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成長するラテンアメリカ諸国:ペルーへの投資を考える

この度、駐日ペルー大使館ではペルー投資ガイドブック「Vale un Peru 2022」の紹介もかねて、ペルーセミナー「経済とビジネス機会」を9 月 30 日、ペルー大使館の講堂で開催した。 ペルーは日本からの移民も多く、日本にとっては長年の良きパートナーとも言える。今までの両国の良好な関係からも、ペルーは日本からの投資誘致にとても力を入れており、今回は、ヘルバシ外務副大臣が動画でメッセージも寄せていることから、その熱心さが伝わってくる。 2020年初頭から、世界は新型コロナウィルス感染拡大によるパンデミックに悩まされ、経済も投資も大きなダメージを受けてきた。そんな中にあってペルーは都市のロックダウン、国民への積極的なワクチン接種によって、ダメージを最小限に食い止めている。 また、その間に、ペルーはいくつもの緩和措置、優遇税制を整え、海外からの投資をしやすいよう、国家を挙げて体制作りも行っている。国家の更なる発展のためには投資が必要と政府は判断しているのだろう。 現在、ペルーから日本への輸出品として上位にあるのは、漁業関連の製品、アボカドなどの農産物、続いて高品質で知られる綿、アルパカなどの繊維類だ。これらは今後も順調に輸出高を伸ばしていくことだろう。 ペルーが世界のスーパーフードの宝庫であることは、まだ日本では知られていない。キヌアなど、日本で大変人気のあるスーパーフードの他にもマカパウダー、アマランサス、カムカムなどのスーパーフードが揃っている。 しかし、日本人が本当に着目していないのは、ペルーのエネルギー資源ではないか。アンデス山脈が走るペルーの国土は水力に恵まれている。ペルーには水力、風力、太陽光発電、バイオマスなどの再生可能エネルギー資源が満載されており、安全性の高いエネルギーとして注目をあつめるのではないか。 また、ペルーは観光立国でもある。新型コロナウィルス感染拡大前は、日本からペルーを訪れる観光客は大変多く、人気が高かった。観光というよりもツーリズムを楽しむ旅慣れた人々に人気があり、世界遺産マチュピチュ観光はその中心とも言える。 新型コロナウィルス感染拡大が落ち着きつつある今、ペルーへの観光客の数は「コロナ前」に戻ることだろう。 ペルーには可能性がある。なぜ日本人移民はペルーを選んだか。その当時からペルーには可能性があったからに違いない。今、100年の時を経て、改めてペルーへの投資に注目すべき時が来ている。
Kuwait Ambassador to Japan H.E Hasan Mohammad Zaman

