「第10回 国際ヨガの日2024」駐日インド大使館、心と身体が整う早朝ヨガイベントを開催

「第10回 国際ヨガの日2024」駐日インド大使館、心と身体が整う早朝ヨガイベントを開催

駐日インド大使館主催:6月 21日(金)築地本願寺にて 心と身体が整う早朝ヨガイベントを開催 駐日インド大使館(東京都千代田区九段南 2-2-11)は、国連が定める「International Day of Yoga (国際ヨガの日)」(6月 21日)に東京築地本願寺にて、心と身体が整う早朝ヨガイベントを開催する。 インド政府 AYUSH 省が認定する駐日インド大使館専任ヨガ講師がヨガ実習を行い、精神と身体、思考と行動の一体化を体現する。 インド、アジアの古代仏教建築を模したオリエンタルな雰囲気の築地本願寺にて、インド発祥のヨガを体験出来るイベントとなっており、ヨガ経験者、未経験者共に参加可能。 国際ヨガの日とは 国連は 177ヶ国と地域の賛同を得て、6月 21日を「International Day of Yoga(国際ヨガの日)」として制定。ヨガを実践することで得られる多くの恩恵について世界中で認識を高め、心身のつながりを向上させ、誰もがより健康に、より幸せに、ストレスフリーな未来を創造することを目的としてる。 国際ヨガの日は、ヨガが心身にもたらす恩恵について感謝し 、 世界中でヨガを楽しむ日とされている。 ■イベント概要開催日時:2024年6月21日(金)午前7時〜8時 (開場:午前6時30分) 開催場所:築地本願寺(東京都中央区築地 3-15-1) 参加費:無料 (要事前登録) 参加登録:リンク https://shorturl.at/swAL9…

バンダ・エル・レコド・デ・クルス・リサラ:メキシコ大使館で来日パフォーマンス

バンダ・エル・レコド・デ・クルス・リサラ:メキシコ大使館で来日パフォーマンス

5月2日、「バンダ・エル・レコド・デ・クルス・リサラガ」来日イベントがメキシコ大使館にて開催された。 1938に結成し、シナロア州の代表音楽を世界に広め続けるバンド「バンダ・エル・レコド・デ・クルス・リサラ(バンダ・エル・レコド)」は今回で22年ぶりの2回目の来日となる。 「バンダ・エル・レコドの音楽を届けるため、22年ぶりに戻ってこれて嬉しい 」と話したヴォーカル担当リッキー・ヨクピシオさん。このイベントを主催したメキシコ大使館そしてメルバ・プリーア駐日メキシコ大使にも感謝の気持ちを表した。 バンダ・エル・レコドは多くの代表曲を披露し、大使館会場は大きな歓声で満たされた。 5月3日から5日の間、お台場デッキで開催された第5回「ラテンアメリカへの道フェスティバル」でも特別ゲストとしてパフォーマンスをしたバンダ・エル・レコド。全世界で愛され日本でもたくさんのファンに迎えられたバンダ・エル・レコドの3度目の来日も期待される。 【関連記事】

ミス・インターナショナル・チュニジア・インタビュー「自らの可能性は他の人の意見に惑わされず、自分を信じることが大切。」

ミス・インターナショナル・チュニジア・インタビュー「自らの可能性は他の人の意見に惑わされず、自分を信じることが大切。」

10月初旬、母国チュニジアのミス・インターナショナル大会で優勝したマリアム・ベン・アブラグ(ミス・チュニジア)にインタビューする機会を得た。このインタビューでは日本で開催されたミス・インターナショナル世界大会に出場するための準備、自らの考え、目標、そしてすべての若い女性に伝えたい重要なメッセージについて語っている。  印象的なミス・チュニジアからのコメントは「誰の意見に惑わされることなく、自らの可能性を決めていこう」というものであった。 インタビュアー:何かに動かされたように日本にいらしたのでしょうか。感想をお知らせください。 ミス・チュニジア:いつも日本に深い憧れを抱いていました。日本人は礼儀正しく、知性、そして優れた組織力でよく知られています。日本人の継続的なイノベーションは日々世界を変えていますね。 私は客室乗務員をしておりますので、この大会に参加する前から、大阪を含む日本を訪れる機会がありました。 インタビュアー:2023年10月26日開催の2023年のミス・インターナショナル世界大会に向けて、どのように準備しましたか? ミス・チュニジア:毎日、必須ビタミンを摂取し、スキンケアを行っていました。 このような初めてのインタビューの機会をいただけてうれしく思います。幸運なことに、私はスパ・トリートメントを含むさまざまなスポンサーのサポートも得ることができました。他の候補者との交流は前向きな経験であり、短期間ではあってもまるで家族のような強い絆を築くことができました。 インタビュアー:世界大会の後には日本を観光する機会はありましたか? ミス・チュニジア:残念ながら観光する自由時間がありませんでした。コンテストの後はすぐに仕事に戻る必要がありました。私の休暇は10月11日から26日まででしたので、28日のフライトでドバイに戻りました。ですが、改めて観光のために日本を訪れるつもりです。この度は、 鎌倉やスラムダンクの舞台となった駅前のビーチなどを散策する機会がありました。熱心なアニメファンとして一生に一度の瞬間でした。 インタビュアー:あなたはミス・インターナショナル世界大会に明確な目的を持っていらしたと思いますが、その目的について詳しくお話ししていただけますか? ミス・チュニジア:はい、その通りです。ミス・インターナショナル世界大会に参加する目的とは、単なる競争を超えたものでした。それは私の人生の中核的な側面と言ってもいいでしょう。私の夢とは男女平等であるということが単なる「決まり文句」ではなく、実際に現実となる世界を作り出すことです。ジェンダー平等は女性だけの問題ではありません。むしろ世界的な問題と言えます。国家が女性への投資を怠ると、活用できる人材が限られ、国家の成長が阻害されてしまいます。私たちはこの問題に直面しており、解決策を見つけなければなりません。私たちは人口の50%だけを考慮にいれることがありますが、残りの50%はどうでしょうか。残りの50%とは女性を意味しています。女性は世界がまだ十分に活用しきれていない知性とスキルを持っています。これらの問題の解決するため、私たちはまだ可能性の表面を掘り出すことさえしていません。多様性を認識し受け入れることは、技術革新と進歩を促進するために非常に重要です。 インタビュアー:あなたにとって、ミス・インターナショナル2023の代表として日本で世界大会に出場することはどのような意味を持っていますか? ミス・チュニジア:大変意味深い質問です。私はチュニジアに深い愛情を持っています。日本やオーストラリアなどを含む世界中の多くの美しい場所を旅行する機会に恵まれましたが、チュニジアは心の中で特別な場所です。特に子供時代の大切な思い出でいっぱいです。私はチュニジアが世界に示すことのできる計り知れない潜在力を持っているとも強く信じています。チュニジアはノーベル化学賞を受賞したムンジ・バウェンディ博士や、東京オリンピックの400m水泳で金メダルに輝いたアハメド・ハフナウイのような人物を輩出してきました。チュニジアには、世界に提供できる素晴らしい頭脳と、優れたアスリートがたくさんいます。つまり私が日本に来たのは、チュニジアを代表して、チュニジアはさまざまな分野で優れており、また、そのことを世界に示すためでした。 インタビュアー:あなたは日本文化と日本における女性の地位についてある程度の知識をお持ちのようですね。日本の女性たちにさらなる平等とエンパワーメントを求めるよう促すにはどうすればよいとお思いですか?この点において、日本とチュニジアで類似点や相違点があるとお思いですか? ミス・チュニジア:私はチュニジアに生まれたことを幸運だと思っています。その理由はチュニジアは、特に一部の近隣諸国と比較した場合ですが、女性の権利において大きな進歩を遂げてきたからです。日本でも女性の権利に関しては日々進歩が見られます。男女共同参画局のような団体の努力にも感謝しています。マツダでは研修会の開催など、男女共同参画の推進に積極的に取り組んでいます。こうしたワークショップは、STEM労働力(科学、技術、工学、数学)の分野に焦点を当てており、若い女性が参加することによって、マツダのエンジニアから学ぶことを奨励することを目的としています。これは伝統的に男性優位の分野における女性の包括性とエンパワーメントに向けた前向きな一歩と言えるでしょう。確かに 日本の状況には日本特有の課題があるかもしれません。しかし、チュニジアを含む世界中の女性の願望と、共鳴し合える男女平等に向けた進歩という共通の目標があります。 インタビュアー:最後に読者にメッセージをお願いします。 ミス・チュニジア:はい、もちろん。すべての人々に、特に若い女性に聞いてほしいと思う力強いメッセージを持ってきました。もっと若い頃には私には夢がありましたが、それを達成できるかどうか疑問に思うこともありました。おそらくこれらの夢は、あまり裕福ではない家庭に育った私のような人間にとっては相応しくないものではないかとも思いました。ですが私は疑似宇宙飛行士であり、神経心理学者であり、ミス・インターナショナル・チュニジアであり、そしてこの場におります。私の背を押して前進させてくれる人はあまりいませんでした。ですが両親とわずかな人々は 私を信じてくれました。ですので私はすべての若い女性に「自らの可能性は他の人の意見に惑わされず、自分を信じることが大切。」とお伝えしてまいりたいと存じます。 【関連記事】

