Author: Hersey Shiga

Editorial Team
大相撲オランダ大使館場所開催

大相撲オランダ大使館場所開催

日本の国技を知ろう! 日本に駐在する外交官には相撲ファンは多い。しかし、「勝ち負け」だけで、相撲の歴史、美学、様式美などについてはどれだけ知られているのだろうか。 駐日オランダ大使のジョーン·ミッチェル·ファン·デル·フリート夫人は、「日本文化を学ぶ」一環として、EU諸国の大使夫人、関係者を招待し、「相撲を学ぶ会」をオランダ大使公邸と庭を使って開催した。 このイベントに協力したのは、超党派の「大相撲の発展を求める議員連盟」のアドバイザーを務め、自らも力士の経験をもつ永井明らだ。ジョーン夫人のリクエストに応じて、英語で相撲を学ぶ資料を作成し、実技は株式会社シリウスが企画した。 会場となったオランダ大使公邸の内部には、化粧まわし、力士の浴衣、番付表などのアイテムが展示された。ジョーン夫人による英語の相撲プレゼンテーションでは、相撲の歴史から始まり、力士の生活、髪型、服装、親方とおかみさん、食事など、多岐にわたった。 ここで一通り相撲について学んだあとは、庭にでて全員で四股を踏むなどの動作を取り入れた「相撲健康体操」を体験した。 続いては、元力士二人による相撲のぶつかり稽古、真剣勝負が披露された。この迫力には参加した全員が圧倒された。 やはり相撲は実際にとって見なければわからない。そのため、ピーター·ファン·デル·フリート駐日オランダ特命全権大使がクッションの入った「相撲スーツ」をまとい、頭に大銀杏の鬘をかぶって元力士と一線を交えた。その様子は非常に面白く、大使の素敵なユーモアのセンスが光る。ここは文字で説明するよりも、大使のTwitter公式アカウントからぜひご覧いただきたい。 こうしてひと汗かいた後は、相撲部屋直伝の「ちゃんこ鍋」を全員でいただいた。初めて食するちゃんこ鍋はとてもおいしく、楽しく運動した身体にしみわたるようだった。 もう一度ちゃんこ鍋を食べたい、ディナーにまた温めて、、、といったリクエストが出る中、初のオランダ大使館場所は全員の汗と笑顔の中、無事終了した。

27年ぶり、モイセーエフバレエ団来日

27年ぶり、モイセーエフバレエ団来日

パリ・オペラ座のエトワールでもあり、ローラン·プティのミューズだったドミニク·カルフーニをはじめとする世界のトップ·バレエダンサーは、モイセーエフバレエを見たことで踊る楽しさに触れ、バレエダンサーを目指したと答えている。 20世紀に、バレエ界は多くの優れた振付師の登場があった。前出のローラン・プティ、モーリス・ベジャール、ジョン・クランコらと並んで、このバレエ団の創設者イーゴリ・モイセーエフも、間違いなく偉大な振付師の一人だ。 1906年生まれのモイセーエフは14歳でバレエを始めた。決して早いスタートではなかったがめきめきと頭角を現し、後にボリショイ・バレエの芸術監督の候補にも挙がる。 モイセーエフが学んだクラシックのバレエには各所にハンガリーのチャルダッシュ、スペインのボレロ、ポーランドのマズルカなどの民族舞踊的要素が取り入れられている。そうしたキャラクターダンスと呼ばれる舞踊はクラシックバレエ界のトップダンサーたちによって、洗練された踊りとして紹介されている。モイセーエフは特にこのキャラクターダンスを愛し、後にロシア各地を歩き、その地で色々な民族舞踊を採取して行ったという。 1936年、当時のソ連各地の舞踊を集めたフェスティバルがモスクワで開催され、翌年、モイセーエフは自らの夢を実現させる。1937年のソ連国立モイセーエフ民族舞踊団の誕生だ。 現在に続くこのバレエ団の面白さは、スターと呼ばれる存在がいないことではないか。クラシックバレエの教育を受けていないダンサーもモイセーエフに才能を評価されればこの民族舞踊団に所属し、アンサンブルの一員となって行く。優れたソリストであっても、そのアンサンブルの中で自らの役割を果たしていく役割となって行く。 今回の日本公演でも、イーゴリ・モイセーエフの精神が今もこのバレエ団には息づいていることを感じることができた。一人もスターはいない。しかし全員がスターなのだ。 その一糸乱れぬアンサンブルは、劇場の5階席から見ても美しい。上から見ても乱れないアンサンブルの美しさが際立っていた。どの踊りも、各地の民族の文化の豊かさを表現し、その地域とその民族への敬意さえも感じられる。見ている観客はアッという間にモイセーエフの世界に引き込まれ、いつのまにか心はロシア各地を旅するようだ。 日本公演でも最後に演じられた「水兵の踊り:艦上の一日、ヤーブロチコは圧巻だった。水兵のセーラー服というシンプルな舞台衣装も、その動きをかえって隠すことなくはっきりと伝えることに役立っている。3人程度の小規模なアンサンブルが繰り返され、最後には全員が一緒になって踊る演出、舞踊は見事としか言いようがない。圧巻だった。 今回の日本公演で演じられた舞踊はすべてモイセーエフ自身の振付によるものだ。月日は流れ、世界は変わって行っても、モイセーエフが目指したものはゆるぎない。

