Author: Hersey Shiga

Editorial Team
  • スペインと日本の架け橋となって

    インタビュー:駐日スペイン大使 ホルヘ・トレド・アルビニャーナ閣下 日本とスペインは、強固な友情を育んできたと共に、本質的な価値も共有している。駐日スペイン大使は、日本での外交官としての駐在の意味、キャリアと、大使自身が愛してやまないスペイン·日本という二つの国のより大きな協力と経済発展ついて、詳細な見解を語った。 Q:スペイン駐日大使として、どのような時間を過ごされましたか。 まず、駐日スペイン大使として勤務することは私の夢であり、その夢がかなったと言えます。25年前に日本での最初の駐在を経験しました。東京の駐日スペイン大使館に一等書記官として駐在しておりました。その駐在も忘れられない印象を残しましたが、この度は、本当に夢が実現したと言えます。大使として駐在した期間に築き上げてきた経験と、この素晴らしい国で育んできた友情を今後も大切にしてまいります。 Q:駐日大使としての駐在期間で、最も印象に残った出来事は何でしたか? 今、駐在期間を振り返ってみると、ネガティブな印象としては確かに新型コロナウィルス感染拡大(COVID- 19)でした。ポジティブな面では、今上陛下の即位礼正殿の儀に関わる一連の儀式でしょうか。それは最も記憶に残る出来事の1つだったと思います。スペイン国王フィリペ6世とレティシア王妃がこのために来日いたしましたし、今上陛下の即位の儀式に、国王夫妻と共に私も同行できたことはとても光栄に思っています。これは非常に印象的でした。 もう一つの注目すべきイベントは、2019年に大阪で開催されたG20サミットでした。スペイン首相のペドロ·サンチェスが来日いたしましたので、私も同行し、出席いたしました。もちろん、2021年に開催された東京オリンピックも間違いなく素晴らしかったです。無観客での開催でしたが、幸運にもそのオリンピック開催時に、この日本で大使を務めることができました。スペインオリンピック委員会から特別な認定を受けておりましたので、直接競技を見ることができたこともまた光栄でした。この得難い特権もまた忘れられません。 また、実は25年前に長野で開催された1998年冬季オリンピックは、当時、一等書記官として出席することができました。私は当時のスペイン国王ファン·カルロス一世とソフィア王妃と一緒にこの大会に参加いたしました。つまり、日本での二度の駐在の際に、日本で冬季オリンピックと夏季オリンピックの両方を経験することができたということです。これは本当に幸運でした。 概して、日本では素晴らしい思い出を作ることができたと思います。私はこの国、人々、そして文化を心から愛しています。日本と日本がもたらしたこうした経験は、思い出としていつも私の心の中に生きています。 Q:駐日スペイン大使に就任なさる前は、欧州連合の国務長官として勤務していらっしゃいました。これは非常に重要な立場ですが、ヨーロッパを代表する責任を感じることはおありでしたか? はい、まさにその通りです。セネガルでも大使として3年間の任務を経験しておりますが、それ以外では、私の外交官としてのキャリアは、アジアと欧州連合の二つが重要です。 私は33年以上に亘って外交の経験を積んでまいりました。その半分以上が欧州連合の問題にかかわることであり、そのことに専念してきています。駐日スペイン大使に就任する前の最後のポストは、副大臣にも例えることができる欧州連合の国務長官でした。多くのEUメンバー国では、このポストは「ヨーロッパの大臣」とも呼ばれています。 それ以前は、首相官邸の欧州担当局長を務めていました。こうした経験からも、私は自分自身をヨーロッパ人であり、ヨーロッパ人と言うだけでなく、西ヨーロッパを統一するヨーロッパ人だと考えています。 私はドイツ生まれで、母はフランスで生まれました。基本的に、私はスペイン人であり、スペインの外交官でもあります。したがって、私は自分自身を西ヨーロッパ統一主義の親ヨーロッパ人だと思っています。 外交について Q:スペインと日本の両国は、互いに何を学ぶことができるのでしょうか? スペインと同様に、日本は非常に古い国であり、両国は人権、法の支配、民主主義などの共通の重要な価値観を共有しています。その結果、スペインと日本はよき友であるだけでなく、非常に良好な関係を維持しています。スペインと日本はこのように価値観を共有しているので、国際舞台でこの価値観の共有を守っていくことができています。 今の日本は世界で最も重要な地域のひとつである極東において、非常に重要な国だと考えています。 特に、スペインは日本を、極東アジアの自由貿易と法の支配、海事と航行の自由、多国間主義の擁護者と見なしています。こういったことは、すべてスペインにとって非常に重要です。それはつまり、インド太平洋と、極東アジアの平和が安定し、さらない繁栄することを望んでいるということと、さらに、日本がこうした考えにおいて、擁護できる主要な国であるということです。 貿易と経済について 日本とスペインの貿易関係でさらに進展してほしい分野についてお話しいただけますか?…

