Sweden Jazz Week 2023 Coming Soon
Eleven of Sweden’s best jazz musicians are coming to Japan. “Sweden Jazz Week” will be held where you can listen to the…
Eleven of Sweden’s best jazz musicians are coming to Japan. “Sweden Jazz Week” will be held where you can listen to the…
2023年2月22日に、駐日エストニア大使館は105回目となる独立記念日(2月24日)を祝うレセプションを明治記念館で開催した。エストニアは世界最先端のデジタル国家としても知られ、世界中で使われている「skype」発祥の国でもある。そうした国家の取り組みを反映し、日本の現・デジタル大臣である河野太郎氏、日本エストニア友好議員連盟の平井卓也氏(初代デジタル大臣)も列席した。 今年度の独立記念日レセプションでは、ヴァイノ・レイナルト駐日エストニア大使が心を込めて母国の独立記念日を祝い、2020東京オリンピック開催時に、ホストタウンとしてエストニア選手団を受け入れた、姉妹都市である長野県の佐久市エストニア親善協会へも心からの感謝を表し、エストニア外務大臣から感謝状を授与した。 また、ロシアのウクライナ侵攻1年目にも当たるこの日に、レイナルト大使はロシアの行いを強く非難し、ウクライナの主権、領土の保全のために支援を続けることを表明した。 このメッセージには、エストニアと日本が築いてきた良好な関係を祝福すると同時に、かつて同じ思いをしてきたエストニア国民としての怒り、願い、そして平和への願いも込められている。駐日エストニア大使館の協力の下、全文を掲載するので是非とも読んでいただきたい。 【関連記事】
On February 22, 2023, the Estonian Embassy in Japan held its 105th Independence Day (February 24th) Reception at the Meiji Kinenkan. Estonia,…
世界のバレエダンサーの登竜門として名高いローザンヌ・バレエ・コンクールは1973年に初開催され、今年で50周年を迎えた。その間、世界に通じるバレエダンサーを多く世の中に送り出しており、日本からも約70名に上る若手バレエダンサーが受賞している。 現在では世界的に有名なバレエコンクールとなったローザンヌ・バレエ・コンクールだが、このコンクールは機械式時計に欠かせない小型の衝撃吸収部品「インカブロック」と小型電気モーターを製造する企業のオーナー、フィリップ・ブランシュワイグと妻でバレエダンサーのエルヴィ・クレミスのアイディアから生まれた。 二人は20世紀バレエ団を率いたモーリス・ベジャール、ロゼラ・ハイタワーら長年親交があり、その興行なども行っていた。そうした中、舞台芸術としての舞踏の分野では、オペラ歌手などの舞台芸術家から比べて経済的に恵まれていないことに着目する。その解決への案をベジャールらに相談したことから、若手ダンサーに世界的に知名度のあるバレエ学校で学ぶ権利を授与するコンクールをローザンヌで創設することとなった。こうしたポリシーによって設立されたバレエ・コンクールであるため、ローザンヌ・バレエ・コンクールには基本的に順位は設けられていない。 第1回のコンクールは1973年1月19〜21日にローザンヌ市立劇場で実施され、第3回(1975年)からはローザンヌのボーリュ劇場での開催となった。国際的な知名度を得るため、ニューヨーク、東京、モスクワでもこのコンクールは開催された。第49回は新型コロナウィルス感染拡大による渡航制限があり、この回だけは参加者が事前に映像を提出し、現地で審査員が審査するという方法がとられた。 開始当初はクラシック・バレエのためのコンクールであったが、時代の変化に伴って1999年からはコンテンポラリー・ヴァリエーションが審査に導入された。2006年には選考方法に大きな変更があり、DVD審査が取り入れられ、第2フェーズだけが現地で行われるようになった。