久々の開催は大盛況第18回アラブチャリティバザー六本木・泉ガーデンギャラリーで開催

久々の開催は大盛況第18回アラブチャリティバザー六本木・泉ガーデンギャラリーで開催

本場のアラブの文化に触れる身近な機会として、多くの人々に愛されている「アラブ大使夫人会(the Society of Wives of Arab Ambassadors in Japan, SWAAJ)バザーが七年ぶりに開催された。 コロナ禍で中止が相次いだが、今回は高円宮妃久子殿下ご臨席の下、華やかな開会となった。オープニングセレモニーにはアラブ諸国の大使夫妻を始め、林芳正外務大臣夫人、河野太郎デジタル大臣夫人らも出席し、エジプト、パレスチナ、チュニジアなどの舞踊、音楽等のエンターテインメントも披露された。 各国大使館はそれぞれに個性豊かなブースを展開した。アラブ諸国の美しい工芸品、可愛らしくデザインされたグッズ、アラブの美術館グッズ、甘いデーツを使ったお菓子や各国大使館のシェフが調理した本場の食事も提供された。 ショッピングも楽しめるほか、アラブ書道、ヘナの体験もできた。特筆すべきことは、アラブの本格的なテントが設定されていたことではないか。珍しいテントも出て、日本人参加者はその中でゆっくりとミントティーを飲み、あまりデーツをいただいてくつろぐことができた。 今回のバザーは、モハメッド・エル―ミ駐日チュニジア特命全権大使のフダ夫人が陣頭指揮に当たった。フダ夫人はこの度で二度目の駐在となる日本通。日本人の好みに合わせた繊細なアレンジがなされ、素晴らしいアラブ大使夫人会設立25周年を記念したイベントとなった。 このバザーの収益金の一部は、アラブ諸国と日本の指定団体に寄付される。 詳細・お問い合わせは以下へお問い合わせください: 駐日パレスチナ常駐代表部TEL:03-5215-8700E-Mail:embsec2@palst-jp.com チュニジア共和国大使館TEL : 03-3511-6622E-Mail : tourcom@tunisia.or.jp…

一般社団法人アジア婦人友好会 第45回 アジアの祭典・チャリティーバザー開催

一般社団法人アジア婦人友好会 第45回 アジアの祭典・チャリティーバザー開催

一般社団法人アジア婦人友好会は、日本はアジア諸国の人々と手を取り合って平和と繁栄を図って行くことが大切という考えを持って1968年、三木睦子氏によって創設された。 以来、アジア・大洋州の地域のメンバー国大使館と力を合わせ、文化交流など様々な行事を通じて、メンバー国間の相互理解と親善に努めている。その一環として、アジア・大洋州地域の子供・女性のための福祉・教育の向上を支援し、またメンバー国において自然災害が発生した際には、お見舞金を届けるなどの活動を実施している。 その中でも「アジアの祭典・チャリティーバザー」は、大勢の人々のサポートと心遣いによって毎年開催され、その収益は、全てバザー参加国の子供・女性の福祉、教育支援、災害援助のために使われている。 コロナ禍にあって、しばらく中止を余儀なくされた「アジアの祭典・チャリティーバザー」だが、今年はリアル開催される。 今年の大使館側代表は、ヌニン・ワフユニアンティ・アフマディ インドネシア大使夫人、副代表は百恵・フリッツ ミクロネシア大使夫人。 大使館のブース、日本ブースは高知県、支援団体、NPO、出店等のブースが多数出るバザーは国際色豊かでとても楽しく、毎年大勢の人々が集まりショッピングを楽しむ。 日時:2023年 5月10日(水曜日) 午前の部:10:00~11:30 午後の部:12:00~13:30(二部制) 会場:明治記念館 住所:東京都港区元赤坂 2−2−23 入場券:1枚 2000円  (入場券は完売いたしました) ラッフル券:1枚 500円(豪華な賞品が当たるラッフル券のご購入をお願い致します) *会場の消防法による収容人数制限のため、二部制となっています。  入場券販売に制限あるため、ご希望に添えない場合は、その対策として、ラッフル券の購入、会の趣旨に賛同された方々からの寄付による協力を受け付けております。 *一般社団法人アジア友好婦人会に連絡し、チケット購入・寄付の申し込みは下記までご連絡いただきます様お願いいたします。 連絡先の電話番号:070-3865-1226 一般社団法人アジア婦人友好会:ウェブサイトはこちら

ヨルダン、ラーニア王妃 東京国立近代美術館70周年記念展「重要文化財の秘密」をご鑑賞

ヨルダン、ラーニア王妃 東京国立近代美術館70周年記念展「重要文化財の秘密」をご鑑賞

東京都千代田区にある東京国立近代美術館は、日本初の国立美術館として1952年に開館して以来、日本の近現代美術を中心としたコレクション、保存、調査研究と質の高い展覧会の開催をし続けている。 現在は開館70周年を記念して企画展「重要文化財の秘密」展が開催されている。この展覧会を、来日中であったヨルダンのラーニア王妃がタイトなスケジュールの中でご訪問なさってご鑑賞なさった。 ラーニア王妃は常に日本の芸術に深い感謝を抱いていらっしゃるという。この来日に際しても東京国立近代美術館を訪問なさることを楽しみにしていらしたのではないか。 「問題作が傑作になるまで」と言うサブタイトルを持つこの展覧会は、明治以降の絵画・彫刻・工芸の重要文化財68点のうち51点が展示されるという豪華な内容となっている。(展示替えあり)その中には、現在は重要文化財に指定されている傑作であっても、発表時には新しい表現を打ち立てた「問題作」として扱われていた作品も多い。重要文化財に指定された作品は、保護の観点から貸出し、公開が限定されるが、この展覧会では非常に多くの作品群を一気に観賞できる貴重な機会ともなっている。 ラーニア王妃は、そうした美術品が持つ歴史、美術史の秘密も事前にご存知だったとも思える。東京国立近代美術館については、日本の豊かな歴史を探求する素晴らしい場所であり、過去と独自の文化的アイデンティティに対する日本人の敬意を反映しているという公式メッセージも残していらっしゃる。 ラーニア王妃は、川合玉堂が描いた《行く春》、原田直次郎による《騎龍観音》の前でも足を止められご鑑賞なさった。 また、ヨルダンと言うお国柄もあってか、鷹の彫金作品もご鑑賞なさった。所蔵作品展「MOMATコレクション」では、太田聴雨の《星をみる女性》に興味を抱かれたようだ。 東京国立近代美術館の所蔵品、企画展は多くの海外の王族、政府関係者をも魅了し続けている。日本を訪れる外国人旅行者にとっても日本の美術を鑑賞し、理解するには最適の場所だ。 特筆すべきはそれぞれの作品に添えられている英語の解説の質の高さではないだろうか。日本美術のもつ独特の世界観、情緒を正確に伝える端的な英語の表現は素晴らしい。英語を学んでいる学生、通訳·翻訳業を目指す人々にも、日本美術を語る上でのいい教材になると思う。 現在開催中の「重要文化財の秘密」展は5月14日まで開催され、5月9日からは菱田春草の《黒き猫》も展示される。ぜひとも東京国立近代美術館を訪れ、企画展と所蔵作品展を合わせてじっくりと鑑賞していただきたい。 東京国立近代美術館:公式ウェブサイト