  • 『TEDxNiiza』ホスト、ロバート・ミギネス

     TEDxOgikubo、TEDxNiizaのホストを務めたロバート・ミギネス。パプア・ニューギニア生まれの彼は、オーストラリア人の軍人の父、そして看護師の母を持ち、世界中を旅した後に日本に移住。化粧品に特化した輸出入サポート会社「Knect Japan」を2015年に設立した。 オーストラリアでは建築学を教えていたというミギネス氏が日本での暮らし、そしてTEDxの意義を語る。 ロバート・ミギネス: ◆ Website: KNECT◆ Instagram: https://www.instagram.com/robert.mcguinness Dezeen Architecture: Kengo Kuma ポッドキャスト: ◆ iTunes: https://podcasts.apple.com/jp/podcast/eyes-on-japan/id1578495900?l=en◆ Spotify: https://open.spotify.com/show/39KCbo4fGGGDJrGEvibFd7 関連記事: Steven Haynes – Confidence…

  • ロバート・ホワイティング – Tokyo Junkie

    今回のゲストはジャーナリストのロバート・ホワイティング。ピューリッツァー賞にノミネートされた『You Gotta Have Wa(原題)』や『Tokyo Underworld(原題)』など日本に関する数々の本を執筆。日本在住経験もある彼は日本の新聞のコラムを持っている数少ない西洋人の1人であり、日本文化のエキスパートである。 映画のアイデアが生まれるきっかけとなった日本での経験を振り返る最新作『Tokyo Junkie: 60 Years of Bright Lights and Back Alleys . . . and Baseball(原題)』。ホワイティングが今まで執筆した本の中に登場する映画を通して、彼の人生を語る今作品。世界の人々が日本に対する見解を変える可能性を秘めた本の映画化についても語る。 On Youtube…

  • 駐日イタリア大使によるチャリティー活動 お告げの聖フランシスコ会支援

    2021年年末、10月に着任したジャンルイジ·ベネディッティ駐日イタリア大使は、夫人とミゼリコルディア大阪の会長、フラヴィオ·ゴーリ氏と共に、大田区にある「お告げの聖フランシスコ姉妹会」を訪問した。「お告げの聖フランシスコ姉妹会」には、聖フランシスコ子供寮などのいくつかの施設があり、4歳以上の子供たちが生活を共にしている。  新型コロナウィルス感染拡大が非常に危険な今、社会的弱者にそのしわ寄せが来ていることは否めない。ハーシーシガグローバル株式会社も、この活動を支援している。どうか子供たちがみな幸せで、明るい未来を夢見ることができるようにと願っている。 READ MORE 【独占取材】ジローラモ流「成功のつかみ方」とは イタリア大使館 チャリティバザー

