個性豊かなオーガニックコーヒーを日本へ

個性豊かなオーガニックコーヒーを日本へ

ペルーのコーヒーの魅力 ナスカの地上絵を知っている人、自分の目で見たいという日本人は多い。しかし、乾燥したナスカという地域をややアンデス側に行ったところに、豊かな珈琲の産地が広がっていることを知る人は意外に少ない。ペルーのアマゾンとアンデスが出会う場所に、その産地は広がっている。 ペルーが産出しているコーヒーは特別だ。まず日本で口にすることはめったにないか、かなり少ない。それはコーヒー農家が小規模であり、手摘み、オーガニック、個性豊かなコーヒー作りを家族単位で進められているからだ。家族ゆえにそのこだわりは強いのか、世界の品評会でも高い評価を受けていることが多い。 まさにブティック·コーヒーと呼ぶにふさわしい、極めて上質で、安全、オーガニック、厳しい審査を通ったコーヒーを日本でも味わっていただこうと、駐日ペルー大使館がコーヒーイベントを開催した。 招待されたのは、日本でも目利きと言われるプロのコーヒー産業に関わる人達だ。そうしたプロをも納得させるペルー産のスペシャリティ·コーヒーは、その農園の数だけ深い味わいと風味がある。あるものは香高く、またフルーティな味わい、独得のコク、まろやかさなど、多彩な個性を持つ。いずれもコーヒーのプロを納得させるのに十分の品質と味だった。 また、ペルー政府のポリシーの下、SDGsが今ほど世界に広まる前から、コーヒー作りと焙煎、テイスティングなどには女性が活躍している。こうした労働人口の平等化、女性の登用により、貧困の撲滅にもつなげている。SDGsが推進している生態系の保護にも繋がる「畑から出たものは畑に戻そう」というポリシーの下、コーヒー栽培に使われる肥料もすべて自然であり、純粋にペルーのコーヒーはオーガニックだ。 美味しいコーヒーを飲みたい。日本にはコーヒーのファンが多い。ペルーのコーヒーを味わう贅沢がいつか日本でも一般的になることを願いたい。 For more information visit: Embassy of Peru in Tokyo Read more: ラテンアメリカ·カリブ振興協会

チャールズ・グラバー:ベテラン外国人俳優

チャールズ・グラバー:ベテラン外国人俳優

今回の「Eyes On Japan」では、日本で長年活躍するベテラン俳優、チャールズ・グラバー氏をお迎えした。グラバー氏は、ニューヨークや東京を中心に舞台、テレビ番組、映画などの作品に数多く出演、日本では「マッサン」「Youは何し日本へ?」 「シンゴジラ :2016」や、CMでもお馴染み。 1997年よりNHKのナレーターを務め、ニコラス・ケイジや渡辺謙とも共演した彼に、日本のエンターテインメント業界で外国人として働く経験について聞いた。 YouTubeインタビューはこちらから: IMDb プロフィール: Charles Glover

国際女性デーを記念した絵画展

国際女性デーを記念した絵画展

国際女性デーを記念した絵画展のお知らせ「カラー、インク&仲間たち」 私たちは、マリア・リス先生の指導の下、定期的に活動をしているラテンアメリカの女性グループです。私たちが現在生きている特別な時代に向けて、アートの創造性を発信することが、活動の動機です。 オイル、アクリル、パステル、鉛筆、墨などをキャンバスや和紙、その他特殊紙などに塗ったり、素材を組み合わせてコラージュしたりと、様々な技法や素材を自由に使って作品を制作しています。 Read also: 画家として 「私の作品作り」 インド大使夫人 グンジャン·ヴァルマ その結果、色鮮やかな作品からモノクローム作品まで、実に多様な作品が生まれました。これらは、私たちそれぞれの背景や、これまで受けた学びや影響などを反映した作品です。 作家たちマリア・リス アキノマリア・アンパロ アビレスクララ ナカザトカロリーナ バルベリスマリア・フェルナンダ ロシュシュミット 展覧会情報 開催日:2022年3月5日(土)開催時間:午前11時30分~午後6時まで港区立神明いきいきプラザ 2階展示ギャラリー港区浜松町1-6-7問い合わせ先:03-3436-2500、エクアドル大使館主催:在日エクアドル共和国大使館協力:港区立神明いきいきプラザ

