民間外交で大きな成果 – シャバツ市市長と代表団が富士見市を訪問

民間外交で大きな成果 – シャバツ市市長と代表団が富士見市を訪問

セルビアと日本の関係はとても興味深く、その歴史は140年にもおよぶ。その良好な関係は、政治、経済の結びつきだけではなく、人と人との心温まる交流、草の根外交によって作られたと言っても過言ではない。 シャバツ市と富士見市は姉妹都市となって今年で40年を迎える。しかし、両国の歴史を紐解いてみれば、富士見市との民間外交は第一次世界大戦の初期にまで遡ることができる。 現在の富士見市は3つの村が合併したことから成り立っている。その一つは水谷村(現在の富士見市)だ。当時の水谷村の村長は、第一次世界大戦におけるセルビアの被害に心を痛め、「セルビアは現在の未曽有の戦火によって家族を養うことができない状況にある。セルビア人にも家族がいるのだから、なんとかできないだろうか」という人道的な呼びかけを行っている。こうした支援の呼びかけは日本の各地に広まり、セルビア救済委員会も発足した。その後、正式なセルビアへの支援を行うことになり、救援物資を日本赤十字社を通じて届けている。 今年、姉妹都市契約40周年を祝う為、シャバッツ市代表団は10月20日から23日の4日間、埼玉県富士見市を訪問した。ちょうど同時期に、富士見市は毎年「ふるさと祭り」を開催しているが、今年は「市制施行50周年記念 」の年でもあり、より盛大にふるさと祭りを祝うこととなった。その記念すべき祭りに、アレクサンダル·パーイッチ市長をはじめとするシャバツ市代表団、アレクサンドラ·コヴァッチュ大使をはじめとする駐日セルビア大使館スタッフも招待され、市民と共に祝った。 コヴァチュ大使はふるさと祭りの開会式で、両国の長く親密な関係にも触れ、富士見市からの貢献にも感謝の意を表した。昨年の東京オリンピックでは、富士見市はセルビア·レスリングチームの合宿地としても貢献した。そうした富士見市の貢献、応援はズラビ・ダトゥナシュビリ選手の銅メダル獲得という素晴らしい結果にも繋がっている。 今回の訪問を機にシャバツ市と富士見市は今までの良好な関係をさらに発展させるべく、「学童交換プログラム」の実施に関する締結を行った。子供のころから海外の文化に触れる環境づくりは、子供達の未来に必ずプラスとなることだろう。 シャバツ市代表団、駐日セルビア大使館一行は、ふるさと祭りの開会式への参加、富士見市民文化会館キラリ☆ふじみと富士見市立図書館の見学など終え、最後に祝賀夕食会に参加した。日本語がとても上手なコヴァッチュ大使はここでも大人気だ。こうしてあたたかな心の交流を行い、一行は多忙だが心温まる一日を終えた。 Sign up for newsletters 【関連記事】 アレクサンドラ・コヴァチュ特命全権大使閣下 ヨーロッパ文芸フェスティバル2022 開催

STEP APP公式アンバサダーのウサイン・ボルトが来日!

STEP APP公式アンバサダーのウサイン・ボルトが来日!

WEB3技術とFITFI(FITNESS FINANCE·ネイティブ·ブロックチェーン·プロトコル)を採用した運動することでトークンを獲得することのできるアプリ「STEP APP」は、グローバルアンバサダーを務めるウサイン・ボルトを迎え、東京アメリカンクラブでレセプションを開催した。 このレセプションにはショーナ-ケイ・リチャーズ駐日ジャマイカ大使を始め、元駐ジャマイカ日本大使などが出席した。 優れたアスリートとして知られるウサイン·ボルトは、まだそのキャリアを開始したころから日本でトレーニングを行ってきた。このレセプションでリチャーズ大使は、ボルトにサプライズ·ギフトを贈る一幕もあった。 STEP APP ローンチ ウサイン·ボルトは銀座のクラブ「RAISE」で、日本市場向けにSTEP APPの新たなキャンペーンも開始した。日本では既に強い仮想通貨コミュニティも構成されているが、改めてゲストスピーカーが数名登場し、キャンペーンのサポートを宣言した。 仮想通貨の決済処理業者大手コインゲートの共同創設者でありTriathleteのCEOも務めるドミトリユス・ボリセンカは、ブロックチェーン、フィットネスや運動、トライアスリートでもあり、この度はそのライフスタイルについても語っている。 また、プロ野球選手の田口麗斗(投手)もゲストスピーカーとして登場し、野球への思い、プロ野球選手としての人生について語った。 人類最速の男として知られ、過去のオリンピックで8個の金メダルを獲得したウサイン・ボルトは、「Road to Excellence」に関する自身の考え、STEP APPのグローバルアンバサダーとしての経験を語った。 今年の参加アーティスト: 日本で最もホットなヒップホップアーティスト、AK-69が大勢の観客を前にパフォーマンスを披露。ノルウェー出身の新進気鋭DJ、Fehrplayもモダン・プログレッシブ・ハウスのDJパフォーマンスを披露した。 詳しくはSTEP APP公式サイトをチェック!:https://step.app/ja/