カナダ大使館開催 「グレン・グールド・トリビュート 生誕90年、没後40年を迎えて」

カナダ大使館開催 「グレン・グールド・トリビュート 生誕90年、没後40年を迎えて」

カナダ、トロント出身のグレン・グールドは、史上最高のピアニストの一人であり、カナダが世界に誇る思想家、音楽家でもある。そのグールドが脳卒中でこの世を去ってから今年は40年目となる。もし彼が生きていたら今年は90歳になっていたことだろう。 在日カナダ大使館では命日にあたる10月4日にグールドに縁のあるゲストを招き、トリビュート・イベントを開催した。 グールドは生前、いくつかの特別な「何か」でもかなり注目を集めることになったピアニストでもある。たとえば、バッハの演奏だ。その時に彼が座るピアノの椅子もその一つだ。父親の手作りだという椅子は、とてつもなく低く、背中を丸めなければ鍵盤とのバランスが取れない。その独得の姿勢でのグールドの演奏姿は忘れられない。さらには演奏のときは、鼻歌まで歌っていたことも多々ある。 彼は早期にステージから引退し、新しい自分の世界を録音というそれまではクラシックの音楽家には歓迎されていなかった「ツール」に力を注いでいく。今までいわば瞬間芸であった音楽を、「永遠に残る」という新しい分野に導いていった。また、グールドは柔軟な考えを持っており、今でいうLGBTなどの新しい社会の形を受け入れてきた。今の時代を作る先駆者としても知られている。 グールドとは、音楽の天才である他に、10年、20年先を見ていたのではないか。彼の死後40年を経た今、改めて今を生きるひとびとはすでに40年前に世を去ったこのピアニストの芸術性、人生を高く評価している。 このトリビュート·コンサートでは、グレン・グールドゆかりの人々のトーク、演奏もまたとても素晴らしいものであった。しかし、ここで特筆すべきは、新しいテクノロジー、AIを使って、グールドの演奏を再現してみせたことだ。このAIシステムは、AIと人間の共創の可能性を追求するためにヤマハが取り組んだDear Glennプロジェクトによって開発された。 このプロジェクトによって、グールドが演奏した曲の傾向をもとに、AIが再解釈した演奏が披露された。つづいて、グールドが生前演奏したことがなかったクープラン、テレマン、フィッシャーといった作曲家による小品も演奏された。 最新のテクノロジー、録音技術を好んだ彼は、今、生きていたら、どんな演奏をするのだろうか。カナダ大使館とヤマハのコラボにより、ファンが望んでいた回答の一つが示された素敵なトリビュート・コンサートだった。

