香川県立ミュージアム「特別展「風景が物語る瀬戸内の力―自然・歴史・人の共鳴―」 

香川県立ミュージアム「特別展「風景が物語る瀬戸内の力―自然・歴史・人の共鳴―」 

現在開催されている瀬戸内国際芸術祭2022参加展覧会「特別展「風景が物語る瀬戸内の力―自然・歴史・人の共鳴―」は大変見ごたえのある展覧会だ。 瀬戸内国際芸術祭が開催される直島、高松等の地域は瀬戸内海という日本最大の内海(ないかい)に恵まれ、内海に浮かぶ島々は700以上にも上る。自然に恵まれた瀬戸内には、人々の往来、屋島に代表される源平合戦など、歴史的な事実も多い。 この展覧会では、瀬戸内海を<ユートピア><自然><生活><名所><近現代そして未来>という5つのテーマに分け、中世から現代までの各地の瀬戸内海の姿を表わした作品を展示している。 その展示の中でも、特に注目を集めたのは「志度寺縁起」のシリーズ「御衣木之縁起」「讃州志度道場縁起一」「讃州志度道場縁起二」という3つの作品だ。 「讃州志度道場縁起」には、藤原不比等の妹が唐の皇帝に嫁ぎ、父、藤原鎌足の供養のために面向不背の宝珠を日本に送ろうとするが、その宝珠を積んだ船は志度の浦で嵐にあい遭難、宝珠は竜神に奪われてしまうという物語が描かれている。 更にこの物語は続き、藤原不比等は海女を妻とし、宝珠奪還を願う。妻となった海女は自分の息子を藤原氏の嫡男とするよう頼んで一人、龍宮へ向かう。妻である海女は自らの命と引き換えに宝珠を奪還する。不比等は命を落とした妻を偲んで墓を作り、志度寺を建立したという。 この作品は重要文化財にも指定されており、以前から香川県立ミュージアムにはレプリカが展示してあった。しかし、今回、修復を経て、元来の美しい姿を取り戻している。暴風雨にみまわれ、珍しく荒れる瀬戸内海の様子、唐の皇帝に嫁いだ藤原不比等の妹の様子などが繊細なタッチと荒々しい画面をうまく組み合わせて描かれている。妻を失った不比等は堂宇を増築し死度道場と名付けた。後に、息子の藤原房前が行基とともに堂宇を建立し、「死度道場」を「志度寺」に改めたと伝えられている。 その他にも、すでに絶滅してしまった日本あしかが描かれた網代日記も素晴らしい。訪れていないはずだが、どういうわけか歌川広重はこの地域も描いている。しかし、本当は訪れたことがないということがばれないようになのか、その構図はとても工夫がこらされ、とても見ごたえのある作品となっている。 その他、すぐれた作品が並ぶこの展覧会は、この地が四国遍路路を有すること、空海にゆかりのある地域であること、また、高松城に代表される松平家のおひざ元であるということを改めて思い出させる。 こうした瀬戸内海にまつわる伝説を描いた作品をしっかりとした構成をもとに展示している展覧会は他に例がないのではないか。11月6日までと残りの会期は少なくなっているが、是非とも見て頂きたい展覧会だ。 また、見逃した場合も、香川県立ミュージアムに問い合わせ、この展覧会の図録を購入して、瀬戸内海に残る伝説、それを描いた作品について読んでみるのもとても面白い。 香川県立ミュージアムは、この展覧会に続き「高松藩主松平頼重生誕400年記念展Ⅱ 頼重と寺社」を開催する。さらに来年には空海の生誕1250年を記念した展示があるという。これも見逃せない展覧会だ。 Read more:

