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Miss International Tunisia: ‘Believe in Yourself, and Don’t Let Anyone’s Opinion Define Your Potential’
In early October, we interviewed Mariam Ben Abroug, who won the Miss International competition for her home country, Tunisia. For her preparation…
トルクメニスタン大使館 32回目の独立記念日を祝う
1991年に旧ソ連から独立したトルクメニスタンは32回目の独立記念日を迎えた。トルクメニスタンは、ウズベキスタン、カザフスタン、キルギス、タジキスタンと共に中央アジアの5つの国として日本でもよく知られており、古くからシルクロードを介して文化交流、物資の往来が盛んな地域であり、現在もヨーロッパとアジア、中東を結ぶ重要な十字路にある。 現在日本で特命全権大使を務めているのはアタドゥルディ・バイラモフ閣下だ。昨年10月に天皇陛下に信任状を奉呈したばかりだ。しかし駐在が決まって以来、日本語を猛勉強しており、この日のスピーチもすべてよどみない日本語で行った。 独立記念日のレセプションには、バイラモフ大使の広い交友関係を示すように各界から著名人が集まった。日本・トルクメニスタン議員連盟から議長を務める松下新平参議院議員、深沢洋一衆議院議員も出席した。昨年からの7か月間で国会議員のトルクメニスタン訪問が実現しており、日本との深い関係がうかがえる。また、日本の貿易関係、商社からも多くの役員が顔を揃え、豊富な天然ガスなどの資源に恵まれた国らしい一面を垣間見ることもできた。 旧ソ連から独立を果たして以来、トルクメニスタンは永世中立国として、平和と世界のすべての国々を尊重してきた。現在はセルダル・ベルディムハメドフ大統領が就任しており、現大統領も迷うことなく永世中立を基本とする平和国家としての道を歩んできた。外交においても中立という立場から世界の平和と安全の強化、善意に基づく友好と友愛の拡大を優先的な方向として掲げている。 日本との関係は、昨年外交樹立30周年を迎えている。30周年を境にトルクメニスタンと日本との関係は新たな段階を迎えている。トルクメニスタン大統領のセルダル・ベルディムハメドフ閣下は政治外交貿易、経済、人的交流に関してトルクメニスタンと日本の友好関係をさらに強化することを最重視している。また、科学、スポーツ、文化交流などにおける文化人道的関係も順調に発達している。この分野で顕著なのは日本語学科、学生の急増ではないか。トルクメニスタンでは2016年から6校のカリキュラムに日本語が導入されており、現在は13,360名に上る学生が日本語を学んでいるという。 日本でも世界にたった3000頭しかいない「黄金の馬」と称されるアハルテケを飼育している牧場が青森にある。アハルテケはトルクメニスタン原産で、シルクの様な毛並みを持つ抜群のスピードと持久力を併せ持つ馬であり、アレキサンダー大王が乗ったブケファロスもこのアハルテケではないかと推測されている。 今回の独立記念日では、アハルテケ牧場の社長を務める青江美智子氏が長年の功績をたたえられ、トルクメニスタン大統領から馬の繁殖に関する賞を受賞し、独立記念のレセプション内で授賞式が行われた。 独立32周年を迎えたトルクメニスタンは古い歴史をもつ新しい国だ。これからもバイラモフ大使を中心としてトルクメニスタン大使館は日本で活動を持ち、より国としての知名度を上げ、交流を深めていくことだろう。また、トルクメニスタンの美しい国家、人々の心をしったより多くの日本人がトルクメニスタンを訪れるに違いない。今後の新しい外交に期待したい。
Embassy of Turkmenistan Celebrates Its 32nd Independence Day
Turkmenistan, which gained independence from the former Soviet Union on1991, celebrated its 32nd Independence Day. Turkmenistan is well known in Japan as…