ヨーロッパ文芸フェスティバル2022 開催

ヨーロッパ文芸フェスティバル2022 開催

ヨーロッパ文学の100年 11月22日から27日まで、日本にあるEU諸国の大使館がメインとなって、文芸フェスティバルを都内各地で開催する。 オープニングには、ジャン=エリック・パケ次期駐日欧州連合大使がモデレーターを務め、ベストセラー『人新世の「資本論」』でも注目を浴びる哲学者·思想家斎藤幸平と世界が注目するオランダの思想家ルトガー・ブレグマン(著書:『Humankind 希望の歴史』)が登壇する。このディスカッションのテーマには、我々はいかにして政治への信頼を回復し、資本主義社会の中で民主主義を守ってゆくのか、また、我々の社会に蔓延しつつあるシニシズムにどう立ち向かうのかという二つが選ばれている。 詳細なプログラムは以下の通り: 2022年11月22日(火) 17:30 – 18:30 ライブ配信ありオランダオープニング対談:ルトガー・ブレグマン & 斎藤幸平モデレーター:(次期駐日欧州連合大使) 2022年11月23日(水) 場所:イタリア文化会館12:30 – 13:30 フィンランドミカ・ワルタリ『エジプト人』の翻訳について 14:30 – 15:30 ポーランド」『素粒子、象とピエロギと ─101語のポーランド─』 16:00 – 17:00 イタリアパゾリーニ:映画と文学の間で…

チュニジアツーリズムEXPOジャパン2022

チュニジアツーリズムEXPOジャパン2022

観光大国チュニジアも出展 旅の総合イベント「ツーリズムEXPOジャパン」は、2014年から毎年開催され、世界各国、日本全国の観光地の情報が集まった。しかし、新型コロナウィルス感染拡大の影響をうけ、中止も余儀なくされたこともあったが、2022年、関係者の期待にこたえての開催となった。 この世界最大級の旅のイベントには在日公館も多くのブースを出展し、自国の観光の魅力をアピールした。 「スターウォーズ」を始め、映画のロケ地としても注目を集めるチュニジアは、アフリカを代表する観光立国でもある。世界のリゾートとしても知られるチュニジアは日本人観光客の誘致にも力を入れている。 駐日チュニジア大使館は、チュニジア観光局(ONTT)と協賛し、チュニジアでも特に美しいと言われる「青い街」シディ・ブ・サイドをイメージした美しいブースをツーリズムEXPO会場に設置し、工芸品の展示、オリーブオイル、デーツをはじめとするチュニジアの名産品を紹介した。また、観光名所や文化遺産を紹介する上映会も開催された。この上映会でモデレーターを務めるのはモハメッド·エル―ミ駐日チュニジア大使だ。大使の明確なガイドと共に、チュニジアの美しさをコンパクトに見ることができる。 新型コロナウィルス感染拡大に関する規制も緩和されつつある今、改めて今まで行ったことのない場所への旅行を考えてみたい。間違いなくチュニジアはその候補の一つだ!