また、出場者の健康管理には厳しく基準が設けられて、健康状態、食生活についての問診票など身体の健康に関する資料の提出も義務となっている。 ローザンヌ・バレエ・コンクール50周年を記念して、多くのバレエ公演を手掛けてきた文化村ではそのギャラリーを使って写真展覧会も開催された。また、記念すべき50回目のコンクールには日本からは4名がファイナルに進出し、15歳の宮崎圭介がスカラシッププライズを受賞している。スカラシッププライズ入賞者には、世界の著名バレエ・スクールへ1年間無償で留学する権利と、その間の生活援助金として16,000スイス・フランが与えられる。 実は日本はバレエ大国として名高いという。それはまずバレエ教室が多いことと、子供達の習い事としてバレエが定着していることも一因だ。ロシア、ヨーロッパにあるような素質、容貌、体形、親の体形などから向き不向きを判断されるようなことはなく、誰もでも気軽にバレエを習うことができる。そうした状況から、日本のバレエ人口はとても多く、思わぬところから逸材が出てくるということもあるという。今、バレエは最も好まれている舞台芸術になっている。 若いダンサーを支援し、学ぶ機会を与えるという考えは本当に素晴らしい。これからもローザンヌ・バレエ・コンクールの継続、発展を祈りたい。 【関連記事】
The Lausanne Ballet Competition, famous as a gateway to success for ballet dancers around the world, was first held in 1973 and…
活発にチャリティー活動を行っているマリア・ファティマ・シャビエル夫人とアフリカ諸国の大使夫人により、3月18日(土曜日)にチャリティーバザーが開催される。 このバザーでは、アフリカ諸国、各慈善団体によるブースが設けられ、アフリカの物産、各地の名産、食品などが販売される。各国のブースでは日本ではなかなか手に入らないもの、良質の香辛料なども多く出品され、各慈善団体のブースからは掘り出し物も多いという。 各国の大使夫人自らが手掛ける本格的バザーであり、また、木彫りの彫刻、アフリカの絵画などが多く展示されているアンゴラ大使館内部を見るにも良い機会だ。 また、このバザーからの収益金は、トルコ地震の被災者、ウクライナから避難してきた人々の支援に使われる。 詳細は以下の通り: アフリカチャリティーバザー 主催:駐日アンゴラ大使館、アンゴラ大使夫人およびアフリカ大使夫人会 日時:2023年3月18日午前10時半から午後3時まで 場所:駐日アンゴラ大使館 (世田谷区代沢2-10-24) 井の頭線 池ノ上駅下車 南口 徒歩4分 小田急線 下北沢駅下車 中央口 徒歩12分 入場料:1000円 入場券購入のお問合せは:アンゴラ共和国大使館まで 電話:03-5430-7879 (伊東、園田) 【関連記事】 アンゴラ大使インタビュー アンゴラ大使館 〜白田道成と素敵な仲間たち〜 チャリティーコンサート開催
A charity bazaar will be held on March 18 (Saturday) by Mrs. Maria de Fatima Xavier, an active charity worker, and the…
日本が世界に誇る文化遺産といえば、まず一番に思い浮かぶのは奈良県にある法隆寺だ。その魅力を日本国内だけでなく、海外にも発信しようと内覧会が開催された。この内覧会では、日本に長く滞在し、日本の美術に造詣が深いジャーナリストのアリス・ゴーデンカーが解説を行った。 現存する世界最古の木造建造物である法隆寺は、7世紀初頭に用明天皇の皇子であった聖徳太子により、建立された。創建された当時は斑鳩寺(いかるがでら)と称したが、法隆寺とも呼ばれる。 1878年に法隆寺に伝来した宝物300件余は皇室に献納され、その収蔵・展示を目的として、1964年に東京国立博物館に法隆寺宝物館が開館、1999年に建て替えを行い、現在に至っている。 法隆寺宝物館では、現在デジタル技術を駆使し、法隆寺ゆかりの名宝をデジタルコンテンツで鑑賞することができる。また、宝物を同じくデジタル技術によって複製し、作られた当時の姿のままに鑑賞することもできる。 