セント・パトリックス・デーを祝って アイルランド大使館 ナショナルデー

セント・パトリックス・デーを祝って アイルランド大使館 ナショナルデー

駐日アイルランド大使館は、コロナ禍によって中止となっていたアイルランドのナショナルデー「セント・パトリックス・デー」を祝うレセプションを2019年以来、4年ぶりに対面で開催した。 3月17日のセント・パトリックス・デーはアイルランドにキリスト教を伝えた聖人セント・パトリックの命日であり、アイルランド共和国の祝祭日となっている。また、世界中でアイルランドにルーツを持つ人々、友人など、世界約7000万人がこの日を祝うという。 日本でも、アイルランドをより日本に知ってもらおうという意向の下、1992年から各地でイベントが開催されている。今年度は対面でのイベントが再開されることになり、札幌、横浜、松江、熊本など、日本国内で20以上のパレード、イベントが開催され、約20か所でグリーンのライトアップが行われている。 こうしたイベント、パレードの実現は日本にあるアイリッシュコミュニティと日本のパートナーがリードしてきた。この日にむけて、地道な努力を続けてきた人々に、昨年着任したデミアン・コールアイルランド大使から丁寧なお礼が述べられた。 今年度のセント・パトリックス・デーのプログラムの一環としては、アイルランド政府よりジャック・チェンバース交通省 国際・道路交通・物流担当大臣 兼 環境・気候・通信省 郵政政策担当大臣が来日し、このレセプションにも参加した。 チェンバース国務大臣は、コロナ禍を経て、こうして日本の関係者、友人らと集い、アイルランドのナショナルデーを祝うことができた喜びを述べた。続いて2020年のオリンピック・パラリンピック東京大会では、アイルランド出身の選手がの大活躍したこと、日本とのはスポーツ交流がも盛んになっていることを述べただ。また、ATATools、Fexco、Kitman Labs, Tirlanと言ったアイルランド企業も日本に進出しており、ますます経済面での関係が強化されていることについても述べられた言及した。 このレセプションでも、芸術大国らしいプログラムがコール大使の計らいで準備された。美しいアイルランドの音楽がアイリッシュハープを交えたアンサンブルで演奏され、アイリッシュダンスも披露された。 アイルランドはオスカー・ワイルド、ジェイムズ・ジョイス、ジョージ・バーナード・ショー、サミュエル・ベケット等の作家、ボブ・ゲルドフ、Bono(U2)、エンヤなどに代表されるミュージシャン、コリン・ファレルなどの俳優、フルートのサー・ジェームズ・ゴールウェイ等のクラシック音楽家を大勢生み出している芸術大国でもある。 アイリッシュハープとのアンサンブルによる美しいアイリッシュミュージックが奏でられ、アイリッシュダンスも披露された。日本でもとても有名なアイリッシュダンスの起源は16世紀に遡る。 日本にも愛好家が多いアイリッシュダンスの実演に会場は多いに沸いた。素晴らしい踊りを披露したアイリッシュ・ダンサーたちとは、自民党の細田博之衆議院議長、公明党の岡本光成衆議院議員らも並んで記念撮影をした。 音楽、ダンス、日本ではなかなか食べられない本場アイルランドのおいしい料理、本国直輸入の伝統的なチョコレート、ビスケットなど、沢山のアイルランドからの「おもてなし」の心がこもったレセプションであった。招待客はいつまでも多くの人々との対話と極上のギネスビールを楽しんだ。 来年もまたこうして集い、セント・パトリックス・デーを祝い、アイルランドの芸術、文化を楽しむひと時がかなうことを誰もが願い、今年のナショナルデーレセプションを終えた。 【関連記事】 アイルランド大使館(Embassy of Ireland in Japan) ウェブサイト:https://www.dfa.ie/japan/ Twitter: @IrishEmbJapan |…

セルビアの歌姫 イェレナ・コンチャル来日「カルメン」のアリアで聴衆を圧倒

セルビアの歌姫 イェレナ・コンチャル来日「カルメン」のアリアで聴衆を圧倒

セルビアの首都ベオグラードの北に位置するノヴィ・サドはヴォイヴォディナ州の州都であり、セルビア第二の規模を誇る経済と文化の中心地でもある。ドナウ川沿いにあるノヴ・サドの市街には今もなおかつてのオーストリア・ハンガリー帝国時代のたたずまいが残り、また、文化的にもその影響は色濃い。 ノヴィ・サドにはセルビアで最も長い歴史を誇るセルビア国立劇場がある。その劇場においては年間200回近いオペラ、バレエ、演劇が上演されており、セルビアの舞台芸術の中心とも言える。そうした文化都市であることもあり、ノヴィ・サドは2021、2022年の欧州文化首都に選出され、一年間に亘って多くの文化行事も開催された。 この度、セルビア国立劇場で主席ソリスト(メゾ・ソプラノ)を務めるイェレナ・コンチャルが来日し、コンサートを行った。セルビア大使館でもアレクサンドラ・コヴァッチュ大使による女性の社会での活躍を象徴する「女性のためのコンサート」を企画、開催された。このコンサートにはゲストとして日本に駐在する女性大使の多くが出席している。 イェレナ・コンチャルはノヴィ・サド出身、ベオグラード国立大学で声楽を学び、学生時代からそのキャリアをスタートさせた。才能と華やかな美声に恵まれた美貌のオペラ歌手だ。 大使館のステージにはピンクと黒のドレス姿で登場したが、そのすらりとした立ち姿だけでも華がある。その声は華やかでありながら、かつて東ヨーロッパと呼ばれた地域出身のオペラ歌手らしく、ふとしたところに影と深みがある。よくオペラ歌手の声はアルプスを越えると違ってくると言われるが、コンチャルにもそうした陰影を秘めた魅力が備わっている。 聴衆を前にコンチャルはセルビアの歌、日本の歌を披露し、ハイライトにはオペラ「カルメン」から「ハバネラ」と「セギディーリャ」をうたった。コンチャルはまるで男性から男性に渡り歩くジプシーの女カルメンが乗り移ったかのように顔の表情を変え、自在に声を操るようにこの難しいアリアを歌った。素晴らしいカルメンを聴衆は堪能することができた。 イェレナ・コンチャルはまだ若い。きっと近い将来、よりその芸術に磨きをかけ、セルビア以外の国々のオペラハウスにも招聘され、世界を舞台に活躍することだろう。 ぜひともまた日本にも来てほしい。できれば今度はヴェルディのオペラ「イルトルバトーレ」に出てくるジプシー女「アズチェーナ」を演じてほしい。そんな余韻と次回への期待をのこしたコンサートだった。 イェレナ・コンチャル(Jelena Končar)メゾソプラノ セルビア第二の都市ノヴィサドにあるセルビア国立劇場(Serbian National Theatre)のソリスト(メゾソプラノ)。ラドミラ・バコチェヴィッチの指導の下、ベオグラード芸術大学音楽学部卒業。在学中からアニータ・メゼトヴァ奨学金やビセルカ・ツヴェイッチ奨学金、CEE Musictheater (ウイーン)奨学金を受け、数々の国内外のコンクールにて上位入賞。 彼女のオペラ歌手としてのキャリアは若くして始まり(学生時代から)、カルメン、アイーダ、スペードの女王、ホフマン物語、蝶々夫人、ナブッコ、リゴレット、オルレアンの少女など、数多くの有名なオペラに出演。 ベオグラードの国立劇場、ベオグラードのマドレ二アヌム劇場(ゼムン)、スロベニアの国立マリボール劇場(リュブリヤーナ)、クロアチア国立劇場(ザグレブ)、マケドニア国立劇場(スコピエ)でも頻繁に出演。ベオグラードフィルハーモニー管弦楽団、セルビアラジオテレビ(RTS)管弦楽団、聖ジョージ弦楽合奏団、セルビア軍隊管弦楽団などとの協演も数多く行っている。 【関連記事】

