために取り組みを始めていました。 2019年の初めには外務大臣のヨルゴス・カトゥルガロス氏が日本を訪問しました。その後、2020年初頭に経済研究開発、エネルギー等の分野での協力のあり方を模索するため、副大臣レベルの閣僚グループも訪問しています。日本には、その他にも副大臣2名と外務大臣のコスタス·フランゴヤニスが訪問しています。 こうした訪問実績があったことは、新型コロナウィルス感染拡大の前に、どれだけの努力が払われたかを示しています。その後はすべての会議が延期、キャンセル、またはオンラインで開催となってしまい、実際には役に立ちませんでした。…

エルフ・モノド・オノラ ハイチ大使インタビュー

エルフ・モノド・オノラ ハイチ大使インタビュー

ハイチ共和国特命全権大使のエルフ・モノド・オノラ氏から大使になるまでのキャリア、日本とハイチの関係と見解、世界が愛する活気に満ちたハイチの文化についてお話しいただく機会を得た。 議論は両国間の貿易関係から、大使執務室に並ぶラム酒のボトルにまで及んだ。 両国間の今後の関係性に対するオノラ大使のビジョンは、交友関係だけでなく経済発展への大きな可能性を含んでおり、希望にみちた明るい未来への道しるべとなるものである。 パートI〜キャリア〜 日本に来たきっかけを教えてください。 重要な質問ですね。私は、幼い頃から自分が住む世界とは全く違った新しい文化を発見するために世界を旅することを夢見ていました。 日本への憧れは、私が子供だった1990年代に遡ります。当時、父が自宅にビデオデッキを持っていたことを覚えています。 日本製でサンヨーが作ったビデオデッキでした。父に、このビデオデッキはどこから来たのか聞いてみると、「日本からだ」と言われました。その時に、いつかこの国、日本に行きたいと思いました。 2020年10月7日に信任状を天皇陛下に捧呈し、駐日特命全権大使となりましたが、実は日本との関係はもっと前に遡ります。ハイチの大学で経済学と統計学の学士号、マルティニークのアンティル・ギアン大学法経済学部で経済政策の修士号を取得した後、2008年に神戸大学大学院博士課程に入学したところから私の日本との関りがさらに深まりました。 神戸大学で経済学を習得した後、ハイチ共和国の外務省に採用され、駐日ハイチ大使館で一等書記官として働き始めました。ハイチの外務省には日本の専門家がいなかったので、日本で生活経験のある私に白羽の矢が立ったのでしょう。 より専門性を高めたかった私は、2016年からカナダにあるトロント大学の公共政策ガバナンス学部(SPPG)に入学し修士号を取得しました。2017年には、故ジョブネル・モイーズ大統領の経済顧問に就任しました。その後、2019年5月に大臣兼カウンセラーとして日本に戻り、2020年6月に臨時代理大使、2020年10月に特命全権大使に任命されました。 振り返れば、カリブ海にあるフランス海外県・マルティニーク島で学び始めた時、初めてハイチ以外の国を知った私の心に母国に貢献したいという思いが強く芽生えたような気がします。 母国への貢献という志を胸に抱きながら、日本を選んだのには、2つの理由があります。1つ目はその学問的資質と卓越した豊かな文化、そして、2つ目は私が知り得ない異なる冒険が目的でした。それ程までに、アジアの一国である日本は私たちにとって非常に未知の地域でした。 パートII〜2国間関係〜 ハイチと日本の関係について、まず近代の歴史から伺えますか。 両国の外交関係は、第二次世界大戦前の1931年に始まりました。これは神戸に最初の領事館を開設したことから始まっています。ですが結果として、ハイチは日本との正式な関係を維持できませんでした。しかし、戦後の1956年、東京に大使館が開設され、両国の正式な関係が再開されました。ハイチは日本に大使館がある数少ないカリブ海諸国の1つです。 ハイチが現在直面している課題、日本政府とハイチ政府の協力の経緯を教えてください。 ハイチは日本から多くのことを学んでいます。特に、戦争や災害から復興する日本の底力でしょうか。 私がまだ日本で学生だった2010年、大地震がハイチを襲いました。地震によってハイチは壊滅状態となり、20万人以上の死者を出しました。この地震という自然災害によって多くの友達も失いました。 その1年余り後、さらに大きな地震が日本を襲いました。しかし、日本はこの「東日本大震災」という打撃に耐えることができ、復興の途上にありました。しかしハイチには、同じことは言えませんでした。 約1年の差はあっても両国が大地震に襲われたのは、共にいくつかの構造プレートの境界に位置しているという立地に原因があります。その地理的な条件は、両国が、このような大きな自然災害が起きるリスクを抱えていることを示しています。しかし、このような自然災害が発生した後、ハイチが国土を再建し、復興を遂げるには、日本の復興する力から学ぶ方法を見つける必要があります。現実には日本は耐震技術を備えた主要な国の1つです。 まずは地震の管理方法を学ぶ必要があります。今年8月にも大きな地震がありましたが、その後に日本政府は、国際協力機構(JICA)を通じて多大な支援を提供して下さいました。さらにはハイチの一部の再建を助けるための資料も提供してくれました。しかし、私たちに出来る事はまだまだあると思います。…