現在公開されているのは国宝「聖徳太子絵伝」をテーマとしたコンテンツだ。「聖徳太子絵伝」は1069年絵師・秦致貞(はたのちてい)の手により制作された障子絵で、現存する最古の聖徳太子絵伝とされる。全部で10面からなる大作であり、その画面には聖徳太子の生涯に起きた50以上の逸話、実績、事象等が描かれている。原品の「聖徳太子絵伝」は描かれた当初からは非常に長い年月が経っており、画面のいたみがひどかった。しかし、現代のデジタルコンテンツ〈8Kで文化財 国宝「聖徳太子絵伝」〉によって高精細画像を大型8Kモニターに映し出し、描かれた細部までじっくり鑑賞することができる。 聖徳太子にまつわる逸話は現代にも伝わっており、日本人の多くが知る。その中でも特に知られているのは豊聡耳(とよとみみ、とよさとみみ)と呼ばれた伝説ではないか。ここでは11歳の聖徳太子が、36人の子供の話を聞き漏らさなかったという逸話が描かれた部分も明確に見ることができる。 鑑賞者はこの「聖徳太子絵伝」の見たい部分を大きく拡大してみることもできる。いくつもの伝説に彩られた天才「聖徳太子」の表情まで詳しく見つめることもできる。まるで聖徳太子の生きた時代を手に取るような体験だ。 法隆寺宝物館は、伎楽の面も多く所蔵している。伎楽は飛鳥時代に大陸からの帰化人が伝え、楽器の演奏とともに舞を行ったとされるが比較的早くにすたれてしまったという。法隆寺の伎楽面には飛鳥時代に作られた面が含まれているが、それらの面には大陸との交流を物語るように、ペルシャ人の面影を残すものもある。 年月を経てダメージを受けた面のうち2面は、現代の先端技術も用いつつ、厳密な考証を踏まえて復元模造が制作され、制作当時の色も復元されている。その復元には、海外の美術館博物館に残る資料から得られた情報も反映されている。2019年に伎楽面「呉女」と「迦楼羅」を復元したが、「迦楼羅」の冠、とさかの部分の復元はドイツに残る資料から行われたという。 また、伎楽装束「裳(も)」と「袍(ほう)」も復元模造されている。これは当時の優美なデザイン、鮮やかな色を現代に楽しむことができ、とても楽しい。 東京国立博物館は日本の文化、歴史を紐解き、垣間見るには最も重要な文化施設だ。訪れる際は是非とも多くの時間を費やし、デジタル法隆寺宝物館にも立ち寄り、現代の技術によって復元された飛鳥時代の日本を味わってほしい。 東京国立博物館公式HP内「デジタル法隆寺宝物館」ページはこちらから
Tokyo National Museum, The Digital Gallery of Horyuji Treasures. Cutting-edge technology provides a new view on Japan’s antiquities When it comes to…
このインタビューで、パラノビチ・ノルバート大使は母国ハンガリーの文化、芸術、科学、経済の発展とハンガリーの素晴らしいツーリズムに関わる温泉およびおいしいと評判のハンガリー料理について語り、さらに日本との経済的な相互関係と密接かつ強固な関係についても言及している。 質問:大使に就任なさった経緯とご経歴をお話しいただけますか。 大阪の関西外国語大学の新プログラムに参加するため、奨学金を得て初の交換留学生として2002年に初めて日本にやってきました。なぜ日本に来たかと言うと、日本文化というレンズを通してアジアに親しむことに興味があったからです。それが主な目的でしたが、 日本に関連した分野については、専門知識などはないという状態でした。まず交換留学生になれたという強みもありましたので、一般的な興味、好奇心だけをもって日本にやってきたわけです。 2004年には改めて奨学金を得て留学生として名古屋に来ることができました。そこで学び、後に博士号を取得しました。 今迄の私のキャリアにおいて、大阪、名古屋、東京で暮してきました。各地で交換留学生として学び、ジャーナリストとして働き、さらに企業で働くという経験をし、ハンガリーの代表的な企業の代表も務めていました。そうした経験からも、さまざまな角度から日本社会の多彩な側面を見て、経験することができました。 2016年からは大使としてハンガリーの代表を務めています。 これらの経験は色々な門戸を開くことを可能にしてきました。