トルクメニスタン大使館 32回目の独立記念日を祝う

トルクメニスタン大使館 32回目の独立記念日を祝う

1991年に旧ソ連から独立したトルクメニスタンは32回目の独立記念日を迎えた。トルクメニスタンは、ウズベキスタン、カザフスタン、キルギス、タジキスタンと共に中央アジアの5つの国として日本でもよく知られており、古くからシルクロードを介して文化交流、物資の往来が盛んな地域であり、現在もヨーロッパとアジア、中東を結ぶ重要な十字路にある。 現在日本で特命全権大使を務めているのはアタドゥルディ・バイラモフ閣下だ。昨年10月に天皇陛下に信任状を奉呈したばかりだ。しかし駐在が決まって以来、日本語を猛勉強しており、この日のスピーチもすべてよどみない日本語で行った。 独立記念日のレセプションには、バイラモフ大使の広い交友関係を示すように各界から著名人が集まった。日本・トルクメニスタン議員連盟から議長を務める松下新平参議院議員、深沢洋一衆議院議員も出席した。昨年からの7か月間で国会議員のトルクメニスタン訪問が実現しており、日本との深い関係がうかがえる。また、日本の貿易関係、商社からも多くの役員が顔を揃え、豊富な天然ガスなどの資源に恵まれた国らしい一面を垣間見ることもできた。 旧ソ連から独立を果たして以来、トルクメニスタンは永世中立国として、平和と世界のすべての国々を尊重してきた。現在はセルダル・ベルディムハメドフ大統領が就任しており、現大統領も迷うことなく永世中立を基本とする平和国家としての道を歩んできた。外交においても中立という立場から世界の平和と安全の強化、善意に基づく友好と友愛の拡大を優先的な方向として掲げている。 日本との関係は、昨年外交樹立30周年を迎えている。30周年を境にトルクメニスタンと日本との関係は新たな段階を迎えている。トルクメニスタン大統領のセルダル・ベルディムハメドフ閣下は政治外交貿易、経済、人的交流に関してトルクメニスタンと日本の友好関係をさらに強化することを最重視している。また、科学、スポーツ、文化交流などにおける文化人道的関係も順調に発達している。この分野で顕著なのは日本語学科、学生の急増ではないか。トルクメニスタンでは2016年から6校のカリキュラムに日本語が導入されており、現在は13,360名に上る学生が日本語を学んでいるという。 日本でも世界にたった3000頭しかいない「黄金の馬」と称されるアハルテケを飼育している牧場が青森にある。アハルテケはトルクメニスタン原産で、シルクの様な毛並みを持つ抜群のスピードと持久力を併せ持つ馬であり、アレキサンダー大王が乗ったブケファロスもこのアハルテケではないかと推測されている。 今回の独立記念日では、アハルテケ牧場の社長を務める青江美智子氏が長年の功績をたたえられ、トルクメニスタン大統領から馬の繁殖に関する賞を受賞し、独立記念のレセプション内で授賞式が行われた。 独立32周年を迎えたトルクメニスタンは古い歴史をもつ新しい国だ。これからもバイラモフ大使を中心としてトルクメニスタン大使館は日本で活動を持ち、より国としての知名度を上げ、交流を深めていくことだろう。また、トルクメニスタンの美しい国家、人々の心をしったより多くの日本人がトルクメニスタンを訪れるに違いない。今後の新しい外交に期待したい。