Nobuyuki Matsuhisa

グローバルで日本的なビジネス、チームを率いるカリスマシェフNOBU 松久信幸シェフ インタビュー

世界一のシェフと呼ばれる日本人、松久信幸。世界を飛び回るこのシェフにはなかなか会えないという。幸い、ある日の午後、ホテルオークラにほど近い、日本のNOBUでお目にかかることができた。 すっきりと刈り上げた頭髪、やや日焼けした顔に真っ白なコックコートをまとってその人は現れた。70歳を超えているとは思えないエネルギッシュな歩き方と屈託のない笑顔が印象的だ。 世界の人々を癒し、虜にしてきたそのビジネスの手腕は誰もが注目するところだ。NOBUの総帥はどんな哲学をもってそのビジネスを育ててきたのだろうか。 お話しをお聴きするうちに、いつの間にかその哲学の奥深さ、トップとしての懐の深さに深い感銘を受けた。世界の人々を満足させて続ける彼のビジネスには、ファミリー的な考えがあり、古き良き日本の美学があった。 世界一のシェフと呼ばれる男はまた、世界一魅力的なビジネスマンであり日本人だった。すべてのビジネスマン、起業家に読んでもらいたい、忘れられないインタビューとなった。 質問:2020年からの新型コロナウィルス感染拡大にあっても、スピードを緩めることなくビジネスを展開していらっしゃいましたが、それはどうしてでしょうか。 松久:実際にパンデミックになった時には、ビジネスがストップしたところはあります。現実に、ノブのハワイは締めざるを得なくなりました。その他にもいくつか一時的締めたレストランなどはあります。しかし、新型コロナウィルス感染拡大になる前から、我々のプロジェクトは立ち上がっていました。それは、「はい、やります」と言って出来るものではありません。何年も前からそういった話がありましたし、それで新型コロナ感染拡大中でもそのプロジェクトが進んでいたということです。 ですので、実際にパンデミックの最中でも、ワルシャワ、ロンドン、シカゴ、シドニーなどのいくつかのホテルとレストランが、新型コロナ感染拡大という状況にもかかわらずオープンしています。 確かに苦しいという時期もありましたけれども、ある意味、そういう中で新しいホテル、レストランが開店できたということは、僕としては非常にラッキーだったと思っています。これは決して当たり前ではありません。色んな被害が出ていますし、そうした被害にあわれた方もいらっしゃいます。倒産した会社も現実には沢山あります。そんな状況にあっても、現実にやりつづけてこられたというのは、やはりチーム力があったからではないでしょうか。「チーム力」というのが、僕にとっては大きな力になっていると思います。 質問:「チーム力」とは、創業当時から基本としていらしたのでしょうか。 松久:そうですね。当社のコンセプトでしょうか。当社は、本当に最初は小さなところから始めました。いうなれば、パパママビジネスみたいな、ファミリーのビジネスでした。 僕の原点である「Matsuhisa」は1987年に開店しました。最初のNOBUは1994年に開店しています。その当時から、お客さんに喜んでいただくということと、チームによって一つのビジネスを広げていくことを目指していました。 チームというのは、最初はチームではないものです。それが新しいジェネレーション、次の世代が出てくるときに、チームになって行くのでしょう。たとえば、ファミリーであれば、親は息子·娘を教育し、さらに息子·娘は妹弟を教育する。そうすれば、新しいビジネスですから、新しく参加してきた人たちが、育って行きます。 最初はNOBUでウェイターの仕事をしていた人が、今はNOBUのCOOになっている。チームの大切さとは、NOBUの中で育った人間が、今は幹部候補生になっているということにあります。それが一番の強みだろうと思っています。 質問:それは日本的な組織の作り方の一番の強みといえるのではないでしょうか。 松久:そうですね。僕はやっぱり日本人なので、そういうところを大事にしていますね。それとやはりチームを大事にしていって、チームのコミュニケーションが大事だと思います。 質問:チームというのは全てご自分で統括していらっしゃるのでしょうか。 松久:いや、今はもうそんなことは無理です。ですから、たとえばここにいる小林君は、もう21年間NOBUに勤務しており、現在はNOBU東京のGMを務めています。また、アジアにある店舗なども統括しています。シンガポール、フィリピン、マレーシアにも管理する範囲は及んでいます。来月は、オーストラリアに三軒の店舗があるのですが、そこに彼を連れて行って、そこからまたビジネスが広がっていくということになります。ですので、来月は、彼はシドニー、メルボルン、パース、クアラルンプール、シンガポールをずっと回る予定です。もちろん、僕も一緒に回ります。 昔はいつもそうしてやっていたのです。ですが、今はチャンスを与えられた人が次の扉を開けて、次のステップに行くというやり方になってきています。小林君もNOBUコーポレーションのCOO田原君もウェイターからキャリアを始め、初めて会社のトップに登った人達です。シェフでもアジアやヨーロッパのコーポレートシェフ、アメリカのコーポレートシェフも、昔からNOBUで育った人であり、その人たちが責任をもってビジネスを展開し、なおかつ次の世代を育てています。 質問:そうした積み重ねがあってこそ、新型コロナ感染拡大にも関わらず、ビジネスを維持できたのではないでしょうか。 松久:そうですね。乗り切れたのはチームの努力だと思います。しかし、チームというものは確かに大事ですけれども、必ずいいチームがトップになるかと言えば、それは必ずしも「そうだ」とは言い切れないですね。それはなぜかというと、確かに会社の組織としてのチームは大事です。いいチームを持つということは、会社にとっても宝だとは思うけれども、一人ひとりは人間です。今まで僕は何度も見てきていますが、チームの中にあって、自分が統括する立場になったとします。それは今まではその人の努力です。ですが、そこで勘違いをして脱落していった人間もいるのです。 ですから、僕はいつも若い人たちに、「もらったチャンスを掴むのはあなたですよ」と言います。我々は、「チャンスを君たちに与える」というか、ドアを開ける鍵までを渡すことはできます。ですが、いいチームはできましたが、チームリーダーの中には、それを勘違いしてしまって、せっかく掴んだチャンスを逃してしまうこともあります。もったいないです…。…