The Hollywood Reporter Japan signs contract with Yahoo Japan News
The Hollywood Reporter makes inroads in Japan. As the leading entertainment news provider of all things Hollywood, The Hollywood Reporter expands globally…
ジャマイカコーヒーの日本への輸出70周年とメイヴィスバンクコーヒーファクトリーの100周年を祝って ジャマイカ大使館 記念ディナーを開催
二つの大きな記念すべき節目を祝うため、ショーナ=ケイ・リチャーズ駐日ジャマイカ大使は、メイヴィスバンクコーヒーファクトリー マネージングディレクター & CEO ノーマン・W・グラント氏と共に、ロイヤルパークホテルでディナーを開催し、上島達司 AJIJCジャマイカコーヒー輸入協議会会長(UCC上島珈琲株式会社代表取締役名誉会長)、MBCF副会長のマーク・マッキントッシュ氏らコーヒー貿易関係者を招いた。 現在、ジャマイカの高品質なブルーマウンテンコーヒーの生産及び輸出をするMBCFは1923年にヴィクターとエドナ・マンによって創業された。その第一歩を踏み出してから1世紀の間、MBCFはコーヒー生産農家、従業員、農家のファミリーに安定した仕事と生活を与え、最高品質のコーヒーを共に作ることでジャマイカの繁栄を築いてきた。コーヒーは道を開き、ジャマイカの投資、貿易と国家の発展に大きく貢献している。 日本とブルーマウンテンコーヒーの関係は1953年にMBCFが日本のキーコーヒーに三樽のグリーンビーンズを輸出した時に始まる。日本はジャマイカが英国から独立した1962年8月6日同日に国家承認を行い、1964年3月に正式な外交関係を結んでいる。その10年も前からブルーマウンテンコーヒーによる民間外交は始まっており、ブルーマウンテンコーヒーは初代駐日ジャマイカ大使とさえ言うことができる。 ブルーマウンテンコーヒーは日本人に深く愛されてきた。 そうしたマーケットの早期開発は、UCC上島珈琲株式会社の創業者上島忠雄氏とキーブル・マン氏の先駆的ともいえるパートナーシップの締結による。 現在もそのパートナーシップは上島忠雄氏の子息でもある現会長の上島達司氏に引き継がれている。 今年で70年を迎えるブルーマウンテンコーヒーと日本の関係は非常に大きく育ち、1953年の初輸出額は300米ドルであったが、現在では輸出額は年間平均2000万ドル相当に増加している。 日本市場はジャマイカブルーマウンテンコーヒーグリーンビーンズ輸出の75%を占めるほどに育った。 今年100周年を迎えたMBCFは、極上のブルーマウンテンコーヒーの輸出をより増加させていくとともに、コーヒー入りチョコレートなどの新商品の発売も開始し、更なる発展を進めている。創業時からコーヒー農家、生産者、スタッフと共に歩み、ビジネスパートナーを大切にするウィンウィンの姿勢は変わらないが、MBCFはジャマイカを代表するグローバルブランドとなっている。 こうしたウィンウィンの関係を築くために、歴代の駐日ジャマイカ大使が大変な努力を続けてきたことは決して無視できない。現在のショーナ=ケイ・リチャーズ大使もまたブルーマウンテンコーヒーのことを先任者と呼ぶ。 来年ジャマイカと日本のパートナーシップは還暦(60周年)を迎える。もちろん外交関係60周年(還暦)はキングオブコーヒーで祝杯を挙げることだろう。 この度のディナーも、最後は極上のブルーマウンテンコーヒーで締めくくられた。その一杯がどれほどおいしかったことか。これぞブルーマウンテンコーヒー!と誰もが思ったに違いない。 【関連記事】
Celebrating 70 Years of Jamaican Coffee Exports to Japan and 100 Years of Mavis Bank Coffee Factory