ジャマイカコーヒーの日本への輸出70周年とメイヴィスバンクコーヒーファクトリーの100周年を祝って ジャマイカ大使館 記念ディナーを開催

ジャマイカコーヒーの日本への輸出70周年とメイヴィスバンクコーヒーファクトリーの100周年を祝って ジャマイカ大使館 記念ディナーを開催

二つの大きな記念すべき節目を祝うため、ショーナ=ケイ・リチャーズ駐日ジャマイカ大使は、メイヴィスバンクコーヒーファクトリー マネージングディレクター & CEO ノーマン・W・グラント氏と共に、ロイヤルパークホテルでディナーを開催し、上島達司 AJIJCジャマイカコーヒー輸入協議会会長(UCC上島珈琲株式会社代表取締役名誉会長)、MBCF副会長のマーク・マッキントッシュ氏らコーヒー貿易関係者を招いた。 現在、ジャマイカの高品質なブルーマウンテンコーヒーの生産及び輸出をするMBCFは1923年にヴィクターとエドナ・マンによって創業された。その第一歩を踏み出してから1世紀の間、MBCFはコーヒー生産農家、従業員、農家のファミリーに安定した仕事と生活を与え、最高品質のコーヒーを共に作ることでジャマイカの繁栄を築いてきた。コーヒーは道を開き、ジャマイカの投資、貿易と国家の発展に大きく貢献している。 日本とブルーマウンテンコーヒーの関係は1953年にMBCFが日本のキーコーヒーに三樽のグリーンビーンズを輸出した時に始まる。日本はジャマイカが英国から独立した1962年8月6日同日に国家承認を行い、1964年3月に正式な外交関係を結んでいる。その10年も前からブルーマウンテンコーヒーによる民間外交は始まっており、ブルーマウンテンコーヒーは初代駐日ジャマイカ大使とさえ言うことができる。 ブルーマウンテンコーヒーは日本人に深く愛されてきた。 そうしたマーケットの早期開発は、UCC上島珈琲株式会社の創業者上島忠雄氏とキーブル・マン氏の先駆的ともいえるパートナーシップの締結による。 現在もそのパートナーシップは上島忠雄氏の子息でもある現会長の上島達司氏に引き継がれている。 今年で70年を迎えるブルーマウンテンコーヒーと日本の関係は非常に大きく育ち、1953年の初輸出額は300米ドルであったが、現在では輸出額は年間平均2000万ドル相当に増加している。 日本市場はジャマイカブルーマウンテンコーヒーグリーンビーンズ輸出の75%を占めるほどに育った。 今年100周年を迎えたMBCFは、極上のブルーマウンテンコーヒーの輸出をより増加させていくとともに、コーヒー入りチョコレートなどの新商品の発売も開始し、更なる発展を進めている。創業時からコーヒー農家、生産者、スタッフと共に歩み、ビジネスパートナーを大切にするウィンウィンの姿勢は変わらないが、MBCFはジャマイカを代表するグローバルブランドとなっている。 こうしたウィンウィンの関係を築くために、歴代の駐日ジャマイカ大使が大変な努力を続けてきたことは決して無視できない。現在のショーナ=ケイ・リチャーズ大使もまたブルーマウンテンコーヒーのことを先任者と呼ぶ。 来年ジャマイカと日本のパートナーシップは還暦(60周年)を迎える。もちろん外交関係60周年(還暦)はキングオブコーヒーで祝杯を挙げることだろう。 この度のディナーも、最後は極上のブルーマウンテンコーヒーで締めくくられた。その一杯がどれほどおいしかったことか。これぞブルーマウンテンコーヒー!と誰もが思ったに違いない。 【関連記事】

隠れた名観光地 香川県を訪ねて  金刀比羅宮、書院で最高の日本美術を鑑賞する

隠れた名観光地 香川県を訪ねて  金刀比羅宮、書院で最高の日本美術を鑑賞する

香川県にある金刀比羅宮には、美しい建造物、円山応挙ら、日本を代表する絵師による数々の襖絵など、日本の美を満喫する要素がすべて詰まっている。 瀬戸内海に浮かぶ直島を訪れる海外からの旅行者は多いが、金刀比羅宮まで足を延ばす観光客はまだまだ少ない。瀬戸内海を訪れたせっかくの機会、少し足を延ばして、その素晴らしさを見ていただきたい。 金刀比羅宮は、瀬戸内海を望む瀬戸内海国立公園、名勝、天然記念物の指定を受けた景勝の地である象頭山の中腹に鎮まっている。 創建年代は明らかではないが、奈良時代(10世紀初期)にはじまった神仏習合による影響を受け、室町時代頃には金毘羅大権現として幅広い信仰を集めていたとされている。 19世紀中頃以降は、特に海上交通の守り神として信仰されている。荘厳な本殿に参ると、金刀比羅宮が長く見守っている瀬戸内海を見渡すことができる。 ここで紹介する書院はふもとから本殿に上がる中腹にある。 表書院は入母屋造、檜皮葺で、萬治年間(1658‐1660)に建てられたと言われている。 この書院は金毘羅大権現に奉仕した別当金光院が、諸儀式や参拝に訪れた人々との応接の場として用いた客殿という役割を持っていた。金刀比羅宮を訪れる当時の皇族、将軍、大名らを迎える為、その建物の内部の連なる5つの畳部屋の襖には、円山応挙による秀作が残されている。 円山応挙は江戸時代中期の京都画壇を代表する画家であり、円山派の始祖である。 それまでの師による絵手本を見ながら描く伝統的な手法から、実物を観察しながら描く写生の技術を取り入れた。 その応挙が晩年ともいえる50代に取り組み、天明7年(1787年)と寛政6年(1794年)の二度にわたって制作した襖絵「鶴の間」「虎の間」「七賢の間」「上段之間」「山水之間」はそれぞれに違った用途を持つ空間である。 その中でもとくに有名なのは、「水呑みの虎」と「八方にらみの虎」を含む「虎の間」ではないか。 「虎の間」では、応挙は襖16面と言う大きな空間に8頭の虎を描いている。応挙が活躍した時代、日本には虎がいなかった。当時、日本の絵師は虎を描いた絵画、輸入された毛皮や猫を手本として虎を描いた。しかし、応挙は骨の構造を把握することの重要性を説いた絵師でもあった。応挙は中国、朝鮮半島からの虎の画、毛皮などを入手し、解剖学を基礎に虎の姿を想像して描いたとも言われている。そうした当時の事情がある為か、応挙が描いた虎たちの姿は、後年に描かれた虎の姿と比べると、どこか小動物のような可愛らしい印象さえも受けることがある。 応挙の虎たちの様子は様々であるが、いずれも奥行きがない空間に描かれているため、あたかも襖から飛び出してくるような迫力ある動きを見るものに与えている。 川面に顔を寄せて水を吞む2頭の虎は、「水呑みの虎」と呼ばれ、松の木の下で正面を見据えるように描かれた虎は「八方にらみの虎」と呼ばれる。 虎が実在しなかったとは言え、そこには応挙の中で昇華された臨場感に満ちたまぎれもない本物の虎が存在する。応挙晩年の傑作と言われる理由が伝わってくる。 この表書院には、これらの見事な襖絵の他にも見どころが多い。 金刀比羅宮の蹴鞠は香川県の無形文化財に指定されており、表書院前方に広がる庭は蹴鞠を行う会場である。 その中には15メートル四方ほどの平坦な鞠懸(まりがかりー蹴鞠のコート)がある。 その四隅には松、柳、桜、楓の式木が植えられており、それぞれに方角を示している。これらの木はいずれも二股になっており、これは蹴鞠の神、精大明神(しらげだいみょうじん)が宿る依代(よりしろ)であるため、神様が座りやすいようになっているのだという。 金刀比羅宮は、香川県琴平町の象頭山に鎮座する神社として人々の信仰を集め、その土地の人々の心を支えてきた。 更にはこの地の芸術の中心としての役割も担い、表書院、奥書院には伊藤若冲、円山応挙らの江戸時代に活躍した画家の作品が多く所蔵されており、さらには日本で最初の洋画家、高橋由一の作品も多く所有している。…