第18回アラブチャリティーバザー

第18回アラブチャリティーバザー

駐日アラブ大使夫人の会(SWAAJ)主催第18回アラブチャリティーバザー開催! 今年、駐日アラブ大使夫人会(SWAAJ)は、創立25周年を迎える。その記念行事の一環として、5月27日に泉ガーデン·ギャラリーで「アラブ·チャリティー·バザー」を開催する。 このバザーではショッピングの他にも、アラブの文化、音楽、工芸品、民族舞踊、アラブ書道、ヘナの体験をすることができる。また、今回のイベントの売り上げの一部は日本とアラブの指定慈善団体に寄付される。 詳細は: 開催日時:5月27日(土)11:30am -16:30pm 場所:泉ガーデンギャラリー(港区六本木1-5-2) 入場料:2000円(抽選券付) 入場チケットのお問い合わせは 駐日パレスチナ常駐代表部TEL:03-5215-8700E-Mail:embsec2@palst-jp.com チュニジア共和国大使館TEL : 03-3511-6622E-Mail : tourcom@tunisia.or.jp エジプト大使館TEL : 03-3770-8022E-mail : egyptazaar2023@gmail.com 【関連記事】

東京マラソン参加前日イベントオランダ王国大使館、パスタ·パーティーを開催

東京マラソン参加前日イベントオランダ王国大使館、パスタ·パーティーを開催

オランダはとてもスポーツが盛んな国だ。オランダと言えば、1964年の東京オリンピック無差別級で金メダリストを取った「静かな巨人」アントン・ヘーシンク、札幌オリンピックで大活躍を見せたスピードスケートのアルト・シェンクと言う有名選手の名前が往年のスポーツファンには思い浮かぶ。多くのオランダ人は体を動かすことがとても好きで、サイクリング、マラソンの愛好者も多い。 ベルリン、ボストン、シカゴ、ロンドン、ニューヨークと並ぶ世界6大マラソン大会の一つである東京マラソンに参加を目的に来日したオランダ人ランナーのため、駐日オランダ王国大使館にで「パスタ・パーティー」が開催された。 駐日オランダ王国大使館経済部のトップを務めるピーター・テルプストラ公使参事官とそのチームを中心となって企画されたこのイベントは、東京マラソン前日に「炭水化物」を多く摂取して翌日に備えることを目的としている。このパスタ·パーティーには、マラソン愛好家で知られるメルバ·プリーア駐日メキシコ大使も参加し、「エネルギーを貯めるため」にパスタを沢山食し、翌日に備えた。 2020年からの新型コロナ感染拡大による行動制限により、東京マラソンも一般参加募集中止となった。 その為、多くのランナーは昨年のレースには参加することができなかった。今年は新型コロナウィルス感染拡大以前と同じように東京マラソンは開催されることとなり、一般のランナーも参加できるようになった。そうした状況の好転があり、多くのオランダ人ランナーが東京マラソンに参加するために来日した。 こうしてスポーツイベント前日に集まり、炭水化物をたっぷり食べてエネルギーを蓄え、親交を深めたせいか、多くのランナーは完走に至った。東京大会の完走が加わったことで、オランダ人ランナーは世界の6大マラソン大会(ベルリン、ボストン、シカゴ、ロンドン、ニューヨーク、東京)を完走したことになる。まさに前日に食した炭水化物が供給したエネルギーが功を奏したのだろう! 体力づくり、親睦を兼ねたオランダ式スポーツの楽しみに学ぶことは多い。 【関連記事】

東日本大震災音楽復興支援コンサート

東日本大震災音楽復興支援コンサート

第10回 バチカンより日本へ祈りのレクイエム 2023 記念公演 「愛と祈りのオペラと生きる喜びの第九」開催 2011年3月11日に発生した東日本大震災からの復興を支援するため、今年も「バチカンより日本へ祈りのレクイエム」が開催される。 このチャリティーコンサートは、バチカン市国の全面的な協力により、2013年3月から毎年、東日本大震災の心の復興を、国際文化交流を通した音楽で応援して続けてきている。 毎年、趣向を凝らしたプログラム、演出で参加者を楽しませてきているこのコンサートは、今年は声楽家で漫画家の池田理代子の脚本、薮田翔一作曲による新作オペラ「女王卑弥呼」が世界初演される。 その他にも多彩なプログラムのこのコンサートは、単にチャリティーと言うだけにとどまらず、新しい才能を導きだす機会ともなっている。 詳細、チケット購入はこちらから: 第10回 バチカンより日本へ祈りのレクイエム 2023 記念公演 (sakura.ne.jp)