A Sumo Story - KONISHIKI by Hersey Shiga

KONISHIKI:大関が語る相撲

今回「Eyes On Japan」インタビューにご登場頂いたのは、伝説の力士・小錦八十吉。外国人力士として初の大関まで昇り詰めた小錦。相撲界のパイオニアとして突っ走ってきた原動力、その中での困難、生まれ育ったハワイ文化と相撲文化が彼に与えた影響について語る。 また、引退後、KONISHIKIとしてタレント・アーティスト活動をする傍らで取り組んできた、ハワイの若者支援・日本での被災地支援など、ボランティア・チャリティ活動についても伺った。 今秋発売予定の新著では、彼の人生における「情熱」「ひたむきさ」「成功」を垣間見ることができるだろう。 インタビュー全編はYouTubeから: 【リンク】 KONISHIKI Facebook:KONISHIKI’s World 株式会社KP:Konishiki.net

algerian Ambassador

はじめまして。 アルジェリアと日本ー60年の友好を祝って

この度、着任したラルビ・カティ大使はベテランの外交官であり、駐日大使に就任する前のミッションでは、5年以上に亘ってガーナ駐在大使を務めていました。1987年に外務省(MOFA)に入省して以来、アルジェリア代表としてニューヨークの国連に9年間駐在した経験も有しています。 こうした長期に亘る国連での勤務から、世界が直面している世界的かつ重大な課題に取り組む上で、いかに多国間外交が重要であるかを学んだと語っています。 日本での駐在はまだ始まったばかりであり、最近、新駐日アルジェリア大使として信任状を天皇陛下に捧呈いたしました。 日本への駐在にはファヒマ夫人を伴っており、大使と夫人は、有名な料理、伝統芸術、展示会から日本中を訪れるなどを含め、日本において体験できる多くのことを考え、計画しています。 駐日新大使としての使命について教えてください                        アルジェリアと日本は、優れた歴史的関係によって結ばれています。 実際、その関係は、1962年にアルジェリアが独立する前から始まっておりました。1958年に国家解放戦線がここ東京に支局を開設し、日本政府と日本の人々の独立闘争への支持を集めました 。 今年、両国は外交関係樹立60周年(7月5日)を迎えます。 この大変重要であり、また象徴的な記念すべき日には、二国間協力の高い成果を祝い、その関係をより活性化するためには何をすべきかを振り返る時だと思っています。両国政府は、二国間交流の促進と多様化の必要性に関し、同じ緊急性を共有しています。この目標を達成するために、両国は必要とさせる全てを行っていこうと約束していることを嬉しく思っています。 アルジェリアと日本の関係を強化するために、どの分野に焦点を当て、強化を図ろうとしていらっしゃいますか。 まず、3つの主要分野における二国間協力の強化に時間と労力を費やすことを考えています。1つ目は、両国が意見を交換し、共通の関心である地域的および国際的な問題について、収束的な立場をとることをできる限り可能にすることです。また定期的に二国間関係を見直し、適切な決定を下すのに役立つと確信を得ている政治対話を深めることも大切です。 2つ目は、アルジェリアの経済協力の向上です。 2020年の貿易額は約7億米ドルであり、これはアルジェリアと日本の経済的な潜在力をはるかに下回っています。経済交流のレベルを2倍、さらには3倍にするために、アルジェリア側はより努力が必要です。この目標を達成するための最良の方法は、投資の増加とその多様化です。 3つめは、文化的および科学的協力の強化です。日本のアルジェリア人学生の数は依然として非常に少なく、アルジェリア人と日本の大学間の科学的相互作用についても同じことが言えます。教育協力を大幅に増やすためのアイデアを考え出し、その方法を模索する必要があります。 夫人を伴っての駐在ですが、ご一緒にどのような文化活動や旅行を計画していますか? すでに妻と私は、日本に到着してからの2か月間、公邸付近の道、近隣とよく整備された東京の公園などを自転車で巡っています。これからは、素晴らしく、豊かな、日本の各地にある千年の歴史、自然と地理の多様性と、さらに重要なこととしてはそこに暮らす人々の優しさを知る「旅」をしていくことでしょう。遠くからこの地に赴任してきた外交官にとって、こうした体験はそのキャリアの中でたった一度だけのチャンスです。 この好機をのがさないようにと思っています。 アルジェリアについて アフリカ大陸最大規模の国家アルジェリアは、北アフリカのマグレブ地域に位置し、世界第16番位の石油埋蔵量を所有している北アフリカの地域大国です。アルジェリアにはさまざまな歴史的、文化的モニュメントや工芸品があり、温かく礼儀正しい地元の人々が出迎える観光名所としても人気があります。また、アルジェリア人のサッカーへの情熱と愛情も忘れてはいけません。それを一番よく証明しているのは、新駐日アルジェリア大使、ラルビ・カティ閣下の存在です。大使もまた、確実にサッカーファンと呼ばれるにふさわしい存在であり、アルジェリア人です! For…