帰国を前にして

ハサン・ムハンマド・ザマーン駐日クウェート国大使インタビュー 日本とクウェート両国は、強固な戦略的目標を掲げるとともに、非常に良い友好関係も築いていると言える。中東の国、クウェートはイラクとサウジアラビアに接する地域にあり、世界有数の石油埋蔵量を誇っている。もちろん石油は日本への重要な輸出品だ。この度、離日を控えたハサン・ムハンマド・ザマーン駐日クウェート国大使にお目にかかり、現在の強固な日本とクウェートとの関係の起源、クウェートが注目する開発関連の5つの柱、クリーンエネルギーへの移行の必要性、更には東京にあるクウェート大使館の建築的な価値に関してお聞きすることができた。 ―駐日クウェート大使在任中の日本とクウェート両国の関係ついてお伺いできますか。 クウェートと日本は非常に強い関係で結ばれています。その関係の起源は、数隻の日本船が貿易の機会を求めてクウェートを訪れた19世紀に遡ることができます。この時に、日本政府は初めてクウェートの存在を認知いたしました。1958年には、クウェートと日本との正式な外交が開始され、それ以来、様々な日本の石油会社がクウェートでビジネスを展開しています。 1961年には、クウェートと日本との国交が正式に樹立さました。昨年2021年12月8日は、両国の国交樹立60周年にあたり、この記念すべき日を祝うことができました。イラクによるクウェート侵攻が起きた1990年まで、日本とは良好な関係を維持してまいりました。当時、日本は130億ドル相当の経済支援をクウェートに対して行い、それはクウェート解放に大きな役割を果たしています。困難な時期に、日本政府がクウェートを支援してくださったことは、今も鮮明に記憶に残っており、感謝しています。 2011年に東日本大震災が起きた際、クウェートは日本に500万バレル(5億ドル相当)の石油を寄贈しました。クウェートにとって、この支援は日本と日本の友人に対してすべき最低限のことでした。地震と津波による大きな被害を知り、クウェートもまた深い悲しみに暮れました。クウェートの前首長、シェイク サバーハ アル アブドゥラ アル サレム アル サバーハ殿下は、東洋にいる友人宛にすぐに寄付を行うように、と強くコメントを出しております。「1990年には我々を支援していただいた。今度は我々が日本の友人を支援しなければならない。」と殿下自ら指示を出されました。 クウェートは日本政府に、500万バレルの石油を寄付いたしましたが、その使い道に関しては、何も申し上げませんでした。にもかかわらず、日本人はクウェートに、使い道、進捗状況を詳細に報告して下さっていました。半年に一回、その石油の使用用途については、詳細なレポートを送られて参りました。 私自身もこの地震で最も被害が深刻だった地域である福島県と岩手県を訪問いたしました。被災地を訪問した際、現地の方々との交流を通じ、クウェートの支援により、困っていた人々を助けることができた事実を実感することができました。私にとって、これは非常に特別な経験となりました。 先月、宮城県(2011年の地震の被災地の一つ)の市長をお迎えし、医大卒業生との写真を見せていただきました。クウェートによる90億円相当の石油給付金が、2015年に東北医科薬科大学に贈られ、それは「クウェート国友好医学生修学基金」を設立するために充てられたことがあり、市長はとても感謝されておりました。この財団では、毎年30名の東北出身の学生の方々に奨学金を給付し、本学で学ぶことができるよう支援しています。2022年3月には、第一期生が卒業いたしました。 ―日本との貿易関係についてお聞かせいただけますか。 クウェートと日本は、どちらも様々な諸外国との交易の歴史を持っています。クウェートは現在、日本へ石油を輸出する一方、日本からは機器を輸入しています。クウェートは日本の石油会社とも強いパートナーシップを築いています。