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離任を前に:コロンビア共和国大使インタビュー

サンティアゴ・パルド・駐日コロンビア共和国大使インタビュー 駐日コロンビア大使として過ごされた期間を振り返っていただけますか。 2011年にコロンビアコーヒー生産者連合会 (FNC) アジア事務局長として来日し、過去20年の間に前任者の方々が取り組んできた業務を引き継ぎました。9年間に亘り、コーヒー生産者組合と日本の産業界の橋渡しとして、コロンビアの主力商品を推進して参りました。これによってコロンビアの人々とコーヒー生産者に多大な恩恵をもたらすことができました。事務局長として産業界と協働し、協力関係を醸成し、互いのコミュニティの健全さに影響を与える提携関係を増やす機会を楽しんだとさえ言えます。 2019年にはイバン・ドゥケ大統領から、コロンビア共和国の大使として母国に貢献する機会を賜りました。この機会に大変感謝しています。それ以降、自分の業務領域を広げ、活動範囲を拡大する機会に恵まれ、現在ではコーヒーだけでなく、二国間関係全般に及ぶ取り組みを行っています。 新型コロナウイルス感染拡大はありましたが、日本との協力関係を深め、経済関係を強化し、文化や美食、国全体を振興する方法を見出すことができました。日本とコロンビアの力強い関係がより強固になっていくことを見ることができ、達成感を持って日本を後にします。 コロンビア大使館が今後も取り組んでいく課題は何でしょうか。 二国間貿易と投資の促進は日本とコロンビアの関係における重要な要素であり、今後もこの方向を維持する所存です。コーヒーはコロンビアから日本への主要輸出産品であり、日本で高い認知度を得ることができて嬉しく思います。また、輸出産品ポートフォリオの多様化と他のコロンビア産品の輸出促進にも取り組んでいます。日本市場で入手可能である高品質の産品、例えばアボカド、エビ、花、カカオなどです。 コーヒーのプロモーションで学んだ教訓を生かし、コロンビア産カカオでも同様の取り組みを行う予定です。このカカオは特別な名前があり、「芳醇な香りのカカオ又はカカオ・フィノ・デ・アロマ」と、国際ココア機関が定義する品質と製品特徴の分類が与えられています。 日本とコロンビアの二国間協議は、幅広い議題を含むことも注目に値します。特に気候変動に関しては、両国ともに2050年までに脱炭素化社会の実現を宣言しています。この概要では、エネルギー転換は重要な分野であり、コロンビアは水素生産の主導的役割を担う所存です。最近コロンビアは「水素ロードマップ」を発表しました。今後数十年で、次世代の新エネルギーに向けた水素を「クリーンエネルギー」の源としての基本戦略を含むこのロードマップに、日本政府や民間企業などの協力者及びパートナーの支援と投資をもって、引き続き実施に向けて取り組んでまいります。 世界的な新型コロナウイルス感染拡大により、あらゆる国で文化的交流の停滞が見られますが、何か文化的イベントを計画されていますか。 新型コロナウイルス感染拡大が文化的活動の実現に影響を及ぼしていても、私たちはコロンビア文化の振興に貢献する多様な種類のイベントを実施しています。一例として、東京でコロンビア出身の著名な芸術家フェルナンド・ボテロの展覧会「ボテロ展 ふくよかな魔法」を7月3日まで開催いたしました。続いて名古屋では7月17日から9月25日、京都では10月8日から12月11日まで開催予定です。近日中に「リサーチ! プロセスを魅せるデザイン展」がATELIER MUJI GINZAで開始されますが、この展覧会には、コロンビア人デザイナーのシモン・バレン氏が作品を出展しています。将来的には、交響楽団などクラシック音楽で代表的なコロンビア音楽家の活躍機会の推進を前向きに考えています。 私たちが推進しようとしているもう1つの分野は美食文化です。より多くのコロンビアの料理人を日本に招くことが目標です。と言いますのは、コロンビアの美食や産品、文化的伝統の多様性が広く知られてきたからです。コロンビアの美食文化の発展と認知度の例として、コロンビアをリードする料理人で、数年前に日本を訪問したレオノール・エスピノサがつい最近、「世界で最も優れた女性シェフ」に選ばれています。今後は願わくば、美食文化の活動を通じてコロンビアを日本で広める活動を継続してまいりたいです。 2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会(2020年東京大会)は、コロンビアと日本の相互理解を深めることにどのように貢献したのでしょうか。 2020年東京大会は両国の相互理解を向上させることができた絶好の機会でした。2020年東京大会の一環として、「ホストタウン」の取り組みが企画され、9つの自治体がコロンビアのホストタウンになりました。秩父市、大東市、郡上市、加須市、北九州市、前橋市、埼玉(県)、品川区、草加市です。 これらの日本のホストタウンと、中長期の関係を強化することの重要性を認識したこともあり、文化的交流活動を促進するに至りました。2020年東京大会の開催前に、ホストタウンは選手たちのトレーニングキャンプを実施しました。トレーニングの場となっただけでなく、地域の方々がコロンビアについて知るための素晴らしい機会となりました。このような相互交流を目の当たりして、私は大使としてこの上なく幸福を感じました。 その後、新型コロナウィルス感染拡大に襲われても、選手たちと地域コミュニティは交流を継続する強い意向があり、従来とは違う形でのオンラインによる様々な活動を開催しました。2021年の東京大会の競技に際しては、いくつかのホストタウンがトレーニングのための事前キャンプを実施することができました。この期間には、対面とオンライン双方の活動をもちました。選手たちと地域コミュニティで築いてきた友好関係を実際に目にして、心から感銘を受けました。この友好関係は、必ず将来も続いていくと思います。 また、私たちは大使館として、市長、知事、議員などのホストタウンの皆様と親密な関係を構築することができました。このご縁と、ホストタウンとコロンビアとの関係を今後も維持し続ける所存です。 2020年東京大会に関わる二国間の相互理解についての質問に戻りますが、選手たちの参加が二国間の相互理解を深める上で多大な影響を及ぼしたことが言えます。コロンビアの選手たちは、日本で素晴らしい競技と演技を披露してくれたことを、私たち全員非常に嬉しく、誇りに思います。 最後に、関係者と協力者全員が次のように語ることができたことも、非常に喜ばしく思っております。「2020年東京大会は安全で適切な感染症対策を講じた上で行われました。」関係者全員にとって、この大会は様々な困難を伴う大きな挑戦であったことを忘れられません。しかし、今では殆どの人が、良い選択を取ったことと信じ、また選手たちのためだけでなく世界のためにも、希望のシンボルとなりました。2020年東京大会のような重要な行事を安全に遂行できたことで、新型コロナウイルス感染症の世界的大流行がもたらした様々難関を乗り越えられることを示したとも言えます。 パルド大使にインタビューをお受けいただき、ありがとうございました。共に、日本を後にされます大使夫人アントニア・サニン様にも、心よりお別れのご挨拶を申し上げます。