ドイツ連邦共和国大使館&ゲーテ・インスティトゥート東京

ドイツ連邦共和国大使館&ゲーテ・インスティトゥート東京

FIFA ワールドカップ・カタール大会 グループ E「日本・ドイツ戦」関連イベント開催 11月23日、日本代表はグループリーグ E 組初戦でドイツ代表と対戦することとなった。この対戦を記念し、各国大使館のE (Embassy)組によるテーブルサッカー対決、e スポーツ・コーナーなど、E(いい)に関連した「e-Kick-off」が開催された。 ここではドイツ代表のクレーメンス・フォン・ゲッツェ駐日ドイツ大使をはじめ、スペイン、コスタリカ、そして日本の各代表が、テーブルサッカー対決で E 組の前哨戦を行った ここには林芳正外務大臣夫妻、外交官出身の城内実衆議院議員も姿を見せた。城内実は日本政府きってのドイツ通であり、10年余りをドイツで過ごし、ドイツ語にも極めて堪能。過去には現在の上皇様の通訳を務めたこともある。 この日は、午後22 時からは日本対ドイツ戦が3つのスクリーンで中継された。強豪ドイツを相手に日本が交戦を続け、劇的な勝利をもたらした。 日本はかつて、FIFAワールドカップ出場をかけたドーハでの試合で最後の数秒でイランに得点を許したことがある。このゲームでの敗戦によって日本は初めてのワールドカップ出場の機会を逃した。このゲームは「ドーハの悲劇」として知られるが、この度の強豪ドイツチームへの勝利によって、「ドーハの悲劇」は「ドーハの歓喜」へと変った。 日本サッカーは強くなった。しかし、その日本サッカーの歴史はあるひとりのドイツ人監督から始まったことを日本人は忘れることはない。 ドイツ人監督デッドマール·クラマーは1960年、東京Olympic開催を前に、日本のサッカーナショナルチームの監督となる為、日本に招聘された。クラマーはまだ整っていないサッカーの練習場に立ち、何も言わずに指導に当たったという。初歩的な練習の繰り返しは選手から不評を招いたこともあった。しかしその手腕は確実であり、基礎を学んだ選手たちはめきめきと力をつけた。結果、日本代表チームは東京Olympicではベスト8に進出した。その後、1965年には日本サッカーリーグも立ち上がった。1969年のメキシコオリンピックでは、釜本邦茂らの活躍により、銅メダルを獲得している。 クラマーが実現させた元日本代表選手釜本邦茂のドイツ留学に始まり、その後多くの日本選手は海外にでて活躍するようになった。現在の日本代表の多くはドイツのブンデスリーガのチームに参加し、活躍している。 日本のサッカーの歴史はクラマーの貢献なくしては語ることはできない。今から60年以上前、クラマーがゲルマン魂をもって日本人に教えたサッカーは実を結び、世界にも通じるようなチームに育っている。 日本代表はグループリーグを勝ち進み、決勝リーグに進む。どうかドイツチームの分まで奮闘し、上位をめざしてほしい。

