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エストニア大使館 独立105周年記念日を祝う

2023年2月22日に、駐日エストニア大使館は105回目となる独立記念日(2月24日)を祝うレセプションを明治記念館で開催した。エストニアは世界最先端のデジタル国家としても知られ、世界中で使われている「skype」発祥の国でもある。そうした国家の取り組みを反映し、日本の現・デジタル大臣である河野太郎氏、日本エストニア友好議員連盟の平井卓也氏(初代デジタル大臣)も列席した。 今年度の独立記念日レセプションでは、ヴァイノ・レイナルト駐日エストニア大使が心を込めて母国の独立記念日を祝い、2020東京オリンピック開催時に、ホストタウンとしてエストニア選手団を受け入れた、姉妹都市である長野県の佐久市エストニア親善協会へも心からの感謝を表し、エストニア外務大臣から感謝状を授与した。 また、ロシアのウクライナ侵攻1年目にも当たるこの日に、レイナルト大使はロシアの行いを強く非難し、ウクライナの主権、領土の保全のために支援を続けることを表明した。 このメッセージには、エストニアと日本が築いてきた良好な関係を祝福すると同時に、かつて同じ思いをしてきたエストニア国民としての怒り、願い、そして平和への願いも込められている。駐日エストニア大使館の協力の下、全文を掲載するので是非とも読んでいただきたい。 【関連記事】

設立50周年 世界のバレエダンサーの登竜門 ローザンヌバレエ・コンクール

世界のバレエダンサーの登竜門として名高いローザンヌ・バレエ・コンクールは1973年に初開催され、今年で50周年を迎えた。その間、世界に通じるバレエダンサーを多く世の中に送り出しており、日本からも約70名に上る若手バレエダンサーが受賞している。 現在では世界的に有名なバレエコンクールとなったローザンヌ・バレエ・コンクールだが、このコンクールは機械式時計に欠かせない小型の衝撃吸収部品「インカブロック」と小型電気モーターを製造する企業のオーナー、フィリップ・ブランシュワイグと妻でバレエダンサーのエルヴィ・クレミスのアイディアから生まれた。 二人は20世紀バレエ団を率いたモーリス・ベジャール、ロゼラ・ハイタワーら長年親交があり、その興行なども行っていた。そうした中、舞台芸術としての舞踏の分野では、オペラ歌手などの舞台芸術家から比べて経済的に恵まれていないことに着目する。その解決への案をベジャールらに相談したことから、若手ダンサーに世界的に知名度のあるバレエ学校で学ぶ権利を授与するコンクールをローザンヌで創設することとなった。こうしたポリシーによって設立されたバレエ・コンクールであるため、ローザンヌ・バレエ・コンクールには基本的に順位は設けられていない。 第1回のコンクールは1973年1月19〜21日にローザンヌ市立劇場で実施され、第3回(1975年)からはローザンヌのボーリュ劇場での開催となった。国際的な知名度を得るため、ニューヨーク、東京、モスクワでもこのコンクールは開催された。第49回は新型コロナウィルス感染拡大による渡航制限があり、この回だけは参加者が事前に映像を提出し、現地で審査員が審査するという方法がとられた。 開始当初はクラシック・バレエのためのコンクールであったが、時代の変化に伴って1999年からはコンテンポラリー・ヴァリエーションが審査に導入された。2006年には選考方法に大きな変更があり、DVD審査が取り入れられ、第2フェーズだけが現地で行われるようになった。また、出場者の健康管理には厳しく基準が設けられて、健康状態、食生活についての問診票など身体の健康に関する資料の提出も義務となっている。 ローザンヌ・バレエ・コンクール50周年を記念して、多くのバレエ公演を手掛けてきた文化村ではそのギャラリーを使って写真展覧会も開催された。また、記念すべき50回目のコンクールには日本からは4名がファイナルに進出し、15歳の宮崎圭介がスカラシッププライズを受賞している。スカラシッププライズ入賞者には、世界の著名バレエ・スクールへ1年間無償で留学する権利と、その間の生活援助金として16,000スイス・フランが与えられる。 実は日本はバレエ大国として名高いという。それはまずバレエ教室が多いことと、子供達の習い事としてバレエが定着していることも一因だ。ロシア、ヨーロッパにあるような素質、容貌、体形、親の体形などから向き不向きを判断されるようなことはなく、誰もでも気軽にバレエを習うことができる。そうした状況から、日本のバレエ人口はとても多く、思わぬところから逸材が出てくるということもあるという。今、バレエは最も好まれている舞台芸術になっている。 若いダンサーを支援し、学ぶ機会を与えるという考えは本当に素晴らしい。これからもローザンヌ・バレエ・コンクールの継続、発展を祈りたい。 【関連記事】