こうした経験があって私は日本の文化や地理の分野でも、あまり知られていない側面の理解を深めることもできました。 もし東京からこの人生の旅とキャリアを始めていたら、同じような経験はできなかったと思います。 東京はとても素晴らしく快適な都市ですが、それに慣れ過ぎていると冒険を避けるようになってきますね。 質問:カリコ·カタリン博士(新型コロナウィルスに対するワクチンの開発者)に代表されるような、ハンガリー人による文化的な面での重要な貢献をご紹介いただけますか? ハンガリーは人口1000万人未満ですが、 ハンガリー人を自称する人を含めると、その数は世界全体で約 1,500 万人にのぼります。 このように人口が比較的少ないにもかかわらず、ハンガリー人は多くの重要な文化的および科学的な分野で貢献をしてきたと言えます。 ハンガリー出身のノーベル賞受賞者は13 人に上ることもあり、その人々の業績を含む学術的な業績、さらにはクラシック音楽と現代音楽両方での貢献はとても大きなものです。これはハンガリーが小さい国であり、人口も少ないということを考えれば、間違いなく果たしてきた貢献の度合いは高いと言えます。 ハンガリーは多くの点で豊かな人的資源に恵まれており、その意味では大国だと思います。カリコ·カタリン博士については ハンガリー人は非常に誇りに思っています。女性であり、科学者でもあります。また、新型コロナウィルス感染のためのメッセンジャーRNAワクチンの開発において、その発明は大きなニュースにもなりました。 ハンガリー大使館の大使執務室の机の上には、ハンガリーを代表するもう 1…
In this interview, the Ambassador of Hungary, Dr. Norbert Palanovics, discusses some of the cultural, artistic, scientific and economic achievements of his…
香川県にはスペイン名誉領事館(名誉領事:松田清宏)、香川日西協会もあることから、スペインとの交流が大変活発であり、駐日スペイン大使館の支援によるイベント、セミナーなども開催されている。 今回は、世界遺産にも登録されている「スペインサンティアゴ巡礼の道」で撮影された画像を展示する。この展覧会では、鑑賞者は四国遍路のようにスペイン北部を祈るように巡る気持ちになることができるだろう。特別セミナーには、サンティアゴ巡礼の道を何度も巡っている写真家の問屋正勝が登壇。 スペイン北西部に位置するサンティアゴ・デ・コンポステーラの大聖堂に繋がる「サンティアゴ巡礼の道」と日本の四国4県にまたがる「四国遍路」は2015年9月1日にサンティアゴ・デ・コンポステーラ市で協力協定を締結。両巡礼の道には共通することが多い。 サンティアゴ巡礼の道 サンティアゴ・デ・コンポステーラの町の歴史は、9世紀にキリストの12使徒のひとり、聖ヤコブの墓が発見された頃に始まる。聖ヤコブはスペイン語で「サンティアゴ」。やがて、現在の大聖堂の原型となる教会が建てられて、町が形成された。11世紀になると、「イエスや聖人にまつわる遺品である聖遺物には奇跡を起こす力がある。サンティアゴ・デ・コンポステーラに詣でれば、罪が許される。」と信じられ、ヨーロッパ中から巡礼者が訪れた。 四国遍路 古来、四国は国の中心地から遠く離れた地であり、様々な修行の場が存在した。弘法大師・空海は讃岐(現在の香川県)で誕生し、たびたびこの地で修業し、八十八ヶ所の寺院などを選び四国八十八ヶ所霊場を開創。八十八ヶ所霊場を巡礼することが遍路となった。当初の遍路は、修行僧などが中心であったが、弘法大師信仰の高まりと共に、日本全国から多くの人が遍路したと言われる。弘法大師ゆかりの地として、誰しもが一度は訪れたい霊場として発展。 スペイン·サンティアゴ巡礼の道展 開催日時 場所 丸亀町レッツホール 香川県高松市丸亀町1番地1 高松丸亀町壱番街東館4階
Sponsored by the Embassy of Spain in Japan and NPO Pilgrimage and Omotenashi Network, Spain Santiago Pilgrimage Road Exhibition will be held….