世界の西洋名画を再現  大塚国際美術館のミッションと世界への貢献

世界の西洋名画を再現 大塚国際美術館のミッションと世界への貢献

徳島県の鳴門公園内にある大塚国際美術館には、日本のみならず世界からも多くの鑑賞者が訪れる。 この美術館は世界26ヵ国の西洋名画約1000点を陶板で原寸大に再現し、展示している。 名画の制作に使われている陶板は約1300度の高温で焼かれているため、2000年に亘って変色の心配もない。その為、展示されている名画の数々には手で優しく触れることもできる。 それぞれの名画を所蔵する美術館などから許諾を得て再現しているが、画家のタッチ、絵の具の盛り上がり方なども詳細に再現されているのは驚愕だ。 大塚国際美術館の取り組みは、こうした世界の名画を手に取るように間近で鑑賞することもあるが、その他にも、既に失われてしまった名画や祭壇画の復元、修復前と修復後の違いを比較鑑賞できる展示室がある等、美術史上の重要なポイントに大きく貢献していることもとても多い。 大塚国際美術館にはエル・グレコのドーニャ・マリア・デ・アラゴン学院の祭壇衝立も復元されている。 非常に残念なことに、オリジナルの衝立は19世紀初頭のナポレオン戦争で破壊されてしまった。6点あった祭壇画は散逸してしまい、現在は《受胎告知》《キリストの洗礼》《キリストの磔刑》《キリストの復活》《聖霊降臨》の5作品は、スペインのプラド美術館に所蔵されている。 しかし、《羊飼いの礼拝》はルーマニア国立美術館に所蔵されているので、現物を一度にみることは不可能だ。しかし、大塚国際美術館ではこの祭壇画は原寸大で復元され、エル・グレコがその円熟期に描いた通りに展示されている。 ゴッホの《ヒマワリ》の展示も素晴らしい。花瓶に入った《ヒマワリ》をゴッホは7点描いたことでも知られる。現存する6点は以下の美術館等に収められている。 ノイエ・ピナコテーク(ドイツ)、ナショナルギャラリー(英国)、SOMPO美術館(日本)、フィラデルフィア美術館(アメリカ)、ゴッホ美術館 (オランダ)、1点は個人蔵。 幻の《ヒマワリ》と呼ばれる作品は1945年に兵庫県芦屋市を襲った空襲により焼失し、その姿を伝えるのは残された「セザンヌ・ゴオホ画集」であった。大塚国際美術館では東京都にある武者小路実篤記念館の協力でその現存する画集を基に正確に幻の《ヒマワリ》を再現し、ここでは7点全部を一堂に鑑賞することができる。 レオナルド・ダ・ヴィンチが修道院の壁にテンペラで描いた《最後の晩餐》が、長い期間をかけて大規模な修復が行われたことは世界的にも知られている。大塚国際美術館では《最後の晩餐》の修復前と修復後の二点を展示し、その違いを見比べることもできる。 こうした美術史上の大きな貢献を日本の企業が行っていることは素晴らしい。 大塚グループ創立75周年を記念して開館した大塚国際美術館は、2023年3月21日に開館25周年を迎えた。 大塚オーミ陶業の特殊な技術で再現された世界の名画は、これからも世界の人々を魅了し続けることだろう。また、世界に日本の企業のこうした事業を広く知ってもらいたい。 【関連記事】

チリ独立213周年を祝って

チリ独立213周年を祝って

チリはスペインからの独立を目指し、1810年9月18日に最初の議会が開催され、それをきっかけとして独立運動が起こった。以降、チリはその記念すべき日を独立記念日としている。 チリでは独立記念日を「ディエシ オーチョ(スペイン語の18という意味)」と呼び、チリ全土でお祝いをするという。 日本でもチリ大使館が独立記念日を祝うレセプションをキャピトル東急で開催した。 この機会には、現在のチリと日本の良い関係を示すように、政府、国会議員などが集まった。また世界中からの外交団、チリが世界に誇る食材関連の企業のトップ、文化、芸術に関わる人々も顔を揃えた。 この独立記念日を祝う為に、チリにある世界最大級の電波望遠鏡であるアルマ望遠鏡と三鷹市にある国立天文台との縁により、三鷹第二中学校合唱団が登壇し、チリと日本の友好の為に澄んだ歌声を聴かせた。 日本でチリと言えば、サーモンに代表される豊かな食材とおいしいワインが思い浮かぶ。 自然に恵まれた豊かな国土では良質の葡萄が実り、上質のワインづくりがなされ、長い海岸を持つ国ならではの漁業も盛んだ。しかし、チリはその豊かな国土を使って、新たな挑戦もしている。 チリでは、恵まれた国土に降り注ぐ太陽光、風力を使っていち早く再生エネルギー、クリーンエネルギーの生産に着手している。 日本とチリはこの分野でも強い協力体制を取っており、エネルギー大臣がチリから来日した際、エネルギーの転換、再生に関わる協力覚書が交わされた。さらにこの持続可能なエネルギーの開発分野での協力は今後も協力になってくるという。 2023年2月、チリは当環太平洋パートナーシップのための包括的かつ先進的な協定(CPTPP)の正加盟国となった。 この貿易協定はチリと日本との長年にわたる経済的連携を強化し、銅、モリブデン、リチウムなどに関わるチリからの輸入を促進し、さらに食品、飲料の供給源としての役割を強化するのに役立つと言える。こうした協定等を結ぶことにより、チリの食品での日本市場における需要はますます高まっていくことが予想される。 独立記念日のレセプションでもチリの名物料理がふるまわれ、物産を紹介する特設ブースにも多くの商品が並んだ。どれもがとてもおいしく、日本人の口に合う。 太平洋を挟んだ遠くの隣人との付き合いはますます深まり、日本は再生エネルギーを含めた恩恵にあずかりそうだ。 【関連記事】