Serbian Ambassador to Japan H.E. Aleksandra Kovač

アレクサンドラ・コヴァチュ特命全権大使閣下

セルビア共和国は現在EU加盟国候補であり、宮殿や城砦等の観光資源にも恵まれ、また、テニス、水球、バレーボール、バスケットボールなどのチームスポーツの優秀さでもよく知られている。2022年には、日本・セルビア関係樹立140年周年を迎え、両国にとって祝賀行事が多い重要な年となる。 この度、駐日特命全権大使アレクサンドラ・コヴァチュ大使閣下に、日本など海外からの投資誘致に向けたセルビアの良好な投資環境整備への取り組みなどについて話を伺った。また、セルビアの社会的弱者の保護、および自動車産業やITサービスなど、大使が現在推進しておられる主要産業に対する同国の取り組みについてもお話しいただいた。 コヴァチュ大使は2021 年に駐日大使として着任している。その前にも長年に亘る外交官としての経験をお持ちだ。以前はユネスコ協力国家委員会の事務局長、2018年には外務省ユネスコグループ長を務められた。その前には駐パリ・ユネスコ常設代表団の公使参事官次席および外務省外交アカデミーディレクターも務められている。 駐日セルビア大使として着任されて何年になられますか。その間、新型コロナウィルスの世界的な感染拡大がもたらし続けている課題について、どのように取り組まれてきましたか。 日本に着任して1年余りになります。今から振り返ると、興味深い期間だったと言えます。 実は、着任初日から仕事に着手し、仕事に慣れるための期間というのはありませんでした。まさに飛行機から降りてすぐにといえます。すぐに、五輪に関わる数々の難題に取り組まなければなりませんでした。それはセルビアと日本双方にとっての学習プロセスとも言えるでしょう。と言いますのは、かつてこのような状況に遭遇した人はいなかったからです。 私は東京都の小池都知事にお目にかかり、都知事と日本政府そして都庁が実行されたことに深い感謝を申し上げました。なぜお礼を申し上げたかと言えば、今回のオリンピックでは、自分たちのコントロール外にある事象の困難を伴っていても、粘り強く取り組むことができ、それによって国際社会を一つにまとめることができることを世界に示したからです。 困難を克服した後は、私たちには余裕がでてきたと言えます。それまでは2020東京オリンピックパラリンピックに全てを集中させておりましたが、その後は他の活動に集中することができました。セルビア大使館だけではなく、セルビアとパートナー関係にある方々との打ち合わせにも取り組み始めました。 私にとっての最優先事項は、二つあります。一つは、日本との政治的対話の維持であり、もう一つは経済関係の強化です。新型コロナウィルス感染拡大により、この対話プロセスが少々遅れたということにもかかわらず、対話を継続させることが重要でした。今年も準備しなければならないので、それを併行しつつ行っています。と言いますのは、今年は日本とセルビアの友好140周年にあたり、私たちにとって非常な重要な年だからです。 今年大使館が計画している文化交流の取り組みについてお聞かせください。 昨年の12月は楽観的に思えていましたが、1月になり、新型オミクロン株の感染数が増加すると、私たちだけでなく、日本側のパートナーであるベオグラードの駐セルビア日本大使館も多くの計画を中止せざるを得ませんでした。両国とも、セルビアの建国記念日がある2月に友好樹立を記念する大規模な記念イベントを実施する計画でしたが、多くの難題に直面いたしました。しかし、そうした多くの障壁にも関わらず、合同ロゴを作ることができ、より小規模で実施が可能なスケールのイベントを始めることができました。 そのうちの一つで、非常にチャレンジングであったのは、実際にセルビアの人たちを日本に招くことでした。昨年この記念の年について、同僚と話をしていた時に、以前に同じような記念の年を開催したことがある国では、アーティストを日本に招聘することはできないでしょうとすでにわかっていたと思います。それは困難であろうと、もちろん理解していましたので、準備には非常に時間をかけて進めました。それで小規模で、複数件のイベントを主催するに至りました。4月にはコンサート、写真展、そしてセルビアの文化省後援のアーティストの展覧会を開催しました。 首都ベオグラードのすぐ北に位置するヴォイヴォディナ州の州都であり、セルビア第二の都市でもあるノヴィ·サドは、ヨーロッパの「欧州文化首都」が指定した都市として、1年間にわたって色々な文化行事を行う」になりました。これは昨年と今年の新型コロナウィルス感染拡大の影響によるものでした。その枠組みの中で、実際にアーティストの交流を支援している日本の団体「EU・ジャパンフェスト日本委員会」と連携しています。 同団体は30年に亘って活動しており、その支援により自らのプロジェクトを携えて来日するアーティストや文化機関がいくつかあります。ようやく日本に実際にこれらのアーティストの皆さんを紹介できたことを嬉しく思います。今年はいろいろと祝うことがあります。 私達の街、シャバッツには日本に姉妹都市があります。埼玉県の富士見市です。これは興味深い関係であり、その関係は今年で40周年を迎えます。私達両国の友好関係140年とは別に、この姉妹都市の関係も記念すべき年を迎えたのです。興味深いのは、シャバッツ市はセルビア史における非常に重要な都市ですが、日本企業の矢崎総業株式会社が進出しています。シャバッツ市と富士見市は紙面上だけでない、多くの交流を行っています。そして今年10月にはシャバッツ市の代表団が富士見市を訪問しています。 非常に興味深い事実も見つかりました。新たに発見された事実なので、メディアにお話しするのは初めてです。現在の富士見市は、3つの村の合併から成り立っており、その1つが水谷村です。富士見市は非常に活発に過去資料の調査を行っています。その中で、水谷村の村長からの興味深い「呼びかけ」を見つけることができました。第一次世界大戦の初期、当時、日本とセルビアが協商国関係にありましたが、村長はセルビア市民の救済を実際に懇願しています。「セルビア人にも家族があり、兄弟姉妹、子供たちもいる。中にはお年寄りがいるが、現在の未曽有の戦火によって家族を養うことができない状況にある」という人道的な呼びかけを行いました。 日本の各地村で同様の呼びかけが行われており、後に、それはより正式な形式に発展していったことも興味深いです。日本はセルビアに援助を行いました。それによってセルビア救済委員会が発足しました。これは人道的な協力であり、兵士のための病院建設も行っていました。非常に影響力があったと言えるでしょう。 富士見市は最近、シャバッツ市と中高生交換プログラムの協定を結びました。富士見市は2020東京オリンピックパラリンピックのホストタウンのひとつで、セルビアからのレスリングチームを受け入れてくれたこともありました。ここで最も誇らしく思えたのは、4つの全てのホストタウン(富士見市、柏崎市、防府市、唐津市)がセルビアチームのメダル獲得を支援してくれたことです。 前回大会での獲得メダル数を上回るメダルを獲得することができ、それからの繋がりができたこともあり、4つのホストタウンすべてに、本当に誇りを持っていただいて良いと思います。ホストタウンの数はもっと多かったのですが、いくつかの自治体ではわずかですが問題を抱えていたことがありました。新型コロナウィルス感染拡大によるインフラ設備の不足があり、困難が生じました。しかし私たちはこの機会をも誇らしいと思いました。2020東京オリンピックパラリンピックがもたらした遺産と言えることは、ホストタウンとの関係を繋げ、成長させていくことができたことです。 日本の大企業は、すでに他の多国籍優良企業と共にセルビアに大規模な投資を行っています。日本にとってセルビア経済の魅力とは何でしょうか。 日本にとってのセルビアの魅力は沢山あります。それは産業への固有のニーズがあること、または関連する団体によっても異なってくると思います。矢崎総業の場合は、いつもセルビアの熟練工が称賛されていると伺っています。従業員を訓練し、その結果を最終的に見ますと、やる気を触発されたのだと思います。矢崎総業の皆さんは現地でその社会に溶け込み、家族同様となり、ポスターを貼って従業員の紹介もありました。(東京駅に現地社会に溶け込んでいる画像がある)とても興味深かったのは、確か日本・セルビア友好議員連盟の総会で、矢崎総業の代表者がセルビア投資について宣伝した時でした。…