クウェート政府と日本の業界大手(出光と三井化学)は共同で、ベトナムに新しい石油精製所「ニソン製油所」も設立いたしました。この例を含め、クウェートと日本は両国の有益な協力関係に基づき、戦略的な長期目標に向かって協力し合っています。 クウェート政府は、中東地域の主要な産油国として、またクリーンエネルギーの世界的な需要を背景として、海外投資や専門知識を活用することによって経済の多角化を進めるべく、長期戦略計画の柱となる5つの主要分野を定めています。この機会に、この件もご説明いたします。 脱炭素化は世界中、全ての国にとって重要な課題であり、クウェートもこの課題に焦点を当てて取り組んでいます。日本は2060年までにカーボンニュートラルを目指しており、クウェートのビジョンおよび日本との関係において、主要とも言える重要な部分となっています。さらに、新型コロナウィルス感染拡大の深刻な影響により、非常時には他国と強い外交関係を築き、世界規模の深刻な問題に対処すべく、双方が協力する必要性が強調されています。 私たちは、クウェートにおける5つの最重要分野として、食糧安全保障、教育、健康、サーバーセキュリティ、人工知能を挙げています。これら分野はすべて世界的なパンデミックの影響を受けています。現在クウェート外務省を通じ、この5つの分野に関して日本の外務省と協議を重ねており、議論の進展に注目しています。 サイバーセキュリティ、人工知能、医療研究の3つの分野においては、既に大きな進展がありました。人工知能に関しては、日本の民間企業と連携し、医療研究については、東京都と提携を結んでいます。サイバーセキュリティについては、持続的な進展が得られるように、首相官邸とも協力しています。 現在、東ヨーロッパの政治・軍事情勢に伴い、食糧確保が緊急の課題となっています。クウェートでは、食糧安全保障情勢を受けて、特別委員会の設置を計画しており、この課題に対して優先的に取り組んでいます。 また、食糧安全保障に関して、クウェートは日本の経験から学ぶことも目指しています。これまで日本いくつもの歴史的な苦難に直面してきました。その苦難とは、地震や津波などの自然災害が挙げられます。また、第二次世界大戦は、日本国内の食糧安全保障に深刻な影響をも与えました。このような経験からも、日本は食糧確保に関する重要な教訓と専門知識を持っており、私たちクウェート人も日本人の知恵を共有できるものと考えています。 クウェートが注目しているもう一つの分野は教育です。世界の多くの地域において、教育は新型コロナウィルス感染拡大の影響を深刻に受けています。今後は、デジタル学習をさらに進歩させる上でも、技術的な障壁を克服する必要があります。教育分野の進歩をより加速する上でも、その持続可能で効率的な解決策について、日本の方々と共に検討する必要がある分野だと言えます。 ―東京の駐日クウェート大使館は、今後どのような活動を計画されていますか。 クウェート投資庁は日本へ投資を行っていますが、同様に日本からクウェートへの投資も増やす必要があります。クウェートへの海外投資の魅力をよりアピールすることで、今後は日本からの投資額を増やしてまいる所存です。 また、先ほど述べたように、前述の5つの分野に集中することが大使館の使命だと考えています。3つの分野(サイバーセキュリティ、人工知能、医療研究)については特筆すべき進展がありましたが、残りの2つの分野も同じように前進させなければなりません。そのためにはより的を絞った適切な努力が必要です。特に、教育や食糧安全保障に関する日本とクウェートとの協力関係については、日本国内において良い環境が整っていますので、間違いなく、日本からは多くの経験やノウハウを得ることができるでしょう。しかし、5つの分野すべてに継続的に取り組み、日本にとってクウェートへの投資や知識移転をより魅力的になるような環境を提供する必要もあります。 ―東京オリンピックに関してどのような取り組みをされましたか。…