  • 【独占取材】ジローラモ流「成功のつかみ方」とは

    初来日から34年。TVや映画に出演するほか、ファッションモデルとしても活躍し、日本で成功を収めてきたパンツェッタ・ジローラモ。今回ハリウッドリポーター・ジャパンは、そんなジローラモに独占取材! 【THR独占取材】ジローラモ流 「成功のつかみ方」とはインタビューのなかで、「チャンスという特別な電車」に乗り遅れないよう、自分で動き続けることで人生は切り開けると、ロマンティックに語ったジローラモ。ステレオタイプが多いとされる日本エンタメ業界にて、外国人として活動してきた経験から、「外国人なら誰でも成功するという訳ではない。勤勉さが評価される日本で、信頼を勝ち取り、日本式の働き方を学ぶ必要がある。」と、熱弁した。 登録者数2万人を超える自身のYouTubeチャンネル『ジローラモのジローちゃんねる』では、「リアルなストーリー」をリポートできることが楽しいのだとか。芸能界に入った経緯やカメラに向かう事の面白さ、そして「ジローラモ流」チャンスの掴み方を聞いた。進化し続ける男・ジローラモの独占インタビューはこちらから。 YouTubeチャンネル『ジローラモのジローちゃんねる Panzetta Girolamo.』はこちら Instagram: @girolamo.me

  • コンスタンチン·カキュシス駐日ギリシャ大使夫妻の離日

    この度、任期を終え、コンスタンティン・カキュシス駐日ギリシャ大使とイオアナ・ハリクリア・ヤナカル夫人が12月31日に日本を離れ、アテネに帰国した。 離日の前に都内のギリシャ大使公邸で送別会が開かれ、多くの関係者、支援者、友人が集まり、「海の力」と呼ばれた名大使と大使の最良の伴侶として日本とギリシャの友好にも尽くした夫人の離日を惜しんだ。 また、送別会に先立っては、ギリシャ大使夫妻の大きな貢献に感謝して、京都国際観光大使を務める辻星野様から美しい打掛が贈呈された。2021年12月26日には公邸の玄関前で育てていたオリーブの木を鶴岡八幡宮に寄贈した。 READ MORE コンスタンティン・カキュシス駐日ギリシャ大使にインタビュー Stay in touch with the Greek Embassy

  • ラテンアメリカ·カリブ振興協会

    JAPOLAC(ラテンアメリカ·カリブ振興協会)、クリスマス·チャリティーパーティを開催ラテンアメリカとカリブ諸国の架け橋として 一般社団法人日本ラテンアメリカ·カリブ振興協会(以後、JAPOLAC)は、スペイン語のフリーマガジン『Latin-a』を発行している「ひょうごラテンコミュニティ(Hyogo Laten Community)」の福祉活動を支援するため、2021年12月4日に六本木のR2スーパークラブでクリスマスチャリティーパーティーを開催した。 JAPOLACは、文化・教育・商業・観光・その他の分野において、日本とラテンアメリカ、カリブ海の諸国間の交流促進及び拡大を目指す人々により、2020年3月16日に創設された。代表理事は前パナマ大使リッテル·ディアスが務め、名誉会員には前エルサルバドル大使のマルタ・セラヤンディア·シスネロス、墨田区議の井上ノエミら、ラテンアメリカ諸カリブ海諸国きっての日本通が並ぶ。 Nuこのクリスマスパーティーにも、ホンデュラス、エクアドル、キューバ、コスタリカ、ドミニカ、パナマ、ハイチの大使、ペルー、ボリビア、ニカラグアの臨時大使、メキシコの公使ら、日本に駐在する外交官とその夫人をはじめ、国会議員、都会議員など、国際協力に関係する人々が参加した。 冒頭の挨拶で、リッテル·ディアスは、「ご参加の皆様のご理解により、20年以上に亘って日本語教育、その他の福祉活動を通じ、ラテンアメリカとカリブ海諸国出身者が日本社会に溶け込めるようサポートを続けている『ひょうごラテン·コミュニティ』を支援することができます」と心からの感謝の意を表した。世界的な新型コロナウィルスの大流行が続いているにもかかわらず、慈善団体の活動に賛同し、支援のために集まってくださった方々への感謝は尽きることが無い。 JAPOLACと代表理事のリッテル·ディアスによるこのチャリティー·イベントが大成功となったことは喜ばしいことだ。また、JAPOLACが掲げる「日本人とラテンアメリカ·カリブ諸国の人々の生活の質を向上のために、両地域から高い価値のあるアイデア、美徳をもって最良の方法で意見交換を生み出す」というビジョンも素晴らしい。今後の活動、イニシアティブに期待したい。 ラテンアメリカ·カリブ振興協会(JAPOLAC)に関する詳細は以下のサイトから:https://japolac.com/