トリケラトプスに会いにあつぎ郷土博物館へ行ってきた!

トリケラトプスに会いにあつぎ郷土博物館へ行ってきた!

あつぎ郷土博物館は、厚木市民および県外からの訪問者に「あつぎ」の歴史や文化、自然を深く知り、より深くこの土地を知ってもらうというポリシーの下、開館されたまだ新しい博物館だ。 しかし、所有している作品にはとても貴重かつ興味深いものが多く含まれる。まず、とても驚くのは、白亜紀後期に生息していたトリケラトプスの化石だ。ここには、大きなトリケラトプスが、その吐息が聞こえそうなぐらいの近距離に展示してある。それも、その頭部はほぼ完ぺきな状態で残されている。 今、恐竜はブームになっているが、関東の一部にこのようなとても貴重な資料が展示されていることは意外に知られていない。常設で展示されているので、誰もが、いつでも見られ、白亜紀に戻れるような体験ができる。 また、あつぎ郷土博物館には、「林王子遺跡出土有孔鰐付土器」や「恩名沖原遺跡出土浅鉢」をはじめとした銘品もいくつか所蔵されている。「林王子遺跡出土有孔鰐付土器」には人の顔が作り込まれている。こうした土器装飾には時として人体表現がなされるが、この土器ほどチャーミングな作品はなかなか見ることはできない。 こうした土器装飾は蛙を表現しているとも受け取られるが、この土器に付けられた装飾は、かわいい人の顔にも見える。その顔は穏やかで笑みを浮かべ、両手を挙げて、我々を歓迎しているようだ。 こうした貴重な出土品に加え、あつぎ郷土博物館にはフェリーチェ·ベアトが撮影した幕末から明治初期の様子を捉えた貴重な写真も所蔵されている。特に見るべき一枚は、その当時、すでに厚木にあった浄水路と人々の姿ではないか。当時の清潔な暮らしぶりが分かる。また、博物館ではその浄水路の一部を再現して展示してある。 わが町を知ることもまた素晴らしく、また、初めて訪れた町を深く知ることも素晴らしい!ぜひ一度行っていただきたい博物館だった。