『ズワルテンダイク・オランダ領事と「命のビザ」の知られざる原点』展

『ズワルテンダイク・オランダ領事と「命のビザ」の知られざる原点』展

オランダ大使館   多くの人々を救った二つのビザ 駐リトアニア総領事を務めた杉原千畝がユダヤ人たちに「命のビザ」を発行したことは、日本、リトアニアではとてもよく知られている。当時、杉原千畝が発行したビザは「日本を通過するため」のビザであり、最終目的地へのビザもまた必要であった。その最終目的地へのビザを発給したオランダ人外交官がいたことは意外に知られていない。その外交官ヤン・ズワルテンダイク(当時の在カウナス名誉領事)の功績を日本で紹介すべく、駐日オランダ大使館では、全権公使テオ・ペータスを中心に活動を続けている。 当時、在リトアニアのオランダ名誉領事ヤン・ズワルテンダイク(1896~1976年)はカリブ海にある駐オランダ領キュラソー島をユダヤ人たちの渡航目的地として、見せかけだけの目的地ビザを発行した。オランダ領キュラソー島には現地総督の許可があれば入国が可能だった。そこで彼は、ユダヤ人たちのパスポート、身分証明書などに、「在リトアニア・カウナスオランダ領事館は、スリナム、キュラソー島をはじめとするアメリカのオランダ領への入国は、入国ビザを不要とすることをここに宣言する」と記載し、公印を押してもっともらしいビザを発行した。その「キュラソービザ」に杉原千畝が日本の通過ビザを追加したものが「命のビザ」となり、多くの人々の命を救った。杉原千畝が出した日本の通過ビザ発行の条件には、日本よりさらに遠い受け入れ国の入国ビザの所有が必須だったのだ。 こうした「命のビザ」は約2000通以上が発行され、それを手にしたユダヤ人は命を救われ、その後の人生を生きることになる。そのユダヤ難民の一人、当時12歳だったポーランドに住むユダヤ人マルセル・ウェイランドが、本展覧会に合わせて来日した。 マルセル・ウェイランドは当時のことを今も鮮明に覚えているという。その後、ウェイランド一家は敦賀に上陸し、神戸に7か月ほど滞在した。まだ子供のマルセル少年にとって、神戸は思い出深い土地になったという。特に毎日出かけたという大丸百貨店のカフェテリアと、そこで食べたやきそばの味は忘れられないと、懐かしそうに語っている。 今年96歳になるマルセル・ウェイランドは神戸から更に移動し、その後、オーストラリアに移住し、結婚、家族を持った。「キュラソー」と「命のビザ」があって生き延びたマルセル少年は5人の子供に恵まれ、21人の孫、3人のひ孫もいる大家族を築いた。こうした家族の繁栄、幸せな人生は杉原千畝、ズワルテンダイクをはじめとする勇気ある人たちのおかげだと改めて感謝を込めて語る。 戦時下にあって人道的な行いをすることは時として自らに危害が及ぶことも多い。また、抗した尊い行いが評価されず、歴史の中にうずもれていくことも多い。実際に杉原千畝は戦後に外務省から辞職勧告を受け(後に名誉回復)、外務省を離れた。ズワルテンダイクのこうした行動もまたオランダ政府から非難を受けたとも言われており、多くの人々がその事実を知らないままに月日が流れて行った。ズワルテンダイク自身も口にすることはなかったという。 しかし、こうした自らの危険を顧みない人道的な行いによって命を救われたユダヤ人たちは、けっして彼らのことを忘れていなかった。ズワルテンダイクが発給したビザをもった難民の95%が生き残ったという。その後ズワルテンダイクについては1963年、「キュラソーの守護天使」という記事でロサンゼルス新聞に掲載され、杉原千畝は1968年、駐日イスラエル大使館からの突然の電話を受け、命を救われたユダヤ人たちがずっと探していたことを知る。 今、世界の中で戦火が途切れることはない。こうした極めて人道的な行いは人々を勇気づける。ほんの少しの勇気があれば、世界は変わり、平和を維持することができるのではないか。 この展覧会の巡回の予定は: 2023年3月16日から5月30日まで、福井県敦賀市「人道の港 敦賀ムゼウム」その後は杉原千畝の出身地でもある岐阜に移り、杉原千畝記念館などで開催される。 【関連記事】