外国人が見た日本とは?

外国人が見た日本とは?

25周年記念「にっぽんー大使たちの視線写真展」、六本木ヒルズで開催” 日本を外国の人々はどう見ているのだろうか。それはとても気になるところだ。改めて海外からの視線で日本の良さをしることもある。今年もちゅうにちがいこうかんが捉えた現在の日本の姿を写真で紹介する「にっぽんー大使たちの視線写真展」が開催された。 「にっぽん―大使たちの視線写真展」は名誉総裁に高円宮久子妃殿下をお迎えし、1997年に開始された。25種年を迎える2022年には合計34カ国の駐日外交官およびその家族が参加した。また名誉総裁の高円宮妃殿下も特別出品している。 この展覧会を見て、特筆すべきことは、在日外国人が日本の美しさを見逃さないことだ。日本という国にある小さな空間、瞬間を如実に捉えている。走りゆく地下鉄、現代美術、相撲の合間に観る呼び出しの姿など、日本人が見過ごしてしまうような瞬間がここには溢れている。 また、日本各地で撮影された写真をみて、鑑賞者である私たちは、外交官という仕事の多忙さも改めて知ることになる。コロナ禍にあっても休むことなく日本各地を巡り、日本を知り、自国を紹介し、友好に勤めている人々の姿を作品の背後に観る。 10月7日から11日までと短い期間での展示であったが、ヒルズカフェに揃った作品がもたらす意味は大きい。各地への巡回、来年の開催が楽しみになる展覧会だった。