上野アーティストプロジェクト2022

上野アーティストプロジェクト2022

「美をつむぐ源氏物語―めぐり逢ひける えには深しな―」現在開催中 上野にある東京都美術館は世界的な美術展を数多く開催していることでも知られている。しかし、この美術館のミッションはそれだけではない。若いアーティストの支援を行い、年間200を超える公募展を開催し、ユニークな企画展の開催も手掛けている。 「美をつむぐ源氏物語―めぐり逢ひける えには深しな―」展は、2017年に始まった「上野アーティストプロジェクト」の一環として開催されている。このプロジェクトは「公募展のふるさと」とも称される都美術館が、その歴史の継承と未来への発展を図るという意図をもって毎年開催している展覧会である。 第6弾となる2022年開催の本展は「源氏物語」がテーマだ。平安時代に紫式部によって書かれた源氏物語は、千年を超える時を経てもその魅力は色あせることなく、今も日本人の心に生き続ける。 この展覧会では源氏物語という唯一のテーマに沿い、絵画・書・染色・ガラス工芸という多彩なジャンルにおいて、とても自由な発想をもって作品を制作している7名の作家を紹介している。しかし、作家の個性、芸術性はそれぞれに違い、表現する媒体も全く違う。それ故に、それらの作品から紡ぎだされる「源氏物語」という世界観は、今を生きる鮮やかさをもって現代によみがえっている。 書家による源氏物語、ガラス工芸作家や染色作家などによる源氏物語などと鑑賞を進めていくと、この展覧会の最後の章には画家の守屋多々志による日本画の世界が広がる。そこに描かれた平安時代を思わせる描写の繊細さから、人々は作家、紫式部がこの物語に込めた思い、豊かな人物描写を見ることができる。守屋多々志が描いたそれぞれの登場人物の画からは、その性格、人生が伝わってくるようだ。 これは現代美術の展覧会に違いない。しかし、この展覧会には日本人がずっと紡いてきた世界があり、歴史がある。日本っていいなと思う一瞬を楽しめる展覧会だった。

ベルギービールウィークエンド 新宿で開催

ベルギービールウィークエンド 新宿で開催

冬でもやっぱりベルギービール おいしいビールを飲んで、特別なひと時を過ごそう! 今年で13回目を迎えるベルギービールウィークエンドが開催される。ベルギーにはなんと379カ所ものビール醸造所があり、1,500種類以上のビールが造られている。2016年には、「ベルギービール文化」がユネスコ無形文化遺産にも登録された。 ベルギーでは、毎年9月の第一週末に、ベルギーの首都ブリュッセルで『ベルギービールウィークエンド(BBW)』が盛大に開催される。開催場所は世界遺産に指定された美しいグランプラス広場だ。ここに世界中のビールファンで賑わう。 そんなベルギーのビール文化を新宿で再現! https://belgianbeerweekend.jp/shinjuku 開催日時:12.6(火)〜12.11(日)平日 16:00〜22:00※ラストオーダー終了30分前土日 11:00〜21:00場所:新宿住友ビル 三角広場