「アフリカチャリティーバザー」 アンゴラ大使館で開催

活発にチャリティー活動を行っているマリア・ファティマ・シャビエル夫人とアフリカ諸国の大使夫人により、3月18日(土曜日)にチャリティーバザーが開催される。 このバザーでは、アフリカ諸国、各慈善団体によるブースが設けられ、アフリカの物産、各地の名産、食品などが販売される。各国のブースでは日本ではなかなか手に入らないもの、良質の香辛料なども多く出品され、各慈善団体のブースからは掘り出し物も多いという。 各国の大使夫人自らが手掛ける本格的バザーであり、また、木彫りの彫刻、アフリカの絵画などが多く展示されているアンゴラ大使館内部を見るにも良い機会だ。 また、このバザーからの収益金は、トルコ地震の被災者、ウクライナから避難してきた人々の支援に使われる。 詳細は以下の通り: アフリカチャリティーバザー 主催:駐日アンゴラ大使館、アンゴラ大使夫人およびアフリカ大使夫人会 日時:2023年3月18日午前10時半から午後3時まで 場所:駐日アンゴラ大使館 (世田谷区代沢2-10-24)    井の頭線 池ノ上駅下車 南口 徒歩4分    小田急線 下北沢駅下車 中央口 徒歩12分 入場料:1000円 入場券購入のお問合せは:アンゴラ共和国大使館まで 電話:03-5430-7879 (伊東、園田) 【関連記事】 アンゴラ大使インタビュー アンゴラ大使館 〜白田道成と素敵な仲間たち〜 チャリティーコンサート開催

東京国立博物館 デジタル法隆寺宝物館 最先端の技術で歴史を見る

日本が世界に誇る文化遺産といえば、まず一番に思い浮かぶのは奈良県にある法隆寺だ。その魅力を日本国内だけでなく、海外にも発信しようと内覧会が開催された。この内覧会では、日本に長く滞在し、日本の美術に造詣が深いジャーナリストのアリス・ゴーデンカーが解説を行った。 現存する世界最古の木造建造物である法隆寺は、7世紀初頭に用明天皇の皇子であった聖徳太子により、建立された。創建された当時は斑鳩寺(いかるがでら)と称したが、法隆寺とも呼ばれる。 1878年に法隆寺に伝来した宝物300件余は皇室に献納され、その収蔵・展示を目的として、1964年に東京国立博物館に法隆寺宝物館が開館、1999年に建て替えを行い、現在に至っている。 法隆寺宝物館では、現在デジタル技術を駆使し、法隆寺ゆかりの名宝をデジタルコンテンツで鑑賞することができる。また、宝物を同じくデジタル技術によって複製し、作られた当時の姿のままに鑑賞することもできる。 現在公開されているのは国宝「聖徳太子絵伝」をテーマとしたコンテンツだ。「聖徳太子絵伝」は1069年絵師・秦致貞(はたのちてい)の手により制作された障子絵で、現存する最古の聖徳太子絵伝とされる。全部で10面からなる大作であり、その画面には聖徳太子の生涯に起きた50以上の逸話、実績、事象等が描かれている。原品の「聖徳太子絵伝」は描かれた当初からは非常に長い年月が経っており、画面のいたみがひどかった。しかし、現代のデジタルコンテンツ〈8Kで文化財 国宝「聖徳太子絵伝」〉によって高精細画像を大型8Kモニターに映し出し、描かれた細部までじっくり鑑賞することができる。 聖徳太子にまつわる逸話は現代にも伝わっており、日本人の多くが知る。その中でも特に知られているのは豊聡耳(とよとみみ、とよさとみみ)と呼ばれた伝説ではないか。ここでは11歳の聖徳太子が、36人の子供の話を聞き漏らさなかったという逸話が描かれた部分も明確に見ることができる。 鑑賞者はこの「聖徳太子絵伝」の見たい部分を大きく拡大してみることもできる。いくつもの伝説に彩られた天才「聖徳太子」の表情まで詳しく見つめることもできる。まるで聖徳太子の生きた時代を手に取るような体験だ。 法隆寺宝物館は、伎楽の面も多く所蔵している。伎楽は飛鳥時代に大陸からの帰化人が伝え、楽器の演奏とともに舞を行ったとされるが比較的早くにすたれてしまったという。法隆寺の伎楽面には飛鳥時代に作られた面が含まれているが、それらの面には大陸との交流を物語るように、ペルシャ人の面影を残すものもある。 年月を経てダメージを受けた面のうち2面は、現代の先端技術も用いつつ、厳密な考証を踏まえて復元模造が制作され、制作当時の色も復元されている。その復元には、海外の美術館博物館に残る資料から得られた情報も反映されている。2019年に伎楽面「呉女」と「迦楼羅」を復元したが、「迦楼羅」の冠、とさかの部分の復元はドイツに残る資料から行われたという。 また、伎楽装束「裳(も)」と「袍(ほう)」も復元模造されている。これは当時の優美なデザイン、鮮やかな色を現代に楽しむことができ、とても楽しい。 東京国立博物館は日本の文化、歴史を紐解き、垣間見るには最も重要な文化施設だ。訪れる際は是非とも多くの時間を費やし、デジタル法隆寺宝物館にも立ち寄り、現代の技術によって復元された飛鳥時代の日本を味わってほしい。 東京国立博物館公式HP内「デジタル法隆寺宝物館」ページはこちらから
Norbert Palanovics