私の人生は何でも「ある」がモットー。アルールうたこが語る前向き人生の勧め

私の人生は何でも「ある」がモットー。アルールうたこが語る前向き人生の勧め

駐日モロッコ大使夫人として、長い時間を過ごしたアルールうた子を知る人は多い。日本生まれで日本国籍を持ち、モロッコ人外交官のサミール・アルールに嫁いだ彼女は、夫の国の為、常に前向きな貢献をしてきた。当時を振り返り、アルールうた子は「目が回る程多忙だった」という。 駐日モロッコ大使としての任期を終え、駐中国大使としての北京に向かう直前、夫は突然の脳出血で半身不随となり、任期半ばで引退を余儀なくされた。今、二人は東京の中央区で暮らしている。新たな中央区での生活の中、アルールうた子は世界を見てきた「人」として、次の世代に託したいことが沢山あると語る。どんな時も彼女は前向きだ。そんな彼女に今迄の人生とこれからのビジョンを語ってもらった。 質問:日本生まれ日本育ちでいらっしゃいますが、お仕事の経験はおありだったのですか。 私は東洋大学を卒業して小規模なチェーン展開をするギフトショップに就職しました。私が入った会社は中央集中購買システムを導入していたので、問屋を通さずに本社が一括して商品を買い付け、安価で販売することができました。その企業のトップは業界の風雲児と言われた人で、私はマーケティング、販売、バイイングなどをみっちりと学ぶことができました。 その後、米国からトイザらスが日本に進出するという情報もいち早く聞きつけ、私はトイザらスで働きたいと思いました。これは売り込まないといけないと、日本でトイザらスに出資しているマクドナルドに自分の履歴書などを送りました。実働部隊は玩具業界などの小売業から採用することになると考え、必ず私が持っている集中購買も小売りの経験が日本のトイザらスの役に立てると思ったからです。 トイザらスの日本法人の創業メンバーは外資出身のエリートも多かったです。玩具業界出身のスタッフには英語の問題などもあり、難儀したと思います。その点では私は商品を幅広く扱うギフト業界出身だったので、仕入れ、販売の知識の点でも役に立ったでしょう。カリスマ経営者と言われた藤田田さんから「あなたを雇ってよかった」といわれたことがうれしい思い出です。 質問:トイザらス勤務時代にご結婚なさったのですか。 モロッコの外交官、サミール・アルールと結婚したのは1991年です。1964年生まれなので、26歳ちょっとでした。当時はトイザらスでバリバリ働いており、入社の時の約束が最低でも5年は勤めて部下を育てることでした。それなので結婚の事実は会社には黙っていました。ですが、結婚して4年目に当時のモロッコ大使が本国の事務次官になり、夫のアルールが日本での臨時大使になったことがひとつの転機になりました。天皇誕生日、園遊会など夫の公務が増えて会社を休むことが多くなったので、トイザらスをやめて外交官の妻としての使命を務める決心をしました。 質問:モロッコの大使夫人として多くの面白いものを日本に紹介していらっしゃいましたが、それはトイザらスでの経験が役立ったのでしょうか。 はい、そうですね。私はギフトショップ時代から革新的な事を色々とやっていたと思います。与えられた枠組みにとらわれずにオリジナル商品もかなり手掛けました。一例ですが、日本の駄菓子屋さんのパラソルチョコなどはパッケージングの問題があると思いました。パラソルチョコを5つ、6つとつなげて連商品として作り直し、スーパーマーケットでも売れるように工夫しました。1000円のジャイアントパックも、大きなパッケージにすることによって、食品売り場ではないところで同じ商品が売れるということがわかり、実践に繋がったと思います。 そうした経験がありましたので、モロッコの伝統的なタジン鍋、ローズウォーター、ワイン、バブーシュ、塩レモンなどもおしゃれに日本に紹介でき、ブームを創れたと思います。もともとミッションがあると燃えるタイプなんです! 質問:志を持ってはいられたトイザらスですが、お約束の5年がたち、またご主人様のサポートの為に退職なさったのですか。 はい、そういう判断をいたしました。夫が出席する臨時大使としての公的行事には私も一緒に参加しておりました。超多忙な日々でしたが、私は自分のキャリアを諦められなかったのでしょうね。日本の玩具メーカーの世界進出なども手伝っていました。臨時大使はいつ任期が終わるかわからないので、いつでも日本から出ていく体制を取っていなければいけませんでした。ですので、決まった企業で働く、学校に通うということは難しかったです。 質問:ご主人が突然モロッコに帰任されましたが、どれぐらいモロッコにいらしたのですか。 私は日本で出産し、モロッコで子供を育てたいと思っていました。 しかし、わずか10か月後、夫が駐タイ大使に就任し、突然バンコクに転勤になりました。 モロッコに帰国後すぐに国王陛下が亡くなられ、夫は国葬の準備で大忙しでした。 新しい国王の即位に伴い、夫はほとんど家に帰ることができませんでした。 質問:初めてのモロッコでの暮らしに戸惑うことはなかったのでしょうか。 私にとってモロッコ暮らしは初めての経験でした。私は東京の一般家庭の出身なので、まず使用人の扱いがよくわかりませんでした。夫からは「感情が入るので、使用人の名前だけ知っていればいい」と言われました。使用人は金品を盗むことはなくても、歯磨き粉や小麦などの生活物資が無くなることは多かったです。親族からは留守の間も気を付けてと言われていました。使用人に対し、いつも疑いの目をもって接することがカルチャーショックでした。 モロッコには薬品なども買えない人達がおり、野草、生薬の知識が物凄いということも知りました。恨みを買うようなことがあると、煎じた薬草を飲まされて具合が悪くなることがあるから気を付けなさいとも言われました。先ほど申し上げたように、日本の普通の家庭で育った私には、考えられない暮らしでした。 質問:それからタイに転勤なさって、どうなさっていらしたのでしょうか。…

若い才能が集まり、チェロ・フルート・ピアノによる室内楽コンサート開催〜駐日オランダ王国大使館〜

若い才能が集まり、チェロ・フルート・ピアノによる室内楽コンサート開催〜駐日オランダ王国大使館〜

アマチュアのチェリストでもあるジョーン・ミッチェル・ファン・デル・フリート駐日オランダ大使夫人はこの度、東京在住のチェリスト、橋本ジェシカと共に海外と日本にルーツをもつ児童、学生による室内楽コンサートをオランダ大使館公邸で開催した。 コンサートに出演した児童・生徒たちは日ごろの成果を発表する機会に恵まれたことに感謝し、緊張しながらも多くの聴衆を前にのびのびと演奏を披露した。当日のプログラムはバロック、クラシック、現代音楽を取り入れ、バラエティ豊かに組まれていた。 最初に演奏された伝統的なアイルランド民謡「モ・ギレ・マー(すばやき戦士)」は、フルーティストのデイブ・ドリュー(ブリティッシュ・スクール初等音楽・舞台芸術責任者)とアネリーゼ・チャン(ブリティッシュ・スクール、ピアノ教師)と共に11人のチェリストが協演した。 続いてはアルベルト・ピッツォ作曲のソロピアノ「カテドラル」というノートルダム聖堂に捧げられた崇高とも言える作品が演奏された。この曲は卒業生で現在は東京大学に通う 井上ルークアーサー龍太郎 がピアノで表現したが、一瞬、会場内に息をのむような空間を作り出していた。 また、このコンサートのハイライトには、チェロ・アンサンブル「Prelude a la nuit」が選ばれた。この曲はブリティッシュ・スクール・チェロ・アンサンブルの指揮者としても活躍する佐藤心音がこのコンサートのために作曲した。 終演後、ピーター・ファン・デル・フリート大使夫妻から出演者への祝辞があり、それに続いてジョーン夫人手作りのクッキー、カップケーキ等による楽しいティータイムとなった。 好天にも恵まれ、オランダ大使館の広いお庭で遊ぶ子ども達の姿も見られた。ティータイムでの手元に置かれたナプキンはバニーの形におられており、皆が長く寒かった今年の冬がやっと終わり、春が訪れていることを感じさせた。 日本には数多くのインターナショナルスクールがある。この度は、アメリカンスクール・イン・ジャパン、ブリティッシュ・スクール・イン・ジャパン、聖心インターナショナル・スクール、セントメリー・インターナショナルスクールなどで学ぶ児童、学生とその卒業生が集まった。 インターナショナルスクールで学ぶ児童、学生にとっても、こうして他校と交流する機会は決して多くはないので、互いの交流をより深める上でもまたとない機会となった。 ジョーン・ミッチェル・ファン・フリート夫人と橋本ジェシカは、「音楽の持つ力」に焦点を当てたイベントを何度も開催してきている。 中でもロシアのウクライナ侵攻による被害者を救済するために昨年4月に企画したチャリティーコンサートは、大きな成果を出した。今、最も人気のあるチェリスト佐藤晴真をゲストに迎えたこのコンサートでは、230万円に上る寄付金を集めることができた。この募金は「国境なき医師団」等を通じて、全額ウクライナへの人道的支援に寄付された。 【関連記事】