オマーンと日本 国交樹立を祝って第52回オマーン・スルタン国ナショナルデーレセプション開催

オマーンと日本 国交樹立を祝って第52回オマーン・スルタン国ナショナルデーレセプション開催

中東の親日国オマーン·スルタン国(以下オマーン)と日本はその外交関係を1972年に樹立し、今年は50周年目を迎える。しかし、実際の二国間交流は400年も前に遡る。それはレセプションの冒頭での駐日オマーン国特命全権大使モハメッド・サイード・ハリファ・アル・ブサイディ閣下の挨拶からも理解できる。また、オマーンという国は先見の明を持ち、エネルギーなどに対しても非常に先進的であり、これからの人材育成への投資を惜しまない姿勢を世界に示していることにも深い感銘を受けた。 現在、オマーンでは、新国王ハイサム·ビン·ターリク国王陛下が即位し、国王自らがリードする「オマーン·ビジョン2040」の目標達成に向けて邁進している。この目的は多様な経済部門の成長を促進することにある。 オマーンは石油、天然ガス等の天然資源に恵まれてはいるが、現在はクリーン·エネルギーを重視し、そのシフトに向けた取り組みも開始している。2022年10月にはオマーン政府は2050年温暖化ガス排出量ゼロを目指しており、さらに再生可能エネルギー用に約5万平方キロメートルの土地を割り当て、グリーン水素関連事業には21兆円規模の投資の入札を行う計画も行うと発表している。 オマーンは学部卒業生全体に占める理工学部の卒業委生比率は世界一だ。オマーン政府による学生一人当たりの政府支出指数は世界第3位であり、こうした手厚い支援と学生への投資が至るところで実を結んでいる。 また、オマーンは観光資源にも恵まれ、安全で犯罪が少ない国でもある。こうした好条件からも、今後は日本からの観光客が訪れることが大変期待されている。 そうしたオマーンと日本の深い親交もあり、今回のレセプションには日本政府関係からも多くの議員などが参列した。山田賢司外務副大臣を始め、日本オマーン友好議員連盟江藤征士郎名誉顧問、山口那津男公明党代表、遠方からはビデオメッセージで山梨県長崎幸太郎知事が顔を揃え、祝辞を述べた。 会場となった総大理石造りのオマーン大使館とその庭には、オマーンの住居を思わせるテント作りのリビングルームが設置され、レセプションの招待客はそのテントの中、あたかも我が家で過ごすかのようにリラックスし、オマーン式のお茶、デザートと会話を楽しんだ。 料理も美食の国オマーンらしく、贅をつくした品々が並んだ。羊の丸焼きなど、日本ではなかなかお目にかかれないアラブ式の料理も多く、どれもが皆美味しく、日本人の口にあった。ついつい食べ過ぎてしまうほどの素晴らしいランチだった。きっと料理上手でも知られる大使夫人によるアレンジ、アドバイスがあったことだろう。 オマーンと日本の絆は長く、強い。これからもさらに良好な関係を発展させ、経済交流、文化交流にも大きな結果をのこしていけることを願いたい。

Ikebana flower arrangement

2022年いけばなインターナショナルフェア

今年もいけばなインターナショナルフェアを開催開催日時:2022 年 12 月 12 日(月) 11:30-15:30開催場所:ロイヤルパークホテル 3F (2F 受付)中央区日本橋蛎殻町 2 丁目 1 番 1 号Tel : 03-3667-1111地下鉄 半蔵門線 水天宮前駅直結抽選券付きチケット(3,000円)は当日券(数に限りあり)もあり 開催要項および注意事項:・いけばな各流派お家元によるいけばな展・ 各国大使夫人によるインターナショナルバザー・ 各国大使館、その他のバラエティショップ・…