Lithuania and Japan |

駐日リトアニア共和国特命全権大使オーレリウス·ジーカス閣下に聞く「これからのリトアニアと日本」

おかえりなさい。新大使は日本で学んだ国際政治学者。 今年、駐日リトアニア大使館にはオーレリウス・ジーカス新大使が着任した。6月24日には、今上陛下に謁見し、信任状を捧呈している。物静かで、物腰柔らかなジーカス新大使は、元々は大学で教鞭をとっていたという。リトアニア屈指の日本語の能力を買われ、大統領をはじめとするリトアニア政府幹部の通訳を務めた経験も持つ。 このインタビューは完璧な日本語でお答えいただいた。ソフトな声で話す丁寧な日本語に、新大使のお人柄があふれ出る。リトアニアという国を知る上で、とてもいいお話しを聞くことができた。 ジーカス大使(以下、大使):今日は大使館までおいで下さいましてありがとうございました。 質問:日本語が大変にお上手ですが、どこでお勉強なさったのでしょうか。 大使:大使として日本に来たのはわずか3か月前ですが、初めて日本に来たのは1998年でした。なぜ日本語を学んだかと言うと、日本語は世界で最も複雑な言語という印象が私にはあり、挑戦してみたかったからです。ですが、当時のリトアニアには日本語を学ぶための資料は何もありませんでした。偶然に辞書を手に入れたことがあり、それで勉強し始めました。それから98年に初来日し、初めは金沢大学、続いて早稲田大学に留学し、合計3年間を過ごしました。 質問:リトアニアではどのようなお仕事をなさっていらしたのでしょうか。 大使:日本への留学を終えてから、17年間は大学の准教授として教鞭をとっておりました。リトアニアでは、日本語ができる人というのは非常に限られておりましたので、大統領、首相の通訳を務めることもあり、知らず知らずのうちに、外交の分野に入って行きました。 大使への就任については、正直に申し上げれば、外交官になる夢も持っておりませんでしたし、目指してもおりませんでした。去年の秋に外務省から突然電話があり、副大臣から日本大使になってほしいというお話しをいただきました。今までの貢献を認められたということでしたが、とてもびっくりしました。お受けするかどうかも長く悩みました。現在の国際情勢は大変な時期にあります。幸い、心強いことに私の専門は政治学であり、長く研究していたのでこの分野はかなりわかっていました。また、自分の日本語能力、文化への理解があれば、このミッションは成功裡に導けるのではないかと思いました。さらに、これは人生のミッションだと感じ、決心いたした次第です。 質問:どのようなことをなさりたいのでしょうか。 大使:外交の中には3つの重要なことがあります。政治、経済、文化/市民交流ですが、一番目指しているのは経済交流です。昨年、リトアニアが台湾代表部を設立したことで、中国の関係が悪化し、貿易も経済交流もゼロとなりました。リトアニアは中国の代わりに東アジアに市場を開発しようという取り組みが始まっています。韓国、シンガポール、台湾が非常に大事な貿易相手国になり、日本もその一つです。 リトアニアは貿易を中国から東アジアの国への輸出にシフトし、成功裡に進んでいます。リトアニアには「難しい時は本当の友達が分かる」ということわざがあります。日本とは大切な友達関係にあり、今は難しい時期ですが、今後はより経済交流進めたほうがいいと思っています。 質問:リトアニアというと、日本人のほとんどはカウナスの「日本のシンドラー、杉原千畝さん」を思い浮かべますが、リトアニアでもその功績は認められているのでしょうか。 大使:はい。リトアニアの中でも杉原さんのことはよく知られており、両国にとって最も大事な絆だと思います。リトアニアでは教科書にも杉原さんの話を掲載しており、メディアでの知名度も高く、リトアニア人は杉原さんを尊敬しています。 質問:バルト三国と呼ばれていますが、3国の交流はありますか。ソ連からの独立を経て、IT,産業の発達は目覚ましいですが、いかがでしょうか。 大使:リトアニアとはバルト三国の一つですが、この三つの国には共通点は殆どありません。言葉、アイデンティティ、歴史、宗教も違いますので、汎バルト三国としてのリトアニアのアイデンティティは強くはありませんが、しかし、互いに協力していくことが必要です。 旧ソ連時代、バルト三国は経済的には恵まれていました。西側にあるソ連の領土として、ソ連も誇りにも思っていました。独立してからは自由貿易に移行いたしましたので、90年代は大変でしたが、この20年間でバルト三国は非常に発展し、経済面でも進み、民主主義も成功したと言えます。現在、リトアニアはNATOにもEUにも加盟しており、最も東に位置する国となっています、NATOにとっては東を守っている国と言えるでしょう。 しかし、バルト三国は独立を果たしても、ロシアからの長期に亘る経済的な従属関係が続いていました。その理由はエネルギー資源が少ないからです。かなり長い間、ロシアから安いガスを輸入し続けてきました。ですが、リトアニアは10年程前に、大金を投じて国内に、「独立インデペンデンス」というLNGターミナルを作りました。当時はこの建設について周辺諸国からは心無い言葉があったことはありました。ですが、今年になってから、これはとても大きな成功例だと言われるようになりました。リトアニアはロシアからのガス供給には頼っておりませんし、反対にガスを周囲の国々にも売っています。 最近、バルト三国はICTの発達に力を入れています。リトアニアもITECなどが非常に進んでいます。輸出で多くなっているのは、実はパン、チーズ、農産物等ではなく、レーザーです。現在、リトアニアから輸出させる科学レーザーは日本の市場で大きな割合を占めています。医学用のレーザーはとても多く使われています。リトアニアには優れたレーザー技術があり、さらに新しい技術も生まれています。 質問:リトアニアは優秀な科学者を多く輩出していらっしゃいますね。どのような分野が得なのでしょうか。日本との交流はあるのでしょうか。 大使:確かにリトアニアは優秀な科学者を大勢輩出しています。ヴィルジニュス・シクシュニスは遺伝子の研究をしており、ノーベル賞候補になりました。特にライフサイエンスなどの分野においてリトアニアは優れており、この分野でも今後、日本との交流ができるのではないかと思います。 文化交流については、残念ながら新型コロナウィルス感染拡大のためにとどまっています。コロナ感染拡大の直前には、慶応、関西学院、京都大学といくつかのリトアニアの大学と手を組んでの共同研究を行うなど、色々なことが実現できました。今でも共同研究のプロジェクトは、がんの治療に関する分野などでおこなわれおり、日本のAMAD国立研究開発法人日本医療研究開発機構の支援もあります。…