レスリー・キー:世界で活躍ファッション・フォトグラファーの撮影現場

レスリー・キー:世界で活躍ファッション・フォトグラファーの撮影現場

【Eyes On Japan】チャンネル 東京のクールでスタイリッシュな「人」と「場所」をお届けする【Tokyo in Style】シリーズ。今回は、日本・ニューヨーク・アジアを中心に活動するファッション・フォトグラファー、レスリー・キーの撮影現場へ潜入。 また、ビューティー界のカリスマ、スティーブン・ヘインズ伝授する「カメラの前で輝く為の秘訣」も必見! 動画はこちらから! 【レスリー・キー】 レスリー・キーは、アジアンアート、フォトフラフィーの歴史の中で、今最も影響力のあるフォトグラファーとして知られる。彼の、夢を追い生きる姿は、日本、中国、シンガポール、韓国、東南アジアの若手アーティスト、特に学生に刺激を与え続けている。 【関連記事】: GUCCIの没入型エキシビション 「グッチ ガーデン アーキタイプ」

インタビュー: 駐日エストニア特命全権大使 ヴァイノ レイナルト

インタビュー: 駐日エストニア特命全権大使 ヴァイノ レイナルト

エストニア駐日大使、ヴァイノ・レイナルト氏へのインタビューの機会に恵まれた。電子国家として知られるエストニアの政府情報システムのデジタル化や、エストニアと日本の長期的な両国関係、そして両国にとって利益のあるプロモーションについて伺った。ヴァイノ・レイナルト氏は、2018年よりエストニア共和国の特命全権大使として日本に駐在している。日本駐在以前は、アメリカ合衆国、メキシコ、カナダで同国大使を歴任、またエストニア外務省にて貿易開発協力に従事した経験を持つ。大使夫人のカイレ・ユルゲンソンさんもまた、外交官として広報・文化外交に従事した経験があり、夫妻は正に、日本・エストニア関係を促進する名コンビだと言えよう。 駐日新大使としてミッションについてお話いただけますか? 駐日エストニア大使として、すでに3年余りの日々を過ごしている私は、もう新しい大使とは言えないかと思います。とても一般的ですが、駐日大使としてのミッションは、日本でエストニアへの興味を可能な限り促進することにあります。日本とエストニアのように、友好的であり、また、考えを同じくする国々の場合と同様に、ほとんどの問題に対する両国の関心は重なり合っています。また、エストニアは日本の関心と価値観を共有しておりますが、同様の課題にも直面しています。 当然のことながら、エストニアは国際的な規範及び日本と欧州連合間の合意に基づいて相互の貿易を促進していくことに関心を持っています。また、サイバーセキュリティやサプライチェーンの信頼性に関連する経済安全保障も同様に重要視しています。もちろん、さらに日本とエストニアは緊密に協力し、デジタル化とグリーン変革を最大限に活用したいと考えています。 同様の課題に直面しているエストニアと日本の共通の義務とは安全と安定、そして経済成長と幸福を提供することであり、さらに民主的で法の支配に基づく国際秩序を促進することでもあります。これらの価値観は普遍的であると信じてはいますが、常に普遍的に共有されているわけではありません。したがって、両国は世界秩序をお互いが望む方法で維持し、促進するための努力を強化する必要があります。 エストニアと日本の関係について教えていただけますか。 日本とエストニアは昨年1月にその100年に及ぶ友好関係を祝いました。第二次世界大戦前、日本とエストニアはお互いの関心を代表して行う名誉領事を任命し、1939年に日本はエストニアへの最初の全権公使を任命しました。第二次世界大戦の勃発により、これらの任務は適切に機能しなくなりましたが、1991年に日本とエストニアが公式の関係を回復した後にはこうした機能は継続されました。日本は1993年にタリンに大使館を、1996年に東京にエストニア大使館を開設しました。日本は世界のこの地域において、エストニアにとって最も重要な、志を同じくするパートナーです。ここ数年、両国はその関係にいくつかのハイライトを当ててきました。その中で最重要といえるのは、2007年に現在の上皇陛下(当時は天皇陛下)と上皇后陛下美智子様(当時は皇后陛下)がエストニアを訪問したことです。 更に両国の関係の特徴を示す一般的にも知られていることとしては、2012年に大相撲で優勝したエストニア出身の力士、バルトの存在も大きいです。 また、私のインタビュー記事をお読みくださる読者の多くは、すでに5年間に亘ってNHK交響楽団の首席指揮者を務めているエストニア出身の指揮者、パーヴォ·ヤルヴィを知っていらっしゃるでしょう。また、自動車ラリーのファンは、間違いなく、2019年にトヨタの世界ラリー選手権で優勝したのはエストニア出身のラリー·ドライバー、オィット・タナックをご存知でしょう。両国の友好関係はもちろん、こうしたハイライトと言えるニュースは皆さんの想像を超えるものでしょう。(コロナ前は)毎年10万人近くの日本人観光客がエストニアを旅しております。人口が約130万人の国にとって、これはかなりの数の旅行者を迎えたと言えます。このように両国の関係は政府間協力だけにとどまらず、両国の自治体も互いに連絡を取り合い、姉妹都市のような関係も築いています。驚くべきことですが、これらの最近の発展の多く事例とは、エストニアが成功裏に行ってきたデジタルトランスフォーメーションについて、より多くを学ぶことがあるという、日本の事業体の関心があってより推進されてきています。 エストニアの歴史について、教えていただけますか。 現代のエストニアの領土に人々が定住した最初の痕跡は紀元前8000年以上前にさかのぼり、エストニアという名前は既に紀元1世紀には見ることができます。