To celebrate two major milestones, H.E. Ms. Shorna-Kay Richards, Jamaican Ambassador to Japan, partnered with Mr. Norman Grant, Managing Director and CEO,…
隠れた名観光地 香川県を訪ねて 金刀比羅宮、書院で最高の日本美術を鑑賞する
香川県にある金刀比羅宮には、美しい建造物、円山応挙ら、日本を代表する絵師による数々の襖絵など、日本の美を満喫する要素がすべて詰まっている。 瀬戸内海に浮かぶ直島を訪れる海外からの旅行者は多いが、金刀比羅宮まで足を延ばす観光客はまだまだ少ない。瀬戸内海を訪れたせっかくの機会、少し足を延ばして、その素晴らしさを見ていただきたい。 金刀比羅宮は、瀬戸内海を望む瀬戸内海国立公園、名勝、天然記念物の指定を受けた景勝の地である象頭山の中腹に鎮まっている。 創建年代は明らかではないが、奈良時代(10世紀初期)にはじまった神仏習合による影響を受け、室町時代頃には金毘羅大権現として幅広い信仰を集めていたとされている。 19世紀中頃以降は、特に海上交通の守り神として信仰されている。荘厳な本殿に参ると、金刀比羅宮が長く見守っている瀬戸内海を見渡すことができる。 ここで紹介する書院はふもとから本殿に上がる中腹にある。 表書院は入母屋造、檜皮葺で、萬治年間(1658‐1660)に建てられたと言われている。 この書院は金毘羅大権現に奉仕した別当金光院が、諸儀式や参拝に訪れた人々との応接の場として用いた客殿という役割を持っていた。金刀比羅宮を訪れる当時の皇族、将軍、大名らを迎える為、その建物の内部の連なる5つの畳部屋の襖には、円山応挙による秀作が残されている。 円山応挙は江戸時代中期の京都画壇を代表する画家であり、円山派の始祖である。 それまでの師による絵手本を見ながら描く伝統的な手法から、実物を観察しながら描く写生の技術を取り入れた。 その応挙が晩年ともいえる50代に取り組み、天明7年(1787年)と寛政6年(1794年)の二度にわたって制作した襖絵「鶴の間」「虎の間」「七賢の間」「上段之間」「山水之間」はそれぞれに違った用途を持つ空間である。 その中でもとくに有名なのは、「水呑みの虎」と「八方にらみの虎」を含む「虎の間」ではないか。 「虎の間」では、応挙は襖16面と言う大きな空間に8頭の虎を描いている。応挙が活躍した時代、日本には虎がいなかった。当時、日本の絵師は虎を描いた絵画、輸入された毛皮や猫を手本として虎を描いた。しかし、応挙は骨の構造を把握することの重要性を説いた絵師でもあった。応挙は中国、朝鮮半島からの虎の画、毛皮などを入手し、解剖学を基礎に虎の姿を想像して描いたとも言われている。そうした当時の事情がある為か、応挙が描いた虎たちの姿は、後年に描かれた虎の姿と比べると、どこか小動物のような可愛らしい印象さえも受けることがある。 応挙の虎たちの様子は様々であるが、いずれも奥行きがない空間に描かれているため、あたかも襖から飛び出してくるような迫力ある動きを見るものに与えている。 川面に顔を寄せて水を吞む2頭の虎は、「水呑みの虎」と呼ばれ、松の木の下で正面を見据えるように描かれた虎は「八方にらみの虎」と呼ばれる。 虎が実在しなかったとは言え、そこには応挙の中で昇華された臨場感に満ちたまぎれもない本物の虎が存在する。応挙晩年の傑作と言われる理由が伝わってくる。 この表書院には、これらの見事な襖絵の他にも見どころが多い。 金刀比羅宮の蹴鞠は香川県の無形文化財に指定されており、表書院前方に広がる庭は蹴鞠を行う会場である。 その中には15メートル四方ほどの平坦な鞠懸(まりがかりー蹴鞠のコート)がある。 その四隅には松、柳、桜、楓の式木が植えられており、それぞれに方角を示している。これらの木はいずれも二股になっており、これは蹴鞠の神、精大明神(しらげだいみょうじん)が宿る依代(よりしろ)であるため、神様が座りやすいようになっているのだという。 金刀比羅宮は、香川県琴平町の象頭山に鎮座する神社として人々の信仰を集め、その土地の人々の心を支えてきた。 更にはこの地の芸術の中心としての役割も担い、表書院、奥書院には伊藤若冲、円山応挙らの江戸時代に活躍した画家の作品が多く所蔵されており、さらには日本で最初の洋画家、高橋由一の作品も多く所有している。…