レジェント、モンティ·アレキサンダー来日にむけて

レジェント、モンティ·アレキサンダー来日にむけて

駐日ジャマイカ大使からのメッセージ モンティ・アレキサンダーが来日し、10月23日から25日までブルーノート東京にて「LOVE NOTES」公演が行われることを嬉しく思っています。音楽はいつでもジャマイカ・ブランドの大きな部分を占めています。ここ日本でジャマイカ独立60周年記念(ダイヤモンド・ジュビリー)のお祝いをしているなか、受賞歴を誇るモンティのパフォーマンスは、ジャマイカの音楽レパートリーの幅広さを示すことでしょう。他に類を見ない音楽体験をしてみませんか。日本の秋の色彩のように鮮やかなものとなることをお約束します。 ショ-ナ-ケイ M.リチャーズ駐日ジャマイカ大使館 モンティ·アレキサンダー: https://www.montyalexander.com/

秋の音楽会情報(2):寺下真理子 本と音の日曜日 ~朗読と音楽の物語~ Vol.2

秋の音楽会情報(2):寺下真理子 本と音の日曜日 ~朗読と音楽の物語~ Vol.2

第一回目が好評であったことから、~朗読と音楽の物語~第二回が開催されることになった。今回は、朗読をするゲストに阿川佐和子を迎える。読まれるのは有名作曲家たちの恋文。プログラムには愛に関わる作品が並ぶ。 【日時】2022年10月30日(日) 開場 14:00 / 開演 14:30【会場】トッパンホール (東京都文京区水道1-3-3)【出演者】寺下真理子(ヴァイオリン)水野彰子(ピアノ)田ノ岡三郎(アコーディオン)​ 【ゲスト】阿川佐和子(朗読)東京都立小金井北高等学校コーラス部【プログラム】​エルガー:愛のあいさつ Op.12クララ・シューマン:3つのロマンス Op.22より 第3番シューマン:3つのロマンス Op.94より 第2番 イ長調モンティ:チャールダーシュ寺下真理子:Home of spirits(合唱版)他 【チケット】自由席  一般 5,000円(税込み)  大学生未満 3,000円(税込み) *当日身分証明書持参で2,000円キャッシュバック

秋の音楽会情報:昨年の感動をふたたび

秋の音楽会情報:昨年の感動をふたたび

人気、実力ともに日本を代表するピアニスト清水和音氏とのデュオを愉しむ。 コンサート情報:【日時】 2022年10月29日 (土) 13:15開場/14:00開演【会場】 浜離宮朝日ホール【出演】 徳永二男(ヴァイオリン)清水和音(ピアノ)【曲目】 ヘンデル: ヴァイオリン・ソナタ第6番 ホ長調 作品1-15 HWV373シューベルト: ヴァイオリン・ソナタ イ長調 op.162, D.574パガニーニ: パイジェッロの『水車屋の娘』より「うつろな心」による序奏と変奏曲Op.38ブラームス: ヴァイオリン・ソナタ第3番 ニ短調 Op.108【入場料】 全指定席¥5,0005/28(土)一般発売開始