ギリシャの写真家、マルガリタ・マヴロミハリス 日本初個展開催

ギリシャの写真家、マルガリタ・マヴロミハリス 日本初個展開催

日本で初個展を開催―’INTERNAL SPACEʼ インナースペース (内なる空間) 世界中で活躍しているマルガリタ・マヴロミハリスはこのたび、東京で初の写真展を開催する。作品は2019 年から 2023 年にかけて作成された18 枚の写真だ。 マヴロミハリスはこの度、自宅という舞台の中にビネット(vignettes)を慎重かつ正確に配置することによって「内なる」現実を表現しようと試みている。これらはコロナのパンデミックがもたらした心理的な閉塞感―外界からの孤立、日常生活の逆転、そしてコミュニケーションの欠落と自己との向き合い 、そこから生み出された深い内向性を表現している。 5か国語を自在に操るギリシャの写真家、マルガリータ・マブロミカリスは「写真は世界共通言語」と語っている。写真とは世界中の人に理解され、最も強力な方法でメッセージを伝えるものであり、彼女にとって第二言語であると考えている。 残念ながら彼女が話せる5か国語の中には日本語は入っていない。しかし、写真というグローバルな第二言語を通じて、是非とも彼女の世界とコミュニケーションを持ってほしい。 個展について タイトル:ʻINTERNAL SPACEʼ  ( 内なる空間 ) 作家:マルガリタ・マヴロミハリス(ギリシャ出身の写真家) 期間:2023 年…

日本中近東アフリカ婦人会主催 第21回チャリティバザー開催のお知らせ~アフリカと中東の女性と子供のために~

日本中近東アフリカ婦人会主催 第21回チャリティバザー開催のお知らせ~アフリカと中東の女性と子供のために~

新型コロナウィルス感染拡大のパンデミック為にしばらく開催できなかった日本中近東アフリカ婦人会バザーが開催される。今回で21回を迎えるこのバザーには、中東アフリカ諸国の大使館計22カ国が参加する。各大使館では、大使夫人および大使館員夫人が中心となって各国の物産品、クラフト、大使館シェフによる本場の名物料理などを準備し、販売する。また、中近東アフリカ婦人会メンバーによる手作りの手芸品・焼き菓子・スパイス等、このバザーへの協賛各社からの品物が数多く出品、販売される。 中近東アフリカの文化を紹介する場でもあるこのバザーでは、アフリカの民族音楽、トーキングドラムの演奏、各国の華やかな民族衣装によるファッションショー、ヘナペインティングなども披露され、中東・アフリカをより身近に感じる機会ともなっている。 このバザーを企画した各国大使館関係者、婦人会メンバーは「アフリカのパワーと日本との友好を感じていただけるバザーにしたい」と語る。 なお、このバザーからの収益はは、NCAFが支援するアフリカや中東で活動する日本のNGOに役立てられるほか、参加する各国大使館に均等に分配される。 日本中近東アフリカ婦人会主催 第21回チャリティバザー開催概要          日時:2023年10月30日(月) 11:00-15:30  入場券:2000円 https://t.pia.jp/pia/event/event.do?eventCd=2315764 会場:東京 水天宮・ロイヤルパークホテル 3階 ロイヤルホール  地下鉄・半蔵門線水天宮前駅 出口4ホテル直結  【お問い合わせ先】  日本中近東アフリカ婦人会   HP :  https://sites.google.com/ncaf1981.org/ncafhp/ 日本中近東アフリカ婦人会概要  日本中近東アフリカ婦人会は、1981年、元駐ナイジェリア大使(ルーマニア、及びソ連 大使を歴任)を務めた外交官、重光晶の夫人、綾子を中心としたアフリカに在住経験を持つ婦人達によって創立された。設立の目的は、日本に在勤するアフリカの方々に日本の良い思い出を持って帰っていただくことと、及び日本の婦人たちとの交流にあった。 現在、会員数は約100名となり、中東・アフリカ各国の婦人との交流を目的とする組織としては、日本で最も長い歴史を持ち、充実した活動を続けている。 チャリティバザーは隔年に開催し、毎回来場者2000名を超える。その収益を参加国に均等に寄付し、各国内の福祉施設などに大使夫人を通じて届け続けている。前回、2019年のバザーでは、参加26か国に合計430万円寄付した。その他にも中東・アフリカ関係のNGOへの援助も毎年拠出し、活動をサポートしている。 その他、日本人向けに中近東アフリカに関わる講演会、料理講習会、遠足など、日本在住の中近東アフリカの婦人たちには日本語、編み物、生け花、コーラスの各教室も定期的に開催し、文化交流を続けている。 【関連記事】