12世紀の終わりには、教皇ケレスティヌス3世(Caelestinus III, 在位期間1106年 – 1198年1月8日)はエストニアでのキリスト教の布教を開始しています。エストニアの歴史はかなり深く研究されており、文書化もなされています。以来、エストニアの領土は、デンマーク人、スウェーデン人、ドイツ人、ポーランド人、ロシア人によって支配されてきました。エストニアの首都タリンは1154年に最初に見ることができますし、1372年にその歴史を遡ることができる世界で最も古い市庁舎の1つが現存しています。中世においては、15世紀から19世紀の間の商取引ですが、エストニアはヨーロッパを支配したドイツを拠点とするハンザ同盟の重要な貿易の中心地でした。世界で最初の自由貿易地域と言えるでしょう。 伝説では、クリスマスツリーとは、もともとエストニアのタリンで最初に作られ、1441年にリヴォニアの商人協会のブラックヘッズ兄弟により、タリン旧市街広場に運ばれました。もしこの伝説が本当であるなら、ヨーロッパの街の広場に置かれた最初のクリスマスツリーということになるでしょう。近代の歴史については、1918年2月24日にエストニア共和国が宣言され、1920年6月に最初のエストニア憲法が採択されました。エストニア共和国は国際的に認められ、1921年に国際連合のメンバーになりました。エストニアの独立は1940年まで続き、その後エストニアはソビエト連邦に占領され、1941年にナチスドイツに占領され、1944年に再びソビエト連邦に占領されました。その後、1991年8月、エストニアは再び独立をはたし、こうして国際的な認知を取り戻しました。以来、歴史的な観点から、エストニアは国際社会での正当な地位を回復することができ、2004年に欧州連合とNATOのメンバーになり、2011年には、欧州単一通貨であるユーロを採用しました。 1.デジタル化 エストニアはデジタル化政策を次々と進めており、世界の最前線の「電子国家」として知られています。その方針、AIと人との関係、今後の展開についてお話いただけますか? 実際、エストニアはワイアード·マガジンからも「世界で最も先進的なデジタル社会」としてブランド化されています。エストニア人は、時間とお金を節約するため、効率的で安全で透明なエコシステムを構築した先駆者と言えます。エストニアの電子政府とデジタルサービスの後ろ盾となるのは、安全なデジタルIDです。エストニアの130万人の市民のほぼ全員が、IDを取得しておりますが、これは単なる合法的な写真付きIDをはるかに超えるものでもあります。まず電子環境でIDの確実な証明として機能し、欧州連合内の渡航文書としても機能します。 IDカードは、エストニアのすべての安全な電子サービスへのデジタルアクセスを提供し、面倒な官僚的形式主義から人を解放し、銀行業務や事業運営、文書への署名、デジタル処方箋の取得など、日常業務をより迅速かつ快適にするという機能を備えています。前回の全国総選挙では、エストニア人のほぼ44%がインターネット投票を使用し、世界110か国からオンラインによる投票が行われました。エストニア人の98%はデジタルIDカードを持っており、サービスの99%はオンラインでのアクセスが可能です。実際、エストニアでは結婚や離婚以外にも、技術的に可能なすべての公共サービスをオンラインで行うようになっています。市民は、事実上すべての公共サービスをeサービスとして利用できるようになったため、さまざまな公共サービスの中から、都合のよい時間と場所でeソリューションを選択することができます。ほとんどの場合、サービスを提供する官庁などのエージェントに物理的に接触する必要はありません。電子政府の効率は、一般の人々や役人が節約する労働時間の観点から最も明確に表されます。こうした取り組みがなされていなければ、官僚主義や文書の処理に多くの時間は費やされていきます。すべての公共および民間部門のサービスでの電子IDの幅広い使用は、私たちのデジタル成功の基盤となっています。 デジタルIDを使用することによって、自分自身で認証を行うことができ、完璧に法的に有効な方法をもって、政府の手続きなどおからビジネス契約、市民からの州への申請まで、すべてをデジタルで署名することができます。法的に、デジタル署名は手書きのものと同じく扱われ、認められています。主として時間の節約があげられますが、こうした取り組みを通じて効率が向上し、経済全体でデジタル署名することによって、少なくともGDPの2%程度を毎年節約することができています。ちなみに、東京タワーと同じくらいの高さに及大量の紙を毎年節約できることにも繋がりますので、環境にもやさしいです。エストニアのユーザーが愛するデジタルガバナンスにはもう1つの興味深い機能と、読者が興味深いと感じる可能性がありますが、それは州が市民に同じ情報を2回要求することを許可しないという「1回限りの原則」の存在です。つまり、たとえば地方自治体に住所を提出する場合、自動車局は運転免許証を更新するときに再度住所を尋ねることはできなくなっています。 または、社会保障局がフォームに再度記入するように求めない場合でも、受け取る資格のある手当を請求することができます。どの政府機関においても、どの部門でも、自分のデータベース、または他の機関のデータベースにすでに保存されている情報を市民に繰り返して記載することはできなくなっています。また、日本のマイナンバーというデジタルIDカードは、エストニアの専門家と緊密に協力して設計されており、大部分はエストニアの経験に基づいていることもまたお知らせすべきことでしょう。…