Hungary Festival 2021

みんな大好き!ハンガリーフェスティバル2022 今年も開催

昨年アークヒルズ カラヤン広場で開催されたハンガリーフェスティバル2021は大好評。今年はよりパワーアップして開催されます。 詳細:第3回ハンガリーフェスティバル2022 「ハンガリーの秋」開催日程:2022年10月22日(土)開催場所:アーク・カラヤン広場(東京・六本木)プログラムステージプログラム:クラシック音楽、トーク、民族舞踊、ハンガリー固有種の犬の紹介など。ワークショップ:ハンガリー刺繍物販:ワイン、はちみつ、伝統工芸品、本など食べ物:キッチンカー(グヤーシュ、ランゴシュ)などを販売。アークヒルズ内レストランでもコラボメニューをご提供予定!! 最新情報はこちらから:https://culture.hu/jp/tokio/events/Hungarian-Festival-2022

バリ島を深く知って、体験するために

バリ島を深く知って、体験するために

特別セミナーをインドネシア大使館婦人会が開催 インドネシアと日本にはバラエティ豊かな文化が存在し、その文化には伝統的な価値観、芸術、文化などでの類似点が見られる。そのつながりは、両国間の関係を強化することにも役立つと期待されている。今回は、インドネシア大使館婦人会 (Dharma WanitaPersatuan KBRI Tokyo) がインドネシア共和国大使館と協力し、インドネシアと日本の関係のより一層の強化とより深くインドネシアについて知ってもらうため、「バリと日本の文化を調和させるカプセル化」というトークショーを開催した。 コロナ禍が落ち着いた現在、日本人の観光の在り方が変わってきている。今までの景色などを楽しむ観光から、より深くその土地をしり、体験する観光を人々は求めている。また、一か所に長期滞在し、その土地を知りたいという人々も増えてきている。 このたび、駐日インドネシア大使館・インドネシア大使館婦人会では、そうした人々のニーズにもこたえるべく、インドネシア保護ネットワークを設立したカトリーニ・プラティ  ハリ・クボントップをこのセミナーのために招聘した。 このセミナーでは、バリ島に代々受け継がれてきた「トリ·ヒタ·カラナ」の哲学が紹介された。バリはスピリチュアルな場所でもあり、ここでは「神·人·自然、環境」が共に息づく。 バリにはスバックSubalk(水利組織)があり、それは文化と宗教も繋いでいく。この組織を通じて人々は人間、環境、その創造者である神とのハーモニーを作り出し、その中で暮らしていく。 スバックはバリの人々の生活そのものと考えてもいい。この組織によって人々は農作業の策付けパターン、灌漑、神楽の実施などの儀式活動に関する合意を得、農業施設、インフラも整備する。スバック会員によって業務分担がなされていく。 スバックはバリ島全体の農業インフラ、水路、配水を考え、適材を適所に置いていく。人々はこの組織を中心に知恵を出し合い、村での規律、規則を作り、民主的にいさかいを解決し、平和な社会を作り出す。 バリの美しい自然を保護しつつ、人々がおおらかに暮らす背景にはこのような組織があったことを日本の人々は初めて知ったのではないか。 訪れる前にその土地をしり、知識を得てから訪れる旅。新たな体験をする旅で、バリ島を思いっきり楽しんで見たい。