  • コンスタンティン・カキュシス駐日ギリシャ大使にインタビュー

    この度、帰国を控えたコンスタンティン・カキュシス駐日ギリシャ大使にインタビューする機会を得た。日本とギリシャ両国間で「海の力」として称えられた外交官·大使として、その手腕、滞在中のハイライトとも言える業績についても述べている。 新型コロナウィルス感染の世界的大流行の中で開催された東京オリンピックへの尊敬と協力、その教訓についても大使は語っている。今まで、今後のギリシャと日本の間のより大きな協力と発展の機会についての見解は非常に興味深い。名大使のインタビューらしく、深い洞察に満ちた内容となった。 Q:日本滞在中を振り返ってみて、どのようにお考えでしょうか。 振り返ってみると「変化の時代に生きて」という古代中国の「呪い」に似た言葉しか思い出せません。私たちは日本には3年と数ヶ月滞在しましたが、新型コロナウィルス感染拡大を含むいくつかの困難な時期に直面しなければなりませんでした。また、新天皇の即位、無観客となった象徴的なオリンピックなど、非常に重要かつ歴史的な出来事を幾つも自らの目で見ることもできました。 日本は困難をものともせずに、東京オリンピック2020の開催を成功させました。それを理解することは重要です。日本以外の他の国ではできなかったと思います。それは褒め言葉ではなく、事実です。 日本人の献身はまさに前例がない程でしたが、それは、危険を伴うにもかかわらず、東京オリンピック2020開催という仕事をやり遂げるためには必要なことでした。また、ギリシャのテレビでは、「日本は島国であり、島として外部から入ってくる微生物や細菌などにはるかに敏感だ」とコメントしています。それからもわかるように、日本への危険はどの大陸の国よりも大きかったはずです。リスクがないわけではありませんでしたが、政府は深く考慮し、非常に勇気ある決断を下したと思います。 当初、誰もが東京オリンピック2020の開催に反対していました。しかし、開催決定という決断が下されましたが、その瞬間にも誰もが後ろ向きでした。これは私にとって非常に重要なことでもありました。 Q:通常とは全く違った東京オリンピック2020でしたが、大使はどのように体験しましたか。 近代オリンピックと古代のオリンピックには、いくつかの根本的な違いがあります。それらを並べてみるとすれば、古代オリンピックとは参加自体が神々への犠牲であったということを覚えておく必要があります。これが意味することは、動物の犠牲、寄付、神への献酒に加え、すべての参加者は、その努力を神々に捧げるということです。 現代のオリンピックはそれとはまったく異なります。もちろん、これは現代社会によって定義されているためであり、オリンピックの重要性を損なうものではありません。 現代社会では、神々への犠牲を提供することはありません。ですが、競技に挑む者は競うことで他の競技者への贈り物(犠牲)として自分自身を提供し、それによってお互いが成長し、より良くなることを助けていくということになります。