彬子女王殿下、あつぎ郷土博物館の特別展をご観賞

オルガ・クリアマキ大使の説明を聞きながら展示ケースを見入る彬子女王殿下

現在、あつぎ郷土博物館で開催されている特別展「アーネスト・サトウ、F・ベアト、八雲、暁斎で知る幕末・明治」を、彬子女王殿下がご観賞された。

あつぎ郷土博物館の特別展「アーネスト・サトウ、F・ベアト、八雲、暁斎で知る幕末・明治」の入口看板

この特別展はそのタイトルにある通り、3人の外交官とお雇い外国人の日本へのかかわりが中心となっている、さらにそうした外国人とかかわりをもった河鍋暁斎による作品が展示され、当時の外国人が見たであろう日本の姿とその文化が再現、展示されている。

初代英国公使をつとめたアーネスト・サトウは、その在職中に2度厚木を訪問している。当時は横浜界隈以外は外国人の訪問が禁じられており、横浜から出向ける最も遠い地域が厚木であったといわれる。

アーネスト・サトウの肖像と外交文書を紹介する展示パネル

登山家でもあったサトウは、厚木に近い大山を訪れ、その後、古久屋という旅館に立ち寄って休憩をとったという。あつぎ郷土博物館には今も古久屋のうちわが残っており、当時を彷彿とさせる。

古久屋のうちわと大山を描いたイラストレイテド・ロンドン・ニュースの展示

サトウの関係では、この特別展に合わせて、外交史料館には現在もビクトリア女王の署名がはいった信任状が保管されていることがわかり、その貴重な資料も展示された。

英国留学中に、サトウの研究もなさったという彬子女王殿下は、大変興味深げにこの信任状に見入っていらした。

信任状の展示ケースを熱心にご覧になる彬子女王殿下と関係者

別のコーナーには、初代駐日ギリシャ総領事に任命されたイタリア生まれのイギリス人写真家でギリシャにも長く暮らしたフェリーチェ・ベアトが撮影した画像から、厚木市、神奈川県にゆかりの作品が19点も展示されている。また、1872年(明治5)4月10日、当時の駐仏ギリシャ大使、アレクサンドロス・リゾス-ラガヴィスが、ギリシャ外務省本省に充てて、フェリーチェ・ベアトの在横浜ギリシャ領事就任への推薦とギリシャと日本との今後の通商条約の締結を提案したギリシャ語の外交文書も展示されている。

この書簡には、フェリーチェ・ベアトは「Beatos」というスペルミスがある氏名で記載されていた。そのため、ギリシャ側はこの「Beatos」がどういう人物かがよくわからなかったという。しかし、この展覧会のキュレーションの過程に、駐日ギリシャ共和国特命全権大使、オルガ・クリアマキ閣下が書簡のギリシャ語原文を読み、博物館側の調査の内容が一致したことによって、この人物は紛れもなくフェリーチェ・ベアトであることが分かった。ベアトは初代領事を務めた時代に、日本への理解が深まるよう、書簡、写真などをギリシャ外務省本省に送り続けている。彼は、約20年後にギリシャと日本が通商条約を締結するきっかけをつくった人物であることもわかってきた。こうして博物館の展示を作るプロセスにギリシャと日本の近代史が結びついていくという劇的な展開にもなっていった。

ベアトが見た当時の厚木の街並みを再現したジオラマ展示

そのほか、同じくギリシャ出身の小泉八雲については、今も小泉家が所有する珍しいプライベートな画像も展示された。その中には、八雲の3人の息子が東京の大きな家で遊んでいる姿も見られた。日本の着物姿の少年たちではあるが、ギリシャ、アイルランドの血を紛れもなくひいている子どもたちの輝くようなブロンドが印象的だ。

今も大変人気の高い絵師、河鍋暁斎の作品も多く展示されている。現在でも販売できるような優れたデザインの文具、千代紙、暁斎が大量に酒を飲んで描いたであろう「席画」、肉筆も多い。しかし、本当に珍しいのは初公開の風呂先屏風であろう。これは表側に夏の風物詩ともいえる鴨川納涼図が描かれ、裏面には出産で命をおとした女性「姑獲鳥図」が描かれている。そのおどろおどろしい姿とのどかな納涼図が裏表に描かれて、寓話を含んだような暁斎の作品は非常に珍しい。今回の展示は、二人のコレクターの協力により、裏表の2作品が同時に公開された。

怪談をテーマにした河鍋暁斎の掛け軸作品

彬子女王殿下は、英国へのご留学中に、海外へ流出した日本美術に関してご研究され、現在は国内の大学にて教鞭をとられている。こうした珍しい展示をじっくりとご観賞になり、暁斎の研究者でもあるコレクターの説明を熱心に聞かれていた。

この特別展「アーネスト·サトウ、F・ベアト、八雲、暁斎で知る幕末明治」は9月23日まであつぎ郷土博物館で公開されている。

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