豊かな発想によるキュレーションを楽しむ

豊かな発想によるキュレーションを楽しむ

じっくり見たい世界的名画の世界が大塚国際美術館にて開催中 徳島県の鳴門海峡に面した美しい自然に恵まれた地域に大塚国際美術館は建っている。大塚国際美術館は多くの人々が思い思いに過ごせる憩いの場所として、観光客、地元の人々にも愛され続けている。 大塚国際美術館の特徴は、約1000点の西洋名画を極めて正確に陶板で再現したことにある。原画を注意深く観察し、わずかな筆遣い、塗り重ねられた表現までも余すことなく再現されている。その技法は見事としか言いようがない。 また、名画が緻密に調査され、原画の姿そのままに陶板で原寸大に再現されているということは大きな利点でもある。鑑賞者は実際に名画の数々の傍に歩み寄り、顔を近づけて細部まで鑑賞することも可能だ。 しかし、この美術館の本当のすばらしさは、そのキュレーション力にあるのではないか。 世界各地の有名美術館に所蔵され、決して一緒に観ることはできない名画の数々も、この美術館ではテーマにそって展示され、詳細に見比べることができる。 「受胎告知」のテーマに沿った作品の数々も一つのスペースに展示されている。フラ·アンジェリコ、レオナルド·ダ·ヴィンチなどの世界の巨匠による同じテーマで描かれた作品が、一堂に展示され、どの作品も間近で手に取るように見比べることができる。 ロンドンのナショナル·ギャラリーとルーヴル美術館にそれぞれ所有されているレオナルド・ダ・ヴィンチの「岩窟の聖母」もここでは隣同士に展示されている。「こうやって見るのが夢だった」と思わず口にしてしまう美術ファンはきっと多いはずだ。 ゴッホの「ヒマワリ」さえも、ここでは同じ展示室に集結している。その展示の様子は圧倒的であり、ゴッホの絵画の変遷とこの心の動きさえも見ることができる。ブリューゲルの「バベルの塔」も、ここではその詳細までも間近で見ることができる。改めて「バベルの塔」は生活の場でもあったことを知った美術ファンも多いはずだ。 大塚国際美術館は、美術史を学んだ人にとっても、美術ファンにとっても、素晴らしく楽しく、一日が過ごせる美術館だ。また、子どもたちにとっては、教育の場でもある。この美術館を訪れた子どもたちはきっと名画のすばらしさを体験することによって知ることだろう。 この美術館で多くの名画に囲まれながら、過ごすひと時は、多くの人々にとって「至極のひと時」に違いない。名画鑑賞に疲れたら、スイレン(6月中旬~9月が見頃)を見ながら、併設のカフェ「カフェ・ド・ジヴェルニー」で一休みも素敵だ。 大塚国際美術館は大塚グループが創立75周年を記念して、「大塚グループが生まれ育ててもらった鳴門市に恩返しをしたい」という思いをこめて作られたという。その後、徳島のみならず、日本中のみならず、世界中から多くの人々がこの美術館を訪れている。