かこさとし展 子どもたちにつたえたかったこと

日本を代表する絵本作家かこさとしの全貌をたどる展覧会が、現在、渋谷Bunkamura ザ・ミュージアムで開催されている。 日本の子どもたちのほとんどは、かこさとしの作品を読んでいるはずだ。 かこさとしは、1926年生まれ。多感な中学生時代に戦争を体験し、レオナルド・ダ·ヴィンチに影響を受け、一度は航空士官を目指すが、強度の近視のために諦める。その後、東京帝国大学工学部応用化学科入学するが三重県に疎開し、終戦を迎えた。その間に、東京の自宅は東京大空襲に襲われ消失していた。 戦後は世の中の価値観が全く変わってしまい、かこさとしは絶望感に見舞われる。しかし、彼はその時代に「セツルメント活動」に出会う。「セツルメント活動」とは、「人間として平和を愛し」、「苦しむ人々のために献身的に尽くす」、「生活の苦難打開に資することを念願する」という理念を持っていた。その当時のことを彼は、「あてもなく彷徨っていた僕の背中をゆっくり前に押してくれた」と語っている。この考えが、後のかこさとしの活動には大きな影響を与えていく。 「セツルメント活動」に参加したかこさとしは、工場労働者の子どもたちの為に自ら紙芝居を描き、上演している。いずれの紙芝居も、労働者の生活を反映し、どこか物悲しい。その活動を経て、1959年の『だむのおじさんたち』で絵本作家デビューし、かこさとしは次々と名作を生み出していく。 この展覧会には「だるまちゃん」「からすのパンやさん」など、日本人なら一度は手にしたことのある絵本の原画、デッサンが数多く展示されている。その一つ一つは驚くほどち密に描かれている。科学を学んだかこさとし独自の自然の観察眼、工場や歴史に対する忠実な描写が反映されている。また、働くことの尊さ、平和、共存、愛情などがすべてに共通するテーマだ。そのテーマは決して押し付けがましいものではない。しかし、絵本を読んだ子どもたちの心に、自然に、何か温かいものをもたらしていることに気づく。 展覧会最後に展示されている「宇宙進化地球生命変遷放散総合図譜」(生命図鑑)は圧巻だ。これはかこさとしの最期のメッセージでもあり、曼荼羅でもある。かこさとしがすべての人に伝えたかったことは、生命はみな同じく尊いということではないか。 よりうつくしく よりたくましく よりすこやかに かこさとしが残したメッセージは実にシンプルだ。だれもがそうありたいと願うが、その実現はどんなにむずかしいことだろうか。 この展覧会で、改めて平和と平等、人権、尊厳の大切さに出会える。 開催期間:2022/7/16(土)~9/4(日)  ※7/26(火)休館 会場: Bunkamura ザ・ミュージアム 開館時間:10:00-18:00(入館は17:30まで) 毎週金・土曜日は21:00まで(入館は20:30まで) ※金・土の夜間開館につきましては、状況により変更になる場合がございます。 【関連記事】 『かこさとし展 子どもたちに伝えたかったこと』