これが現代の社会のすべてです。私たちは協同組合ですが、同時に対立するのではなくても社会に敵対もしています。つまり、現代のオリンピックが実践しようとしていることは、他の人々にも機会を与えることです。その手によって自分自身を試し、自らがより良くなるか、他者をより良くするということにほかなりません。 犠牲は一種の相互の犠牲ともいえます。それは日本の武道でも提示されているものです。たとえば柔道の鍛錬の際、相手は一方の訓練のために、片方の存在を提示することになります。つまり双方共にパートナーを尊重しなければなりません。 その意味で、現代のオリンピックは、他の選手と一緒に走ることでベストを達成し、それらの選手をさらに上のレベルに引き上げることを助ける機会を提供しています。 それが犠牲と言えるでしょう。それは常に私にとっては平行線を描くということでしょう。 東京オリンピックについて 東京オリンピックの主な際立った特徴としては、無観客であったということでしょう。古代と現代、両方のオリンピックにとって観客は重要でした。しかし、この東京オリンピックでは、観客として競技を現場で見る人は物理的に存在していませんでした。 聴衆は各地域に広がっていましたが、実際の会場には人はおらず、空間だけでした。応援もありませんでした。唯一の応援は競技者からであり、これは非常に興味深いものでした。オリンピックチームが会場を埋め、みんなを応援してくれました。 東京オリンピック2020は、通常のオリンピックとは極めて異なっていましたが、それだからと言って今回のオリンピックの競技の特徴が特に違っていたということではないでしょう。 Q:オリンピック以外に、日本からどんなことを持って帰国なさるのでしょうか。 残念ながら、少なくとも1年半は新型コロナウィルス感染拡大のために、ややイライラすることになりました。妻と私はとても強い主義主張を持っておりましたし、更にはギリシャからの非常に重要なミッションも受けていたので、いろんなことを開始していました。2018年に駐日大使に就任した際、当時の外務大臣であるニコス・コジアス氏と日本のカウンターパートナーである当時の外務大臣、河野太郎氏との間で会談がありました。その際に、当時の「両国間の、素晴らしいのではあるけれどやや遠い関係」を再活性化しようということが話し合われました。そうした背景があり、妻と私はより良い関係を再活性化するために取り組みを始めていました。 2019年の初めには外務大臣のヨルゴス・カトゥルガロス氏が日本を訪問しました。その後、2020年初頭に経済研究開発、エネルギー等の分野での協力のあり方を模索するため、副大臣レベルの閣僚グループも訪問しています。日本には、その他にも副大臣2名と外務大臣のコスタス·フランゴヤニスが訪問しています。 こうした訪問実績があったことは、新型コロナウィルス感染拡大の前に、どれだけの努力が払われたかを示しています。その後はすべての会議が延期、キャンセル、またはオンラインで開催となってしまい、実際には役に立ちませんでした。…