『ARTS for the future』ウィズコロナの挑戦

『ARTS for the future』ウィズコロナの挑戦

11月30日、NPOちきゅう市民クラブ及びK&Associates Internationalの主催で、『イリーナ・ペレン、マラト・シェミウノフと共演する「日露芸術美の饗宴」バレエガラ – コロナ禍における積極的な挑戦 – 』が開催されました。コロナ禍での入国制限の中、日本の文化庁を初め、4省庁及び在サンクトペテルブルグ日本総領事館の協力で、来日が実現しました。 この公演は、日露両政府がどんな時でも芸術文化で交流しようと始まった、ロシア文化フェスティバルの公式プログラムであり、かつ、文化庁の『ARTS for the future』の採択事業。コロナ禍で海外から招聘するのが困難な中、ホログラムという新しい技術を使って、バーチャルとリアルの共演という新演出が斬新でした。 ロシアバレエ界のプリンシパル、イリーナ・ペレンとマラト・シェミウノフは、2014年より両主催者と共に数々の日露交流教育事業を行い、これまで参加した日本の若手ダンサーは、プロとなり世界中で活躍しています。 2年ぶりの来日となったこの公演でも、多くの若手プロダンサーが参加した。また、『東京2020文化プログラム』の一環として、文化庁日本遺産大使を務める能楽師の大倉正之助氏(重要無形文化財総合指定保持者)が共演しました。 交流が希薄となってしまったこのご時世に、お客様との絆を築き、心の交流になればと、出演者のサインとメッセージを書いた紙飛行機が飛ばされたり、会場の全員との記念集合写真など、心に届く配慮が各所で感じられる公演でした。 全員参加の大迫力のグランドフィナーレは圧巻。 2021年12月24日〜2022年1月18日まで、インターネットで有料配信されます、会場に足を運べなかった方は、この機会に是非ご視聴されてはいかがでしょうか。配信期間中、お好きなタイミングでログイン後13日間ご視聴いただけます。 配信チケットの購入は、こちらから(カンフェティ HP)  主催:NPOちきゅう市民クラブ、K&Associates International企画・プロデュース:川島佳子構成・演出:イリーナ・ペレン、マラト・シェミウノフ、川島佳子ホログラムディレクション:上田聡(Fusion Wall)レインボウ スワン レイク、葦笛 指導:鎌田真帆 (M BALLET- school of…

チュニジア大使公邸にてコンサート

チュニジア大使公邸にてコンサート

チュニジア大使ご夫妻による若い日本の音楽家を支援するためのコンサートが開催された。 新型コロナウイルスの影響により、数々のコンサートが中止になり、音楽家の活動は制限された。今現在、感染拡大が少しの落ち着きを見せる中、若く才能溢れる音楽家に活動の機会を与え、音楽の楽しみを、ジャンルを問わない多くの方々と分かち合おうと、モハメッド・エルーミ駐日チュニジア特命全権大使そしてフダ夫人の意向により企画された。 藝大大学院に在学中で、将来を嘱望された二人の演奏家、栗林衣李(バイオリン)と大塚菜々子(ピアノ)が珠玉の名曲の数々を演奏した。その中でも特に話題となり、観客の心をとらえたのは、チュニジアの有名な歌「Under the Jasmine Tree at Night(夜のジャスミンの木の下で)」であった。これはフダ夫人のリクエストにより、今回のコンサートのためにバイオリンとピアノの為に編曲された。誰もがこの美しいメロディーに魅了されていた。 チュニジアは、日本とも長きに渡り友好な関係を持つ国だ。国土は美しい自然に恵まれ、モザイクタイルで飾られた都市は美しく荘厳であり、食事もおいしい。映画「スターウォーズ」の撮影はこの地で行われ、世界的にも有名な観光立国でもある。また、発展の目覚ましいアフリカ諸国の先頭を切っており、2022年にはTICAD8(第8回アフリカ開発会議)のホスト国にも選ばれている。 驚くことではないが、各国駐日大使館は、チャリティー及び文化活動を行っている。中でもチュニジア大使館は、人と人との交流、芸術支援、文化交流活動に熱心な大使館の一つである。エル―ミ大使とフダ夫人は、今回の公邸でのコンサートのような若い音楽家への支援に加え、横浜市の小中学校で講演を行うなど、多くの心温まる交流の機会を設け、日本の人々にチュニジアの魅力を伝えている。また、日本で彼らを必要としている人々へのサポートにも余念がない。 大使と大使夫人には、チュニジアと日本の為に、引き続きご活動いただきたいと願う。 プログラム 演奏:栗林衣李 バイオリン、大塚菜々子 ピアノ エルガー:愛の挨拶 モンティー:チャルダッシュ パガニーニ:カンタービレ チュニジアの音楽:ジャスミンの木の下で クライスラー:ウィーン風小行進曲 ブラームス:F.A.E.ソナタより 第三楽章 スケルツォ For more information…

アンゴラ大使館クリスマス·パーティ

アンゴラ大使館クリスマス·パーティ

2021年12月11日、日本のアンゴラ共和国大使館のメインホールで、ルイ·オーランド·シルバ·シャビエル大使のファティマ·リマ·シャビエル夫人がクリスマス·ランチを開催。日頃の感謝とその貢献に感謝を込めて、外交団、日本人スタッフ、その他、関係者、家族と共に過ごし、その労をねぎらった。 ファティマ・リマ・ザビエル夫人は、喜び、愛、希望が心に満ちて、だれもが祝福と感謝の気持ちを持ってクリスマスを大切に過ごせるように願っていると語る。 調和の精神を持ち続けることを祈り、夢とプロジェクトの実現に向けて、多くの人々の貢献に感謝を込めて。平和、愛と喜び。友愛とユニオンが常にありますように。 For information visit: Embassy of the Republic of Angola