ブルガリアの春の訪れ「マルテニツァ」を身に着け「ババ・マルタ」の日を祝う

ブルガリアの春の訪れ「マルテニツァ」を身に着け「ババ・マルタ」の日を祝う

駐日ブルガリア大使館は3月1日に渋谷区立宮下公園パークセンター前でブルガリアの春を迎える祭り「ババ・マルタ (3月のおばあさん)」と赤と白のお守り「マルテニツァ」を紹介した。 ブルガリアでは3月1日は「ババ・マルタ」の日とされ、幸運のお守りマルテニツァを交換し、春の訪れを祝い、互いの健康と幸せを祈る。 この幸運のお守りマルテニツァの起源は7世紀、第一次ブルガリア帝国建国の時代にまで遡ることができる。当時、ブルガリア軍がビザンチン軍との戦いに勝利した際、勝利を知らせる手紙をハトの足に白い糸で結んでおくった。しかしその鳩は手紙を届ける間にビザンチン軍の攻撃にあい、手紙を付けた白い糸はハトの血で赤く染まったという。この出来事がこの行事のきっかけになったと言われている。 3月1日の「ババ・マルタの日」は現在も国民の祝日となっており、その2日後の3月3日にはオスマントルコからの解放を祝うブルガリア解放記念日となる。 3月のブルガリアは忙しい。色々な場所でイベントが開催され、美しい民族衣装で踊る人々の姿も見ることができる。今年は3月1日に宮下公園でもブルガリアの文化をそのままに、楽しいイベントが開催された。多くの在日ブルガリア人も集まり、美しい民族衣装を身に着けたダンサーがブルガリアのダンスと歌を紹介した。 【関連記事】

リトアニア独立を祝って「自由とは勝ち取るもの」

リトアニア独立を祝って「自由とは勝ち取るもの」

2023年、在日リトアニア共和国大使館はリトアニアに関係する人々と共に105回目の独立記念日を祝った。 リトアニアと日本の交流の歴史は古く、在日リトアニア大使館は札幌、千葉、大阪、また、駐リトアニア総領事であった杉原千畝の出身地でもある岐阜にも名誉領事館を持つ。現職のオーレリウス・ジーカス大使は早稲田大学、金沢大学への留学経験もあり、完璧な日本語を話すリトアニアきっての日本通でもある。ジーカス大使は着任以来、さらに日本各地での交流などを積極的に進めていることから、この独立記念レセプションには、リトアニアに関係する多くの著名人が日本各地から出席した。また、ラーム・エマニュエル駐日米国大使をはじめとする各国大使、リトアニア友好議員連盟で活動し「リトアニア功労十字勲章」を授与された中曽根弘文参議院議員らも姿を見せた。 このレセプションの冒頭のジーカス大使による挨拶では、「自由とは、与えられるものではなく、勝ち取るものだ」という、リトアニアの人々の気持ち、精神を表す力強いメッセージが述べられた。また、リトアニアより来日中のビータウタス・ミタラス国会副議長からは、「リトアニアと日本を結ぶ友好の絆が、現在直面している課題の解決に貢献することを願っている」というメッセージが述べられた。 その後、リトアニアと日本の二国間関係の発展、日本におけるリトアニアのプロモーションに多大な貢献をした人々への表彰式も執り行われ、在日リトアニア共和国大使館感謝状がジーカス大使より授与された。 その中でも最も印象的だったのは、杉原千畝がリトアニアでユダヤ人の出国のためにサインしたビザの原本も手渡されたことだ。当時、カウナスの日本総領事館に勤務していた外交官の杉原千畝と、オランダの外交官ヤン・ツバルテンダイク領事代理が1940年にカウナスで発給した「命のビザ」のオリジナルが、今年の独立記念日直前に在日リトアニア大使館に届いた。多くのユダヤ人をすくった「命のビザ」の貴重なオリジナルは、杉原千畝が生まれた岐阜県八百津町にある杉原千畝博物館で今後、展示される。リトアニアと日本を結ぶ友好の証としても杉原千畝の功績とその精神は決して忘れられない。 現在のリトアニアは、明るい国民性と優秀な人材に恵まれ、力強く発展をし続けている。かつて旧ソ連からの独立においてリトアニア独立革命を指導し、独立回復を遂げた後には最高会議議長として同国の国家元首を務めたヴィータウタス・ランズベルギスが熾烈な独立回復への道、政治闘争、文化への思いを取材したドキュメンタリー映画「ミスター・ランズベルギス」も現在上映されている。美しい国土は旅行者にとってもとても魅力的だ。今、独立記念日を祝うとともに、より深くリトアニアについて知ってみたい。 【外部リンク】 【関連記事】 駐日リトアニア共和国特命全権大使オーレリウス·ジーカス閣下に聞く「これからのリトアニアと日本」

ていねいに美しく暮らす  北欧デザイン展 各地の高島屋で開催

ていねいに美しく暮らす 北欧デザイン展 各地の高島屋で開催

現在、日本橋高島屋本店を皮切りに、美しい北欧のデザインとライフスタイルを紹介する「北欧デザイン展」が開催されている。その開催に伴い、北欧4か国の駐日大使が列席し、この展覧会の監修を務めた織田憲嗣らと共に開会式、テープカットを行った。 北欧の暮らしは美しい。その優れたデザインに魅了される人は多い。では、なぜこのような美しい暮らしが北欧では実現しているのだろうか。その原点はスウェーデンの社会思想家であるエレン・ケイが提唱した「美が人生を豊かにする」という思想にある。エレン·ケイのこの考えはその後、ケイの母国スウェーデン出身のグレゴール・パウルソンによってより広められていく。同時期に英国ではウィリアム・モリスの「アーツ・アンド・クラフツ運動」が起き、手工業を重視し、生活と芸術を一致させようと言う動きが高まって行ったことも北欧の美しい暮らしの実現に大きな影響を与えている。 パウルソンは「よそ行きの美しさではなく日常生活にある普段使いの者に機能性と美を求めよう」という考えを提唱した。その考えは、さらに北欧諸国に広がっていき、北欧諸国にはデンマーク出身のデザイナー、フィン・ユールに代表されるような「美しい暮らし」を実現に導いた優れたデザイナーが登場してくる。 現代でも高く評価されている「美しい暮らし」が北欧で実現したのは、こうした思想が基礎になっていたからに他ならない。今も人々と社会の中に維持されているその思想は時代に合わせて進化を続けている。現在、北欧のものづくりは、使い手、生活や社会の環境を意識して行われており、環境保護を考える上でも世界をリードし続けている。 この展覧会では、北欧諸国が目指してきた日常の暮らしの美しさの歴史と進化を見ることができる。監修に当たった織田憲嗣は椅子の研究家としても知られており、約8000点に及ぶコレクションから約300点を展示している。 是非ともこの機会に北欧の人々の暮らしへの思い、デザインの数々を見ていただきたい。 【各地開催日程】 入場時間:午前10時30分〜午後7時(午後7時30分閉場) ※最終日3月21日(火・祝)は午後5時30分まで(午後6時閉場) 入場時間:午前10時〜午後7時30分(午後8時閉場) ※最終日5月7日(日)は午後4時30分まで(午後5時閉場) 入場時間:午前10時~午後6時30分(午後7時閉場) ※最終日8月20日(日)は午後4時30分まで(午後5時閉場) 開会式でのテープカット (左から) インガ・マリーエ・ヴァイデマン・ニーハマル駐日ノルウェー大使 ピーター タクソ-イェンセン駐日デンマーク大使 織田憲嗣(東海大学名誉教授、北海道東川町文化芸術コーディネーター) ペールエリック・ヘーグベリ駐日スウェーデン大使 タンヤ・ヤースケライネン駐日フィンランド大使 オイバ・トイッカ(フィンランド)の「鳥たち」が入り口を飾る。 スティグ・リンドベリ(スウェーデン) ジンジャークッキーシリーズ プロトタイプ…