  • エルフ・モノド・オノラ ハイチ大使インタビュー

    ハイチ共和国特命全権大使のエルフ・モノド・オノラ氏から大使になるまでのキャリア、日本とハイチの関係と見解、世界が愛する活気に満ちたハイチの文化についてお話しいただく機会を得た。 議論は両国間の貿易関係から、大使執務室に並ぶラム酒のボトルにまで及んだ。 両国間の今後の関係性に対するオノラ大使のビジョンは、交友関係だけでなく経済発展への大きな可能性を含んでおり、希望にみちた明るい未来への道しるべとなるものである。 パートI〜キャリア〜 日本に来たきっかけを教えてください。 重要な質問ですね。私は、幼い頃から自分が住む世界とは全く違った新しい文化を発見するために世界を旅することを夢見ていました。 日本への憧れは、私が子供だった1990年代に遡ります。当時、父が自宅にビデオデッキを持っていたことを覚えています。 日本製でサンヨーが作ったビデオデッキでした。父に、このビデオデッキはどこから来たのか聞いてみると、「日本からだ」と言われました。その時に、いつかこの国、日本に行きたいと思いました。 2020年10月7日に信任状を天皇陛下に捧呈し、駐日特命全権大使となりましたが、実は日本との関係はもっと前に遡ります。ハイチの大学で経済学と統計学の学士号、マルティニークのアンティル・ギアン大学法経済学部で経済政策の修士号を取得した後、2008年に神戸大学大学院博士課程に入学したところから私の日本との関りがさらに深まりました。 神戸大学で経済学を習得した後、ハイチ共和国の外務省に採用され、駐日ハイチ大使館で一等書記官として働き始めました。ハイチの外務省には日本の専門家がいなかったので、日本で生活経験のある私に白羽の矢が立ったのでしょう。 より専門性を高めたかった私は、2016年からカナダにあるトロント大学の公共政策ガバナンス学部(SPPG)に入学し修士号を取得しました。2017年には、故ジョブネル・モイーズ大統領の経済顧問に就任しました。その後、2019年5月に大臣兼カウンセラーとして日本に戻り、2020年6月に臨時代理大使、2020年10月に特命全権大使に任命されました。 振り返れば、カリブ海にあるフランス海外県・マルティニーク島で学び始めた時、初めてハイチ以外の国を知った私の心に母国に貢献したいという思いが強く芽生えたような気がします。 母国への貢献という志を胸に抱きながら、日本を選んだのには、2つの理由があります。1つ目はその学問的資質と卓越した豊かな文化、そして、2つ目は私が知り得ない異なる冒険が目的でした。それ程までに、アジアの一国である日本は私たちにとって非常に未知の地域でした。 パートII〜2国間関係〜 ハイチと日本の関係について、まず近代の歴史から伺えますか。 両国の外交関係は、第二次世界大戦前の1931年に始まりました。これは神戸に最初の領事館を開設したことから始まっています。ですが結果として、ハイチは日本との正式な関係を維持できませんでした。しかし、戦後の1956年、東京に大使館が開設され、両国の正式な関係が再開されました。ハイチは日本に大使館がある数少ないカリブ海諸国の1つです。 ハイチが現在直面している課題、日本政府とハイチ政府の協力の経緯を教えてください。 ハイチは日本から多くのことを学んでいます。特に、戦争や災害から復興する日本の底力でしょうか。 私がまだ日本で学生だった2010年、大地震がハイチを襲いました。地震によってハイチは壊滅状態となり、20万人以上の死者を出しました。この地震という自然災害によって多くの友達も失いました。 その1年余り後、さらに大きな地震が日本を襲いました。しかし、日本はこの「東日本大震災」という打撃に耐えることができ、復興の途上にありました。しかしハイチには、同じことは言えませんでした。 約1年の差はあっても両国が大地震に襲われたのは、共にいくつかの構造プレートの境界に位置しているという立地に原因があります。その地理的な条件は、両国が、このような大きな自然災害が起きるリスクを抱えていることを示しています。しかし、このような自然災害が発生した後、ハイチが国土を再建し、復興を遂げるには、日本の復興する力から学ぶ方法を見つける必要があります。現実には日本は耐震技術を備えた主要な国の1つです。 まずは地震の管理方法を学ぶ必要があります。今年8月にも大きな地震がありましたが、その後に日本政府は、国際協力機構(JICA)を通じて多大な支援を提供して下さいました。さらにはハイチの一部の再建を助けるための資料も提供してくれました。しかし、私たちに出来る事はまだまだあると思います。…