この度、在日エルサルバドル大使館は、エルサルバドルが世界に紹介したい3つの要素、コーヒー、テクノロジー、アートを組み合わせたユニークなイベント「Connecting the future: Coffee & NFT」を開催した。 このイベントに参加することにより、エルサルバドルのアイデンティティとも言える要素を体験することができた。特に展示された絵画に描かれていたテーマのように、人々と触れ合い、豊かなコーヒー文化に触れることもできた。 開会に当たり、ディエゴ・アレハンドロ・ダルトン駐日エルサルバドル大使は、日本のコーヒー、NTFなどのビジネスの関係者に向けて感謝を述べた。また、このイベントの作品展示に協力した 「アート·ドリーマー」のCEO 兼バリスタで、表参道でこだわりのコーヒーショップ、「KOFFEE MAMEYA」を展開する國友栄一およびアーティストのクリストファー·グレングレンを紹介した。 終始、NFTなどに関する議論、コーヒーの試飲、歴史と文化を感じさせる魅力的なアートと活気に満ちたイベントであった。 エルサルバドルについて: 良質なコーヒーの産地として世界に認められているエルサルバドルは、日本のスペシャルティコーヒー市場でもトップシェアを誇っている。 大量生産ではなく、丁寧に作られてきたコーヒーはとてもおいしく、人気を集めていることが評価されている。 エルサルバドルは、2021 年 9 月に世界で初めてビットコインを法定通貨として導入した。現在はエルサルバドルでは米ドルとビットコインの3つが流通しているが、政府は公式のビットコイン·ウォレット (ビットコインを保管する電子ウォレット) を設け、国民の移行を推進している。 そうした背景には以下の様な理由がある;…
The Embassy of El Salvador in Japan held a unique event, “Connecting the future: Coffee & NFT,” to promote and combine three…
ベルギーは美しい国土と文化遺産に恵まれ、ビール、チョコレート、ワッフルなどの明るいイメージもある、日本人が最も訪れてみたい国の一つだ。また、ヨーロッパを代表する音楽大国でもある。大作曲家として名高いウジェーヌ・イザイ、セザール・フランクを生み出し、モネ劇場という美しいオペラハウスも有する。エリザベート王妃国際コンクールは優秀な音楽家の登竜門として名高く、チャイコフスキー国際コンクール、ショパン国際コンクールと並ぶ世界3大音楽コンクールの一つだ。日本からも多くの若い演奏家がこの最難関と言えるコンクールに挑み、バイオリニストの堀米ゆず子を始め、多くの演奏家が優勝、入選を果たしている。 その音楽大国ベルギーの駐日大使館でロクサンヌ・ドゥ=ビルデルリング大使とステファン・レーム氏夫妻がピアニストのフィリップ・ラスキンを招き、コンサートを開催した。きっかけは大使夫妻がケニアに滞在中にこのピアニストと出会ったことであったという。ラスキンはブリュッセル王立音楽院でピアノ、室内楽、作曲を学び、多くのコンクールで上位入賞を果たしている。現在はウィーン国立音楽アカデミーで教鞭をとりながら、国際的な活躍をしている。 上記のような経歴を読み、きっと正統派のピアノコンサートであろうと想定していたが、その予想は大きく外れた。この日、ラスキンが演奏したプログラムは、ドメニコ・スカルラッティからブラームスラフマニノフはプロコフィエフ、さらにはジャズ、自作の曲まで「メランコリア」をテーマに旅する形で展開された、非常にバラエティ豊かな内容であった。 最初のスカルラッティによる曲ではあ、ラスキンはまるで鐘のように、ピアノは打楽器と言いたげに弾き、ブラームスではではこの作曲家が望んだような寛大な音で演奏した。ラフマニノフではロマン派の作曲家の曲らしいロマンチックな色合いを見せた。また、チック・コリアへのオマージュとして選んだ曲では目の覚めるような超絶技巧でジャズを演奏している。 祖父母がウクライナとロシア出身というバックを持つラスキンは、この度のロシアによるウクライナへの武力による侵攻にも心を痛めている。