リカルド・G・ロハス駐日チリ大使閣下 インタビュー

リカルド・G・ロハス駐日チリ大使閣下 インタビュー

日本にとってのチリの魅力とは 世界で最も国土が南北に長い国の一つと言えばチリが思い浮かぶ。その他、チリに根付いているものと言えば、家族の強い絆、美食、もてなしの心などが挙げられる。 駐日チリ大使リカルド・G・ロハス大使閣下はこのインタビューにおいて、日本で人気のあるチリ料理、チリ女性の地位向上への支援と進歩、青少年育成のための様々なプログラム、さらにチリで人気の観光名所について語っている。 リカルド・G・ロハス大使は、外交官として40年以上に亘るキャリアを持ち、2021年7月に駐日チリ大使に着任した。 質問: 大使のキャリアについて教えていただけますか。 私は外交官であることに感謝し、光栄なことと感じています。チリの代表として活動しつつ、さまざまな場所や文化に触れることは大きな刺激になります。私が着任した国、場所の人々と特別な絆を持ち続けており、その多くは生涯の友となりました。これはまさに贈り物と言えます。外交官としてチリ外務省で38年近く勤め、8カ国(ニュージーランド、ポーランド、米国、ペルー、ウルグアイ、コロンビア、クロアチア、日本)で生活してきた今、私の心は感謝の気持ちで一杯です。 質問:  チリ産の食品はすでに日本では有名ですが、改めてどのような食品が輸入されているのかを教えていただけますか。 サーモンやマスなどの魚介類、ウニ、ムール貝、イカ、タコ、アワビ(ロコ貝)、海藻類(コチャユーヨ)などがあります。また、ブドウ、サクランボ、ブルーベリー、キウイなどの果物、豚、鶏、羊、牛(タンなどの内臓が中心)などの肉類もあります。 もちろんワインも有名であります。その他のアルコール飲料としては、チリ産のピスコ、ジンなども加わりました。2021年、2022年の有楽町交通会館マルシェにおいて、オリーブオイル、ハチミツ、ローズヒップティー、ドライフルーツなどの加工食品は大成功を収めました。さらに、より産業寄りの製品では、トマトペースト、果汁、冷凍フルーツと野菜、レモン、ブドウ、さまざまな種類のベリー類(イチゴ、ブルーベリー、ブラックベリー)、アスパラガスなどがあります。 質問:今後、日本で大ヒットしそうなチリ産の食品は何でしょうか? チリは世界でも有数の果物生産・輸出国であり、果物は今後日本市場での存在感を高める可能性を秘めています。 フレッシュなブドウ: 最近、チリ産のブドウが日本市場で注目されているのは、品種の多様さによるものです。現在、日本には30種類以上のチリのブドウが輸入されています。 フレッシュなチェリー :果肉が厚く、濃い赤色で味が濃く、冬にぴったりの果物です。11月から2月中旬にかけて旬を迎えます。その時期はちょうどクリスマス、年末年始、バレンタインデーなど、赤を基調としたイベントと重なります。 ブルーベリー: ブルーベリーは大粒で果肉が引き締まっており、しっかりした味をしています。フレッシュの他、冷凍輸入されています。 キウイフルーツ: 日本はチリからもキウイを輸入しています。2021年にスーパーマーケットチェーンのイオンと、2022年にはコストコと生協でチリ産キウイのキャンペーンを展開いたしました。そのキャンペーンでは、その品質の高さが消費者から高く評価されています。 レモン:果肉がしっかりしており、酸味は比較的マイルドです。昔からスーパーでよく見かける商品ですので、チリ産と知らずにすでに買っている人も多いはずです。  豚肉:日本市場において特にHORECA(ホテル・レストラン・ケータリング)の分野では、すでにチリ産の豚肉の品質が高く評価されています。2月21日にチリで発効するCPTPP(環太平洋パートナーシップに関する包括的及び先進的な協定)を受け、競争力が高まりますのでさらなる輸出拡大が期待されています。 羊肉: 2021年に初めて輸入され、2022年からはブランディングのためのプロモーションが開始されました。そのせいか、食通の人々の間では「チリ産パタゴニアラム」がグルメ食品として認知されるようになりました。生産量も輸出量もまだ少ないのですが、ニッチなスター商品として重要性を増しています。 チリのハチミツも同じくニッチな産物です。チリではその国土に自生する土地固有の植物に由来するさまざまな種類のハチミツが生産されています。たしかに大量生産国と価格競争するには不向きです。ですが、ウルモやキジャイなどのハチミツは、高い抗菌力を持つことから、近年ではますます国際市場で注目されるようになってきています。日本における健康食品市場の拡大に伴い、チリ産のハチミツが日本市場のスター商品になる日も近いでしょう。チリ産のはちみつは、価格競争に参加するつもりはありませんが、CPTPPによって関税が25.5%から9.5%に引き下げられる恩恵を受けることもできるでしょう。 質問: チリ産サーモンは、日本ではすでに高品質なサーモンとして人気を博しています。そこに至るまでにはどのようなご努力があったのでしょうか。…

三浦文彰&ヴァルヴァラ ヴァイオリン&ピアノコンサート

三浦文彰&ヴァルヴァラ ヴァイオリン&ピアノコンサート

2009年、わずか16歳で世界最難関と言われるドイツハノーヴァー国際ヴァイオリンコンクールを制し、世界の注目をあびた三浦文彰も今年30歳を迎えた。色々なタイプのピアニストと共演してきた三浦が尊敬しているというピアニスト、ヴァルヴァラと組んで日本での初共演を果たした。 今回のコンサートは3月4日、5日の2日間に開催され、三浦とヴァルヴァラはバッハのヴァイオリンソナタ第3番、ベートーヴェンのヴァイオリンソナタ第3番とショスタコービチのソナタ、ベートーヴェンのソナタ第9番「クロイツェル」を演奏した。 このコンサートに際し、三浦文彰はヴァルヴァラについて「優れた能力のピアニストであると同時にいい意味での厳しさがある」と語っている。その言葉通り、コンサート会場には張り詰めた空気が漂い、綿密でスリリングかつヴィヴィッドな音楽が演奏された。 このコンサートには日本を代表する巨匠、徳永二男、ジョーン・ミッチェル・ファン・デル・フリードオランダ大使夫人、山本節子van gulik 、服部悦子、エリザベート・ベルタニョーリ・オーストリア大使、女優の大原ますみらが姿を見せた。 これからも二人の世界的な活躍に期待したい。 【関連記事】 三浦文彰&ヴァルヴァラ 最高のデュオが奏でる名曲の数々

Sweden Jazz Week開催決定!