Satoshi Kako Exhibition

Satoshi Kako Exhibition “What I wanted to convey to children“ An exhibition that traces the whole story of Satoshi Kako, one of…

Fin Juhl and The Danish Chairs

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フィン・ユールとデンマークの椅子

フィン・ユールとデンマークの椅子 現在開催中 高い芸術性と癒しの融合 極上の椅子を楽しむ 東京都美術館と北欧家具デザインの巨匠、フィン・ユールとの繋がりはとても深い。 画期的な企画展を開催し続けている東京都美術館は間違いなく日本でも指折りの名美術館だ。しかし、意外に知られていないのは、その館内にはフィン・ユールをはじめとするデンマークのデザイナーが手掛けた極上の家具が設置されていることだ。疲れたからと何気なく腰かけた椅子から特別の癒しを感じる。そんな特別な空間「佐藤慶太郎記念 アートラウンジ」が東京都美術館にはある。 現在開催中の企画展「フィン・ユールとデンマークの椅子」では、北欧の家具に関わる近代史から紹介されている。その歴史は18世紀に遡り、家具と人々の生活空間は、あらゆる人々に教育を施すというデンマークの啓蒙思想とともに発展してきたことにも理解が深まる。こうした教育と共に生活の質を高めようという運動を背景に、天才的デザイナー、フィン・ユールは生まれてきたのではないだろうか。 フィン・ユールがデザインを手掛けた椅子の数々はとても美しい。この展覧会のちらしにも使われた代表作「イージーチェア NO.45」は特別に優雅な美しい曲線をもつ。その肘は人々の腕にしなやかに、優しく沿うようにデザインされており、人間工学を理解しているとさえも言える。この椅子に座ることは、美しい椅子を楽しむだけでなく、椅子に抱かれ、包まれて、極上の癒しを感じることに他ならない。 この展覧会で特筆すべきことは、実際にこうした美しいデザインを持つ椅子に腰かけて、その感触を自分の体を持って感じ取れる展示スペースがあることだ。鑑賞者は、フィン・ユールとその仲間たちがリードした北欧家具の革命とも言える展示を見た後、このスペースに誘導される。ここでは疲れた身体を癒すにも、北欧家具という実用的な芸術を楽しむのには最適な空間だ。これは都美術館でなければ実現できない画期的かつ特権とも言える展示だ。 今、人々は新型コロナウィルス感染のパンデミックを経験し、自宅で働くという新しい生活スタイルに入っている。自宅が生活と労働の場となった今、人々が求めるのは労働効率と共に、癒しと安らぎではないだろうか。 東京都美術館が渾身のキュレーションで作り上げたこの展覧会にぜひとも足を運んでほしい。美しい家具を見るだけではなく、生活の質と人生を改めて考える素晴らしい時間になるはずだ。 展覧会の詳細: 会期:2022年7月23日(土)~10月9日(日) 会場:東京都美術館 ギャラリーA・B・C 休室日:月曜日、9月20日(火) ※ただし、8月22日(月)、29日(月)、9月12日(月)、19日(月・祝)、26日(月)は開室 開室時間:9:30~17:30(入室は閉室の30分前まで) 夜間開室金曜日は9:30~20:00(入室は閉室の30分前まで) 展覧会公式サイト:https://www.tobikan.jp/finnjuhl 東京都美術館公式Twitter 東京都美術館公式HP 【関連記事】 夏休みに行きたい美術展…

メキシコ大使館「テキーラの日」テキーラを知って楽しもう!

メキシコだけでなく、世界で長く飲まれているテキーラを記念したイベントがメキシコ大使館で開催された。 「テキーラの日」は、2006 年 7 月 24 日「テキーラの古い産業施設群とリュウゼツランの景観」がユネスコにより世界文化遺産に登録されたことを記念して、2017 年にこの日をメキシコ大使館商務部が「テキーラの日」と制定した。 テキーラにはいくつもの有名メーカーがあるが、鶏のロゴで知られるサウザ社は歴史が古く、その創業者は「テキーラの父」とも呼ばれている。このメーカーによって1873年にテキーラは米国に初めて輸出された。その後、瓶詰による販売を拡大し、欧州にも輸出、世界的な名酒として知名度を上げていく。 その製造過程は、現在のSDGsブーム以前からすでに環境に配慮している。また、労働人口を創出し、メキシコの発展にも深く貢献している。メキシコでは、テキーラの産業に従事する人々も多く、その工場見学は海外からの旅行者にも大人気だ。 ストレートで飲むとアルコール度数が高いために、日本では危険なお酒と誤解されがちなテキーラだが、その味わい方はとても多い。亡くなった恋人を思って作ったカクテル、マルガリータ、ローリング·ストーンズのミック・ジャガーがこよなく愛したカクテル、サンライズもテキーラベースだ。 古い歴史を持ち、環境にも配慮、価格も手ごろで、人々の気分をリフレッシュさせるテキーラ。この夏はアルコール度数40度のメキシコの名酒を心行くまで楽しんでみたい。 【関連記事】 メキシコ観光サイト「VISIT MEXICO」日本語版サイトを新設