その思いを込めて自ら作曲した曲は、ウクライナの歴史と土地、現在の姿を思い起こさせた。曲の冒頭には水が流れるようなフレーズが現れ、それはシュヴァルツヴァルト(黒い森)に端を発し、黒海に繋がるドナウ川を思わせる。続いて現れた荒々しいフレーズは武力によって破壊されていくウクライナの街、人々の生活と歴史そのものだ。彼のピアノはとても雄弁であり、人々を説得させる力に満ちている。 プログラムの最後に選ばれたのは、ジャズの即興曲であった。その自由自在な発想と演奏は素晴らしく、音楽にはクラシック、ジャズなどという境界は何もないと改めて感じさせてくれた。 ベルギーはLGBT、SDGsといった今、現代人が取り組まなければならない課題をリードしている国でもある。音楽でもクラシック、ロック、ジャズといった垣根を取り払い、人々のあるがままの感情と心の動きを表現することを学ぶことができるのだろう。 雰囲気もプログラムもとても素敵なコンサートだった。フィリップ・ラスキンの改めての来日とコンサートを楽しみにしたい。 【関連記事】
Belgium is one of the countries most Japanese want to visit, blessed with beautiful land and cultural heritage, and a bright image…
駐日アルジェリア大使館のラルビ・カティ大使とファヒマ夫人は公的な外交に加え、民間を交えた草の根の交流にも大変積極的だ。12月には日本の子供達と日本に滞在しているアフリカの子供達を大使公邸に招待し、日本中近東アフリカ婦人会(通称NCAF、会長:小池那智子)、児童合唱・リトミックの「どんぐりのド」とのコラボによってとても楽しい音楽イベントも開催した。 この度は、昨年度にアルジェリア大使夫妻と共に活動をした日本中近東アフリカ婦人会のメンバーたちがファヒマ夫人のご厚意で大使公邸に招待され、本格的なアルジェリア料理のランチを楽しんだ。 アルジェリア料理と言えばクスクスが思い浮かぶ人も多いだろう。アルジェリア大使館で出されるクスクスは「日本で一番おいしい」という評判を得ている。ここにはアルジェリア料理を本国そのままに作るベテランのシェフもいる。そこで大使にお願いしてシェフにそのレシピを紹介していただいたこともある。 この度はお料理が大好きというファヒマ夫人が選んだメニューとなった。もちろんその極上のクスクスも入っていた。ラムを上品に煮込んだクスクスはアルジェリアを含む北アフリカ、アラブを代表する味だ。さらにこのランチで参加者がそのおいしさに注目したのは、Rechta (リシタゥ)と呼ばれる料理だった。 リシタゥというこの料理の名前はペルシャ語で「糸」を意味するリスタに由来する。日本では知られていないが、アルジェリア料理を象徴する一品だ。本国ではお祭り、婚約、結婚式などのお祝いの際によく提供されるという。 材料は細く平たいパスタ、チキン、ひよこ豆、カブ、ズッキーニで、さらにカブとシナモン風味のチキンが入ったソースをかけていただく。薄めの塩味がおいしく、「これで二杯目!」という声も多く聞かれたほど人気だった。 美味しい物を囲んでの異文化交流ほど楽しいものはない。日本中近東アフリカ婦人会には、夫の転勤などに伴って中近東アフリカに滞在した経験を持つ婦人、その文化に興味を持つ人々などもメンバーになっている。ファヒマ夫人と共通の「お料理の話題」などで盛り上がり、楽しい時間を過ごすことができた。 なお、ファヒマ夫人は得意の料理の腕を活かして、鎌倉でもアルジェリア料理の講習会を開くという。中近東アフリカ婦人会も本場のお料理を学ぶ機会を設けている。その試みは長く続けられており、大使館関係の婦人たちの協力を得て料理集も2冊編集、出版、販売している。直近ではエチオピアコーヒーのセレモニーを学ぶ機会も設けている。 日本中近東アフリカ婦人会は今年10月に久々にホテルで大きなバザーの開催も予定しており、コロナ禍をぬけてますますその活動は面白くなっている。 【関連記事】