大使が語る南アの民主主義国家としての歩みと日本との関係

大使が語る南アの民主主義国家としての歩みと日本との関係

ルラマ・スマッツ・ンゴニャマ駐日南アフリカ共和国大使インタビュー 南アフリカ共和国の発展はとても興味深い。現在、南アフリカは、新型コロナウイルスの感染拡大、グリーン経済への移行という課題の中にある。ルラマ・スマッツ・ンゴニャマ駐日南アフリカ共和国大使は、このインタビューの中で南アフリカが行っている具体的な取り組みについて、さらに日本との経済及び文化的つながりについても自身の考えも述べている。 駐日南アフリカ共和国大使としてのミッションは何でしょうか。 大使としてのミッションは、まず南アフリカと日本の間に強固な外交関係を築くことです。そのミッションは、私がこの職務に就くかなり前に構築された関係を土台としています。両国の間に包括的な外交関係が結ばれたのは、1994年以降でした。1995年7月にネルソン・マンデラ元大統領が来日し、アパルトヘイトとの闘いに貢献した人々を称賛しました。マンデラ元大統領は、ロベン島に収監されていた時、広島の原爆の歴史について読んでいます。マンデラ元大統領はなぜ原爆が投下されたのか、どのような影響があったのか、日本はどのように復興したのかを理解したいと考えたからです。その後、南アフリカは1989年に、世界で初めて自主的にすべての核兵器を廃棄するという決断をするに至りました。 現在、南アフリカと日本の経済外交を強化することを重視しています。政治的レベルでの協力は、二国間、多国間のプラットフォーム双方において非常に強力と言えます。例えば多国間においては、南アフリカは国連安全保障理事会(UNSC)の包括的な改革を強く提唱し、国連を代表するような構成にすることを求めています。日本も同様に、国連安保理の改革を訴えています。アフリカ開発会議(TICAD)に関連しては、近年達成された多くの成果を脅かす一連の課題に取り組むアフリカ大陸全体の経済成長、デジタルへの移行、グリーンへの取り組み、雇用創出を促進するため、日本からの包括的支援となる取り組みを歓迎しています。また、今年のTICAD(第8回アフリカ開発会議)はチュニジアが主催国となりました。南アフリカからは国際関係・協力大臣のナレディ・パンドール博士が代表として参加しました。 この会議では、経済、水と保健衛生、インフラ、観光、科学技術などの分野でいくつかの協定が結ばれました。これらの協定は、日本とアフリカ大陸の協力関係の強固さを明確に示すものです。また、日本貿易振興機構(JETRO)と国際協力機構(JICA)が、国連開発計画(UNDP)及び国連工業開発機関(UNIDO)と共に、日本とアフリカの民間企業間の貿易と投資を強化することを目指した新しいパートナーシップも結ばれました。 日本は、特にトヨタ、日産、三井、日立など多くの企業を通じて、南アフリカ経済に多大な投資を行ってきました。これらの投資についての私の責務は、南アフリカ政府が設定した目標を達成し、双方の経済的利益を最大化することです。しかし、私の使命はそれにとどまらず、人と人との交流や観光の促進も大切です。多くの日本人が南アフリカを訪問してみたいと考えています。しかし、南アフリカの文化や観光、また何が投資先として得られるか、殆ど知られていないのが現状です。 2022年は南アフリカと日本の関係が大きな成功を収めた年でした。2023年はどのような計画をお考えでしょうか? 先日、第13回 日・南アフリカ・パートナーシップフォーラムが日本で開催されました。この時に、南アフリカはパンドール南アフリカ国際関係・協力大臣と林芳正外務大臣が議論を交わしましたが、それはとても勢いのあるものでした。ぜひともこの勢いを持続させてまいりたいです。 また、南アフリカは2022年11月28日から30日まで、Green Hydrogen Summit (グリーン・ハイドロゲン・サミット)をケープタウンで主催するにあたり、シリル・ラマポーザ大統領から岸田総理に招待状が送られました。日本は技術を持ち、南アフリカには豊かな資源があることから、グリーン水素は両国の協力関係を強化する重要な分野と考えられています。両国はグリーン水素の分野でリーダーになることを目指しており、南アフリカはこの分野で日本との協力関係をより緊密にしていきたいと考えています。 例えば、南アフリカに本拠を置くエネルギーと化学の総合企業、サソールは世界各地でエネルギープロジェクトに従事しています。グリーン水素の分野において、日本では伊藤忠商事とともにパイオニア的な存在です。 南アフリカと日本の関係をどのように発展させていきたいとお考えですか? 日本とのビジネスでは、日本は一国につき一品目ずつ市場アクセスの交渉を行っています。そのため、複数品目の交渉を試みることは困難です。日本は常に量より質を重視するため、交渉は長期化します。 以前、新型コロナウイルス感染症が多くの産業、特に観光産業に影響を与えたことがありますが、その困難な時期はどのように乗り越えていらしたのでしょうか? 南アフリカの観光産業は新型コロナウイルス感染症のパンデミックによって大きな影響を受けました。しかし現在は新型コロナウイルスの感染者数は継続して減少しており、国家として再び観光ビジネスにむけて開放し、世界中からの旅行者を受け入れる準備が整っています。南アフリカへの日本人旅行者数(観光、ビジネス、その他)は、2019年の約28,388人から2020年には5,236人、2021年には1,194人と激減しました。南アフリカは、再び観光ビジネスにむけて開放され、世界各国からの旅行者を迎える準備が整ったというところです。 新型コロナウイルス感染症が観光産業に与える影響を軽減するため、南アフリカ観光局は、関連するステークホルダーと協力して 「観光セクター復興計画(Tourism Sector…