Visit Kagawa Prefecture, a Hidden Tourist Destination : Admire the Best of Japanese Art at Kotohira Shrine and Shoin
Kotohira Shrine in Kagawa Prefecture is filled with all the elements to fully enjoy the beauty of Japan, including beautiful buildings and…
世界の西洋名画を再現 大塚国際美術館のミッションと世界への貢献
徳島県の鳴門公園内にある大塚国際美術館には、日本のみならず世界からも多くの鑑賞者が訪れる。 この美術館は世界26ヵ国の西洋名画約1000点を陶板で原寸大に再現し、展示している。 名画の制作に使われている陶板は約1300度の高温で焼かれているため、2000年に亘って変色の心配もない。その為、展示されている名画の数々には手で優しく触れることもできる。 それぞれの名画を所蔵する美術館などから許諾を得て再現しているが、画家のタッチ、絵の具の盛り上がり方なども詳細に再現されているのは驚愕だ。 大塚国際美術館の取り組みは、こうした世界の名画を手に取るように間近で鑑賞することもあるが、その他にも、既に失われてしまった名画や祭壇画の復元、修復前と修復後の違いを比較鑑賞できる展示室がある等、美術史上の重要なポイントに大きく貢献していることもとても多い。 大塚国際美術館にはエル・グレコのドーニャ・マリア・デ・アラゴン学院の祭壇衝立も復元されている。 非常に残念なことに、オリジナルの衝立は19世紀初頭のナポレオン戦争で破壊されてしまった。6点あった祭壇画は散逸してしまい、現在は《受胎告知》《キリストの洗礼》《キリストの磔刑》《キリストの復活》《聖霊降臨》の5作品は、スペインのプラド美術館に所蔵されている。 しかし、《羊飼いの礼拝》はルーマニア国立美術館に所蔵されているので、現物を一度にみることは不可能だ。しかし、大塚国際美術館ではこの祭壇画は原寸大で復元され、エル・グレコがその円熟期に描いた通りに展示されている。 ゴッホの《ヒマワリ》の展示も素晴らしい。花瓶に入った《ヒマワリ》をゴッホは7点描いたことでも知られる。現存する6点は以下の美術館等に収められている。 ノイエ・ピナコテーク(ドイツ)、ナショナルギャラリー(英国)、SOMPO美術館(日本)、フィラデルフィア美術館(アメリカ)、ゴッホ美術館 (オランダ)、1点は個人蔵。 幻の《ヒマワリ》と呼ばれる作品は1945年に兵庫県芦屋市を襲った空襲により焼失し、その姿を伝えるのは残された「セザンヌ・ゴオホ画集」であった。大塚国際美術館では東京都にある武者小路実篤記念館の協力でその現存する画集を基に正確に幻の《ヒマワリ》を再現し、ここでは7点全部を一堂に鑑賞することができる。 レオナルド・ダ・ヴィンチが修道院の壁にテンペラで描いた《最後の晩餐》が、長い期間をかけて大規模な修復が行われたことは世界的にも知られている。大塚国際美術館では《最後の晩餐》の修復前と修復後の二点を展示し、その違いを見比べることもできる。 こうした美術史上の大きな貢献を日本の企業が行っていることは素晴らしい。 大塚グループ創立75周年を記念して開館した大塚国際美術館は、2023年3月21日に開館25周年を迎えた。 大塚オーミ陶業の特殊な技術で再現された世界の名画は、これからも世界の人々を魅了し続けることだろう。また、世界に日本の企業のこうした事業を広く知ってもらいたい。 【関連記事】
Reproduction of Western Masterpieces From Around the World : Otsuka Museum of Art’s Mission and Contribution to the World
The Otsuka Museum of Art, located in Naruto Park in Tokushima Prefecture, attracts many visitors not only from Japan but from all…