In addition to official diplomacy, the Algerian Ambassador to Japan, His Excellency Mr. Larbi Katti, and his wife, Fahima, are very active…
2月14日はバレンタインデー、3月14日はホワイトデー、2月4日の節分には恵方巻を食すなど、日本には食を交えた「おいしい記念日」がある。次にブームが来るのは1月9日の勝ち豆「ジャマイカ・ブルーマウンテン・コーヒーの日」ではないだろうか。 1月は入試直前でもあり、「勝ち」という言葉は受験生の励みにもなる。厳しい受験勉強の合間にも、香り豊かなブルーマウンテンコーヒーを飲んで、「勝ち組」となることを願い、あらたにモチベーションアップにも繋がる。では、なぜブルーマウンテンコーヒー豆は「勝ち豆」と呼ばれるのだろうか。それは、この最高級と言われるコーヒー豆が潜り抜けてくる過酷な環境とそれに耐える逞しさ、強さにある。 ジャマイカが世界に誇るブルーマウンテンコーヒーの歴史は1723年に、ルイ15世がフランス領マルティニークに3本のコーヒーの木を贈ったことに始まる。その5年後に当時イギリスの統治下にあったジャマイカ総督は、マルティニーク総督から1本のコーヒーの木を譲り受ける。それがジャマイカコーヒーの歴史の始まりとなった。 ジャマイカの首都キングストンに近く、世界遺産にも登録されているブルーマウンテン地区には特有の気候があるが、それは決して温暖と言える気候ではない。毎年襲い来るハリケーンをはじめとする過酷な自然災害にさらされ、ブルーマウンテンの木々はそれに打ち勝っていく。そうして実ったコーヒーは収穫され、さらに厳しい品質検査を乗り越えていくことになる。出荷されるのは「試練に打ち勝った勝ち豆」だけだ。これがブルーマウンテンが「勝ち豆」と呼ばれる所以だ。 1967年1月9日、この日はジャマイカのコーヒー関係者にとって忘れられない日となった。「勝ち豆」ブルーマウンテンの最大量を載せた船は、今を遡ること55年前のこの日に、初めて日本に向けてキングストンの港から出航した。そこからジャマイカと日本を繋げる「民間大使」として、ブルーマウンテンコーヒーは大きな役割を果たしている。 2020年に着任した現在のショーナ-ケイ・リチャーズ駐日ジャマイカ大使は、この「ジャマイカ ブルーマウンテンコーヒーの日」をとても大切にしている。コロナ禍が幾分落ち着いた今年、リチャーズ大使は、ジャマイカ国旗にある3つの色とその意味を意識した大振袖を着用し、コーヒー及び観光業関係者をもてなした。黒地の大振袖にゴールドの袋帯、グリーンの帯留と帯揚げといういでたちは、力強く想像的な人々(黒)、太陽の光と活気(ゴールド)、天然資源に恵まれた土地(グリーン)を意味する。 女性の第一礼装である大振袖の着用は、日本人にとっても決して楽なものではない。しかし、リチャーズ大使は日本の礼儀に則り、日本式に髪を結い、大振袖を着用し、日本のマナーによって人々を迎えた。この心使いに、ジャマイカが持つホスピタリティを感じる関係者は多く、さらには「来年の着物はきっとグリーンに違いない」という憶測まで飛んだ。 また、今年は海外渡航も緩和されたことがあり、ジャマイカの観光についても紹介された。ユネスコ創造都市ネットワークの加盟都市キングストンはまた、豊かな文化を持ち、音楽はボブ・マーリー、美術では彫刻家・画家のマリカ・レイノルズ、美術の母といわれたエドナ・マンリーに代表されるように、文化も豊かだ。また、リチャーズ大使の毎年のおもてなしの心にも見られるように、ジャマイカの人々は心優しく、海外からの旅行者を歓迎している。 ブルーマウンテンコーヒーを飲んで遠いジャマイカへ思いを馳せ、がんばった自分へのご褒美としてこの美しい国を訪れてみたい。 【関連記事】
February 4 is Setsubun, when we eat Ehomaki (good luck direction sushi rolls), February 14 is Valentine’s Day, and March 14 is…