Sweden Jazz Week開催決定!

スウェーデンが誇る最高のジャズミュージシャン11人が来日。日本で最高のジャズパフォーマンスが聞ける「Sweden Jazz Week」が開催される。 スウェーデンのジャズは現代的であると同時に昔からの民謡と深く結びついている、その北欧独特の哀愁を帯びた風合いに魅力があり、日本にもファンが多い。 今回の来日では日本の能楽とのフュージョンが実現。能楽堂での演奏も見逃せない。 出演: Lars Jansson Trio(ラーシュ・ヤンソン トリオ) ラーシュ・ヤンソンは現代ヨーロッパを代表するジャズピアニスト、作曲家。1979年に自分のトリオを結成。1990年には、スウェーデンの優秀なジャズミュージシャンに与えられるヤン・ヨハンソン音楽賞を受賞する。1999年以降は数多く来日し、日本各地でライブ演奏を精力的に行い多くの熱烈なファンを獲得。日本における北欧・スウェーデン・ジャズ人気の立役者の一人である Isabella Lundgren & Her Trio(イザベラ・ラングレン トリオ) イザベラ・ラングレンはスウェーデン、ヴァルムランド地方カールスタード市出身のジャズ·シンガー。アルバム「It Had To Be You」でデビュー。このアルバムは日本で2013年4月に発売され一躍大きな人気を博した。2014年に第2弾アルバム「Somehow Life Got…

エストニア大使館 独立105周年記念日を祝う

エストニア大使館 独立105周年記念日を祝う

2023年2月22日に、駐日エストニア大使館は105回目となる独立記念日(2月24日)を祝うレセプションを明治記念館で開催した。エストニアは世界最先端のデジタル国家としても知られ、世界中で使われている「skype」発祥の国でもある。そうした国家の取り組みを反映し、日本の現・デジタル大臣である河野太郎氏、日本エストニア友好議員連盟の平井卓也氏(初代デジタル大臣)も列席した。 今年度の独立記念日レセプションでは、ヴァイノ・レイナルト駐日エストニア大使が心を込めて母国の独立記念日を祝い、2020東京オリンピック開催時に、ホストタウンとしてエストニア選手団を受け入れた、姉妹都市である長野県の佐久市エストニア親善協会へも心からの感謝を表し、エストニア外務大臣から感謝状を授与した。 また、ロシアのウクライナ侵攻1年目にも当たるこの日に、レイナルト大使はロシアの行いを強く非難し、ウクライナの主権、領土の保全のために支援を続けることを表明した。 このメッセージには、エストニアと日本が築いてきた良好な関係を祝福すると同時に、かつて同じ思いをしてきたエストニア国民としての怒り、願い、そして平和への願いも込められている。駐日エストニア大使館の協力の下、全文を掲載するので是非とも読んでいただきたい。 【関連記事】

設立50周年 世界のバレエダンサーの登竜門 ローザンヌバレエ・コンクール

設立50周年 世界のバレエダンサーの登竜門 ローザンヌバレエ・コンクール

世界のバレエダンサーの登竜門として名高いローザンヌ・バレエ・コンクールは1973年に初開催され、今年で50周年を迎えた。その間、世界に通じるバレエダンサーを多く世の中に送り出しており、日本からも約70名に上る若手バレエダンサーが受賞している。 現在では世界的に有名なバレエコンクールとなったローザンヌ・バレエ・コンクールだが、このコンクールは機械式時計に欠かせない小型の衝撃吸収部品「インカブロック」と小型電気モーターを製造する企業のオーナー、フィリップ・ブランシュワイグと妻でバレエダンサーのエルヴィ・クレミスのアイディアから生まれた。 二人は20世紀バレエ団を率いたモーリス・ベジャール、ロゼラ・ハイタワーら長年親交があり、その興行なども行っていた。そうした中、舞台芸術としての舞踏の分野では、オペラ歌手などの舞台芸術家から比べて経済的に恵まれていないことに着目する。その解決への案をベジャールらに相談したことから、若手ダンサーに世界的に知名度のあるバレエ学校で学ぶ権利を授与するコンクールをローザンヌで創設することとなった。こうしたポリシーによって設立されたバレエ・コンクールであるため、ローザンヌ・バレエ・コンクールには基本的に順位は設けられていない。 第1回のコンクールは1973年1月19〜21日にローザンヌ市立劇場で実施され、第3回(1975年)からはローザンヌのボーリュ劇場での開催となった。国際的な知名度を得るため、ニューヨーク、東京、モスクワでもこのコンクールは開催された。第49回は新型コロナウィルス感染拡大による渡航制限があり、この回だけは参加者が事前に映像を提出し、現地で審査員が審査するという方法がとられた。 開始当初はクラシック・バレエのためのコンクールであったが、時代の変化に伴って1999年からはコンテンポラリー・ヴァリエーションが審査に導入された。2006年には選考方法に大きな変更があり、DVD審査が取り入れられ、第2フェーズだけが現地で行われるようになった。また、出場者の健康管理には厳しく基準が設けられて、健康状態、食生活についての問診票など身体の健康に関する資料の提出も義務となっている。 ローザンヌ・バレエ・コンクール50周年を記念して、多くのバレエ公演を手掛けてきた文化村ではそのギャラリーを使って写真展覧会も開催された。また、記念すべき50回目のコンクールには日本からは4名がファイナルに進出し、15歳の宮崎圭介がスカラシッププライズを受賞している。スカラシッププライズ入賞者には、世界の著名バレエ・スクールへ1年間無償で留学する権利と、その間の生活援助金として16,000スイス・フランが与えられる。 実は日本はバレエ大国として名高いという。それはまずバレエ教室が多いことと、子供達の習い事としてバレエが定着していることも一因だ。ロシア、ヨーロッパにあるような素質、容貌、体形、親の体形などから向き不向きを判断されるようなことはなく、誰もでも気軽にバレエを習うことができる。そうした状況から、日本のバレエ人口はとても多く、思わぬところから逸材が出てくるということもあるという。今、バレエは最も好まれている舞台芸術になっている。 若いダンサーを支援し、学ぶ機会を与えるという考えは本当に素晴らしい。これからもローザンヌ・バレエ・コンクールの継続、発展を祈りたい。 【関連記事】