第68回アルジェリア·ナショナル·デー·レセプション開催 – 旧交を温め合う素晴らしいひと時

第68回アルジェリア·ナショナル·デー·レセプション開催 – 旧交を温め合う素晴らしいひと時

11月8日、広尾の駐日アルジェリア大使公邸において、2022年度のアルジェリア·ナショナルデーレセプションが開催された。2022年2月に天皇陛下に信任状を奉呈したラルビ・カティ 駐日アルジェリア民主人民共和国特命全権大使にとって初めてのナショナル·デーレセプションとなった。 冒頭のあいさつでカティ大使は、日本は極めて早期にアルジェリアの独立を認めたことに深い感謝を述べた。アルジェリアの独立は民族にとっての長年の悲願であり、その長期に亘る闘いでは多くの犠牲もあった。そうして勝ち取った独立をいち早く認めた日本はアルジェリアにとって「昔からの信頼できる友」と呼べる間柄に違いない。 日本政府を代表して、髙木啓外務大臣政務官が日本政府を代表して出席し、祝辞を述べた。「アルジェリアの独立以降、両国が心温まる人的交流を重ね、良好な二国間関係を築いてきた歴史を振り返り、次の10年間を更に素晴らしいものにすべく投資・経済分野を始めとして両国間の交流を一層促進したい」という祝辞からは信頼できる友と共に歩む次の10年が見えてくる。 このレセプションには、アフリカ·中近東だけでなく、ヨーロッパ諸国等を含む世界中の大使館から多くの大使、大使夫妻が集まり、アルジェリアのナショナル·デーを祝った。 広尾にある駐日アルジェリア大使公邸は、アルジェリアの建築様式をそのままに伝えている。外部は美しいタイルで飾られ、内部には昔のアルジェリアの邸宅そのままに、中庭もある。窓は美しいアルジェリアの装飾が施され、内部もアルジェリアの雰囲気をそのまま日本に伝えている。 ここでは、日本では聴く機会が少ないカヌーンというアラブ琴を含むアラブの楽器によって、アルジェリア国歌、君が代も演奏された。ファヒマ夫人をはじめとするアルジェリアの女性もみな美しい民族衣装に身を包んで、招待客をもてなした。 クスクスに代表されるアルジェリアの食事はとてもおいしく、日本人の口にあう。今年は、カティ大使夫妻の計らいにより、とても多くのメニューが用意された。こうしたとてもおいしい食事のためか、招待客はいつもより長く滞在し、日本にある「アルジェリア」で、友との旧交を深めたようだ。 関連記事 大使の食卓(1) アルジェリア アルジェリア独立60周年記念インタビュー 国際文化交流パーティ”SUMO”開催 日本の国技を楽しむ

チリ日本国交樹立125周年記念レセプション開催

チリ日本国交樹立125周年記念レセプション開催

太平洋を挟んだ隣国との長く、深く、おいしい友好を祝う 2022年、チリと日本は、国交樹立125周年を迎え、11月4日にはホテルニューオータニで盛大な記念レセプションが開催された。 この記念すべき式典は、三鷹市第二中学校合唱部による両国の国歌斉唱によって開始された。高円宮親王妃久子殿下のお成り、西村明宏環境大臣の祝辞、武井俊輔外務副大臣、秋本真利外務大臣政務官ら、多くの国会議員の顔もみられ、チリと日本の関係がいかに良い関係であるかが深く感じられた。 チリと日本はともに南北に細長い地形を持つ国であり、山と海に恵まれている。確かに地理的には遠いが、日本にとってチリは太平洋という大きな海を挟んだ隣国にもなる。その隣国チリとの交流の歴史は125周年という年月以上に長く、その交流の第一歩は1885年に始まったとされるチリへの日本人の移民にも遡ることができる。 冒頭、リカルド G. ロハス駐日チリ特命全権大使によるスピーチは大変印象的であった。ワイン、サーモン、果物など、日本の食卓を彩るチリ産の食材については、日本人なら誰もが知り得ることだ。日本中、どの地域のスーパーマーケットに行っても、多くのチリ産の食材が売られている。チリからの冷凍鮭、鱒、ウニの日本への輸出高は世界一位であり、チリ産のワインも非常に多く輸出され、日本の「家飲み」には欠かせないアイテムだ。日本食の代表である寿司に必要な多くの食材をチリは支えていると言っても過言ではない。 両国は貿易の活性化のために2007年に経済連携協定を結んでいる。しかし、なによりも重要なことは、チリの産物がおいしく、高品質であり、そのレベルが常に一定に保たれていることだ。 125周年という長い歴史を誇るチリと日本の外交は、民間が支える「おいしい食卓外交」がメインではないだろうか。 このレセプションでも、チリが世界に誇るおいしい食材を使った料理、チリ産ワインが提供された。 よく女性が好きな男性を魅了するには「胃袋を掴む」ことが大切と言われる。日本はどうもチリというラテン美女に「胃袋を掴まれたてしまった」ようだ。 これからもチリ産の食材が日本の食卓を豊かにすることに期待したい。