永遠の都ローマ展 カピトリーノの丘にまつわる芸術と栄光

永遠の都ローマ展 カピトリーノの丘にまつわる芸術と栄光

現在、東京都美術館(東京・上野公園)では、「永遠の都ローマ展」が開催されている。 日本人の多くが憧れを抱いて訪れるイタリアの首都ローマは、「永遠の都」と呼ばれ、何時の時代も人々を魅了してきた。「永遠の都ローマ展」はその成り立ちから栄光の日々を語る展覧会だ。 この展覧会はローマの中心地に立つカピトリーノ美術館が所有している作品群を中心に約70点の彫刻、絵画、版画等から成り立っている。それは5つの章に分けられ、構成されている。 まず、「第一章:ローマ建国神話の創造」シクストゥス教皇は1471年、古代ローマ時代の4点のブロンズ像をローマ市民に寄贈する。そのブロンズ像は、《カピトリーノの牝狼》《コンスタンティヌス帝のブロンズ虚像》《とげを抜く少年》《カミッルス》だ。もちろん誰もが知る通り《カピトリーノの牝狼》は古代ローマの出発点とも言える作品であり、本章ではその複製が展示されている。この牝狼に乳をもらって育った双子ロムルスとレムスのうち、ロムルスは初代ローマ王となり、ローマは建国されていく。そのローマの成り立ちと栄光を如実に描いている。この展覧会の中でももっとも見ごたえがある圧巻の第一章だった。 「第二章:古代ローマ帝国の栄光」ではユリウス・カエサルとその遺志を継いだオクタウィアヌス(のちのアウグストゥス)によって都市の整備が進められ、共和制の時代に突き進んでいく時代を示している。そこにはギリシャの影響を多いに受けた美しい彫刻たちが立ち並んでいく。 「第三章:美術館の誕生からミケランジェロによる広場構想」では、都市計画がなされていくローマの姿を示す。ミケランジェロによってカピトリーノの丘の頂にカンピドリオ広場がデザインされていく。 続く「第四章:絵画館コレクション」では、1734年に始まるカピトリーノ美術館の創設から、その後、絵画コレクションの収集がなされていった経緯が紹介されている。併せて芸術家の育成のため、美術アカデミーが創設され、ヨーロッパ全土に学習の機会を与えたこと、そうした背景によって生まれた優れた作品が並ぶ。 最後は「第五章:芸術の都ローマへの憧れー空想と現実のあわい」と題され、芸術をリードしてきたローマのイメージをさまざまに表現した作品や、日本人を含めた外国人芸術家による作品をも受け入れた豊かな芸術環境について述べられている。 この展覧会は決して多くの作品を並べたタイプの展覧会ではない。むしろ作品数は少ないと言えるが、ひとつひとつの作品が極めて精巧で美しい。さらに圧倒的な存在感をもって見る人に迫ってくる。歴史と芸術のすばらしさを如実に感じることは間違いない。 この展覧会を見終わって、オードリーヘップバーンが主演した映画「ローマの休日」を思い出した。ヘップバーン扮するアン王女は記者から「どこがお気に召しましたか」との質問を受ける。最初、「どこも思い出深く、、、」と言い出した王女だが、指示された通りのコメントをやめる。そして「Rome, by all means, Rome(ローマ、なんといってもローマです)」と自らの感情をあらわにする。 そう!ローマだ。By all means, Rome! そのセンテンスがこの展覧会についてコメントするにふさわしい! 古代から時代をリードし、世界にその存在を示してきた都、ローマがこの展覧会には沢山詰まっている。ぜひとも見ていただきたい感動の展覧会だった。 【展覧会基本情報】 永遠の都ローマ展 Rome,…

チリ産ピスコ 日本初テイスティングイベント

チリ産ピスコ 日本初テイスティングイベント

日本では、チリのお酒といえばワインを思い浮かべる方が多いかもしれないが、ワイン以外にもチリには特別な美酒がある。 そのひとつが、ピスコだ。 マスカットを原料としたフルーティーな蒸留酒で、チリ北部のアタカマ州と、それに隣接するコキンボ州の2つの州で生産されたぶどうの蒸留酒のみが原産地呼称に関する法律によってチリ産ピスコと名乗ることが認められている。 そんな特別感のあるお酒、ピスコを紹介するイベントがチリ大使館商務部(ProChile日本オフィス)にて開催された。 チリ・アタカマ州から5つの生産者を招き行われたイベントは、チリ産ピスコの日本初のプロモーションとなる。 今回紹介されたピスコは以下: アジア域内では中国が主なマーケットで、昨年は約2万リットル(23万米ドル)が輸出された。日本への輸出量はごく僅かで、2022年は約3,000リットル、金額にして約3万ドルの輸出実績であるチリ産ピスコ、今後日本でも楽しめる機会が増えることに期待したい。 チリ産ピスコについての情報、おすすめレシピはこちらから: https://www.spiritsfromchile-jp.com/ 【お問い合わせ先】 チリ大使館商務部(ProChile日本オフィス) 03-3769-0551/japan.tokyo@direconchile.onmicrosoft.com 【関連記事】

インタビュー:セルギー・コルスンスキー駐日ウクライナ大使

インタビュー:セルギー・コルスンスキー駐日ウクライナ大使

東欧での戦争が激化する中、世界は先の見えない期待を持ちながら様子を見守っているのが現状だ。ロシアによるウクライナ侵攻は長期に亘ることとなり、多くの議論を引き起こしている。日々、ロシア、ウクライナ双方からの情報が行きかっている。 コルスンスキー駐日ウクライナ大使は、科学者になるべく教育を受け、そのキャリアをもって外交官に転身した。その大使はウクライナでのロシアによる侵攻をどのように見ているか、また、ウクライナが世界に望む支援とは何か、この戦争が最終的にどこに行くのかといった内容をこのインタビューの中で語っている。 短いインタビューであったが、コルスンスキー大使の歩んできた道、戦禍の生活、ウクライナと日本の関係、将来の平和への希望などに多岐に亘り、とても興味深いものとなった。 ここでは深刻なテーマもお聞きいたしますが、その前に大使のキャリアと外務省に入られた経緯についてお聞かせ願えますか。 キーウご出身でいらっしゃいますね。 はい、我が家は父も祖父も私もキーウで生まれました。 生まれた頃はソ連時代でしたので、私は人生の29年間をソ連で過ごしたことになります。キーウ国立大学を卒業し、応用数学の博士号を取得した後に、研究者として10年間勤務しました。 そうして働いている中で1991年を迎えました。この年はウクライナが独立した年です。 当時、私は私はウクライナ国家科学技術委員会に招待されておりました。その委員会は英語を話す人を探していたことがありました。私はこの委員会には3年程在籍し、世界レベルの学術誌に約50件の研究論文を発表しておりました。そんなときに外務省の外交官であった友人から電話がかかってきました。友人はパリに向けて出発する直前でしたが、その電話の内容は、当時のウクライナ外務省は信じられないほど小規模で、大臣から運転手までを含めてもたった37人しかいませんでした。その為、誰か後任となる人が必要と言っていました。 国家は独立すると大使館を開設する必要がありますので、人員が必要でした。また、外交関係を樹立する必要もありました。 最初に友人が電話をかけてきたとき、私は外交の経験がないということは伝えはしました。しかし、その後に外務省を代表して科学教育、技術、ソフトパワー関連の協力に重点を置いた同じ任務を続けることになると伝えられました。 外務省外交関係研究所での短期集中コースを終了し、私は外交官となり、科学担当公使としてイスラエルに駐在しました。イスラエルが初の赴任地になりました。イスラエルで3年間駐在し、その後はワシントンD.C.で5年間、そしてトルコで3年間駐在し、ミッションを行ってきました。 その後に本国に戻って外交アカデミーの理事長を3年間務めた後、駐日ウクライナ大使に任命されました。このことは大変うれしいと思っています。 日本はウクライナにとって非常に重要であると同時に、文化的にもとても興味深い国です。いままで 4か国に駐在を任命されるのは非常に異例であったこともあり、外交官として幸運であったと思っています。 先日、岸田総理がウクライナを訪問されました。 日本はアジアで最初にウクライナへの公的支援に踏み切った国の一つであるということを考えると、この関係の特殊性をどう見ていますか、また今回の訪問についてどう思いますか。 これにはとても驚きました。 大使として着任したときにも、ウクライナでも日本のことをどれだけ知っているかを実感しました。 ウクライナ人は日本に次いで世界で2番目に多くの寿司を消費しています。 ウクライナ人は黒澤明、渡辺、北斎の作品をよく知っています。 ウクライナではすべての都市に武道のトレーナーがおり、日本語を学べる学部がある大学は全国で12校あります…