外国人レーシングドライバー、成功の秘訣

外国人レーシングドライバー、成功の秘訣

ブラジル出身のプロレーシングドライバー、ジョアン・パウロ・リマ・デ・オリベイラは、KONDO Racingに所属し、日本のスーパーGTシリーズに参戦している。2020年にスーパーGT・GT300クラス、2010年にはフォーミュラ・ニッポンでの優勝など、これまでに出場したすべてのシリーズで優勝を果たしており、日本で最も成功している外国人レーシングドライバー。 インタビューでは、JP(オリベイラの愛称)が日本に来た経緯、外国人ドライバーとして日本で成功するために必要だと思うこと、そして過去最高の挑戦について語る。また、東京のおすすめレストランや、お気に入りのスポットも。 インタビュー動画はこちらから: Instagram: @jpdeoliveira

Kimono Mom

MOE – The Kimono Mom

今日のゲストは、 ”Kimono Mom”としてYouTubeフォロワー数120万人を誇る、元芸妓のMOEさん! 高校の夏休みの課題として、京都の伝統を支える職人や芸妓・舞妓さんへインタビューをしたことをきっかけに、16歳で芸妓さんになる決意を固め、高校を中退したMOEさん。京都・祇園に入った彼女は、伝統文化に情熱や信念を持って芸妓・舞妓という職業に生きる女性に感銘を受けたと語る。結婚・出産をきっかけに芸妓の世界から離れたMOEさんは現在、着物姿で日本の家庭料理を紹介する人気YouTuberとして活躍している。 彼女が紹介するレシピは、海外在住などで日本食材が十分に入手出来ないであろう人々を想定して少ない材料でも日本の味を再現出来る様にアレンジがされている。今回のインタビューでは、芸者(芸妓)としての人生、YouTube制作と家庭の両立、制作への情熱、Netflixシリーズ制作の可能性について、そして欧米メディアが抱く”芸者”へのイメージについても言及した。 ◆ YouTube Channelhttps://www.youtube.com/c/KimonoMom ◆ Instagramhttps://www.instagram.com/kimono_mom/ Watch the video here