  • 『ARTS for the future』ウィズコロナの挑戦

    11月30日、NPOちきゅう市民クラブ及びK&Associates Internationalの主催で、『イリーナ・ペレン、マラト・シェミウノフと共演する「日露芸術美の饗宴」バレエガラ – コロナ禍における積極的な挑戦 – 』が開催されました。コロナ禍での入国制限の中、日本の文化庁を初め、4省庁及び在サンクトペテルブルグ日本総領事館の協力で、来日が実現しました。 この公演は、日露両政府がどんな時でも芸術文化で交流しようと始まった、ロシア文化フェスティバルの公式プログラムであり、かつ、文化庁の『ARTS for the future』の採択事業。コロナ禍で海外から招聘するのが困難な中、ホログラムという新しい技術を使って、バーチャルとリアルの共演という新演出が斬新でした。 ロシアバレエ界のプリンシパル、イリーナ・ペレンとマラト・シェミウノフは、2014年より両主催者と共に数々の日露交流教育事業を行い、これまで参加した日本の若手ダンサーは、プロとなり世界中で活躍しています。 2年ぶりの来日となったこの公演でも、多くの若手プロダンサーが参加した。また、『東京2020文化プログラム』の一環として、文化庁日本遺産大使を務める能楽師の大倉正之助氏(重要無形文化財総合指定保持者)が共演しました。 交流が希薄となってしまったこのご時世に、お客様との絆を築き、心の交流になればと、出演者のサインとメッセージを書いた紙飛行機が飛ばされたり、会場の全員との記念集合写真など、心に届く配慮が各所で感じられる公演でした。 全員参加の大迫力のグランドフィナーレは圧巻。 2021年12月24日〜2022年1月18日まで、インターネットで有料配信されます、会場に足を運べなかった方は、この機会に是非ご視聴されてはいかがでしょうか。配信期間中、お好きなタイミングでログイン後13日間ご視聴いただけます。 配信チケットの購入は、こちらから(カンフェティ HP)  主催:NPOちきゅう市民クラブ、K&Associates International企画・プロデュース:川島佳子構成・演出:イリーナ・ペレン、マラト・シェミウノフ、川島佳子ホログラムディレクション:上田聡(Fusion Wall)レインボウ スワン レイク、葦笛 指導:鎌田真帆 (M BALLET- school of…

  • チュニジア大使公邸にてコンサート

    チュニジア大使ご夫妻による若い日本の音楽家を支援するためのコンサートが開催された。 新型コロナウイルスの影響により、数々のコンサートが中止になり、音楽家の活動は制限された。今現在、感染拡大が少しの落ち着きを見せる中、若く才能溢れる音楽家に活動の機会を与え、音楽の楽しみを、ジャンルを問わない多くの方々と分かち合おうと、モハメッド・エルーミ駐日チュニジア特命全権大使そしてフダ夫人の意向により企画された。 藝大大学院に在学中で、将来を嘱望された二人の演奏家、栗林衣李(バイオリン)と大塚菜々子(ピアノ)が珠玉の名曲の数々を演奏した。その中でも特に話題となり、観客の心をとらえたのは、チュニジアの有名な歌「Under the Jasmine Tree at Night(夜のジャスミンの木の下で)」であった。これはフダ夫人のリクエストにより、今回のコンサートのためにバイオリンとピアノの為に編曲された。誰もがこの美しいメロディーに魅了されていた。 チュニジアは、日本とも長きに渡り友好な関係を持つ国だ。国土は美しい自然に恵まれ、モザイクタイルで飾られた都市は美しく荘厳であり、食事もおいしい。映画「スターウォーズ」の撮影はこの地で行われ、世界的にも有名な観光立国でもある。また、発展の目覚ましいアフリカ諸国の先頭を切っており、2022年にはTICAD8(第8回アフリカ開発会議)のホスト国にも選ばれている。 驚くことではないが、各国駐日大使館は、チャリティー及び文化活動を行っている。中でもチュニジア大使館は、人と人との交流、芸術支援、文化交流活動に熱心な大使館の一つである。エル―ミ大使とフダ夫人は、今回の公邸でのコンサートのような若い音楽家への支援に加え、横浜市の小中学校で講演を行うなど、多くの心温まる交流の機会を設け、日本の人々にチュニジアの魅力を伝えている。また、日本で彼らを必要としている人々へのサポートにも余念がない。 大使と大使夫人には、チュニジアと日本の為に、引き続きご活動いただきたいと願う。 プログラム 演奏:栗林衣李 バイオリン、大塚菜々子 ピアノ エルガー:愛の挨拶 モンティー:チャルダッシュ パガニーニ:カンタービレ チュニジアの音楽:ジャスミンの木の下で クライスラー:ウィーン風小行進曲 ブラームス:F.A.E.ソナタより 第三楽章 スケルツォ For more information…