日ペルー外交関係樹立150周年  ペルー海軍の練習帆船「B.A.P. Union(ウニオン)」日本に寄港

日ペルー外交関係樹立150周年 ペルー海軍の練習帆船「B.A.P. Union(ウニオン)」日本に寄港

東京国際クルーズターミナルに寄港しているペルー海軍帆船ウニオン号にて外相会談が行われた。林芳正外務大臣、訪日中のアナ・セシリア・ヘルバシ・ディアス・ペルー共和国外務大臣らが参加。

東京国立博物館 現代美術展「横尾忠則 寒山百得」展

東京国立博物館 現代美術展「横尾忠則 寒山百得」展

現代美術家の横尾忠則の大型展が現在東京国立博物館 表慶館で開催されている。(12月3日まで)こうした現存の作家の展覧会を東京国立博物館が開催することは、開館以来稀なことであり、これは東京国立博物館としても大きな決断があったことだろう。 この展覧会のテーマは「寒山拾得」だ。中国、唐の時代に天台山に住んでいたという禅僧の寒山と拾得。 二人はその奇行から風狂と呼ばれ、絵画の題材としても多く取り上げられている。 横尾忠則が寒山拾得と出会ったのは1970年代に曽我蕭白の作品がきっかけだったという。極めて高い技術で水墨画を描いた蕭白は、そのエキセントリックな画風で多くの仙人を描いている。 後年、横尾は寒山拾得を題材にして、より奔放で自由な色彩をもって同じテーマの作品を描き続けてきている。 今回の展示で際立っているのは、寒山拾得が横尾によって世界中を巡っていることではないか。 横尾は西洋の美術史、日本の歴史を紐解き、その中に寒山拾得を描いている。マネの《草上の昼食》のように、寒山拾得の二人は裸の美女と草上に座っている。 また、別の作品では寒山拾得はイタリアの魔女、ベファーナのように箒に乗り、空中を駆け巡る。 1年程で描かれた作品群だが、この期間に人類は今迄経験したことのないパンデミックを経験した。 もちろん横尾もその体験をした一人のはずだ。この作家はその時間をアトリエで過ごし、寒山拾得、世界の名画、歴史と対話を続けたのではないかとも思える。 そしてコロナがあけた時期に書かれた作品には、横尾の喜びがあふれるようにより明るい色彩とより自由な寒山拾得の世界が描かれている。心が躍るような作品が連なる。 横尾忠則は今年6月に87歳になった。高齢と言われる年齢のこのアーティストがたった1年間で今回展示されている102点におよぶ作品をすべて描いたことには驚きを感じる。 そのエネルギーには圧倒されると同時に、この作家がいかに深い世界を内部にもっているかも感じられる。 この展覧会は全作品を見た後に心に残るものがあるという。それは横尾の鑑賞者への問いとも言える。 横尾は1970年代の曽我蕭白との出会いから寒山拾得を人生のテーマ、友とし、今、彼は寒山拾得が暮らす世界に入ろうとしているのではないか。 この展覧会の関連展示として、11月5日まで東京国立博物館本館特別1室では特集「東京国立博物館の寒山拾得図―伝説の風狂僧への憧れ」という展覧会も開催している。 《豊干禅師》という題の河鍋暁斎の大作も展示されている。豊干禅師は寒山拾得の師にあたり、虎を飼いならした禅僧として知られる。 河鍋暁斎は晩年、観音像を描くことを日課としていた。 ふと寒山拾得を描き続けた横尾忠則の世界観と河鍋暁斎の姿が重なることがあった。 今迄あらゆるテーマを描いてきた作家たちが、その人生の集大成として悟りの境地に至るようななにか、深いものを示しているのではないか。 横尾忠則が描いたのは寒山拾得ではなく寒山百得だ。横尾が描く寒山拾得は百面相とも言える。この大きなシリーズを見て、鑑賞者は色々な感想を持つに違いない。…

第53回サントリー音楽賞を受賞 鬼才、濱田芳通が送る素晴らしいバロック音楽の世界

第53回サントリー音楽賞を受賞 鬼才、濱田芳通が送る素晴らしいバロック音楽の世界

バロックオペラの指揮者でリコーダー、コルネット(ツィンク)のヴィルトゥオーソとして知られる濱田芳通がこの度挑むのは「笛の楽園」だ。 「笛の楽園」とは、17世紀オランダで出版された管楽器のための曲集であり、当時の流行歌に変奏を加えた約150曲からなる膨大な曲集だ。 この度のコンサートでは、その中から選りすぐりの楽曲を、一夜目は濱田のリコーダーと歌、オルガンとともに、二夜目はリコーダー・カルテット、リュート、そしてパーカッションを交えて演奏する。 公演詳細: 【第一夜】 2023年10月17日(火) 19:00開演(18:30開場) 「笛の楽園」わが心の灯~リコーダーと声楽による~ リコーダー 濱田芳通(音楽監督) ソプラノ  中山美紀 テノール  中嶋克彦 オルガン  上羽剛史 詳細  https://www.asahi-hall.jp/hamarikyu/event/2023/10/event2458.html 【第二夜】 2023年10月18日(水) 19:00開演(18:30開場) 「笛の楽園」起きろ、起きろ、狩へ行くぞ!~リコーダー・カルテットによる~ リコーダー   濱田芳通(音楽監督) リコーダー   浅井愛、織田優子、大塚照道 リュート    高本一郎 パーカッション 和田啓…