神戸市立博物館による待望の企画

神戸市立博物館による待望の企画

よみがえる川崎美術館 ―川崎正蔵が守り伝えた美への招待― 現在開催中 現在、日本は世界でも指折りの美術館大国となっている。各地には規模に関わらず多くの美術館があり、私立美術館も多い。 日本で最初の私立美術館、川崎美術館は、1890年に川崎造船所(現在の川崎重工)、神戸新聞社などを創業した実業家、川崎正蔵によって建てられた。川崎美術館は現在の神戸市布引にあり、日本、東洋美術を中心としたコレクションを所蔵していた。そのコレクションには、後に国宝、重要文化財に指定される優品が多く含まれている。だが、残念なことに1927年の金融恐慌をきっかけに、コレクションは散逸し、川崎美術館の建物も水害、戦災によって失われてしまう。 こうした時代背景によって散逸して行った作品は、今までは一同に会する機会はなかった。この度、神戸の文化の中心とも言える神戸市立博物館が当時、川崎正蔵が所蔵していた優品およびゆかりの作品約80点を集め、不可能とも思われたこの展覧会を実現させた。作品たちは約100年の時間を経て古巣、神戸に戻り、驚くべきことにまるで川崎美術館がよみがえったかのように展示されている。 この展覧会での圧倒的な魅力は、やはり円山応挙が描いた襖絵、掛軸を含む数々の作品ではないだろうか。 川崎美術館には金刀比羅宮表書院の襖絵にある「水呑みの虎」を思わせる作品も所蔵されている。「猛虎渓走図」(個人蔵)もその一つだ。当時、日本には虎は存在せず、応挙は猫をモデルに描いたという逸話も伝わる。しかし、川崎美術館が所蔵していた応挙の筆は、しなやかでありながら勇壮な身体つき、ふとい手足、小さな耳などの虎の特徴をよくとらえている。 数点に上る襖絵は圧倒的だ。「海辺老松図襖」、「雪景山水図襖」(いずれも東京国立博物館蔵)などの大傑作が並ぶ。そこに描かれた童子を連れた仙女の美しさ、その繊細さには息をのむ。応挙全盛期の傑作が揃っている。 狩野孝信が描いたとされる重要美術品「桐鳳凰図屏風」(林原美術館蔵)も展示されている。この屏風絵では、飛び立つ鳳凰の姿を、まるでフランドル派の絵画のような細かさと、濃厚さをもって表現している。 そして展覧会最後に現れるのが顔輝が描いたと伝わる重要文化財「寒山拾得図」(東京国立博物館蔵:展示期間は11月13日まで)だ。足利義政が所有した東山御物でもあるこの作品は、織田信長の手にもわたっている。かつては益田鈍翁をはじめとする有名コレクターにも紹介されたが、価格が折り合わなかったという。そうした経緯を経て川崎正蔵の手にわたり、川崎正蔵は命の次に大切にし、日々、独り香をたき、愛でていたとされる。 「寒山拾得図」に描かれた二人のほほえみは、時として不気味にも見える。しかし、このコレクションにあっては「どうだ、このコレクションはすごいだろう」と鑑賞者に語り掛けているようにさえも感じられる。 この素晴らしい展覧会は神戸市立博物館でのみ開催される。会期は12月4日(日曜日)まで。ぜひともこの展覧会の為に神戸をおとずれてほしい。

成長するラテンアメリカ諸国:ペルーへの投資を考える

成長するラテンアメリカ諸国:ペルーへの投資を考える

この度、駐日ペルー大使館ではペルー投資ガイドブック「Vale un Peru 2022」の紹介もかねて、ペルーセミナー「経済とビジネス機会」を9 月 30 日、ペルー大使館の講堂で開催した。 ペルーは日本からの移民も多く、日本にとっては長年の良きパートナーとも言える。今までの両国の良好な関係からも、ペルーは日本からの投資誘致にとても力を入れており、今回は、ヘルバシ外務副大臣が動画でメッセージも寄せていることから、その熱心さが伝わってくる。 2020年初頭から、世界は新型コロナウィルス感染拡大によるパンデミックに悩まされ、経済も投資も大きなダメージを受けてきた。そんな中にあってペルーは都市のロックダウン、国民への積極的なワクチン接種によって、ダメージを最小限に食い止めている。 また、その間に、ペルーはいくつもの緩和措置、優遇税制を整え、海外からの投資をしやすいよう、国家を挙げて体制作りも行っている。国家の更なる発展のためには投資が必要と政府は判断しているのだろう。 現在、ペルーから日本への輸出品として上位にあるのは、漁業関連の製品、アボカドなどの農産物、続いて高品質で知られる綿、アルパカなどの繊維類だ。これらは今後も順調に輸出高を伸ばしていくことだろう。 ペルーが世界のスーパーフードの宝庫であることは、まだ日本では知られていない。キヌアなど、日本で大変人気のあるスーパーフードの他にもマカパウダー、アマランサス、カムカムなどのスーパーフードが揃っている。 しかし、日本人が本当に着目していないのは、ペルーのエネルギー資源ではないか。アンデス山脈が走るペルーの国土は水力に恵まれている。ペルーには水力、風力、太陽光発電、バイオマスなどの再生可能エネルギー資源が満載されており、安全性の高いエネルギーとして注目をあつめるのではないか。 また、ペルーは観光立国でもある。新型コロナウィルス感染拡大前は、日本からペルーを訪れる観光客は大変多く、人気が高かった。観光というよりもツーリズムを楽しむ旅慣れた人々に人気があり、世界遺産マチュピチュ観光はその中心とも言える。 新型コロナウィルス感染拡大が落ち着きつつある今、ペルーへの観光客の数は「コロナ前」に戻ることだろう。 ペルーには可能性がある。なぜ日本人移民はペルーを選んだか。その当時からペルーには可能性があったからに違いない。今、100年の時を経て、改めてペルーへの投資に注目すべき時が来ている。