香川県立ミュージアム「特別展「風景が物語る瀬戸内の力―自然・歴史・人の共鳴―」 

現在開催されている瀬戸内国際芸術祭2022参加展覧会「特別展「風景が物語る瀬戸内の力―自然・歴史・人の共鳴―」は大変見ごたえのある展覧会だ。 瀬戸内国際芸術祭が開催される直島、高松等の地域は瀬戸内海という日本最大の内海(ないかい)に恵まれ、内海に浮かぶ島々は700以上にも上る。自然に恵まれた瀬戸内には、人々の往来、屋島に代表される源平合戦など、歴史的な事実も多い。 この展覧会では、瀬戸内海を<ユートピア><自然><生活><名所><近現代そして未来>という5つのテーマに分け、中世から現代までの各地の瀬戸内海の姿を表わした作品を展示している。 その展示の中でも、特に注目を集めたのは「志度寺縁起」のシリーズ「御衣木之縁起」「讃州志度道場縁起一」「讃州志度道場縁起二」という3つの作品だ。 「讃州志度道場縁起」には、藤原不比等の妹が唐の皇帝に嫁ぎ、父、藤原鎌足の供養のために面向不背の宝珠を日本に送ろうとするが、その宝珠を積んだ船は志度の浦で嵐にあい遭難、宝珠は竜神に奪われてしまうという物語が描かれている。 更にこの物語は続き、藤原不比等は海女を妻とし、宝珠奪還を願う。妻となった海女は自分の息子を藤原氏の嫡男とするよう頼んで一人、龍宮へ向かう。妻である海女は自らの命と引き換えに宝珠を奪還する。不比等は命を落とした妻を偲んで墓を作り、志度寺を建立したという。 この作品は重要文化財にも指定されており、以前から香川県立ミュージアムにはレプリカが展示してあった。しかし、今回、修復を経て、元来の美しい姿を取り戻している。暴風雨にみまわれ、珍しく荒れる瀬戸内海の様子、唐の皇帝に嫁いだ藤原不比等の妹の様子などが繊細なタッチと荒々しい画面をうまく組み合わせて描かれている。妻を失った不比等は堂宇を増築し死度道場と名付けた。後に、息子の藤原房前が行基とともに堂宇を建立し、「死度道場」を「志度寺」に改めたと伝えられている。 その他にも、すでに絶滅してしまった日本あしかが描かれた網代日記も素晴らしい。訪れていないはずだが、どういうわけか歌川広重はこの地域も描いている。しかし、本当は訪れたことがないということがばれないようになのか、その構図はとても工夫がこらされ、とても見ごたえのある作品となっている。 その他、すぐれた作品が並ぶこの展覧会は、この地が四国遍路路を有すること、空海にゆかりのある地域であること、また、高松城に代表される松平家のおひざ元であるということを改めて思い出させる。 こうした瀬戸内海にまつわる伝説を描いた作品をしっかりとした構成をもとに展示している展覧会は他に例がないのではないか。11月6日までと残りの会期は少なくなっているが、是非とも見て頂きたい展覧会だ。 また、見逃した場合も、香川県立ミュージアムに問い合わせ、この展覧会の図録を購入して、瀬戸内海に残る伝説、それを描いた作品について読んでみるのもとても面白い。 香川県立ミュージアムは、この展覧会に続き「高松藩主松平頼重生誕400年記念展Ⅱ 頼重と寺社」を開催する。さらに来年には空海の生誕1250年を記念した展示があるという。これも見逃せない展覧会だ。 Read more:

The Power of Setouchi

The Kagawa Prefectural Museum’s “Special Exhibition” – The Power of Setouchi Revealed Through Its Scenery: The Resonance of Nature, History and People…
Nobuyuki Matsuhisa

グローバルで日本的なビジネス、チームを率いるカリスマシェフNOBU 松久信幸シェフ インタビュー

世界一のシェフと呼ばれる日本人、松久信幸。世界を飛び回るこのシェフにはなかなか会えないという。幸い、ある日の午後、ホテルオークラにほど近い、日本のNOBUでお目にかかることができた。 すっきりと刈り上げた頭髪、やや日焼けした顔に真っ白なコックコートをまとってその人は現れた。70歳を超えているとは思えないエネルギッシュな歩き方と屈託のない笑顔が印象的だ。 世界の人々を癒し、虜にしてきたそのビジネスの手腕は誰もが注目するところだ。NOBUの総帥はどんな哲学をもってそのビジネスを育ててきたのだろうか。 お話しをお聴きするうちに、いつの間にかその哲学の奥深さ、トップとしての懐の深さに深い感銘を受けた。世界の人々を満足させて続ける彼のビジネスには、ファミリー的な考えがあり、古き良き日本の美学があった。 世界一のシェフと呼ばれる男はまた、世界一魅力的なビジネスマンであり日本人だった。すべてのビジネスマン、起業家に読んでもらいたい、忘れられないインタビューとなった。 質問:2020年からの新型コロナウィルス感染拡大にあっても、スピードを緩めることなくビジネスを展開していらっしゃいましたが、それはどうしてでしょうか。 松久:実際にパンデミックになった時には、ビジネスがストップしたところはあります。現実に、ノブのハワイは締めざるを得なくなりました。その他にもいくつか一時的締めたレストランなどはあります。しかし、新型コロナウィルス感染拡大になる前から、我々のプロジェクトは立ち上がっていました。それは、「はい、やります」と言って出来るものではありません。何年も前からそういった話がありましたし、それで新型コロナ感染拡大中でもそのプロジェクトが進んでいたということです。 ですので、実際にパンデミックの最中でも、ワルシャワ、ロンドン、シカゴ、シドニーなどのいくつかのホテルとレストランが、新型コロナ感染拡大という状況にもかかわらずオープンしています。 確かに苦しいという時期もありましたけれども、ある意味、そういう中で新しいホテル、レストランが開店できたということは、僕としては非常にラッキーだったと思っています。これは決して当たり前ではありません。色んな被害が出ていますし、そうした被害にあわれた方もいらっしゃいます。倒産した会社も現実には沢山あります。そんな状況にあっても、現実にやりつづけてこられたというのは、やはりチーム力があったからではないでしょうか。「チーム力」というのが、僕にとっては大きな力になっていると思います。 質問:「チーム力」とは、創業当時から基本としていらしたのでしょうか。 松久:そうですね。当社のコンセプトでしょうか。当社は、本当に最初は小さなところから始めました。いうなれば、パパママビジネスみたいな、ファミリーのビジネスでした。 僕の原点である「Matsuhisa」は1987年に開店しました。最初のNOBUは1994年に開店しています。その当時から、お客さんに喜んでいただくということと、チームによって一つのビジネスを広げていくことを目指していました。 チームというのは、最初はチームではないものです。それが新しいジェネレーション、次の世代が出てくるときに、チームになって行くのでしょう。たとえば、ファミリーであれば、親は息子·娘を教育し、さらに息子·娘は妹弟を教育する。そうすれば、新しいビジネスですから、新しく参加してきた人たちが、育って行きます。 最初はNOBUでウェイターの仕事をしていた人が、今はNOBUのCOOになっている。チームの大切さとは、NOBUの中で育った人間が、今は幹部候補生になっているということにあります。それが一番の強みだろうと思っています。 質問:それは日本的な組織の作り方の一番の強みといえるのではないでしょうか。 松久:そうですね。僕はやっぱり日本人なので、そういうところを大事にしていますね。それとやはりチームを大事にしていって、チームのコミュニケーションが大事だと思います。 質問:チームというのは全てご自分で統括していらっしゃるのでしょうか。 松久:いや、今はもうそんなことは無理です。ですから、たとえばここにいる小林君は、もう21年間NOBUに勤務しており、現在はNOBU東京のGMを務めています。また、アジアにある店舗なども統括しています。シンガポール、フィリピン、マレーシアにも管理する範囲は及んでいます。来月は、オーストラリアに三軒の店舗があるのですが、そこに彼を連れて行って、そこからまたビジネスが広がっていくということになります。ですので、来月は、彼はシドニー、メルボルン、パース、クアラルンプール、シンガポールをずっと回る予定です。もちろん、僕も一緒に回ります。 昔はいつもそうしてやっていたのです。ですが、今はチャンスを与えられた人が次の扉を開けて、次のステップに行くというやり方になってきています。小林君もNOBUコーポレーションのCOO田原君もウェイターからキャリアを始め、初めて会社のトップに登った人達です。シェフでもアジアやヨーロッパのコーポレートシェフ、アメリカのコーポレートシェフも、昔からNOBUで育った人であり、その人たちが責任をもってビジネスを展開し、なおかつ次の世代を育てています。 質問:そうした積み重ねがあってこそ、新型コロナ感染拡大にも関わらず、ビジネスを維持できたのではないでしょうか。 松久:そうですね。乗り切れたのはチームの努力だと思います。しかし、チームというものは確かに大事ですけれども、必ずいいチームがトップになるかと言えば、それは必ずしも「そうだ」とは言い切れないですね。それはなぜかというと、確かに会社の組織としてのチームは大事です。いいチームを持つということは、会社にとっても宝だとは思うけれども、一人ひとりは人間です。今まで僕は何度も見てきていますが、チームの中にあって、自分が統括する立場になったとします。それは今まではその人の努力です。ですが、そこで勘違いをして脱落していった人間もいるのです。 ですから、僕はいつも若い人たちに、「もらったチャンスを掴むのはあなたですよ」と言います。我々は、「チャンスを君たちに与える」というか、ドアを開ける鍵までを渡すことはできます。ですが、いいチームはできましたが、チームリーダーの中には、それを勘違いしてしまって、せっかく掴んだチャンスを逃してしまうこともあります。もったいないです…。…