インドネシア・日本外交関係樹立65周年記念 インドネシアの多彩な文化を一堂に会して「インドネシアの美を探求」開催

インドネシア・日本外交関係樹立65周年記念 インドネシアの多彩な文化を一堂に会して「インドネシアの美を探求」開催

インドネシアの芸術文化展「インドネシアの美を探求」Satu Hati 心ひとつに

Prima of the world Irina Peren: Russian Ballet

世界のプリマ イリーナ・ペレン

デビュー25周年記念特別バレエガラコンサート&パーティ開催 高い評価を得てきたイリーナ・ぺレンとマラト・シュミウノフを中心としたロシアのバレエ、音楽を紹介するガラコンサートが6年ぶりに開催される。 宮廷のサロンのような空間で、国家芸術家、ミハイロフスキー劇場プリンシパル、イリーナ・ペレンとマラト・シェミウノフの優雅でダイナミックな、バレエを楽しむことができる。 詳細は: 開催日:2023年9月22日 時間:午後6時開場 午後6時半開演 会場:在日ロシア連邦大使館(港区麻布台2-1-1) 参加費:立食パーティ込み 20,000円 申し込み先:kkawashima@cssimc.com(e-mail) 電話:090-3576-0075

ジャマイカ大使館、レゲエで第61回独立記念日を祝う

ジャマイカ大使館、レゲエで第61回独立記念日を祝う

ジャマイカは1962年に英国より独立し、今年61回目の独立記念日を迎える。 その独立記念日を祝う為、ショーナ・ケイ・リチャーズ駐日ジャマイカ大使はとてもオシャレで楽しく、ジャマイカの文化を感じられるパーティーを企画した。 今年の独立記念日のパーティーの場所に選ばれたのは恵比寿にあるブルーノートプレースだ。 Riddim from JAMAICA と題したライブには、日本のレゲエ界の重鎮でもあるMacka Ruffinと彼の仲間たちが出演した。 Riddimとは日本人には聞きなれない英語だが、元々はRhythmを意味するジャマイカ英語(パトワ)の言葉だ。 リチャーズ大使は、独立記念日を象徴すべく、ジャマイカの国旗の色のコスチュームをまとってゲストをホストした。 このパーティーは通常の大使館が行う独立記念日のレセプションとは全く違った趣旨で行われたが、レゲエ、ラガマフィンというジャマイカの文化、音楽が満載であり、食事もジャマイカの国民食ジャークチキンなども味わうことができた。 ジャマイカの食、音楽、ホスピタリティーを全身で感じることのできる素晴らしい機会となった。 奇しくもジャマイカ独立記念日の8月6日は広島に原爆が落とされた日と重なる。 2005年にリチャーズ大使は、国連軍縮部のフェローに選ばれ、2か月の軍縮プログラムに参加した。このプログラムの中で日本政府は、長崎と広島での1週間の研修を提供し、リチャーズ大使は来日している。 その際に被爆者とあったリチャーズ大使は「二度と起こしてはいけない」という見解を共有した。 その後、リチャーズ大使はニューヨークの国連副大使に任命され、第1委員会、武装解除国際安全保障委員会の仕事を担当した。その4年間でリチャーズ大使は核兵器禁止に関する交渉条約に至る国連での進展においては、非常に積極的に対応している。 「核なき世界の実現」を目指す外交のリーダーとしてのリチャーズ大使の存在はとても大きい。 9月になればジャマイカからは日本の医療を学ぶために若い医師が来日する。 研修を支える為、リチャーズ大使、駐日ジャマイカ大使館ではバザー、チャリティーディナー等を開催し、資金作りにも奔走した。 そうした大使と大使館の努力があって、ジャマイカの医師の来日は実現することとなった。 リチャーズ大使の夏は非常に多忙だった。9月になってもまだまだその多忙さは続くことだろう。 今後もジャマイカの発展のため、日本、韓国との外交関係の更なる発展のために貢献していただきたい。…

オランダ大使公邸:日本文化に関する対話型講義シリーズ開催 バレエ・大相撲・宝塚歌劇・漫画・『ベルサイユのばら』

オランダ大使公邸:日本文化に関する対話型講義シリーズ開催 バレエ・大相撲・宝塚歌劇・漫画・『ベルサイユのばら』

より深い日本文化の理解へ オランダ大使公邸:日本文化に関する対話型講義シリーズ開催 ジョーン・ミッチェル・ファン・デル・フリート駐日オランダ大使夫人は、その滞在中に外交シーズンの初めと終わりを目途として年2回の「コーヒー&カルチャー」と題した対話型プログラム企画した。 その目的は、日本独自を探訪することでその文化をより深く掘り下げ、EU諸国のを中心とした大使の配偶者、大使と共有することにあった。  ジョーン夫人がターゲットとした日本文化のテーマはバリエーションに富んでおり、どれも大変興味深いものだった。 具体的は、バレエのKカンパニーによる「クローズアップ:プリンシパル ダンサー 」、「和太鼓への理解と演奏」、「大相撲とはー理論と実践」、「宝塚歌劇とベルサイユのばら/オペラ」など、日本独自の文化と伝統を持ったテーマが選ばれた。 初回に日本のバレエをとり上げた際には、Kバレエが舞台に使っているオリジナルの精巧なバレエ衣装を大使公邸に展示した。 そうした衣装を間近に鑑賞した後、世界的に有名なプリンシパル・ダンサーによるQ&A セッションを開催した。 第2回目の「和太鼓の実技、演奏」をとり上げた際は、大使公邸に実際の太鼓が持ち込まれ、「オランダ大使館太鼓グループ」による演奏が参加者に披露された。 その後、参加した各国大使夫人らも和太鼓の基礎を学び、自ら太鼓の「ばち」をもっての演奏となった。 また、誰もが知る日本の国技、大相撲も紹介した。 このセミナーに関しては、日本人にとっては共通である「相撲の規範と文化」とは、多くの外国人にとっては馴染みが無いというところにビジョンを置いた。 引退した力士らの協力を得て(両国国技館前相撲茶屋はなの舞)、参加ゲストは本格的な四股を踏む動作を含んだ準備運動も行い、最後には力士との対戦、力士同士による白熱した試合を楽しんだ。更には元力士による手作りのおいしいちゃんこ鍋で午後を締めくくった。 ジョーン夫人の離日を控えた最後のプログラムは、著名な宝塚の娘役、有名な漫画家、オペラ歌手、ピアニストらによるとても充実した3部構成の企画となった。  第1部では、昭和に大活躍をした往年の宝塚スター、大原ますみ氏による講義を通じ、女性だけで構成されている宝塚歌劇の神秘的な世界を紐解いた。 続いて大原ますみ氏とジョーン夫人により「I Could Have Danced All…