Ambassador Sabr Yessimbekov

私は浜っ子!サーブル·エシムベコフ大使に独占インタビュー

「さぶやん」と呼ばれた留学生時代。完璧な日本語とビジネスセンスでカザフスタンの魅力を伝える。 サーブル·エシムベコフ駐日カザフスタン大使 大使の略歴と経歴 私はソ連時代にカザフスタンの首都アルマティ市に生まれ育ち、高校卒業後にモスクワ国立国際大学で日本語を学びました。1991年にソ連が崩壊し、カザフスタンは独立国家となりましたが、私は以来、日本と緊密な関係にいます。 1996年に、横浜大学の修士課程を修了し、外交官となった私は、当年東京で在日カザフスタン大使館の登録に携わった経験もあります。2000年からは、国営企業やカザフスタン商工会議所の会頭などを務めながら、昨年大使に任命されるまでの10年間程、カザフスタン日本経済委員会の共同会長を務めていました。このように、私は過去25年間にわたってカザフスタンと日本の協力関係にあらゆる場面で携わってきました。 そしてこの度、一年ほど前となりますが、在日カザフスタン大使に任命されました。私はこのミッションを大変光栄と思い、身が引き締まる思いがいたしました。今後、両国の関係を更に深めていくため、真剣に取り組んでいきたいと思っております。 日本とカザフスタンとの関係 カザフスタンは昨年独立30周年を迎えました。日本は我が国の独立を最初に承認した国の1つです。現在、両国の関係は戦略的なパートナーシップ·レベルにあります。政治・外交分野だけなく、経済・貿易、または文化、教育、人的交流といった様々な分野において、協力関係が緊密です。 現在は、両国間には、ハイレベルな相互信頼とそれに基づいた政治的対話が確立されています。首脳レベルでの会談、政府間関係、並びに両国の国会間での交流も積極的に進んできており、両国の国会において、友好議員連盟も設立されています。また、教育、文化などの面での交流も活発です。 カザフスタンと日本の間には、政治的にも、歴史的にも、地理的にも、何の問題もなく、極めて友好的な協力関係にあります。こうした様々な分野における交流を更に深めていくことに、今後も力を入れていきたいと思っております。両国の関係を、真の戦略的なパートナーシップ·レベルに相応しくしていくために、更に発展させていく所存です。 また、カザフスタンと日本は、両国の関係だけではなく、共同で国際社会の安定・安全にも貢献できると確信しております。今後はさらに、様々な分野における両国の関係並びに国際社会における協力関係をより深めていくことを、日本に期待したいと思います。 カザフスタンは、中央アジア全体の持続可能な経済成長と、産業の発展を果たしていくことに念頭に置いており、それを実現すべく、日本と具体的なプロジェクトを実施していくことを期待しています。 日本は「中央アジア+日本」という多国間対話の枠組みを創設した最初の国です。今年は東京において「中央アジア+日本」という対話のための外相会合が開催される予定もあります。そのアジェンダでは、貿易、経済、投資、人道的交流の強化に関する具体的な会談が行うことです。 また、様々な国際機関の枠内で、多国間協力も積極的に発展しています。なお、日本は定期的に、カザフスタンと共に多くの国連決議などの共同提案国となっており、平和、繁栄、安定を確立することを目標として、両国のイニシアチブや提議を支援しています。 以上のような両国にとって重要な分野においては、または国際社会において今後も日本との協力関係を深めて行けたらと思っております。 外交関係樹立30周年を迎えるカザフスタンと日本ですが、両国の関係の歴史においてはとても重要な節目にあります。新型コロナ感染拡大によって引き起こされた困難を一緒に乗り越えて、この節目の年に、様々な分野において、様々なレベルで共同イベントなどを開催してまいる所存です。 二国間の貿易交流 経済協力においては、日本は1993年からカザフスタンに合計77億ドル以上を投資しており、これはカザフスタンに対する最大級の投資を行っている国家の一つと言えます。現在カザフスタンには、商業、運輸、情報技術、通信、保健、不動産などの分野で、50社を超える程度の日系企業が進出しています。 両国間の貿易額は、毎年15億ドルを超えています。新型コロナ感染症が蔓延し、グローバル・サプライ・チェーンの混乱が発生している中であっても、カザフスタンは投資家や輸入業者にとって、安定した長期的なパートナーになるポテンシャルを持っています。原料の分野だけでなく、製造業における世界有数の大企業が現地生産国としてカザフスタンを選択しています。 カザフスタンは、石油やウラン、レアメタルや非金属、またその他のミネラル資源だけに限らず、広大な沃土にも多く恵まれています。日本は、投資、産業及び技術分野などにおけるポテンシャルが高い国であることから、カザフスタンとしては、これらの分野などにおける両国の関係を強化させていきたいと考えています。 現在カザフスタンと日本の間に租税条約、投資協定と原子力平和利用条約が締結されておりますが、官民の要請を踏まえ必要性に応じて両国の間の法的基盤を更に強めていく方針です。 観光…