パラノビチ・ノルバート駐日ハンガリー大使インタビュー

このインタビューで、パラノビチ・ノルバート大使は母国ハンガリーの文化、芸術、科学、経済の発展とハンガリーの素晴らしいツーリズムに関わる温泉およびおいしいと評判のハンガリー料理について語り、さらに日本との経済的な相互関係と密接かつ強固な関係についても言及している。 質問:大使に就任なさった経緯とご経歴をお話しいただけますか。 大阪の関西外国語大学の新プログラムに参加するため、奨学金を得て初の交換留学生として2002年に初めて日本にやってきました。なぜ日本に来たかと言うと、日本文化というレンズを通してアジアに親しむことに興味があったからです。それが主な目的でしたが、 日本に関連した分野については、専門知識などはないという状態でした。まず交換留学生になれたという強みもありましたので、一般的な興味、好奇心だけをもって日本にやってきたわけです。 2004年には改めて奨学金を得て留学生として名古屋に来ることができました。そこで学び、後に博士号を取得しました。 今迄の私のキャリアにおいて、大阪、名古屋、東京で暮してきました。各地で交換留学生として学び、ジャーナリストとして働き、さらに企業で働くという経験をし、ハンガリーの代表的な企業の代表も務めていました。そうした経験からも、さまざまな角度から日本社会の多彩な側面を見て、経験することができました。 2016年からは大使としてハンガリーの代表を務めています。 これらの経験は色々な門戸を開くことを可能にしてきました。こうした経験があって私は日本の文化や地理の分野でも、あまり知られていない側面の理解を深めることもできました。 もし東京からこの人生の旅とキャリアを始めていたら、同じような経験はできなかったと思います。 東京はとても素晴らしく快適な都市ですが、それに慣れ過ぎていると冒険を避けるようになってきますね。 質問:カリコ·カタリン博士(新型コロナウィルスに対するワクチンの開発者)に代表されるような、ハンガリー人による文化的な面での重要な貢献をご紹介いただけますか? ハンガリーは人口1000万人未満ですが、 ハンガリー人を自称する人を含めると、その数は世界全体で約 1,500 万人にのぼります。 このように人口が比較的少ないにもかかわらず、ハンガリー人は多くの重要な文化的および科学的な分野で貢献をしてきたと言えます。 ハンガリー出身のノーベル賞受賞者は13 人に上ることもあり、その人々の業績を含む学術的な業績、さらにはクラシック音楽と現代音楽両方での貢献はとても大きなものです。これはハンガリーが小さい国であり、人口も少ないということを考えれば、間違いなく果たしてきた貢献の度合いは高いと言えます。 ハンガリーは多くの点で豊かな人的資源に恵まれており、その意味では大国だと思います。カリコ·カタリン博士については ハンガリー人は非常に誇りに思っています。女性であり、科学者でもあります。また、新型コロナウィルス感染のためのメッセンジャーRNAワクチンの開発において、その発明は大きなニュースにもなりました。 ハンガリー大使館の大使執務室の机の上には、ハンガリーを代表するもう 1…