画家として 「私の作品作り」 インド大使夫人 グンジャン·ヴァルマ

画家として 「私の作品作り」 インド大使夫人 グンジャン·ヴァルマ

世界中を舞台に働く外交官と、その家族は多くの海外生活を経験しなければならない。そのような環境の中、夫人たちが現地の芸術に触れ、心を動かされることも多い。 サンジェイ·ヴァルマ駐日インド大使のグンジャン·ヴァルマ夫人は、画家としても活動する。夫の赴任に伴って訪れた国々で、現地の芸術に触れ、インスピレーションを得て自らの制作活動に反映させているという。 以下、グンジャン夫人がベトナム・ハノイ滞在時に行った制作活動について語る。 私達がベトナムのハノイに住んでいた2000年頃に漆絵を制作し始めました。ベトナムの絵画や、有名な水上人形劇からも見て取れるように、農業が文化のバックボーンを築いています。 初めて描いた漆絵は、ベトナムの綿花摘みの人々です。人々とその服装、綿花摘みのための道具を強調して描きました。 漆は茶色と黒色しかありません。そのため、綿花の部分は最初に溝を彫って漆を入れ、洗って乾かした5ミリ程度の卵殻を圧着させ、それからやすりをかけました。すこしずつ漆を塗っていくという作業を繰り返したことで、作品の強度を上げていきました。 この作品は、インドの有名な物語「マハバルタ」の中でも有名なクリシュナがラダとその友人を監視している場面を描いています。最初に画稿を作成し、それに沿って漆が入るように彫りを入れ、着色用の漆で塗装しました。この作品には、ベトナムの一般的な絵画で見られるよりも多種の顔料を使用し、人物を際立たせるために金箔もふんだんに使い、仕上げに漆を塗ってあります。 温暖な気候で湿度が低ければこうした工程は3か月ほどで完了しますが、乾燥し過ぎている場合は困難を極めます。アクリル、油彩、漆、水彩、スケッチ、水墨等の他にも、日本で学んだ日本画のスタイルも加え、今後も作品制作に挑戦してまいります。 グンジャン·ヴァルマ インド大使館HPはこちらから 関連記事: 「日本美術を学ぶこと、その精神を理解すること」

日本美術を学ぶこと、その精神を理解すること

日本美術を学ぶこと、その精神を理解すること

外交官の家族は、転勤に伴って各国の文化、芸術に触れる機会に恵まれることがある。この度は、日本画を学ぶ大使夫人たちの様子を取材した。虚心会主宰の日本画クラスは、各国大使夫人に日本画を教える機会として長い歴史を持つ。指導に当たるのは、日本画家で数々の個展を開催した故・太田湘香の跡を継いだ四代目 太田慧香さん。 アイスランド大使館の一室に集まった夫人たちは、誰もが真剣に絵筆を走らせている。作品の題材は、本家である中国では既に廃れてしまい、日本でのみ残存する花鳥画だ。 関連記事: ジャマイカ・ブルーマウンテン・コーヒーの日 エクアドルのマリア・アンパロ・バルベリス夫人は根津美術館の銘品、尾形光琳の『燕子花図』、ハンガリーのシャーロット・ハン・パラノビチ夫人は、永平寺傘松閣の天井壁画から阿出川真水(あでかわしんすい)の『紫陽花に燕』を模写し、アイスランドのハルドラ・マウルフリズル・ヘルマンスドッティル夫人は外海烟巌(白井烟巖)の『紅葉』を、桐の茶箱に写していた。 夫人たちにとっては初めての日本画体験であるが、英語で進められる太田慧香の丁寧な指導の下、和筆と岩絵具を使い、和紙や絹地に描いていく。時に自由奔放に、時に琳派のたらし込みなどの日本独自の技法を巧みに使い、それぞれの見てきた世界を反映しつつ表現されていく。 このクラスに参加し、自ら日本画を描くことで体得した「なにか」をもって、山種美術館、根津美術館などを訪れ、有名画家の作品に触れることがとても大きな楽しみになったと語る大使夫人たち。「このクラスに来ることは一種の瞑想体験」と語る。そんな充実のひと時と、本当の日本文化への理解がここに存在していた。 太田湘香作品集 虚心会画廊HPより: SHOKO OHTA WORKS 関連記事: 日印文化パフォーマンスの一日開催